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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
祓魔の章

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心配=お怒りモード?

「……っ離せ!」

「そない怒鳴らんでも、離したるがな」


 ぼやくように言って、ライが日向を抱えていた腕をあっさりと放す。


 そこは既に、強固に張り巡らされた結界の外だった。

 周囲には、あの狂骨がここに来るまでの間に撒き散らしてきたらしい瘴気の名残が残っている。


 だがそんなものなど、直前までいた空間を一瞬で染め上げたあまりに濃い瘴気の渦に比べれば、ほとんどないに等しいものだ。


 田島沙織が、既に狂骨の核と為していた大量の骨のかけら。

 そこに掛けていた術を解放したとき、恐らく大地は一瞬で判断した。


 とてもこの数の狂骨から発せられる瘴気は、遙の異能でも中和しきれるものではないと。

 そして、そんな穢れに慣れていないという点では、遙も、守護四家の直系として常に周囲から守られていた日向も大差ない。

 すぐに、動くことさえままならなくなる。


 使えない――と。


「……っ!」


 だん、と既に自分の力では開くことの叶わなくなった扉を、日向は力任せに殴りつけた。


 ……守られた。

 自分が守るべきだった、子どもに。


 己のあまりの不甲斐なさに、一瞬砕けんばかりに奥歯を噛み締めた日向は、すぐに携帯端末を取り出した。

 使うことなどないと――あってはならないと思っていた番号を呼び出す。

 コール一回で、繋がった。


『――日向さま。どうなさいましたか』


 聞き慣れた声に、辛うじて震えを抑えた言葉で低く命じる。


「緊急だ、用件だけ言う。今すぐおれの現在地を、佐倉家当主殿に伝えろ。対象は狂骨、数は少なくとも二十。現在、高野家の大地殿が現在結界内で狂骨と対峙しているが、彼は負傷している。敵の術者は恐らく、田島沙織」

『――承知いたしました』


(すまない)


 何も言わず、ただ静かに応じてくれた家人の声に、胸の裡で詫びる。


 ここがどこなのかはわからない。

 だが、父か兄であれば、日向がどこにいようとその正確な居場所を捕捉することができるはずだ。きっとそれが、一番早い。


 ……今、彼らの力を京都守護の任以外に向けさせてはいけないことくらい、いやというほどわかっている。

 それでも――あの少年をこのまま何もせずに待っているなんて、できるわけがない。


 焦燥と苦渋の中で、黒崎家の家人との通話を切る。

 目を上げた日向は、タイルの床にライが座り込み、その腕の中で遙がぐったりと意識を失っているのに気づいた。


「おい、どうした?」


 ライは、遙を抱いてない腕の方だけで、器用に肩を竦める。


「どうもこうもあらへんー。さっきあん気色悪い人形がにょきにょきキノコみたいに生えてきよったとき、悪いモンを思いっきり吸い込んでもうたみたいやねん。おまえらと違うて、遙はぴっかぴかの素人やさかいな。……ワイも、迂闊やった」

「……そうか」


 確かにあの瞬間、日向と大地は咄嗟に瘴気を吸い込まないように体が勝手に反応していた。

 それをごく普通の学生である遙に求めるのは、無理というものだろう。


「見てみぃ」


 ライに促されて周囲に目を向ければ、同じフロアで数人の学生たちが倒れている。


「ここん連中は、遙のお陰でキレイな空気に慣れとったさかいな。これっくらいのモンでもぐったりしてまうんやろ。……まぁ、そのうち気づくやろうし、放っとき」

「遙殿は……」

「キレイなモンほど、汚れには弱いもんや。しばらく起きひんやろな」


 まるで病人のように青ざめた顔に、最後に見た大地の横顔が重なる。


 ――彼だって、とてもまともに動ける状態ではなかったはずなのに。

 自分ばかりが、こうして何ごともなかったように無事でいる。


 ぐっと拳を握り込んだ日向に、ライがちらりと視線を寄越した。


「……そないな顔せんでも、あの坊は死なんで」

「中の様子がわかるのか!?」


 勢い込んだ日向に、ライはいんや、と首を振った。


「そない器用なことができるかいな。のぞき魔やあるまいし。ほやけど、あの坊は死なんて言うた。……ああいう目ぇして死なん言うヤツは、そうそう死ぬもんやないわ」


 根拠もないくせに、楽観的なことを言う。

 日向は苛立ちに声を低めた。


「……随分、わかったようなことを言うのだな」

「そらまぁ、ワイはようさん人間っちゅーもんを見てきたさかいな。もちろん、いやんなるほどようさん死んでもうた人間も見てきた。……ほんでもまだ、あの坊はちゃう。あの坊は、こないなとこで死ぬようなタマとちゃうわ」


 日向は思わず目を瞠った。意外の念を抑えきれず、口を開く。


「おまえは……」

「なんや?」

「ひょっとして、おれを励ましているのか……?」


 人にあらざる異形が、人間を?

 ライは心底いやそうに顔をしかめた。


「なぁしてワイがおまえを励まさなあかんねん。これはただの、希望的観測や!」

「なんだそれは!?」

「やってワイ、なんやあの坊も気に入ってもうたし。知っとるか? あの坊の髪、えらい柔らかくてふわっふわで、撫で心地最高なんやー」


 日向は口をつぐんだ。そういえば、コイツは変態なのだった。

 三歩ライから離れ、改めてきっぱりと言う。


「おれには、少年の髪を撫でて喜ぶような趣味はない」

「ほうか? ワイはさっき、ごっつ癒されたでー? おまえも機会があったら、いっぺん触ってみぃや」

「ひとを変質者の道に引き込むな。おまえと違っておれには、ヒトとして守らねばならない一線というものが断固として存在しているんだ」


 なんやそれ、とぼやいたライにはこれ以上構わない方向でいこう、と心に決めたときだった。


(ん……?)


 手に持ったままだった携帯端末が、着信の振動をはじめた。

 液晶画面には、知らないナンバーが並んでいる。

 佐倉家の誰かだろうか、と思いながら通話を繋げて名乗る。

 すぐに機械越しにもひどく滑らかな、今まで耳にしたことのない男の声が聞こえてきた。


『黒崎日向。ひとつ尋ねる。簡潔に答えろ』


 静かな――柔らかいと言ってもいい声だった。

 だが同時に、断じて否を許さないその声に、気圧される。


『おまえが大地のそばを離れたのは、大地の意思か?』

「……はい」


 答えた自分の不甲斐なさを思い出し、携帯端末を持つ手に力が籠もる。

 だがそんな日向とは逆に、相手は少し緊張を緩めたようだった。耳に触れる声が、ほんのわずかながら穏やかになる。


『ならばいい。――その狂骨如きに手間取っているアホが出てきたら伝えろ。おまえがこれから相手にしなければならないのは、「堕天」だ。多少の怪我で休めると思ったら大間違いだ、と』

「……は、い?」

『狂骨の後始末については、田島家の術者がそちらへ向かっている。人払いの結界を張って彼らを待て。以上だ』


 いきなりぶっちりと切れた通話に、日向はしばし呆然として携帯端末を眺めた。


(ええぇー……)


 なんだか、酷い。

 というか結局、アナタは一体誰だったんですか、と思いながらもとりあえず機械的に人払いの結界を張る。


 ――日向は、こんな基本的なフォローすら忘れていた自分のテンパり具合に改めて気づかされ、ますますずどんと落ち込んだ。


「どないしたー?」

「……頼むから、少し、放っておいてくれ」


(あぁ、その脳天気な声が、ムカつく)


 日向がちょっぴり目の前の壁に懐きたくなったとき、張ったばかりの結界が突然、問答無用の勢いで破られた。

 ぎょっとして振り返る。


 そこにいたのは、鮮やかな紫藍の瞳を凄絶に光らせた少年。

 こんなところにどうして佐倉家の後継が、と目を丸くする。


 しかし、日向の存在などまるで目に入っていないかのようにずかずかと足を進めた皓は、鎖された扉の前でちっと舌打ちした。

 足元の床に、乱暴な仕草で掌を叩きつける。


「『〈塞〉!』」


 そして、どんな穢れも封じ込めることができそうな清冽な結界を一瞬で立ち上げると、どっかん、と回し蹴りの一撃で目の前の扉をぶち破った。


(……うわぁ)


 なんだか、見てはいけないものを見てしまった気がする。

 皓の大雑把さに若干引いていた日向は、開いた扉の向こう――床一面がべったりと真っ赤に染まった空間から、待ち構えていたかのように巨大な影が跳び出してきたのを見てぎょっとした。


「――大地くん!」


 ずるり、と。

 皓の足元に着地するなり倒れ伏した獣の背から、苦しげな呼吸を継いでいる大地が力なく滑り落ちる。

 先ほどよりも、明らかに顔色が悪い。


 意識を保っているのが不思議なほどだったが、大地はうっすらと瞬いた。


「アルファ……?」

「おまえが素晴らしくできのいい使役を持っていることは重々承知しているし、今現在それを再確認しているところではあるが、使役というのはそうして具現化しているだけで非常に体力を消耗するものだなんてことは、今更言われるまでもないことだな? ついでにその使役の弱り具合からして、主であるおまえも笑えないほど弱っているというのが丸わかりである場合、僕は今すぐ、アルファを戻せと心から忠告する次第なのだがどうだろう?」


 立て板に水とばかりに告げられた皓の言葉にぼんやりと瞬くと、大地は力なく持ち上げた手で漆黒の毛並みをそっと撫でた。


「……アルファ。戻れ。――ありがとうな」

『……主。言ったはずだ。我は、主と我の終焉を望まぬ』


 鼻先で軽く大地の頬に触れた獣が、とろりと影の中に消える。


 それは感動的な光景に見えないこともなかったが、目の前に腕を組んでの仁王立ち、その視線で射貫かれたら即時に全面降伏してしまいたくなるようなお怒りモードでいらっしゃる少年がいる場合、日向が覚える感情はひたすら触らぬ神に祟りなし、である。


 どうやら佐倉の後継者は、心配すると怒りだすタイプのようだ。

 しかし残念ながら、その怒りをぶつけるべき相手は、壊れた人形の残骸の間でひたすら楽しげに笑い続けている。


(……哀れな、とは思えないな)


 あまり、見ていたい光景ではない。

 日向は先ほど皓に蹴り破られた扉を静かに閉めた。


 床に座り込んで壁に背中を預けたまま、立つこともできなさそうな様子の大地が、覇王な空気を背負った主を見上げた。

 ひどく億劫そうに首を傾げる。


「なんで……おまえが、いんの?」

「ほほう。それがどっかのアホな祓魔師が行方不明になったと聞いて、遠路はるばる京都まで跳んできたというのに、おまえが姿を消したという場所に着いた途端にその居所が判明して、喜ぶよりも先になんだか脱力してしまったにもかかわらず、こうして駆けつけてやった僕に言うことか?」


 あくまでも淡々と告げる皓に、大地は掠れた声で答えた。


「オレは……おまえに、来んなっつったし」

「いつ。どこで」

「あー……ちょっと前に、心ん中で?」


(大地くん……)


 瞬間、皓の周囲の温度が一気に下がる。

 日向は、このド迫力を前にそんなことを言える大地の図太さに、ちょっぴり感動した。


 さすがにまずいと思ったのか、大地の疲れきった顔に申し訳なさそうな色が滲む。


「悪かった」


 小さく言って、辛うじて動かせているらしい腕をわずかに持ち上げる。


「ちょっと……立てねぇんだ。――肩、貸してくれるか?」

「歩けないなら、ここから車まで衆人環視の中を、堂々と姫抱きで運んでやろうか」


 真顔でそんなことを言う皓を、大地が半目になって見遣った。


「……そんな自爆覚悟のいやがらせを、どこで覚えた」

「ここに来る途中に車の中で、明緒さんから教わった」

「……はいぃ?」


 大地が間の抜けた声をあげたかと思うと、ざぁっとその顔から血の気が引いた。

 皓はそんな大地に、さらりと追い打ちを掛ける。


「ちなみに、今回の指揮権はおまえの負傷を受けて、既に明緒さんに移っている。覚悟しておけ」

「……ちょっと……泣いてもいいかな」


 一気にどんよりとした大地に、皓はそれはそれは優しげな笑みを浮かべ、言った。


「そうだな。このまま長期戦にもつれ込んだ場合、おまえが静岡に帰れるのはいつになるか、まるでわかったものじゃないもんな?」


 ふぅっと大地の体が傾ぐ。


「あぁっ、大地くん!? 気をしっかり!」


 そんな彼らの様子を眺めながら、いまだ眠ったままの遙を抱えたライが「……そないなことしとらんと、とっとと坊を病院に連れてったったらどうなん?」と、至極まっとうな意見をつぶやいていた。

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