齋の丘
大地が三条家を襲撃した異形の捜索をはじめてから、三日が経った。
いまだ式神たちからの報告はない。
ほかのどのルートからもなんの手掛かりも見つけられない状況に、じりじりと苛立ちばかりが募っていく。
『――大地。我が主よ。もはやこの地に、彼の異形はいないのではないか?』
ふいに聞こえた男とも女ともつかない響きの声に、大地は小さく息を吐いた。
「アホぬかせ。……まだ、いるさ」
『なぜ、そう言いきれる。我がこれだけ挑発しているのだ。にもかかわらず、いまだに出てこない魔となれば――』
「おまえより格上、ってこったろ?」
御意、と大地の影の中から応じたのは、大地が幼い頃から使役している、かつては炎を吐く悪魔だったものだ。
使役に下した当初は鷲の翼と蛇の尾を持つ巨大な狼の姿をしていたのだが、爬虫類の苦手な大地は外観設定を少々弄って、今は誰に見せても恥ずかしくないふっさり尻尾となっている。
その使役に大地は先日来、何度も攻撃的な波長を出させている。
それに怯えたものたちが息を潜め、或いはこの地を去ったせいか、一層京都の空気は清らかさを増していた。
それはいっそ、不自然なほどに。
(いくらなんでも、清浄すぎるだろ。三条の守護四家が必死こいてるったって、中央要の本邸に毒気にやられた当主が伏せってんだぞ? ……ったく、なんだってんだ)
ぐしゃりと前髪を掻き上げる。
今の状況は決して忌避すべき事態ではないのだが、どうにも落ち着かない。
常に対象を正しく『理解』することを求められる祓魔師の大地にとって、この異常なまでの京都の清浄さは、ただ苛立ちを誘うものでしかなかった。
――悪魔を殺すというのは、その存在をすべて否定し、消滅させること。
そして、悪魔を使役とするのは、“名”と“役割”を新たに『上書き』し、その存在のすべてを祓魔師の支配下に置くということだ。
単に悪魔を消し去るだけなら、特に祓魔の技術がなくとも不可能なことではない。
相手よりも圧倒的な力でねじ伏せ、破壊してしまえばそれで済む。
悪魔をただ滅ぼすのではなく、相手の存在そのものに干渉し、本来与えられた“名”を奪い“役割”を奪い、それまでとはまったく別の存在として己の使役とすることを可能とする――それが、祓魔師と呼ばれる者たちである。
小さく息を吐くと、大地は影の中に潜むものに与えた名を呼んだ。
「アルファ」
『なんだ、我が主』
「オレは、怖い。……だから、そいつはまだ、ここにいる」
勘、というより、それは既に確信に近い。
京都に入ってからというもの、ずっと治まらない胸のざわつき。
それは、得体の知れないものに対する恐怖だ。
怖くて――そして、どうしようもなく気分が高揚する。
ぞくぞくする。
思わず、笑みがこぼれるほどに。
そんな大地の様子に気づいたのか、影の中から慎重に抑えた声が聞こえてくる。
『……主よ。我は既に、主と命を同じくするもの。我は強き者には、ただ恐怖する。我は、主と我の終焉を望まぬ』
「オレだって、この若さで死ぬ気はねぇよ。逃げるときは、スタコラ逃げるさ」
ふっと唇の端を持ち上げて言った大地が今いるのは、京都市街から北東に移動した山中にある、参拝する者もとうに絶えた寂れた社だ。
かつては土地神が祀られていたのだろうその小さな社には、もはやそこに奉られていた神の名を記すものさえない。
主の失われた土地は、新たな主となり得る者を呼ぶ。
そのため、こういった場にはさまざまな異形や魔が集まりやすい。
しかし、もういくつ目かも数えることを止めたこの社には、新たに宿るものも巣くうものもなく、ひんやりとした寂しげな空気が周囲の梢を揺らすばかりだ。
ここもハズレだったか、と溜息をつきながら、別の「場」の確認に行った日向との待ち合わせ場所に向かう。
(……ん?)
路地に駐めた車のそばで、日向がどこかと連絡を取っている。
「……ああ。了解した。詳しいことがわかったら、随時連絡を入れてくれ」
わずかに緊張を滲ませた声を聞いて、大地は足早に近づいた。
「黒崎さん。何か手掛かりが?」
三条の情報網に何か引っかかったのか、と問いを向ける。
日向は束の間、逡巡を見せた。
「確かに手掛かり、と言えるかは。ただ、京都府警の方から協力要請が入ったと」
「協力要請?」
はい、と日向がうなずく。
「先ほど――」
「ああ、すみません。ほかに手掛かりもないことですし、とりあえずそちらに向かいます。話は移動しながらで構いませんか?」
時間が惜しい。
日向を促し、大地はさっさと車に乗り込んだ。
ここ数日で、だいぶ大地のテンポに慣れてきたらしい日向も迷わず助手席に乗り込む。手短に運転手に目的地を告げ、改めて口を開く。
大地くん、と彼が呼ぶのは、当初は「高野殿」と呼びかけてきた日向に、頼むから人前でそれは勘弁してくれ、と大地が主張した結果である。
互いの立場はどうあれ、大地はいまだ十六の子どもであるのだ。
そんな自分に立派な成人男子である日向が敬語を使うだけでも、違和感があることこの上ない。
だから外では呼び捨て、タメ口でいいと言ったのに、そこは頑として拒否されてしまった。
まったく、三条の人間はおかしなところで融通が利かなくて困る。
「――二日前の午後八時頃、複数の若い男女が同時に突然意識不明となり、すぐに病院に搬送されたものの、全員の死亡が確認されたそうです。現在は司法解剖に回されているそうですが、担当の刑事が確認したところ、被害者全員に逆凪の痕跡が認められたということです」
思わず眉を寄せた大地に、日向は感情を伺わせない声で続けた。
「よって、彼らが何者かによって『身代わり人形』にされたことは、ほぼ間違いないだろうと。ただし、どのような術によって為されたのかはまったく不明。術者本人に繋がるものは、一切残されていないとのことです」
大地は戸惑った。
「……それは、どう考えても素人のやり口でしょう。なのに、術者の気配を辿れないと?」
危険な術の返しである逆凪。
それを回避するために、他者の命を自分の命の代替にするなど愚の骨頂だ。
そんな浅ましくも愚かなことをしでかした者の気配を追えないとはどういうことだ、と疑問を向ける。
どうやら日向も、それについては困惑を覚えているようだった。答える声に迷いがある。
「はい。被害者の共通点がすぐに割り出せたことからも、間違いなく素人同然の者の犯行であるはずなのですが……」
「――まさか、全員が同じ大学の学生だったんですか?」
先ほど日向が運転手に告げた目的地は、京都郊外にキャンパスを構える大学だ。
いくらなんでも、という大地の言葉は、しかしあっさりと肯定されてしまった。
「はい」
(なんだそりゃ)
そんなことをしては、自分がその大学の関係者です、と大声で宣伝しているようなものではないか。
呆れ返ってぱっくりと口を開いた大地を、日向は困った顔をして振り返った。
「なんにせよ、これはただの素人の仕業にしては被害が大きすぎます。この犯人が、我々の件に某かの関係があると断じるのは早計でしょうが……。京都府警に所属している術者の質は、警視庁の精鋭に比べても、そう劣るものではないはずです。その彼らになんの手掛かりも追えないというのは、やはり尋常なことではありません」
「……一応聞いておきますが、黒崎さん。そんなアホなことをしでかすような救いようのないアホに、心当たりは?」
素人、といってもなんの異能も知識もない人間が、人の命を複数犠牲にするような術を使えるわけも、ましてや逆凪に対して『身代わり人形』を立てようなどと思うわけもない。
ならばそれは術を知り、それなりに修行を積みながらも、その本当の恐ろしさを知らない――いまだ術の世界に生きてはいない者の仕業だろう。
佐倉一門でも、修行の途中で己の生きる道を「外」に見出す者は珍しいものではない。
だが、そういった者たちは、決して外の世界で術を使うことは叶わない。
日々重ねられる修練、それによって支えられる技術と自信。
それらがなければ、術という危険極まりないものを行使することなどできないからだ。
それでも人間は、すぐに忘れてしまう。
必死に努力して身につけた技術も、それを使うことの恐ろしさも。
だからこそ佐倉一門では、術を身につけながら「外」で生きることを選んだ者たちには、その師に当たる者が必ず言霊による制約を課すのだ。
「外」で生きる限り、二度と術を使わない、と。
その辺りはこの西の地ではどうなっているのか、と向けた問いに、日向はむしろ不思議そうに首を傾げる。
「少なくとも私の知る限り、術者として生まれた者はすべて、術の世界で生きております」
「……へ?」
大地は目を丸くした。
「佐倉一門には、術の世界から出ていく方も多くいらっしゃることは存じておりますが。西の地では、術者が「外」に出ていくことは滅多にありませんので。――ですから、今回の件についても、いずれどこかの才走った愚か者の仕業ではないかと」
「ソ……ソウデスカ」
思わず棒読みになってしまった。
(うーむ……。これはちょっと、カルチャーショックだ)
これでも一応、西の事情を少しは把握しているつもりだったのだが。
まさか術者として生まれたら一生術の世界一本勝負、それ以外に人生の選択肢はございません、というのがこちらの常識だったとは思わなかった。
東の常識は西の非常識。
つくづく文化の違いを感じてしまう。
しかしそうなると、この「素人」は本当に真性のアホなのではないだろうか。
この京都でこんな派手な真似をしたら、警察の情報網には引っかからなくとも、三条の力をもってすれば、これから向かう大学にわずかなりと関わりを持っている術者など、速攻で割り出せるような気がするのだが。
そんなことを考えていたのが通じたわけでもあるまいが、それからすぐに日向の携帯端末が鳴った。
通話を受けた彼が、大地に視線を当てて小さくうなずく。
「――術者の特定ができました。田島沙織、二十才。あの大学に関わりのある者で、現在所在が確認できないのは彼女だけだそうです」
「さすがですね」
「いえ……。しかし田島家と言えば、この京都でもかなり有力な一門の宗家です。そんな家の娘がこのようなことをしでかすとは、少々腑に落ちません」
日向が困惑した顔で首を捻る。
アンタの主家の甘やかされたお嬢さまも、昔とんでもなくアッホーなことをしでかしてくれたでしょうが、とは言わずに、大地は日向に素朴な疑問を向けた。
「そもそもそんな家の、しかも術者のお嬢さんが、どうして大学なんて場所と関係があるんです?」
これは土地の東西を問わず、よほどの例外を除き、術者が大学に進学することはない。
厳しい術の修行と受験勉強を両立できるような者がいるなら、大地は問答無用でその変態を「化け物」と呼ばせていただく。
そんな大地の疑問に返ってきた答えは、非常にわかりやすいものだった。
「彼女の恋人が、その大学の学生だったそうです」
そうですか、とうなずきかけた大地は、しかしその言葉尻が気になった。
「だった? 過去形ですか?」
「はい。どうやら数ヶ月前に事故死しているそうなのですが、詳しい情報は――あぁ、きたようです」
再び、日向の携帯端末が鳴った。
今度は文書形式の情報として送られてきたファイルを開いた日向が、何やら小さく溜息をつく。
「……他大学の女子学生との合同コンパの最中に、急性アルコール中毒で死亡、だそうです。山城恭二、享年十九才」
それはまた、なんというか。
「親不孝な方ですね……」
立派な大学に入るまでに育て上げた息子に、そんな死に方をされた親御さんの気持ちを考えると、やりきれないものがある。
だが、そういう事情であれば、その恋人とやらが『穢れ堕ち』していまだ彼女のそばにあるということはないだろう。
酒飲みほど、この世への未練というものに縁の薄いイキモノはない。
「田島沙織については、現在田島家が総出で行方を捜索しているようです」
「では、そちらに関しては彼らにお任せするとして。――やはり気になるのは、彼女の使った術の痕跡を、警察の術者が辿ることができなかったということですね」
日向が少し、迷うような顔をした。
「はい。……通常ならば、そんなことはありえません」
(ありえない――か)
本当に、この間からありえないことばかりだ。
三条家の当主襲撃も。
京都が、異常なまでの清浄さを保っていることも。
愚かな術者が、その術の痕跡を完璧なまでに消し去っていることも。
しかしそれも、ある意味共通点と言えないこともない。
これから向かう大学に、そのありえなさの一端を解明する手掛かりのかけらなりともあれば、と思いながら車を走らせること四十分。
総合大学らしく、広々とした開放的な雰囲気を持つキャンパスが次第に近づいてくる。
その途中からずっと微妙な違和感を感じていた大地は、実際に大学敷地内にある駐車スペースに入った途端、あんぐりと目を剥いた。
(おいおいおいおいおいおい……? なんだこりゃ?)
車から降りてみると、より一層その異常さが肌に感じられる。
清浄すぎる、とは先日京都に入って以来何度も思ったことだったが、本当にいくらなんでもこれはないだろう。
ただでさえ大学や繁華街などの有象無象の人間が入り乱れる場所というのは、どうしたってさまざまな人間の負の感情が溢れて、その場の空気を澱ませるものなのだ。
なのに、ここの空気はまるで毎日きちんと清めを行われている神域であるかのように、どこまでも澄みきって美しい。
「……黒崎さん。その……もしかしてこの大学も、何かを祀られている清めの場なんですか?」
ぎこちなく問いかけると、やはり「何コレ」を顔に張りつけていた日向が、我に返ったように何度か瞬く。
「そのような話は、聞き及んでおりません。ただ――」
「ただ?」
再びの沈黙は、もう少し長かった。
「……先の春頃より、この地に清めの異能を持つ術者が現れたのではないか、という噂は、三条家だけでなく、他の一門の間でも密かに囁かれていたようです」
静かな、けれど低く掠れた声だった。
「三条家では、確かにすべての者たちが必死にそれぞれの任に当たっております。それでも――今こうして、これほどまでに正しく京を護ってこられたのは、それだけでは考えにくい……」
日向が口にしたのは、三条家の矜恃そのものを傷つける現実だ。
それを敢えて口にした日向の目に映っているものから、大地は目の前の問題に意識を戻した。
「――黒崎さん。この現状からして、その清めの異能を持つ術者が存在していることも、その人物がこの大学の関係者であることも、恐らく間違いないでしょう」
まるで呼吸をするように自然に、目を疑うような異能を操ってみせる者。
そういった稀少能力者が、突然変異のようにして一般家庭に生まれることは、多くはないが決して珍しいものでもない。
(……いや、あんななんの言霊もなしに屋敷ひとつぶっ潰すようなワケわからんヒトが、そうそういても困るけど)
現在は佐倉の本邸にいるのだろう、今のところ大地の中で非常識ナンバーワンな人物のことは、とりあえず置いておくことにする。
大地は改めて日向に向き直った。
「ですが、オレの見る限り、ここの空気はひどく京都のものに馴染んでいます。ほかの土地からやってきた何者かが、たとえそんな異能を持っていたとしても、これほどまでに違和感なく、こんな場を作り上げられるものでしょうか」
違和感がなさすぎるという違和感に、どうやらこの土地の人間である日向は、大地に指摘されるまで気づいてはいなかったようだ。
一瞬驚いたように目を瞠ると、少し考える顔になって首を振る。
「いえ。ここまで自然に京の空気に馴染んでいるものでなければ、もっと早くに誰かが気づいていたかと」
「では」
日向は、しっかりとうなずいた。
「ええ。三条のものではないとしても、少なからず西の術者の血を引く者でしょう」
「その人物を、特定できますか」
この何千人という人間が溢れているキャンパスで、瘴気を垂れ流している禍物を特定するというなら、その発生源を辿ればいいだけの話だ。
しかし、恐らくは無意識に周囲を浄化しまくっている術者を特定するだなんて、広大な湖の底から湧き水の出所を探し当てるようなものである。
ここまで清めが進んでいなければ、或いはその人物のいる場を特定することができたかもしれない。
だが、こうまでキャンパス全体が清浄な状態に保たれてしまっているとなると、そんなことはもはや不可能である。
もし三条家の情報網でもその人物を見つけだせないとなると、事態は少々厄介なことになる。
「先ほどのお話で、逆凪を引き起こした術者の痕跡を辿れなかったというのも、恐らくはその人物が穢れを消してしまったからでしょう。そのことまで予測して、田島家の術者が術を行使したのだとしたら――」
「……なぁんや」
くくっと愉しげな笑い声が、大地の耳の後ろにかかる。
「また、えらい可愛らしい祓魔師の坊主やなぁ?」
背後、を。
なんの反応もできずに、取られた。




