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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
神々の章

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53/85

男の子のプライドは、取扱注意なのです

 涙の痕が頬に残っている子どもは、本当にただ眠っているだけのように見えた。


 泣き疲れ、くたくたに疲れ果てて眠っているだけのような子どものそばに明緒が膝を落とす。


 その額に手を当てて一度目を閉じると、ゆっくりと息を吐き出した。


「……明緒?」


 桐原の抑えた声での呼びかけに、彼は静かに首を振る。


「無理だな。魂をほとんど持っていかれてる」


 保って後半日ってところだろう、と明緒がつぶやく。


 桐原に地面に下ろされるまま、ずるずると座り込んでいた晶の口元が震える。


 その様子を見ていられなくて、翔はそっと彼から視線を外した。


 多分晶以外の誰もが、あの子どもと対峙したときに、こんな終わりが訪れる可能性があると考えていた。


 ――それでも。


(わかってても……キツい、な。これは)


 こんな、終わり方は。


 どうしたって、誰も助けられないことはある。間に合わないことだってある。


 そうわかっていても、こんな小さな子どもが自分がしたことの意味もわからないままに暴走し、その結果魂を食らい尽くされてしまったという現実は、それなりに経験を重ねたつもりだった翔にとってもあまりに重すぎた。


 なんの予備知識もなく、わずかな時間とはいえあの子どもと心を通わせた晶は尚更だろう。


 あの暴走を鎮められる可能性があるのが晶だけだったとはいえ、酷なことをさせてしまったと思う。


 けれど、彼が手を差し伸べてくれなければ、きっとあの子どもはもっと昏い闇の中に堕ちていた。


 彼のお陰で、あの子どもが少しは救われたのだ、と思いたい自分は傲慢なのだろうか。


 それとも、ただ力で叩き伏せることしかできない自分の、臆病な言い訳なのだろうか。


 呆然としたまま、どうしてとさえ言わない晶を、桐原が痛ましげな顔で見下ろしている。


 そんな彼らのそばで、先ほど共闘した少女が軽く露を払う仕草とともに、手にしていた刀を白銀の光に戻した。


 淡く煌めく光が、彼女の右目に再び宿る。


 その様子を見るともなしに眺めていた翔は、振り返った彼女がそのままの勢いで晶の頬に平手打ちをかますのを見て、ぎょっとした。


 見事なスピードと威力で繰り出された一撃を、無防備にまともに食らった晶の首がイってしまったのではと青ざめたが、どうやら無事だったようだ。


 一体今自分の身に何が起こったのか、というように瞬きした晶が、くわっと目を剥く。


「い……っいきなり、何しやがる!?」


 少女はけろりと答えた。


「男が景気の悪いツラをしていると、無性に殴りたくなるタチなもんで。ぐーじゃなかっただけ感謝しろ」

「できるかぁーっ!」


 当然の如く、ぎゃあと喚いた晶の前に少女がしゃがみ込む。


 間近に顔を覗き込まれる格好になった晶が、ずざっと後退る。


 気持ちはわかる。あの平手打ちの音は、聞いているだけでもとっても痛そうだった。


「おまえは、泣いていいんだ」


 少女の手形をくっきりと頬に貼りつけた晶の目が、大きく見開かれる。


「おまえは、泣いていい。だから、景気の悪いツラをしてるヒマがあったら、とっとと泣いてしまえ。なんなら、もう一発殴ってやろうか?」


「それ、意味違うし! ……っつうか、男が女に殴られて泣けるかボケー!」


 微妙に泣きそうな顔をした晶に、少女はキリッとした顔でうなずいた。


「安心しろ。あたしは自分より弱い男を男だとは思っていない。よって、おまえが泣こうが喚こうが『うはは、男のくせに泣いてやんの、恥っずかしー』なんて差別発言をするつもりもない。思う存分、泣き喚くがヨイ」

「……っ!」


(……うん、一ノ瀬。そこは泣いていいところだと思うぞ)


 随分と正直にものを言う少女だが、その正直さが晶の男としてのプライドを完膚なきまでに叩き潰し、踵でぐりぐりと踏みにじっていることに、本人ばかりがまるで気がついていないようなのが恐ろしい。


 大体、あの戦闘能力を目の当たりにした晶が、彼女に向かって男のメンツを懸けた勝負を挑むことなどできるはずがない。


 翔だってイヤだ。


 かといって彼女のお言葉は、そのまま受け入れるには悲しい成分が多すぎる。


 ちょっぴり黄昏れたい気分になりつつ、翔がこっそりと溜息をついたときだった。


(……え?)


 突然。


 なんの前触れもなく、晶の傍らに、ふっさりとした金茶色の毛並みがいかにも柔らかそうな、可愛らしい中型犬の姿が現れた。


 その気配は、やはりそこらに溢れている動物霊とは明らかに一線を画している。


 まさにそれは、名もなき神の――


「北福竜……?」


 ――いや、アレには晶がそんな名を付けたのだったか。


 それは晶の胸に一度頭を擦りつけると、軽く地面を蹴る動作で宙を駆けた。


 そうして、明生がその涙の痕を清めていた子どもの胸元に舞い降りたかと思うと、すぅ、とその体の中に溶け込むように姿を消した。


 どくん、と。


 子どもの体から、鼓動のような波紋が広がる。


 人々がまさか、と息を詰めて見つめる中、二度と開かれることなどないと思われていた子どもの瞼が、ふるりと震えた。


 身動いだ子どもの艶やかに切り揃えられた髪が揺れ、ゆっくりとその瞳が現れる。


 ぎこちない仕草で体を起こした子どもが、どこまでも透明な双眸で周囲を見回す。


 なんの慟哭も悲哀もない瞳には、不思議そうな表情ばかりが浮かんでいる。


 子どもは、こてんと幼い仕草で首を傾げた。


「こん、にちは?」


 ぎこちなく、舌っ足らずな口調で。


「あれ……ここ、どこぉ……?」


 きょときょとと辺りを見回し、不安そうに体を縮めた子どもが、少女に張り飛ばされ、後退った格好のまま固まっている晶に気がつく。


 驚いた顔をすると、よいせと立ち上がって駆け寄った。


「お兄ちゃん、転んじゃったの? 大丈夫?」

「……っ」


 ためらいは、一瞬だった。


 心配そうな顔をしてかがみ込んだ子どもに、晶がしがみつくような勢いで手を伸ばし、力任せに小さな体を抱きすくめた。


「お、兄ちゃん? 大丈夫? ……どこか、痛いの?」


 気遣う言葉を口にする子どもの肩に顔を埋めた晶の背中が、引きつるように震えた。ますます子どもの体をきつく抱き締める。


「――苦しいよ。お兄ちゃん」


 囁くように告げた子どもの手が、晶の頭にそっと触れる。


 途端にずるりと力を失った晶の体を危なげなく受け止めた子どもは、ぺたんと地面に座り込んだ自分の膝に、晶の頭を丁寧に乗せた。


 細い指で、乱れた髪を軽く撫でる。


 そうして顔を上げると、それまでとはまるで違う、幼さのかけらもない静かな瞳で人々をゆるりと見回した。


「さて」


 うっすらとほほえんだ口から零れる声さえ、その色を変えている。


「どうしたものかの。この者らは、我の気に入りなのだが――さても珍しい者ばかり揃うたものだ。雷の子、剣神の娘、巫の司。白蛇の一族は、相も変わらず随分とヒトに肩入れしているようだな?」


 幼い顔に、艶然とした笑みを湛えながら、そんなことを言う。


 子どもの姿をした「何か」に、軽く手を上げて桐原を制した明緒が一歩進み出る。


「……小さき神よ。あなたの望みは」

「知れたことよ。この幼子の魂は、既に我が眷属の一。なればこそ、ともに生きる。それだけのこと」


 明緒が、わずかに眉をひそめる。


「この現世に、ひととして生きるとおっしゃるか」


「この幼子がこのまま死ぬれば、我が友が悲しみ嘆く。――ヒトの子らよ。我が友に余計なことは言わぬことだ」


「承知」


 短く応じた明緒に、子どもの姿をしたものは満足げにうなずいた。


「なればよい。これより我が名は『牧村香奈』だ。……ふむ。しばしヒトの身として生きるとなれば、いずれ我が友と番って子を為すも一興やもしれんな」


 ――その場に、なんとも言えない沈黙が落ちた。


「……はいぃ?」


 明緒の声がひっくり返るのをはじめて聞いた、なんて感動している場合ではないのだろうか、ひょっとして。


 微妙に白くなった空気の中、晶の頭を膝に乗せた『香奈』が、いいことを思いついたとばかりにうんうんとうなずいている。


「この身はまだ少々幼いようだが……。まぁ、問題なかろう。幸い、我が友はまだメスを知らぬようだしな。我が一から手取り足取り……」


「ちょっと待ったあああああぁーっっ!!!」


 人間一同による渾身のちょっと待ったコールに、『香奈』の瞳が丸くなる。


「なんだ。心配せずとも、ヒトの交尾の方法くらい知っておるぞ?」


(交尾て!)


 このままでは、晶がとんでもなくマニアックな世界に連れていかれてしまう。


 翔は明緒を押しのけ、くわっと『香奈』に詰め寄った。


「その子の体は、まだ小学生だぞ!? そーゆーネタは、せめて十六才になるまで封印しとかんかいー!」


「……雷の子よ。おぬし、いかに自分が恋しい娘といまだちゅー止まりだからと言うて、ひとの恋路を邪魔するのはどうかと思うが?」


 呆れたように言われて、翔は一瞬唖然としてから、力一杯声をひっくり返した。


「なな、なんでおまえが、んなこと知ってんだよ!?」


 そのとき『香奈』が浮かべた、「にたぁ」としか言いようのない笑みは、カミサマというより邪神というに相応しいものだったと思う。


 後退っておののいた翔に、『香奈』は勝ち誇ったように楽しげに告げる。


「ふっ、我が眷属はこの国のあらゆるところにおるのだぞ? おぬしのことなど、生まれたときより知っておるわ。先ほどとて、なんじゃ。イザというときにはあの娘に助けられおってからに。まったく情けない雷の子よの」

「……っ」


 完全なる敗北であった。


 ふふんとドヤ顔になった『香奈』の前に撃沈した翔に代わって、いやいやいやいや、と少女がツッコむ。


「いくらなんでも、さすがに年の差とゆーものがありすぎなのではないかと思われるのですがっ!」


 だが、『香奈』は不思議そうに首を傾げるばかりだ。


「なんだ? おかしなことを言う娘よの。おぬしの想い人とて、我らと同じほどに年が離れているのであろうに」


「な、ななななんのことでございましょうでござりまするかー!?」


 途端に真っ赤になって跳び上がった少女の日本語が、崩壊した。


 ――カミサマの情報網って、恐ろしい。


 青春真っ盛りの若者チームがあっという間に沈没し、揃って大人チームを縋るように見つめる。


 しかし、卑怯なオトナである彼らは、それはそれはにっこりと穏やかな笑顔を浮かべた。


「触らぬ神に祟りなしだぞ、翔」

「オレは警察の人間なので、何も聞いていません」


 オトナって、汚い。


(――仕方ねぇ)


 すぅ、と息を吸った翔は、今更ながら改めて少女に名乗った。


「……オレは、佐倉一門の神谷翔。あそこでロリコンの汚名を着せられることが確定しつつある、一ノ瀬晶のツレだ」


「……ほほう、奇遇だな。あたしは杉本あきらだ。同じ名のよしみで手を貸してやろーじゃないか」


 翔は右手を差し出した。


「礼を言う」


 がっしとその手を握り返したあきらが、不敵に笑う。


「なんのなんの。――『如月』」


 そうしてスポーツマンシップに則って、共闘の意思を爽やかな握手で確かめ合ったふたりが『香奈』を振り返る。


 翔はばちばちと音を立てながら雷をまとい、あきらは『如月』を言霊の詠唱抜きで呼び出して。


「お……おまえたち……?」


 さすがにヤバいと感じたらしい『香奈』の顔が、はじめて引きつる。


「――犯罪の種は、芽吹く前に掘り起こして完膚なきまでにきっちり焼却処分しておかねえと。なぁ、杉本?」


「そうともさ。余計なことをぺらぺら喋りまくられる前に口封じをするのが、秘密保持の大原則とゆーモノだ」


 うなずき合うふたりに、『香奈』がわたわたと両手を泳がす。


「待て待て待て! 今我を滅せば、この子どもの魂のかけらごと消え失せるのだぞ!?」


 翔はにこりと笑ってやった。


「気にするな。ききわけのない駄犬に、ちょーっとキツめのしつけをするだけだから」


 あきらは、うんうんとうなずいた。


「舐められたら終わり。調教の基本だな」


 ふたりの言葉にびくぅっとなった『香奈』が、小さな手で晶の肩を揺さぶる。


「お……っお兄ちゃああああん! 起きてええええぇー! 怖いヒトたちが、カナのことを苛めるようううう!」


 相変わらず、素晴らしい演技力である。翔はちょっぴり感心した。


「……ぐう」


 だが、ここ数日というものろくに眠っていない晶が、一度寝入ってしまえばそうそう目を覚ますはずもなかった。


 というわけで。


「カミサマが憑いてるなら、多少無茶をやっても平気だよな?」


「ああ。――喚くな『如月』。アレはガキという生き物であって、女ではない。ついでに言うなら、乙女心を搭載していない生き物を女とは呼ばん。よって、アレを相手に遠慮は無用ということだ」


 あきらが何やら、相棒の『如月』氏と脳内会議を行っている。


 どうやらあの日本刀に宿っているカミサマは、結構なフェミニストの模様。


 しかし、ここはあきらに完全に同意だ。


 自分を名前呼びするような物体は、断じて女ではない。まだまだしつけの必要なガキか、自意識過剰の痛オンナだ。


 どちらにしても、女性として敬意を払わなければならない存在ではない。


「きゅ……っ」


「そういえば、初対面の犬にはまず、どちらが上位のイキモノなのかをきっちり教え込まねばならんらしいぞ」


 青ざめた『香奈』から目を離さないまま、以前晶から聞きかじった知識を披露する。


 あきらは、至極納得という様子でうなずいた。


「なるほど。それが正しい人間と犬との関係というものだな」


 言いながら、すちゃ、と如月を構える。


 準備完了。


 それでは、いざ。


「きゅわあああああああん!!」


 ――黄昏色に染まった公園に、悲壮な犬の鳴き声が響き渡った。

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