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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
神々の章

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如月

 凄まじい轟音とともに、もういくつ目かもわからないクレーターが公園の地面に刻まれる。


 それらを作り出しているのは、晶の目にはどろりとした闇のかたまりにしか見えない何か。


 そして、それから放たれる鋭い鞭のような攻撃のすべてをあり得ない速度で叩き落とし、或いは弾き返しながら腕の一振りとともにばちばちと火花を飛び散らせ、闇のかたまりを容赦なく抉り取っているのは、確かに見慣れた悪友の姿だ。


 最初はおぼろにでも獣の形をしていたものが、「じゃあ、まずはオレがアイツを適当に弱らせればいいんですね」の一言で踏み出した翔が視線を向けた途端、大きく飛び散った。


 その真下のベンチに腰掛けていた子どもが悲鳴を上げると、飛び散ったかに見えた黒い闇は子どもを取り囲むようにして集まり――次の瞬間、再びそこから放たれた嵐のような攻撃を、翔は平然と見えない壁で受け止めながら振り返った。


「明緒さんの結界って、今の何倍まで耐えられますか?」


「ナメんなよ、ガキ。てめえ如きの攻撃で崩れるようなヤワな結界なんて、作ろうと思っても作れねぇな」


「それは、よかった。――一ノ瀬。絶対、桐原さんのそばから離れんなよ」


 地面を蹴った翔は、ゆうに三メートルは跳躍していた。


 その高さから打ち込まれた雷撃は、寸分の狂いもなく、どろりと広がりはじめていた触手のような闇を打ち抜いていく。


 すとんと着地した翔に、すかさず闇が津波のように襲いかかっても、既に彼の姿はそこにない。


「――なるほど。足元に力場を連続展開させて、あのスピードを作っているわけか。意外と、芸が細かいな」


 ふむ、と顎に軽く曲げた指を当ててうなずく明緒の隣では、桐原が頭痛を堪えるように額を抑えている。


 もう一方の手には、携帯端末。どうやら、何か調べていたらしい。


 明緒の「おまえは翔の足手まといだからすっこんでろ」の一言で、晶の護衛役を翔から引き継いだ桐原は、おい、と低く呻いた。


「明緒。――おまえ、あのガキが“雷電”だって、いつからわかってた」


「はっはっは」


「笑ってごまかすな。あいつはオレたちに『神谷』としか名乗ってねえ。なのに、おまえはさっきから名前で呼んでるだろう。しかも、名前を呼ぶたびいちいち言霊で圧力かけやがって。……そんなにあいつが気に入らねェのか?」


 桐原が向けた問いに、明緒は軽く肩を竦める。


「んなわけねぇだろ。――あいつは、ウチのお姫さまの大事な王子さまだからな。常に精進してもらわなきゃならんってだけさ」

「……なんだと?」


 桐原が訝しげに眉を寄せたとき、それまで腕組みをしてじっと翔の戦いぶりを見物していた少女が、「あのー」と声をかけてきた。


 困ったように人差し指で頬を掻きながら、ひょいと首を傾げる。


「さっきから、ウチの相棒がうるさくて仕方がないもんで。そろそろ、混ぜてもらってもいいですかね?」


「ええ、もちろん。あなた方のお力を拝見できるとは、光栄の至りです」


 先ほどから、なぜか少女に対して「あなた方」という複数形の呼称を使っている明緒に、晶だけでなく桐原も奇妙な顔をしている。


 ……もしかしたら桐原の方は、少女に対する明緒の態度が丁重すぎるほど丁重なのが気持ち悪いとでも思っているのかもしれないが。


 晶たちが公園に着いたとき、既にあの黒い獣に気づいていた少女は、このテのことに慣れた人間なのだろう。


 だがまさか、この破壊の嵐の中に出ていこうというのだろうか。


 晶たちがいる二畳ばかりのスペースの内側には、明緒が何かしているらしく、闇からの攻撃も翔の攻撃の余波もまるで届いていない。


 ぼんやりと薄く光っているような膜の中から一歩でも踏み出せば、すぐにそれらに呑み込まれてしまうだろうことは、晶も本能的に理解している。


「それじゃあ、行きますか」


 なのに、少女はまるで頓着する様子もなく、一度目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。


 軽く右手を掲げて素早く不思議な形を作り、最後に軽く握った拳を額の前でぴたりと止めた。


「――『其は蛍雪の光、闇払いて疾く来たれ。其は中有の月、風纏いて穢れを疾く断ち切るべし。其は異形、其は魔、其は真の名を抱く者。我が名において共に時を刻む者なり』……って、この言霊いちいち唱えるの、すっげー恥ずかしいんだっつーの! わかったら、名前呼ぶだけでとっとと出てこい! ――『如月』!!」


 最後は喚くように少女が叫んだ瞬間、白銀の光がその場に溢れる。


 あまりの眩さに咄嗟に目を閉じ、恐る恐るもう一度開いたときには、少女の右手に一振りの日本刀が握られていた。


(な……)


 ここまできたら、もう何が起こっても驚かないと思っていた。


 だが、種も仕掛けもございませんとばかりに、それまでは確かに丸腰だった少女が抜き身の刃を払い、慣れた仕草で軽々と扱う様子を目の当たりにしては、あんぐりと目を剥くことしかできやしない。


「翔! 下がれ!」


 明緒の声に応じて、闇のかたまりと弾幕の応酬を展開していた翔が、大きく背後に跳躍して距離を取る。


 その瞬間、少女が白銀の刃を大上段から振り下ろす。そこから放たれた波動が、闇を真っ二つに切り裂いた。


「きゃあああああ!?」


 のたうつように裂けた闇の中から、その中に呑み込まれていた子どもが現れる。


 頭を抱えて泣きじゃくる子どもの姿に、しかし翔も少女も構うことなく、ふたつに分裂した闇にそれぞれ容赦なく攻撃を加えていく。


 翔が雷撃を放ち、少女が剣を振るうごとに、闇は見る見るうちに儚く薄くなり、幻のように消えていく。


「やめて! やめてええええええ!!」


 子どもが泣き叫んだ途端、ぶわりとその身を中心に再び闇が吹き上がる。


「――チッ、あのガキの体が『道』になってんのか」


 明緒の言葉に、桐原が眉を寄せる。


「封じるか?」


 桐原の手には、いつの間にか拳銃が握られていた。


 そういえばこのひとは警察官だったんだっけ、とどこか麻痺したような頭でぼんやりと思う。


「何秒保つ」

「保って三百」


 短い答えに、明緒は楽しげに笑う。


「上等。開発部に、いい人材でも入ったか?」

「さぁな。――次、あいつらが距離を取ったら撃つ」


 第一陣の闇が消え失せる前に、再び子どもの体を中心に更に激しく渦巻いた闇が、津波のように盛り上がる。


 翔と少女を真上から、押し潰すように殺到する。


(危な……っ)


 一体、何がどうなったのか。


 金と銀の光が溢れたと思った次の瞬間には、翔は面倒そうに腕を振り、少女は剣を払いながら、ざっと地面を蹴って背後に跳んでいた。


「――撃て」


 明緒の声とともに、周囲に張り巡らされていた薄い光の膜が消える。


 同時に銃声が三発、連続して響いた。


「きゃあああああ!」


 子どもの悲鳴を包み込むように、その周囲に着弾した地面から三角錐状の光の壁がせり上がる。


 キィン、と鋭い金属音と共に完成した壁は、その内と外を断絶しているらしい。


 それ以上闇がそこから溢れ出てくることはなく、残っていたものはあっという間に翔と少女によって消し去られていった。







「――ったく……派手にやったもんだな」


 そんなことを言った明緒が、小さく何ごとかをつぶやく。先ほどまで自分たちを包み込んでいた光の膜が、今度は公園全体を薄く包み込む。


「この程度で済んだなら、むしろラッキーだろう」


 拳銃をしまいながら溜息混じりに応じた桐原が、思い出したように晶を振り返る。


「あぁ、悪かった。耳を塞げと言うのを忘れていたな。鼓膜はおかしくなっていないか?」

「あ……いや、平気……です」


 はじめて至近距離で聞く銃声は、頭がくらくらするほどとんでもない音量だった。


 幸い、鼓膜が破れるような事態にはなっていないようだ。


 というか、なんでこのふたりは全然平気な顔をしているんだろうか。慣れか。


 よろよろしながらどうにか彼らのあとについて、小さな光の壁に閉じ込められている子どもの方に近づいていく。しゃくり上げるような嗚咽が聞こえてきた。


「――牧村香奈ちゃん、だね?」


 低く、桐原が声をかける。


「きみは……自分が何をしたか、覚えているかい?」


 その問いかけを聞いた明緒が、軽く眉を寄せる。だが、口に出しては何も言わなかった。


「カ……カナ、悪いことなんて、してないもん……っ」


 顔をくしゃくしゃにした少女が、こぼれ続ける涙を濡れそぼった袖口で拭いながら、震える声を吐き出す。


「なん、なんで……っ、みんな、カナのおともだちだったのに、なんで、こんなひどいことするのぉ……っ」

「……お友達?」

「そうだもん! みん、みんな、カナのおともだちだもん! おともだちに、なんでみんな、ひどいことばっかり、なんでぇ……っ」


 うええぇ、と泣き出した香奈を感情の見えない目で見下ろしていた翔が、桐原さん、と静かに口を開く。


「この子が『お友達』と言っているのは、恐らく人間に虐待されたか、捨てられたか――そういう犬たちのことだと思います」


 でしょーね、とうなずいたのは、ちゃき、と音を立てて刀を肩に載せた少女だ。闊達な印象の顔が、今はわずかに青ざめている。


「久し振りに、気分悪いわ……。こんなモンと同調したら、そりゃあ『見え』た人間をぶち殺したくもなるかも。――けどねぇ、お嬢ちゃん」


 少女が、泣きじゃくる子どもの前にしゃがみ込む。


 日本刀を肩に載せて目の前でヤンキー座りなんかされたら、子どもじゃなくてもビビってしまうのではないだろうか。


 少女は、そんなことにはお構いなしに続けた。


「アンタには、たとえどんなヤツだろうと。ひとを殺す権利なんて、ないんだよ」


「……っ、カナのおともだちだもん! おともだちにひどいことしたひとが、おんなじ目にあっちゃえって思っただけだもん! みんなみんな、痛くて苦しかったんだから、あのひとたちが痛くも苦しくもないのはズルイもん!」


 香奈の叫びに、明緒がなるほどな、と低くつぶやく。


「拓人。絞殺体で発見された連中も、多分こっち絡みだ」

「……なんだと?」


 振り返った桐原に、明緒はわずかに唇を歪めた。


「知らないか? 仔犬に首輪を付けたまんま捨てるクソ野郎が、世の中にはいるんだよ。その仔犬がどうにか生き延びて成長できても、いずれ首が絞まって窒息死するんだってことすら想像できねえ、頭の悪いゲス野郎がな」

「同じ目に……か」


 桐原が痛みを堪えるような顔をして、小さく息を吐く。


「愛玩犬が山に捨てられたって、飢えて死ぬか、元々いた野犬の縄張りを侵害して食い殺されるかだ。それでなくとも、毎年保健所で処分される犬猫の数は何十万。安楽死とはいえ、堪ったモンじゃねぇだろうな。――そういや、最近じゃあ白い北海道犬が『この犬、日本語喋らない』って理由でガンガン保健所行きになってるらしいぜ? CMの影響って、こえぇよなぁ」


「明緒……」


「――これだから、ガキの相手はいやなんだ。拓人、あとは任せ……っ坊主!?」


 明緒が振り返る。

 桐原が目を瞠る。

 翔が、名も知らぬ少女が、弾かれたように構えを取る。


 そんな彼らの様子が、妙にゆっくりと脳に伝わって――


(あ……)


 真っ赤に目を泣き腫らした、小さな子どもと。


 ――視線が、合った。


 厚い氷が砕けるような音とともに、子どもを閉じ込めていた光の壁が弾け飛ぶ。


「あ……あぁああああぁあああ!!」


 脳裏に突然流れ込んできた映像の奔流に呑み込まれる。


 人間の目に、狂気。

 こちらに向けて振り下ろされる、禍々しい凶器。

 体を拘束する網と、冷たい檻。

 伸ばされるいくつもの手が、どうしてこれほど恐ろしい。


 痛い。苦しい。痛い。苦しい。


 目の前が真っ赤に染まる――


「うあああああああああ!!」

「一ノ瀬!」


 どん、と何かが体に激しくぶつかって、息が詰まった。


 鈍い衝撃は、二度。


 そんなことを意に介する余裕など、どこにもなかった。


 全身が冷や汗でびっしょりになっているのがわかる。


 今のは、なんだ。


 気持ちが悪い。眩暈がする。


 込み上げる吐き気を必死に堪えていると、「う……」とすぐそばで、誰かが苦しげに呻く声が聞こえた。


 反射的に顔を上げる。


 眩暈。


 ぐらつく視界を、奥歯を噛んで無理矢理立て直す。


 眇めた目に映るのは、鮮やかな赤。


 自分はまだおかしな幻覚を見ているのか。


 鉄の匂い。


 ――否、これは、血の。


(……っ!?)


 そう認識した瞬間、揺らいでいた意識が完全に引き戻された。


 いつの間にか転がっていた体を起こそうとした手が、地面とは違う何かに当たった。


 ぬるりとした生温かい感触に、ぞっとする。


「か……み、や?」


 恐る恐る声をかけた晶の視線の先で、頬や裂けたジャケットのあちこちから血を滲ませた翔が、地面にぐったりと沈み込んでいた。

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