安倍晴明は国家公務員です
「あのな、一ノ瀬。おまえが言ってる陰陽師ってのは、多分安倍晴明とかその辺りのことだと思うんだが」
「おう。つか、それ以外は知らん」
うなずくと、翔は人差し指で空中に星を描いた。
「だろうな。アレだろ? 五芒星の札で妖怪退治しちゃったり、平安貴族の占いしちゃったりとかそーゆーノリの」
「あ、そんなカンジそんなカンジ」
晶の持っている陰陽師なるもののイメージは、主に映画や漫画に出てくる暗黒ヒーローである。
不思議な術を使って鬼を祓い、吉凶を占うナゾの集団。
翔は、そんな晶のイメージを打ち砕くようなことをあっさりと口にした。
「けど、陰陽道ってそもそも、平安貴族の間で流行ってた迷信だし。安倍晴明がホントに術者だったかどうかなんてのは知らねえけどな。アレは、年俸一億の国家公務員だぞ?」
「一億!?」
晶は声をひっくり返した。
なんという羨ましい話だろうか。今どき、そんな好条件の職業はどこにもない。
「そ。実態は国立天文台お抱えの天文博士ってとこだったんじゃね? 毎日毎日、よくこんな細かく見てたもんだなーって今の天文学者が感心するくらい、精度の高い星の運行表が残ってるらしいし。少なくとも毎日真面目にそんなもん作ってたら、バケモン退治してるヒマなんてなかったと思うけどな」
あまりにもさっくりとした説明に、晶は思わず半目になる。
「えー。なんか夢がねーぞ、それ」
「夢ならばっちりじゃねえか。平安の貴族社会で、身分が低くても世渡り次第では年俸一億の国家公務員になれたって証人だぞ? 貴族連中相手に占いやらお祓いやらしてるだけで、がっぽがっぽ稼ぎながら、大好きな天文学にどっぷり浸かっていられたんだぞ?」
「そんなリアリティのありすぎる夢はいやだー!」
泣き真似をした晶に対し、翔はあくまでも冷静だった。
「ワガママだなあ、おまえ」
「ワガママ違う!」
ぎゃあ、と喚いた晶に対し、翔は「陰陽道」なるモノについて、その基礎からわざわざ講義めいた話を延々と語ってくれた。……そんなに、陰陽師呼ばわりされたのがいやだったのだろうか。
そもそも、陰陽道の元ネタとなった陰陽五行説というのは、古代中国の宇宙観であり、起源の違う「陰陽論」と「五行説」と組み合わさったものだったのだそうだ。
陰陽論とは、太陽の運行によって日陰と日向が移り変わるように、陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があるという考えによって世界の成り立ちを説明しようとしたもの。
そして五行説は、木・火・土・金・水の五元素によって宇宙と歴史と人生のあらゆるものを説明しようとしたものである。
即ち、水は火に克ち、土は水に克ち、木は土に克ち、金は木に克ち、火は金に克つ。
古代の中国では、それぞれの王朝は五行のひとつをその力の源として持ち、その力が尽きると新たな力を持った王朝に取って代わられると考えられていたのだ。
例えば有名なところでは、周王朝は火の徳を持っていて、それはやがて水の徳を持つ秦王朝に滅ぼされることになったとされている。
そうした五行の考え方は季節や方角、色、徳、果ては臓器や味覚、動物や植物(穀物)に至るまで当てはめられることになった。
だが、そもそも水が火を消すから勝ち、火は金属を溶かすから勝ちというのはまだわかるが、土が水をせき止めるから勝ちだの、木は根が土を掘るから勝ちだの、金属が木を切り倒すから勝ちというのは、なんだか直感的に理解しにくいところだ。
大体、土と金属なんて、粒子の結合具合が違うだけで元は同じものなんじゃないだろうか。
それはそれとして、そのような陰陽五行説を元に俗信化されて発生したのが陰陽道である。
天文、暦数の術を採用して吉凶の判断を下し、祓い、占い、呪詛を重視して、現実の生活の指針とされた陰陽道が日本に伝わったのは、日本書紀の記述によると推古天皇の時代、西暦六百二年のこと。
百済の僧、観勒が来日し、これの元となる暦法・天文・地理・遁甲方術の書を伝えたのがはじまりとされている。
その後、律令制の下で陰陽道は法制化され、政治の中枢に陰陽寮が設置されることになる。
公家の間では方違えや物忌みなどの禁忌が流行し、それによって政治の動向が左右されるまでになった。
しかし、次第に人々の陰陽道に対する依存がエスカレートし、またそれによって私利私欲を満たしたり、政敵を陥れるために利用されたりといった弊害も増えてきた。
そのため、陰陽道には国家から規制が加えられることになる。
また近代化に伴い、過去の遺物となったものの、いまだに暦の大安・仏滅といったものなどにその痕跡は残っている。
「……だからまぁ、陰陽道ってのは一種の流行みてえなモンだ。今どきガチの術者で、陰陽師名乗りしてるヤツとかまずいねえし――つうか、ぶっちゃけ恥ずかしいだろ!? 恥ずかしくねえのかおまえ、自ら陰陽師名乗りが恥ずかしくない感性の持ち主だというなら、オレは今すぐ! 完膚なきまでにおまえとの縁を切らせてもらう気ばっちりだぞ!?」
「す、すまん! それは確かに恥ずかしいな!」
「だろう!」
陰陽道がどうのこうのという小難しい話はともかくとして、確かにその恥ずかしさだけは理解できる。
晶だって、もし「私は陰陽師です」なんて真顔で言う人物と出会ったりしたら、どこの電波だとどん引きするところだ。
翔の主張に力一杯同意しながら、晶はこんな知識をずらずらと並べ立てる彼は、やはりこの数ヶ月で随分今までと違う道を歩いていたらしい。
愛しいカノジョとらぶらぶしい逃避行をしていたわけではなかったんだな、とこっそりココロの中で謝罪していると、翔の懇切丁寧な説明をずっと聞いていた明緒がゆっくりと手を叩いた。
「まぁ、上出来かな。そう頭は悪くないようで、安心したよ」
「……どうも」
その様子に、若干違和感を覚る。
なんだか明緒が、翔に対して少々厳しい感じがするのは、気のせいだろうか。
もちろん、最初から喧嘩上等の桐原に比べればずっと物腰は穏やかなのだが、彼の晶に対するもの柔らかさからすると、少し奇妙な感じがする。
(名前が似てるからって、おれに親近感とか? いや、明緒さんが単にこういうタイプがあんまり好きじゃねーとか……。神谷と桐原さんて、どことなく同じにおいがするし)
無駄にイケメンなところだとか、アニキくさいところとか。
翔は年が若い分だけまだ線が細い感じが残っているが、多分将来は桐原のような男に成長するのだろう。爆発すればいいのに。
ひょっとして明緒は、その鍛えても筋肉の付かなそうな自分のカラダにコンプレックスを抱いていたりするのだろうか。
少々失礼なことを考えてみたりもしてしまったが、もしそうなら晶は力一杯その気持ちに共感できる。
何しろ晶も、今まで異性から「可愛い」以外の褒め言葉をいただいたことがない身の上だ。
幼い頃から鍛えすぎると身長が伸びないとはよく聞くが、同じように空手漬けだったはずの翔がこれだけにょきにょきと伸びているのだから、多分俗説なのだろう。
なのに晶は、いまだに同年代男子の平均身長にわずかに及ばない。
これで鍛えた分だけ筋肉が付いてくれればまだいいものを、どうやら自分は筋肉が表に出ないタイプらしい。
持って生まれた体質は本人の努力でもどうしようもないものとはいえ、晶の体躯はどれだけ鍛えても引き締まるばかりで、残念ながら逞しさとはほど遠い外見なのである。……これでも、体脂肪率が二桁にいったことがないのが密かな自慢だったりするのだが。
だから、我ながらココロが狭いとは思うが、翔や桐原のような連中を見るとなんとなくムカつくし、カノジョにするならちっちゃくてふわふわっとした感じの、可愛くて繊細な子がいいなと思う。
しかし、女子というのはどれだけ見た目が可愛かろうと、中身は男なんかよりずっと逞しくて図太かったりする生き物なのだ。
よって晶は彼女たちに対して、あまり妄想じみた夢を抱いてはいない。あぁ無情。
そんなことを考えていると、何やらじっとこちらを見ている桐原と視線が合った。
「おれの顔に、何かついてます?」
桐原が真顔でうなずく。
「口元にパン屑が」
「おおう、なんちゅーベタな」
慌ててぐいぐいと手の甲で口元を拭っていると、桐原が思わずといったふうに、ふっと笑みを零した。
「……そうだな。きみはたとえ無意識にでも、誰かを殺したいと思うような人間じゃなさそうだ」
そういえば、そもそも晶は桐原に殺人事件の容疑者のひとりと思われていたのだったか。
うっかり忘れていたなと思いながら、ひょいと首を傾げる。
「そりゃあ、雨の日にすげえスピードで車を走らせて、こっちの制服を泥まみれにしてくれた運転手とか、美人のカノジョに人目も憚らずべったべったしてるどっかのアホとかに、死ねとか爆発しろとか思ったことはありますけど」
「っあのなぁ!」
翔が目元を赤くしている。晶はふふんと笑ってやった。
「なんだ、神谷? 別におれは、おまえがカノジョを見るときだけ表情が緩みまくりなのが、心底キショいーなんて言ってねーぞ?」
「今、言ってんじゃねえかよ!」
「あー、うっせー。つうか、そもそもどーぶつ霊の実体化? なんてどうやってする……うひいいいいいぃ!?」
もふもふもふ、もふもふもふもふもふもふもふ。
突如として目の前に現れた大量のもふもふ軍団に、晶は一瞬力一杯おののき、次いで「うっひゃあああああぁー!」と歓喜の悲鳴を上げた。
「もっふもふーっ!! ……って、あり?」
真っ先に甘えるようにすり寄ってきた、柴犬混じりのミックス犬と思しき愛らしいもふもふに抱きついた晶は、愕然とした。
それはもうしっかりと、金茶色の毛並みやつぶらな黒い瞳までがリアルに目の前にあるというのに、抱き締めようとした自分の腕が、すかっとその体を通過してしまったのである。
「なな、なんで!?」
「……オレはむしろ、おまえの精神構造の頑丈さがどこから来ているのかを問いたいところだぞ」
「も、もふもふ……っ」
「明緒、笑ってる場合か。なんでいきなり、こんなことになってんだ?」
外野が何やら言っているが、晶は寸前の己の行動を心底悔やんでいた。
いくらフレンドリーに寄ってこられたからといって、初対面のわんこにいきなり抱きつくだなんて、相手を怯えさせても仕方のないまったくの愚行である。
「そこかよ!?」
「当然だろう! 初対面のわんこに接するときは、まずその前に飼い主にご挨拶! 触っていいと許可を貰わなければ、噛みつかれても文句は言えねーんだぞ! ……ってあれ、飼い主いねーな、どうしよう」
むう、と眉を寄せた晶に、翔ががっくりと肩を落とす。それから晶の周囲にふわふわとまとわりついている犬たちの様子を見て、ふとその瞳を険しくする。
「神谷?」
どうかしたのかと呼びかけると、くっと眉を寄せる。
「……ひょっとして、聞こえてねえのか?」
「何がだ?」
意味がわからず、晶は首を傾げた。
次の瞬間、椅子から立ち上がった明緒が桐原の頭をしばき倒したのを見て、唖然とする。
なんの理由も前フリもなしにいきなりしばくとは、さすがにちょっと酷くはないだろうか。
「どうせ、おまえにも聞こえてねえんだろう。特別サービスだ。おれと翔でサポートしてやるから、とっとと動け」
「っどういうことだ?」
しばかれた頭を抑えた桐原の問いには答えず、明緒は無言で翔に視線を向ける。
その視線を受けた翔は一瞬、何か言いたげな顔をした。
軽く目を伏せ、それから晶の顔を真っ直ぐに見据える。
「――あの子を助けて。そいつらは、おまえにそう言っている。多分、桐原さんが追ってる事件に関わりがあるんだと思う」
「はいぃ?」
目を丸くした晶に、翔は少し呆れたように溜息をついた。
「本当に、随分気に入られたみたいだな。それでどうして、こいつらの声が聞こえないんだ?」




