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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
神々の章

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神剣を継ぐ一族

 あまりの偶然に一瞬呆気にとられたものの、優衣は気を取り直して皓に視線を向けた。


「このひと……ええと、杉本、あきらさん? ほらさっき、伯凰さんを見送りにいったときに、トイレで困ってたの、多分このひと」


「え、あのトイレットペーパーがないっていう、ちょっとアレな危機に遭遇したところを姉さんに助けられたあと、財布を置き忘れていったっていう?」


 皓も驚いたように目を瞠る。


「そうそう、わたしを皓と間違えてどん引きしてた……」

「……いくらなんでも、普通間違えないと思うんだけどなぁ」


 納得がいかん、というように皓が首を傾げる。


 そんな姉弟の会話を、ちょっと待ちなさい、と遮ったのは貴明だ。


「どういうことだ? 空港であきら殿にお会いしたのか?」

「え、あ、いえ、僕はお会いしていないのですが……」


 少し慌てた顔をした皓が、手早く事情を説明する。


 貴明はなんともいえない表情を浮かべ、綾人は「ふふふ……」と不気味な声を零した。


「空港……? ええ、それが国内線のロビーなら、まだわかります……。あの粗忽者が逃亡手段として、飛行機という分不相応にも高尚なモノを使おうと思い立ったというなら、むしろなんて成長したものだろうと感涙するところですよ。しかし、いまだに東京に出てくるたびに駅でも地下鉄でも迷いまくりの超絶方向音痴とはいえ、なぜ建物そのものが別の国際線ロビーをうろついていたのでしょうね。アレは、パスポートなどという気の利いたものは持っていないはずなのですが」


 仮にも一応次期当主をアレ呼ばわりですか、とツッコめる空気はここにはない。


 綾人は瞳孔の開いた虚ろな瞳をどこかに飛ばしたまま、過去のアレコレを思い出すまま口にしています、という感じにぶつぶつとつぶやく。


「本当に、困るのですよ。アレには術者として、というよりヒトとしての常識が時折通用しないもので。一体、何をどうしたら五歳の娘が牧場のホルスタインを見て、『わぁ、美味しそう』などという感想を、満面の笑みを浮かべて言うのでしょうね……」


 貴明が、綾人を宥めるようにゆっくりと諭す。


「仕方がありませんよ、綾人どの。幼い子どもは、ホルスタインが乳牛であることなど知らないのですから」


 皓が半目になって、ぼそっとつぶやく。


『父さん……そこはそういう問題じゃないような』

『皓。貴明さんはフォローしてるんだから、そこはツッコまないでおこう?』


「そうそう、アレは異様に酒にも弱くて。以前、神事に使う神酒を家人が誤ってこぼしてしまったことがあったのですが――その匂いを嗅いだだけでけらけらと笑い出した上、突然私に絡んできたかと思えば、豪快にジャーマンスープレックスを極めてくれましてね……」


 貴明は、感嘆したように大きくうなずく。


「それは、頼もしいお嬢さんのようですね。綾人殿にジャーマンスープレックスを極められるとは、いやなかなか」


 皓が微妙に顔を引きつらせる。


『……父さん。それ、頼もしいっていうより怖いから。むしろ、あんまりお近づきにならない方が身のため系のヒトだから』

『じゃーまんすーぷれっくすって何?』


 ショービジネスとしての格闘技を見たことのない優衣は、ジャーマンスープレックスなる技がどのようなものかを知らなかった。


『えぇと……。プロレス技のひとつなんだけどね?』


 皓がこしょこしょと教えてくれたその大技は、確かに身をもって体験するには少々恐ろしすぎるもののようである。


 それにしても、一見細身とはいえ、佐倉家の術者たち同様かっちりと鍛えられた体躯の綾人にジャーマンスープレックスを極められるとは、あの少女のどこにそんなパワーが秘められているのだろうか。


 それから綾人が正気づくまで、貴明はあくまでもにこやかにその虚ろなつぶやきにつきあっていた。立派だ。


 ほんの小一時間前に羽田空港にいたのなら、少女はまだその近辺にいるのだろうということで、佐倉家の人員はその辺りを中心に投入されることになった。


 ひょっとしてここまでの間に、彼女が国内線の飛行機を利用したのではという疑問には、綾人はキッパリと「それはありません」と断言した。


「十八にもなって、いまだに目的地と反対方向のバスに乗っても終点まで気づかないようなトボケた人間が、飛行機に乗るなどという大それた真似をできるはずがありません。財布をなくしたことにさえ、きっとまだ気がついていないに違いない」


 貴明がうなずく。


「それでは、まず空港であきら殿の財布を回収した方がよろしいでしょうね。彼女が戻ってくることも考えて、そこにも人を置いておきましょう」


「いえ、そちらは我らの方で対処いたします。たとえ奇跡的に財布がないことに気づいたとしても、まるで見当違いの方向に飛んでいくのは間違いないので」


 そうですか、わかりましたと貴明は穏やかに応じているが、なんだか彼らの話している内容が、迷子の小学生を探すようなものになっているのは気のせいだろうか。


 それから再び話を詰め、最後にもう一度、くれぐれもよろしくお願いしますと頭を下げた綾人が辞去していくと、貴明はやれやれと肩を落とした。


 襖の陰に控えていた家人たちに、綾人との話し合いで取り決めたことを命じ、苦笑を浮かべる。


「しかし……。あきら殿を見つけてからの方が、斎木家は大変そうだな」


「あきら殿は、今まで綾人殿の側近候補だったのですね。その関係がひっくり返ったとなると、確かにやりにくいだろうとは思いますが――それ以前の問題でしょうか」


 ぱらぱらと資料を捲りながら、皓が溜息をつく。


 ふたりが到着する以前に綾人と話していたことを、貴明はざっとかいつまんで教えてくれた。


 あきらが『如月』の継承者となったことが知れ渡った途端、斎木一門の中核を担う者たちは、揃って「斎木は終わりだ……」と項垂れたらしい。


 古来より、神剣のようなものを奉じる一族には、女性を「血の穢れがある」として忌避する傾向がある。


 実際、今回あきらが選定を受けるまで、斎木家においても女性が継承者となることはなかったのだという。


 近代化に伴い、女性の術者も実務に就くことは珍しくなくなっていたものの、斎木家においては「当主の座には男性が就くもの」という大前提があったのだ。


 そのため、わずかでも斎木家の血を引く男たちは全員、『如月』に選ばれてもその任に怖じ気づくことのないよう、幼い頃からその心構えを叩き込まれて育つ。


 そして女性は、そんな彼らを遺漏なくサポートできるよう教育される。


 神剣を振るうことが斎木家当主の役目である以上、その地位に就くということは、常に最も危険な位置に置かれることを意味する。


 だからこそ『如月』は、どうしても体力という点においては男性に劣る女性を所有者に選ぶことはないのだろうという、ある意味希望的観測を多分に含んだ思い込みは、今回の選定によってあっさりと覆された。


「仕事」をする以上、男女差がどうこう言うことはない、という向きもあるかもしれない。


 だが、その場所に望んで立つことと、逃れようもなく立たされることは、まるで意味が違う。


 代々の当主が、常にその手で剣を振るうことで守ってきた一族。


 そのすべてを背負うことが、そのための教育を受けてこなかった者に果たしてできるものなのか。


 まだ十八の少女であるあきらが継承者となったとき、斎木家の人々は彼女がその立場を強いられることを恐れ、萎縮してしまうだろうと思ったらしい。


 しかし、そんな彼らを尻目にあきらは選定当初、『わお。マジで?』と、ひどくあっけらかんとその事実を受け入れたのだという。


「――え? そうなのですか?」


 驚いた顔をした皓に、貴明は静かにうなずいた。


「ああ。実際、選ばれてしまったものは仕方がない、とむしろ前向きな姿勢を見せていたそうだ」


 斎木家は元来、そういった継承方法を続けてきた家である。


『如月』の選定で直系以外の者が当主となったとしても、それまで作り上げてきた指示命令系統はそのまま新たな当主に委譲される。


 直系の者たちが中心となり、組織さえしっかりと作り上げておけば、そのトップが変わったからといってそう簡単に揺らぐものではない。


 次期当主の有力候補と目されていた綾人にしても、それまで自分の側近候補として接していた相手に『当主サマとお呼び!』とふんぞり返られて、こんな当主で大丈夫なのかと若干頭痛を覚えたものの、つい先日まではなんの問題もなかったのだという。


 だからこそ、近いうちに行われる予定だった継承の儀や、次期当主のお披露目などの準備も滞りなく進んでいる最中でのいきなりの出奔に、斎木一門は冗談抜きにパニックに陥ったらしい。


 理由もわからず、誰にも何ひとつ告げることなくあきらが姿を消したことは、その生家である杉本家においてもまさに青天の霹靂。


 元々娘が本家の次期当主となることに胃を壊しそうになっていた父親など、その知らせを聞いてパッタリと人事不省に陥ってしまったのだとか。


 ……なんとも、お気の毒なことである。


「単なる女の子の気まぐれというわけでもなさそうだが……。まぁ、あきら殿のことは心配ないだろう。いずれご挨拶することもあるだろうから、そのときゆっくりと話をするといい」


 貴明の言葉にはい、と応じた皓が、ふと何かを思い出したように顔を上げる。


「父さん。おじいさまは、斎木の神剣をご覧になったことがあるとうかがっていますが、父さんはあるのですか?」


 沈黙。


「父さん?」


 貴明はなぜか一瞬、遠い目をした。


「……あぁ、すまない。いや、確かにあの神剣を継承するなら、綾人殿よりもあきら殿の方が相応しいかもしれんと思っただけだ」

「え?」


 それは一体どういう意味だろう、と子どもたちは首を傾げる。


 貴明は、やんわりとした口調でいずれわかるよ、と卑怯にも笑ってごまかした。


 ちょっと気になったけれど、あきらが斎木家に戻って当主を継ぐことを受け入れたなら、いつか噂の『如月』を目にする機会もあるかもしれない。


(……でも、あのひととトイレで会ったとき、確か手ぶらだったような?)


 件の神剣がどれほどのサイズなのかは知らないが、少なくとも財布よりも目につかないということはないだろう。


 彼女をよく知る綾人がいろいろとぼやいていたことを考えても、あきらは本当にかなりのうっかりさんのようだ。


 まさか、空港に到達するまでのどこかで置き忘れたりしたのだろうか。もし拾ったひとが警察に届けていたら、引き取りに行っても銃刀法違反で逮捕されてしまいそうだ。


 常に忙しい貴明はもうゆっくりしていられる時間がないらしく、慌ただしく次の仕事に呼ばれて行ってしまった。


 皓は皓で、佐倉家の後継としてやらなければならないことが山積みになっている。


 ひとりヒマな時間のできた優衣は、離れに与えられた自室に戻った。


(……疲れた)


 かつて暮らしていた家にあった私物――といっても大したものはないが、見慣れた品々に囲まれていると、なんだかほっとする。


 スプリングのきいた大きなベッドに乗って、目を閉じる。


 ……今まで無理を重ねてきたツケが、この頃こうしてふいの眩暈や倦怠感として現れるようになっている。


 ようやく何かを掴みかけたときにあんまり訓練を休みたくはないけれど、焦ってもいいことは何もないということくらいはさすがに学んだ。


 最近は優衣が無茶なことを言っても、皓がにっこり笑って「ダメだよ?」とドクターストップをかけてくるため、しようと思ってもできないのだが。


 まったく、これではどちらが年上なのだかわからない。


 しかし、優衣が皓に向かって年上風を吹かそうというのは、ゾウガメが腹筋にチャレンジするくらいに無謀なことだろう。


 皓には再会してからずっと助けてもらってばかりで、仮にも一応姉としては、ときどき情けない気分にもなるけれど――そもそも、世間一般の正しい姉弟のあり方というのがよくわからない。


 皓が慕ってくれるのは嬉しいと思うし、可愛いと思う。


 いつも優衣のフォローをしてくれるのがありがたいし、何か困ったことがあったら助けてあげたいと思う。


 けれど。


(……皓が困ってるとことか、想像できない)


 優衣は別に、皓に困った事態に陥って欲しいと思っているわけではない。


 だが、何ごともソツなくこなしてしまうあの弟は、困ったところといえば少々優衣に対して過保護なところくらいなのだ。


 ひょっとしてこれが噂の、できすぎた弟を持つ姉の悩みとかいうものなのだろうか。


 それはそれでなかなか感慨深いものがあるけれど、なんだかあんまり嬉しくない。


 子どもの頃から一緒に過ごしていれば、きっといろいろなことが違っていたのだろう。


 けれど、どうにもこうにも皓だけでなく、佐倉家の人々は揃って優衣を「守らなければならない、か弱いもの」だとして過保護な方向に走ってしまっているようで――ある意味それは正しいとはいえ、そこまでして守ってもらう価値が自分のどこにあるのだろうと不安になる。


 伯凰は、弱い子どもが周囲に守ってもらうのは当然だと励ましてくれた。


 けれど、優衣はずっと彼らに守ってもらってばかりで、助けてもらってばかりで、まだ何ひとつ返していない。


(どうしたら、いいのかな)


 優衣が彼らにしてあげられることなんて、何もない。


 無力感にじくじくと胸が痛んで、けれどそんな痛みさえ、今の自分が以前とは比較することもできないほど幸せな証拠なのだと思う。


 何もできないのが、辛い。


 そんなふうに感じるのは、自分が彼らに大切にされていて、自分が彼らを大切に思っているからなのだから。


「家族」がそばにいて、当然のようにここにいていいのだと、確かな居場所を与えられることが、こんなにも幸せなことだなんて思わなかった。


 幸せで、嬉しくて――なのにどうして、寂しくてたまらないんだろう。


 そばにはいつだって「家族」がいて、寂しいことなど少しもないはずなのに、こうしてひとりになると、心はすぐにたったひとりの面影を求めてしまう。


(……あいたい)


 願いが胸の中で形になった途端、じわりと目の奥が熱くなる。


 どうして自分は、こんなにわがままなんだろう。


「家族」はそばにいてくれるのに、みんなとても優しくしてくれるのに。


 なのに、どうして翔じゃなければダメなんだろう。


 想うだけで胸が痛んで、じんわりとそこから広がる熱は、けれどすぐに求める温もりが与えられない寂しさに変わってしまう。


(翔に、会いたい)


 会って、笑っている顔が見たい。抱き締めて欲しい。


 きっとそれだけで、こんな寂しさなんてどこかへ消えてしまうから。


「……翔……」


 応える相手のいない呼びかけは、細く空気を震わせるだけだった。

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