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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
神々の章

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37/85

ニッポンのカミサマ

 どうやら、正直者のあの少女は、かなりのうっかりさんでもあったらしい。


 咄嗟に財布を掴んで少女の後を追いかけようとしたものの、広々とした空港ロビーに、彼女の姿はもうどこにも見当たらなかった。


 どうしたものかと思ったけれど、さすがに財布をトイレに置きっぱなしにしてしまうわけにもいかない。


 どうやら顔見知りであったようだし、待ち合わせ場所のラウンジにいた皓に今の出来事を伝えると、戸惑った顔をして首を傾げる。


「若の随伴……ってことは、その家の側近候補なのかな?」

「やっぱり、名前がわからないとだめだよね。――空港の案内所に預ければいっか」

「うん、それでいいんじゃないかな」


 財布ひとつで国際線ターミナルにいたということは、あの少女も誰かの見送りだったのだろうか。


 それにしては、何やら随分慌てた様子だったが、と思いながら財布を係員の女性に預ける。


 財布の不在にならばすぐに気がつくだろうし、最近は携帯端末さえ身につけていれば大抵のことはなんとかなるものだ。


 ……いや、携帯端末の扱いに慣れていない優衣は、コレひとつを持たされてどこかに放り出されたら、せいぜい誰かにヘルプコールすることしかできないのだが。


 一般的な正しい若者であれば、この便利な機械を使いこなすなんていうのは朝飯前なのだろう。多分きっと。


 そろそろ伯凰の乗った飛行機が飛び立つところだろうか、と話しながら、皓とともにターミナルを出て、そこに待っていた車に乗り込む。


「お帰りなさいませ。まっすぐ本家に戻られますか?」


 運転手の問いかけに皓が思案する顔になったとき、彼の胸ポケットで携帯端末が軽やかな着信音を奏でた。


 ちょっとごめん、と優衣に断ってそれを取り出した皓は、「あれ、父さんからだ」とつぶやいて通話を受ける。


「――もしもし、皓です。……はい、今伯兄さんを見送って、車に乗ったところですが」


 敬語ながらも気安い口調で話していた皓の声が、ふと訝しげなものに変わる。


「はい。……はい、わかりました、すぐに戻ります。……はい、失礼します」


 皓が通話を切るより先に、彼の「すぐに戻る」という言葉と同時に車が静かに走り出す。


 携帯端末をポケットに戻した皓が、小さく息を吐いた。


「何かあったの?」

「いや……。うちのことじゃないから、何も心配することはないんだけど。他人事ながら、ちょっと想像するだけで薄寒くなるというか、ぞっとするというか……」


 なんだか、妙に深刻そうである。


 一体どうしたんだろうと思っていると、皓は苦笑を浮かべて続けた。


「僕たちみたいな異能持ちの一門ってのは、その血筋で異能を受け継ぐことが多いから、次代への継承は世襲で行われることが多いわけなんだけど。中には、古くから伝わる神器を継承し続けている一門もあってね。そういう一門だと血の濃さはあんまり重視されなくて、その神器との相性が最も優れた人間が継承者になることが多いんだ」


 へぇ、と目を瞠った優衣に、皓はそういったものを伝える一門は、東の地には西の地よりも多いのだと語った。


 類い希な力を持っていた祖先が、その力を子孫の守護とすべく、祈りとともになんらかの形にして残し伝えたもの。


 或いはその血脈を守護すべしという契約で縛った、自我を持つ強大な妖。


 そして或いは、その昔「神」と呼ばれる存在であったものを、相応しい器に降ろし封じたもの。


 この国における「神」というのは、八百万の神、と言われるように、国中のありとあらゆるところに存在しているとされている。


 また、あちこちの神社で厄除けの神さま、縁結びの神さまとそれぞれ得意技があるように、分業体制の神さまがたくさんおりますよ、という形になっている。


 その中で、江戸時代の国学者、本居宣長は「古事記伝」において「カミ」なるものを、『およそ迦微とは、天地の諸々の神たちを始め、そを祀れる社にまします御霊、また人、鳥獣草木の類い、海山など、その他何であれ、尋常ならざるすぐれた徳のありし、かしこきものを云うなり』と定義した。


 つまり、具体的にナントカ神と名づけられたものだけでなく、霊や偉業を為した人、或いは大自然の力そのもの。


 とにかく「とんでもなくぶっ飛んで力のある尋常でないモノ」を全部ひっくるめて「カミサマ」としたわけだ。


 そして、その「尋常でない力」というのは、必ずしもよい方面のものばかりではない。


 最も代表的なところでは貧乏神、死神、疫病神なんてモノもしっかり存在しているように、この国では「いい神さま」も「悪い神さま」も普通に認められている。


 この点、日本人はカミサマというものに対して、非常に寛容だ。無頓着というのかもしれないが。


「それで……今、うちに協力要請を打診してきている斎木家っていうのが、元々刀鍛冶の一族なんだけど。その斎木家の祖先に、ひとりの天才鍛冶がいたらしいんだ」


 ――既に戦国の世は遠ざかり、かつてはひとを殺すための武器であった刀は、「武士の魂」という名の工芸品となりつつある。


 そんな江戸の世にあって、その鍛冶師は錬鉄を鍛え上げる火花に、鍛冶場に響く美しくも力強い音に、そして何より、打ち上げられた刃のきらめきに心を奪われた。


 刀など、所詮人斬りの道具。


 しかし、その業ゆえにその刃はこれほどまでに美しいのか――と、ちょっぴりイっちゃった言葉を残した男は、確かに「刀」という存在に魅入られていたのだろう。


 何よりも強く。何よりも美しく。


 まるで執念ともいえる情熱をもって彼が生み出した刀たちはどれも素晴らしく強く美しく、しかしそのどれもが彼を満足させることはできなかった。


 そんな己に絶望した男が、ひとり籠もった鍛冶場で何を為したのかは伝えられていない。


 男が刀を鍛える音が止んだ夜が明け、一向に現れぬ彼に業を煮やした門人が踏み込んだとき、既に男の姿はどこにもなかった。


 ただ、この世のものとも思えぬほど美しい刀が一振り、小屋の中心で眩く光を放っていたという。


 ――それが、現代まで斎木家当主の証として伝えられる神剣、『如月』。


「僕はまだ、実際に見たことはないけど……。おじいさまは、先月亡くなった斎木家の先代当主と懇意にしていて、確かに見たらびっくりするぞっておっしゃってた」

「……あのおじいちゃんが?」


 どちらかといえばひとをびっくりさせてばかりのような明仁が、何かに驚いているところなど、ちょっと想像できないのだが。


 先日など優衣を元気づけるために、屋敷を包む防御結界を三倍に強化した上で、複数の攻撃術式と幻術を組み合わせた、とんでもなくハイレベルかつ実用性皆無の術式――その名も〈花火〉を盛大に披露してくれたのだ。


 周囲の呆けた顔などまるで知らぬげに、明仁は「どうじゃ、見事なもんじゃろう!」とふんぞり返った。


 花火大会のことを「事前に知らせたらつまらんだろう」という理由でまるで知らされていなかった貴明が、「父上、花火は真夏の風物詩です! 少しは季節感というものを考えてください!」と盛大に文句を言っていたが、アレはそういう問題だったのだろうか。


 とはいえ、明仁の〈花火〉はとてもきれいだったので、優衣は素直に「ありがとうございます、おじいちゃん」と礼を言った。


 明仁は嬉しそうに破顔した後、ふふんとドヤ顔になって貴明を見た。貴明は、なぜだかがっくりと肩を落としていた。


 そんな彼らの様子から、ほかの人々が「く……っ」と目を背けていたのは、一体なんだったのだろう。


 佐倉家での日々は、常に謎で満ちている。


「うん。だから僕も、どんな愉快な刀なのか、一度見てみたいと思ってたんだけど……」

「けど?」


 皓がわずかに眉間を寄せる。


「――斎木家で代々『如月』を継承する者は、『如月』が選ぶ。そして、選ばれたものが当主として立ち、襲名するのが継承の儀らしいんだ」

「刀が? 当主を選ぶの?」


 驚いて目を丸くした優衣に、皓は少し考えるようにしてから口を開く。


「当主を選ぶ、っていうよりは、自分に一番相応しい使い手を選ぶっていうのが正しいんじゃないかな」

「……どこのエクスカリバー?」


 思わず言うと、皓はあはは、と声を立てて笑った。


「確かにね。けど、もし『如月』が神器――本当に神を封じたか、神が取り憑いたかしている刀なら、その神気に耐えられる人間じゃないと継承なんかできないし」

「もし、その資格のない人間が継承したらどうなるの?」

「最悪、気が狂うか廃人になる」


 恐ろしいことをさらりと言った皓は、だから、と続ける。


「神器の継承は、その儀に人が異を唱えることは叶わない。たとえ斎木家直系の者であっても、『如月』に認められなければ、それを振るうことはできないんだ」


「――ていうことは、今回その『如月』? に選ばれたのは、直系のひとじゃなかったの?」


「そういうことらしいよ。……先代当主までは、直系か、傍系でもかなり直系に近い者が選ばれていたらしいんだけど」


 ふう、と皓が小さく息を吐く。


「詳しくは聞いてないけど、どうも今回は分家のそのまた分家くらいの勢いで血の薄い者が、『如月』を継ぐことになったみたいなんだ」

「へぇ……」


 まだまだこの世界のことを勉強中の優衣にとって、それがどれほど大変なことなのかを実感するのは難しい。


 それでも、皓や貴明を見ていれば、「家を継ぐ」、「家を背負う」ということにどれだけの覚悟が必要なのか、わずかながら感じ取れるものはある。


 彼らの負っている責任の重さは、きっと今の優衣にはとてもわからないものなのだろう。


 だが、少なくとも彼らは自分の意思でその道を選び、そのための努力を重ねている。


 たとえ「神」の名を冠するものとはいえ、たかが剣に選ばれるかどうかでひとの人生が変わる、決められるというのは、なんだか理不尽な気がする。


 そんなものに周囲の人々は納得しているのだろうか、と素朴な疑問を覚えて首を傾げた優衣に、皓は小さく苦笑を浮かべる。


「それが、その継承者が『如月』を持ったままトンズラしちゃったらしくて」

「剣を? 持ったまま?」


 さすがに驚いた。


 家を継ぐ覚悟など何もなかった人物が、晴天の霹靂のようなご指名に「ムリっす」となって逃げ出すというだけなら、まだ理解できなくはない。


 しかし、逃げ出すにしても、継承者の証ともなる剣を持ったままトンズラというのはどうなのか。


「うん。斎木一門は『如月』の神力をもって、代々かなり厄介な仕事をやってきた一族なんだ。それだけに『如月』継承者を当主とするのは、当然のことかもしれないけど――その逃げ出した次期当主捜索のために、うちに協力要請が来たんだ」

「やっぱり、その『如月』がなかったら困る?」


 皓は迷うことなくうなずいた。


「困る、なんてものじゃないと思うよ。『如月』がこのまま行方知れずなんてことになったら、斎木一門はその中核を失うことになるわけだし。けど、『如月』に選ばれた時点で、その継承者は斎木一門では次期当主となるわけだから、そうそう乱暴な手段を取るわけにもいかない。当主となるよう説き伏せるにしても、力尽くでボコって連れ戻された次期当主が、継承に前向きになれるとは思えないしね」


「……えぇとつまり、今後斎木さんちが波風立てずにその逃げ出した次期当主さんを中心にやってくためには、直接手出ししてうっかりどついたりしたら後々面倒だから、佐倉のヒトに代理でお願いしますーっていうこと?」


 確かに、そう依頼したのが斎木家の面々であったとしても、やられた方にとっては直接どつかれるかどうかというのは、結構大きな差だ。


 自分をどついた相手というのは、どんな理由があったとしても、目にするだけでいやな気分になってしまうものである。


 ひとり逃げ出した相手を捕獲するとなれば、恐らく多勢に無勢のフルボッコ状態になるのだろう。これから自分たちのトップとしてやってもらわなければならない相手を本気でどつくというのも、きっと難しいに違いない。


 かといって手加減などをしていては、捕まえられるものも捕まえられないということになりかねない。いろいろと、悩ましいところなのだろう。


「そういうことかな。斎木一門にしてみれば、そりゃもう存亡の危機もいいところだから。……逃げ出した次期当主には、気の毒なことだけどね」


 すう、と一瞬瞳から感情を消した皓の言葉は、既に斎木の次期当主が逃げきれることはないと告げていた。

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