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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
神々の章

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弱音

 メールがあったということは、翔が携帯端末の近くにいるということなのだろうと思って、優衣ははじめて自分から彼に電話をかけてみた。


 小さな機械の操作にもたつく自分が、いつも電話さえ翔から貰ってばかりだったのだと証明しているようで情けない気分になる。


 呼び出し音を一回聞くか聞かないかの後に聞こえた声に、ほっとする。


 声を、聞きたかっただけ。


 そんな理由で電話をかけていいものなのかわからなくて、弟の皓から聞いた話を言い訳にした。


 心配なのも本当だったけれど、それ以上にただ、どうしようもなく声を聞きたかった。


 翔も優衣から電話をしたことに驚いたのか、少し慌てたような声をしている。


 それでもいつも通りに他愛ない話をしていると、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。


 そうしてやっと、自分が寂しかったのだと気づいた。


 ――あの日、目を覚ましてから、祖父の明仁からいろいろと話を聞いた。


 面倒だな、とまず思った。


“歌姫”だ、『祝福』だと言われたところで、優衣自身にそんな自覚はまるでない。


 気を失う前に皓に『祝福』とやらをしたらしいが、覚えていないものは覚えていないのだから。


 けれど、自分に利用価値があると思われていること、その自分を攫うために、多くの人々が傷つけられたことは理解した。


 不快だった。


 どうしようもなく不愉快で、吐きそうに気持ちが悪かった。


 そんなもの、自分が望んだわけじゃない。そんな厄介ごとしか招かない“歌姫”なんて、なりたいと思うわけがない。


 化け物なんかより、もっと気持ちの悪い何かが全身にまとわりつくようなおぞましさに眩暈がした。


 呼吸するたび、全身の血が重く粘ついたものに変わっていくような気がして吐き気を覚える。


 その不快感は、一度落ち着くために家に帰り、翔とふたりになった途端にずっと抑えていた感情を爆発させた。


 抱き締めてくれる腕の中で、“歌姫”なんか知らない、そんなものになりたくないと泣き喚いた。


 自分自身がいやでいやで、堪らなかった。


 ――だって、幸せだった。


 翔がいつもそばにいてくれて、「家族」との距離も少しずつだけど近づいていて。


 少しは怖い思いをすることもあったけれど、そんな日々はときどき夢なんじゃないかと思うくらいに幸せだったのに。


 それが全部、砂上の楼閣だった。


 本当に、うたかたの夢。与えられてすぐ奪われるだけの、幻のように儚い夢は、だからこそこれほどまでに甘かったのか。


 自分のせいで誰かが傷つく。


 自分が存在するだけで、周囲のひとたちに迷惑がかかる。


 今周りにいるひとたちは、優衣を否定する素振りなどまるで見せないけれど、何もできない名前だけの“歌姫”なんて、身近な人間にとってはきっと疫病神でしかない。


 自分さえいなければ、誰かが余計な欲に狂うことも、そのせいで誰かが傷つくことも、誰かが傷つけられることもないはずで。


 そんな現実に押し潰されて、呼吸するのさえ苦しくて仕方がなかった。


 ――けれど結局のところ、どれだけいやだと泣いても喚いても、最後に行き着く答えはひとつだった。


 全部、優衣が弱いからだ。


 自分で自分の身を守ることもできない、愚かで弱い子どもでしかないから、いいように扱えると思われ、狙われる。


そのせいで、誰かが傷つく。傷つけられる。


 ……本当は、今まで通りの生活なんてどうでもよかった。


 ただ、翔のそばにいたかっただけ。


 翔のそばにいるのは温かくて心地良くて、それがあんまり幸せだから、離れたくなかった。


 そうして、翔がくれる気持ちには全然敵わないと思うけれど、それでも自分の中にはじめて「好き」という感情が芽生えて、それはとても幸せな気持ちだった。


 ただただ相手のことが大切で、いつも一緒にいたいと思う。笑っていて欲しいと思う。抱き締めて欲しいと思う。


 翔に関わるすべてが、優しいものだったらいいと思う。


 そんなふうに、ふんわりと温かくて柔らかな気持ちが自分の中にあることそのものが嬉しくて、幸せだった。


 もしかしたら、何も知らない子どもが、生まれてはじめて与えられた愛情に縋っているだけなのかもしれない。


 卵から孵ったばかりの雛が最初に目にしたものを親と慕うように、あまりにも曖昧で頼りない自分の心が、揺るぎなく温かな存在に依存しているだけなのかもしれない。


 それでも、翔と離れたくないという気持ちだけは本当だった。


 彼を失うことを考えただけで、息が止まりそうになる。


 なのに――やっと「好き」という気持ちを知ったのに、それを教えてくれた翔と離れなければならないのか。


『……なんでだ?』


 駄々をこねる子どものように泣き喚く優衣に、翔はいっそ不思議そうにそう言った。


『そばにいるって、言ったろ? おまえがキツいときは、絶対、そばにいるって』


 約束したろ、となんでもないことのように笑って。


 でも、そんなのは無理だと思った。


 優衣は本当に何も知らない。何もできない。


 存在するだけで周囲に迷惑をかけてしまう自分が、誰かにそばにいて欲しいと望む権利なんてない。


 そんな自分がいやで、せめて自分の身くらい自分で守れるようになりたいと思っても、言霊ひとつまともに扱えない今の優衣がそうなるためには、のんびり学校になんて通っている場合じゃない。


 翔には家族がいて、学校にも友達がたくさんいて、いくらでも彼らと穏やかに幸せに生きていける場所を選べるはずだった。


 なのに彼は、あっさりと「そばにいるよ」と笑った。


『オレが、おまえのそばにいたいんだ。……離してやる気なんてねえから、諦めろ』


 それが当然のことのように、まるでずっと前から決めていたことのように、笑って言った。


 理由さえ、押しつけなかった。


 全部自分の意思なのだと、そうして本当にすべてを捨てて「こちら側」に来てくれた。


 家族との時間も、学校の友人も、明るく開けていたはずの未来も何もかも手放して、優衣を選んでくれた。


 申し訳なさと、切なさと。


 そして、それ以上にどうしようもなく嬉しいと思ってしまった自分の浅ましさに、また泣きたくなった。


 こんなにも好きなのに、自分は翔に何もできないどころか、大切なものを捨てさせてしまった。


 ひとりになるのが怖くて、自分の目の前にある道の暗さがあんまり怖くて、臆病な身勝手さで翔を巻き込んだ。


 あのとき、翔に「来なくていい」と、「ひとりでも平気だ」と強がることができなかった自分の弱さが、情けなくて堪らない。


 ――でも、どうしても駄目だった。


 一度覚えてしまった、翔がくれる包み込むような温もりと愛情は、まるで麻薬のように優衣の心を駄目にしてしまった。


 もう、ひとりで平気だなんて言えない。差し伸べられる手を拒絶することなんてできない。


 喜びも悲しみも何もかも、翔がいなければ感じることもできないのに、そんな強がりなんかできるはずがない。


『愛してる』


 そう言ってくれる翔と、離れられなくなっているのはこちらの方だと思う。


 本当に翔のことが大事なら、「好き」なら、こんな自分のそばにいて欲しいと望むべきじゃないのかもしれない。


 けれど、そんなふうに気持ちを割り切れるほど、優衣は大人でも強くもない。


 離れたくない。翔のそばに、いたい。


 こんなにも自分が強欲だなんて、知らなかった。


 それでいいと、翔は泣きじゃくる優衣を抱き締めて、何度も繰り返し言ってくれた。


 ……だからせめて、少しでも強くなりたいと思った。


 自分の中には、確かに「力」があるのだと誰もが言う。


 いらない、力。


 けれどもう、こんなもののせいで自分が不幸になったと泣いてなんかやらない。


 だって、翔がそれでいいと言ってくれたから。


 泣かなくていいと抱き締めてくれたから。


『オレも、強くなるから。ちゃんとおまえを守れるくらいに、強くなるから。――頼むから、自分で自分を傷つけるな。どんなおまえでも、そんな力なんてあってもなくても、オレは、おまえが好きだよ』


 ――本当に、どうして翔はいつもいつも、優しい言葉ばかりをくれるんだろう。


 優衣は翔に何もしてあげられていないのに、どうしていつも温かな気持ちをくれるんだろう。


 どうしたらそんな翔に同じだけの気持ちを返せるのかわからなくて、もどかしくて、泣いてばかりだったけれど。


 ただひとつだけ、決めた。


 翔が望んでくれるなら、こんな自分にも生きている価値が少しはあるのだと思えたから。


 だから、生きる。


 翔とともに、生きるために。


 そのために必要な力なら、全部手に入れる。自分の持って生まれた力を、手に入れて悪いわけがあるか。


 だから、さっさと言うことを聞け。


 そう思うのに、手を伸ばしたそれはまるで氾濫する濁流のようで、下手に掴み取ろうとするとあっという間に制御を失って、何度も何度も暴走しては気絶した。


 焦らなくていい、と宥めるように言う皓や伯凰に、八つ当たりしたくなったことも一度や二度じゃない。


 どうして自分自身のことなのに、思うままにならないのか。


 悔しくて、憤ろしくて、握り締めた爪が食い込んだ手のひらを破った。


 何度目かの気絶の後――柔らかな布団の中で目を覚ました優衣の額に、温かな何かを注ぎ込むようにして触れていたのは、父の貴明だった。


 優衣、と呼ぶ声が、ひどく辛そうだったのを覚えている。






「――すまない」


 一体何を謝っているのだろうと、ぼんやり思う。


 瞬くと、視界に映るのは高い寄せ木の天井。ほのかに香る真新しい畳の匂い。


 そんなものにも、もう慣れた。


 自分はまた、失敗してしまったのか。


 淡々と空虚な気分で思ったとき、低く抑えた響きの声が聞こえた。


「きみがこんなにも苦しんでいるのに……。私には、こんなことしかできない」

「貴明さん……?」


 こんなこと、というのは、こうして優衣に触れながら乱れた力を抑え、その流れを整えてくれていることだろうか。


 ほかの人々も、最初の頃は寄ってたかって同じことをしてくれようとしていたらしい。


 だが、一番こういった繊細な作業に向いているのが貴明だということで、最近は目を覚ますと彼の姿を見ることが多くなっている。


 ……一度、明仁がそばにいたときには、なぜだかぐるぐると酩酊状態のようになっていて、横になっているのに眩暈がするという不思議な経験をしてしまった。


 その後明仁には、周囲から「二度としないでくださいませ!」と禁止令が出たらしい。


 優衣としても正直、アレはちょっと遠慮したいので、概ね気分よく目覚めることのできる貴明がこうしてくれるのはありがたいと思う。


「優衣」


 感情をうかがわせない声に、瞬く。


「辛いときは、辛いと言いなさい。……私たちに言えないなら、翔くんにそう言うんだ。弱音を吐くのは、決して悪いことじゃあないんだよ」


 そう言う貴明の方がずっと辛そうな顔をしていて、どうしてだろうと不思議に思う。


 とろりと見るともなしに貴明を見上げていると、静かに言葉が続けられる。


「正直に言うとね。翔くんには、ここに――きみのそばにいてもらった方がいいのじゃないかと、随分悩んだ」


「……翔が、そばにいたら……。こんなこと、できない、です」


 思わず言うと、だろうね、と貴明の顔が少しだけ綻ぶ。


「きみが少しでも無茶な真似をしたら、その場で乱入して修練どころじゃないだろうな」

「……はい」


 無茶なことをしている、ということくらいわかっている。


 普段は体の奥底に、無意識に押し込めているもの。多分、自己防衛本能と呼ばれるもので厳重に封じているもの。


 そんなものを意識して解き放つだけでも神経に物凄い負荷が掛かっているのに、更にその上で、鍵をこじ開ければあっという間に優衣自身を呑み込もうとするものを制御しようというのだ。


 本当に、無茶としか言いようがないと思う。


 それでも、そんな無茶なことを繰り返しているうちに、少しずつ、本当に少しずつだけれど、わかってくることもある。


 優衣が暴走するたび、修練中はいつもそばにいる皓か伯凰がほとんど力ずくでそれを抑え込んでくれている。


 その「抑え方」はやはり身をもって体験しなければわからないことだった。


 ……実際のところ、地道に精神修養を重ねてちまちまと砂山を端から掘り進めていくようなやり方の方が、時間はかかっても安全性という面では遙かにいいらしい。


 けれど、最初の三日で「やってられるかー!」となって以来、彼らに迷惑をかけるとわかっていてこんなことをしているのだから、自分のわがままさに呆れるしかない。


 だから、謝らなければならないのはむしろ優衣の方だ。


 なのに、どうして貴明はいつもこんな辛そうな顔をしているんだろう。


「……優衣。知っているかい?」


 何を、と問い返すより前に、貴明が先を続ける。


「私は――いや、私だけじゃなく、皓も、伯凰も、凪子も、もちろん父上と母上も。みんな、とてもきみを大切に想っているよ」


 言葉は、気持ちを伝えるためのものだと、翔が教えてくれた。


 そうして、今貴明が紡ぐ言葉から伝わってくるのは、痛みにも似た、哀しみ。


 言葉は優しい意味を持つものなのに、どうしてだろう。


 聞いていると胸が痛んで、切ない。


「だから、きみが苦しんでいるのを見るのは、辛い。とても、辛い。……できることなら、代わってやりたい」


 なぜ、だろう。


 自分が苦しいと、本当にこのひとは辛くなってしまうみたいだ。


 そのことがひどく不思議で、優衣はぼんやりと相手の顔を見つめる。


「本当に、情けない親ですまない。……それでも、私たちは今、きみのそばにいる。少しくらい、きみの弱音や愚痴を聞ける相手には、してもらえないだろうか……?」


 痛みを堪えるようにしながら紡がれる貴明の言葉に、戸惑う。


「弱音……とか、愚痴、って……」


 疲れた、とか。痛い、とか。悔しい、とか。


 そういう言葉を、吐き出すことだろうか。


「言ったら、何か……いいことが、あるんですか……?」


 素朴な疑問を返すと、貴明の顔が辛そうに歪む。


「――いいことは、ないかもしれないね」

「え……?」


 ならばどうして、と問う前に、貴明は静かに言った。


「ただ私は、きみのどんな言葉でも聞くことができたなら嬉しいと思う。辛いときは辛いと言って欲しい。苦しいときは苦しいと言ってもらえたらと思う。……私の、わがままだ」


 そういうものか、と瞬いた優衣の額に触れたままの貴明の手は、翔のそれとは全然違うけれど、同じように温かくて、心地よかった。


 ――それからも、特に誰かに弱音らしきものを口に出したことはないけれど、少し、何かが楽になった気がした。


 ずっと気負いすぎて、張り詰めていた何かが、少しだけ緩んだような。


 焦らなくていい、と言う周囲の声にも耳を傾けることができるようになって、バカみたいに暴走しては気絶するということはなくなった。


 少しずつ、少しずつ。


 そうして、ほんのわずかな余裕が心に生まれてみると、やっぱり最初に思うのは翔のことだった。


 翔は毎日メールもくれるし、寝る前に電話で声を聞かせてくれる。


 だから、翔の声を聞きたければ夜まで待てばいいだけだとわかっていたのに、どうしても声が聞きたくなった。


 声を、聞きたい。顔を見たい。


 会いたい。会いたい。


 ――でも、まだ会えない。


 せめてもう少しだけ、翔に誇れる自分になれるまで。

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