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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
鳥籠の章

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トカゲの尻尾

 紫藍の瞳が、男を射貫く。


 あの“歌姫”と同じ髪。同じ瞳。


 佐倉家の、皓。


 術の世界で、その名を知らぬ者はいない。


 希代の術者と言われる現佐倉家当主、明仁に勝るとも劣らぬ力を秘めていると謳われる、まさに麒麟児。男の遙か高みに立つ者。


 少年が、睥睨するように男を見下ろす。


「小笠原の当主殿は、既にこの屋敷にはいないようですよ」

「は……?」


 淡々と紡がれた少年の言葉に、鳥籠を作った男の姿が脳裏を過ぎる。


「どうやら、この屋敷ごとあなたをトカゲの尻尾にしたらしい。確かに、僕らは何があろうとあなただけは逃がすわけにはいかない。さすがに、引き際は心得ているといったところでしょうか」

「な……っ」


 何を、と言いかけた男の声は、その顔にめり込んだ少年の靴底によって遮られた。


「――姉さんが、はじめて僕に頼みごとをしてくれたんですよ。あなたを顔の形が変わるほどボコって欲しい、とね。姉さんや楓殿が受けた屈辱を思えば、そんなものでは到底足りませんが」


 美しい顔ににこりと優しげな笑みを浮かべる少年の言葉に、がくがくと全身に震えが広がった。吹き出た鼻血がシャツに伝い落ちる。


「そういえば、五百蔵への襲撃にあなたは参加していませんね。面を被ったふたり組の男だったそうですが、長身の偉丈夫と、金髪の軽薄そうな若者だったとか。ひとりは小笠原の当主殿として、金髪の男が何者なのか教えていただけますか?」


 なんだ。


 そばにいるだけで押し潰されそうな、この威圧感は、一体なんだ。


 圧倒的な――あまりにも圧倒的な力の差を、まざまざと見せつけられる。


 これが、佐倉家の人間の力なのか。


 こんなものに、喧嘩を売ったのか。


 声を荒げることもせず、ただ穏やかにほほえんでいるだけの少年に、喉元に刃を突きつけられたかのような恐怖を覚える。


 男は問われるままに己が知る限りのことをぶちまけ、少しでも恐ろしい少年たちから離れようと壁に背中を押しつけた。


「も……っもういいだろう!? オレは奴に唆されただけだ! この屋敷だって奴の……!」


「あぁ、あなたの事情なんか知ったことじゃないんですよ。あなたは楓殿の魂を盗み、姉さんを攫った。まさか、僕らがあなたを許すだなんて思っていたわけじゃないでしょう?」


「そ……その娘の魂魄は……っ」


 返す術などない。だから、こんなことをしても無駄だ。


「――皓さま。そこから先は、我らにお任せください」


 そう言おうとしたとき、突然割って入った第三者の声に、男はびくりとへたり込んだままの床から飛び上がった。


 それとは対照的に、少年はゆっくりと背後を振り返る。そこに佇む老爺とそれに付き従う術者たちの姿を見て、小さく息を吐いたようだった。


「柴田。それは、おじいさまの命令か?」


 どこか不満げな様子の少年に、老爺はやんわりと笑ってみせる。


「単純に、適材適所ということでございます。万が一、その男が隠し持っている楓殿の魂魄にもしものことがあれば、五百蔵の当主殿に申し訳が立ちますまい」


 少年の瞳が一瞬悔しげに歪み、老爺に道を譲る。


「皓さまも、漣殿も、このじじいのすることをよく見ておかれますよう。――この男の使った外法は、隠岐の草刈家に伝わる夢刈の術。これに囚われた魂を救い出す方法は、唯ひとつ」


 そんな方法などない、と叫びかけた男の目の前に、すいと距離を詰めた老爺が現れる。


 いつの間に。


「術者の魂を焼き払い、その裡に囚われた魂を取り出すこと」


 ずぶり、と奇妙な音が響いた。


 見下ろすと、老爺の右手が、男の胸に埋まっている。


 痛みはない。


 ただ、熱い。


「浄」


 なぜ、と思ったそれが、男の最後の思考だった。


 老爺がゆっくりと男の胸から右手を引き出すと、そこには淡い光が握られており、支えを失った男の体がぐらりと床に倒れ込む。


 死んではいない。呼吸はあり、心臓も動いている。


 しかし、一瞬でその魂を灼き尽くされた男の、虚ろに開いたままの濁った瞳は、もはや何も映してはいなかった。






 無事に取り出した楓の魂を懐に用意しておいた水晶玉に篭め、柔らかな絹に丁寧に包む。


 柴田はほう、と息を吐いた。


(やりましたぞー、当主! この柴田、まだまだヒヨッコどもには負けられませぬわ。無事、かっちょいい背中を見せることに成功しましたぞー!)


 内心で明仁に向けて握った拳を振り上げつつ、皓さま、とどこか気まずそうな顔をしている少年を振り返る。


 幼い頃から、将来佐倉を背負って立つに相応しい才覚を見せる子どもだったが、まだまだ甘い。


「佐倉家の男子たるもの――」


「常に全体の状況を見極め、いかなることがあっても即座に対応できるよう、冷静であれ……だ、な?」


 条件反射のように答えた少年に、その通り、としかつめらしくうなずく。


「わかっていらっしゃるならよろしい、と言いたいところですが、此度の件はそれでは済みませぬぞ。この屋敷に待機していた術者たちが、なぜか覇気に欠けていたからよかったものの、常であればたった七人で敵陣に乗り込むなど愚の骨頂。跡継ぎたる皓さまがそのようなことではこの柴田、心配で心配でおちおち隠居などできぬではありませんか」


「いや、おじいさまはまだまだ現役だし……」


 ぼそぼそと言いかけた少年を、柴田はびしっと叱りつけた。


「その考えが甘いというのです! いつまでも、あると思うな、じじと父!」


 少年が半歩下がって仰け反る。


「そんな五七五で決められても! っていうか、父さんはまだ五十前だからね!?」


「……最近、思うのでございますよ。貴明さまのあの見事なまでの不幸体質は、いずれ当主という地位に立たれたなら、ますます磨きがかかるのではないか、と」


 く……っと眉間を抑えながら、柴田はつい本音を漏らしてしまう。


 少年は、慌てたように反駁してきた。


「いやいや、何さりげに酷いこと言ってんの! そりゃあ、僕だって父さんのことは稀に見る不幸体質の持ち主だとは思うけど!」


 だが、まるでフォローになっていない。


 柴田は貴明の不憫さを思い、ちょっぴり泣きたくなった。


 しかし現実というものは、たとえそれがどれほど虚しいものであろうとも、真正面から腰を据えて受け止めなければ、よりよい未来に繋げることなどできないのだ。


 柴田は腹に力を込めて、少年に言い聞かせる。


「ですから、その貴明さまを支えるためにも、皓さまには一層精進していただかなければならぬのです!」


 あのー、とかなり不毛な方向に進みはじめた言い合いに口を挟んだのは、人差し指と中指で挟んだ呪符をひらひらと振った香月家の漣だ。


「とりあえず、説教するにしてもここから出てからにしませんか? 柴田さま。柴田さまたちがいらしたということは、優衣さまはご無事に戻られたのでしょう?」


 皓がはっとしたように瞬き、いささかわざとらしく同意する。


「そ、そうそう! 早く五百蔵家に行って、楓殿の魂魄を戻してあげないと!」

「む……」


 漣はにっこりと笑った。


「ええ。もうここには、遊んでいい相手もいませんしね」


 その至極満ち足りた笑顔を見て、柴田と皓は一瞬顔を見合わせ、どちらからともなく黙って目を逸らした。


 天使のような笑顔を浮かべる漣は、超のつくドSなのだ。


 ――柴田たちがこの場に到着したとき、どこか頭のネジが飛んだような顔をした皓がおっとりにこにこ笑いながら男を足蹴にしていて、ちょっぴり怖かった。


 だがよく見てみれば、周囲に散乱しているのはえげつない術式を組み込んだ大量の呪符の残骸。


 この惨状からして、その前には漣がさぞ遠慮なく「遊んで」いたのだろう。想像するだけでも、とってもイヤだ。


 敵に相対したなら、それが人間だろうが怨霊だろうが化け物だろうが、心ゆくまで楽しくイジメ倒す。


 それが、香月漣である。


 そして、微妙な空気を振り払うように、足早に屋敷を後にした彼らは知らない。


 その屋敷を守るべく集められていた小笠原家の術者たちが、主が自分たちを見捨てて逃げたという事実を知る以前に、“歌姫”が主を指して評した「二十九才にもなって女子高生のわたしを嫁とか言う最悪に変態なロリコン」という言葉に、うっかり「そうかも」と思ってしまったことが、彼らの士気を著しく萎えさせていたことを。

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