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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
鳥籠の章

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夢刈の男

 小柄な少年が腕を一振りするたび、その指先から放たれた呪符が、逃げ惑う男に向かって生き物のように躍りかかる。


「ぎゃあああああ!?」


 ぼっ、と呪符が張り付いた男の腕が、一瞬で炎に包まれる。すぐに消えた炎は、幻影。


 しかし、それが与える苦痛は本物だ。


 長い髪を振り乱した細身の男は、血走った目をして後ずさりながら、己の終焉が迫っていることをひしひしと感じていた。


 男はかつて、自分の腕を金で売る流れの術者だった。


 生まれた家はそこそこ名の知れた術の一門だったが、「そこそこ」というのが気に入らなかった。


 周囲のように必死になって修行などせずとも、家に伝わる術はすべて己のものとなった。


 一子相伝の禁術呼ばれるものさえ、きっと大したものではないに違いないと、いずれは兄に伝えられるだろうそれに興味を持つこともなかった。


 だから、家を出た。


 茫漠と日々を過ごす中、最初の転機は当時つきあっていた女の相を、何気なく読んでやったことだった。


 単なる気まぐれ。


 久しぶりにちょっと気に入った女の相に、あまりにもはっきりと「再会」と出ていたから、そう告げてやった。


 女は三日後、ずっと音信不通になっていた親友が、海外で旦那を捕まえて帰ってきたと言って興奮していた。


 そうしてあれよあれよという間に友人知人の「占い」をさせられて、気がついたときにはテレビ局から何件ものオファーが来るほどの「人気占い師」となっていた。


 顔が売れれば、伝手も増える。新たな仕事、新たな女。


 そんな中、実家に呼び出されて父親から叱責された。


 愚か者、と吐き捨てられ、勘当を言い渡された。


 上等だ、ちょうどいい。


 こんな家など、こだわるほどのものもない。


 行きがけの駄賃に、倉から禁術の記された古文書をかっぱらってきたのも、単なる意趣返しだった。


 それからしばらくして、どこで聞きつけてきたのか、その禁術に金を出すという酔狂な男が近づいてきた。


 金など、腐るほどある。


 欲しいなら好きにすりゃあいい、と放り出した古文書に、男は手を伸ばすことなく薄く笑った。


 ――この術は、きみの家の者にしか使えない。


 ――ねえ、知っているかい? 佐倉家の娘が、李家の“歌姫”の力を顕現させたそうだよ。あの一族ばかり、どうしてあれほど恵まれているのだろうね。


 ――彼らは常に高みにあり、私たちはいつだってその光を羨むばかりだ。


 ――狡いとは思わないか? 力を持つものが強者だというなら、せめてその力を得る機会は平等に与えられるべきだろう。たまたま佐倉の家に生まれたからといって、どうして“歌姫”の恩恵を佐倉家ばかりが独占する?


 笑みを絶やさないまま、男が淡々と紡ぐ言葉は、まるで己自身がずっとそう思っていたかのように、ねっとりと心の中に落ちていく。


 ――少し、調べてみたのだがね。どうやら、その娘は己の力も制御できない「できそこない」で、なんの術も使えず、そのため本家から離れてひとり暮らしをしているそうだよ。


 ――“歌姫”となった後も、佐倉の家にはたまに顔を出す程度だそうだ。


 ――たった十七の小娘だ。その心を手に入れるくらい、簡単なものだ、そう思うだろう?


 “歌姫”と、会う機会さえ作ることができたなら。

 今まで手に入れてきた女たちと同じように。


 ――人間というのは、不思議なものでね。どんなふうに出会おうと、最初は憎しみさえ感じていようと。いつもそばにいて優しい言葉をかけ続ける相手に対して、次第に愛情を抱くようになるのだよ。


 ――鳥籠を、用意したんだ。“歌姫”を歌わせるための鳥籠だ。


 ――『祝福』を受けることができれば、あらゆる幸運が手に入る。佐倉の栄光を越えることさえ、叶うかも知れない。


 さぁ、と男は笑みを深めた。

 確信を持つ男の自信と余裕が、じわじわと心を浸食してくる。


 ――美しい歌をさえずる鳥を籠の中に捕らえるために、手を貸してくれないか……?


 鳥を。

“歌姫”を、手に入れる。


 誘惑の声は、あまりに甘かった。


 鳥籠は完璧だと男は笑った。


 ――小鳥を奪ったことが知れれば、佐倉家がどれだけ騒ぐか想像するまでもないから。


 ――捕らえた小鳥は、放しても自分から戻ってくるようになるまで、ちゃあんと世話してあげなければね。……それまでは、元の飼い主に見つかるわけにはいかないだろう?


 実家から奪ってきた禁術は、外法の一種だった。


 夢を繋ぎ、取り込み、その魂を絡め取って思い通りに操る術。


 想像以上に、危険な術だった。


 夢を繋ぐということは、こちらもむき出しの魂の状態で対象と触れ合わなければならないということだ。


 ほんの少しでも気を抜けば、あっという間に相手の夢から弾き出され、その反動で二度と自分の体に戻れなくなる恐れがある。


 迷った。


 ――きみの術が頼りなんだよ。小鳥には、厄介な護符がついていてね。


 ――同じ一族、似た年頃の若い娘。おまけに、力はあるのにろくに修行もしていない。こんなに護符の結界を破るのに適した者は他にいないよ。まるで幸運の女神が、私たちのために用意してくださったかのようじゃないか。


 夢の中、女は幸せそうに笑っていた。


 苦労など何ひとつ知らないような顔をして、それが高みにあるものの余裕なのかと思えば、反吐が出た。


 絡め取り、奪い取った魂魄は、己の魂の中に隠した。


 魂を失った肉体は、いずれ衰え朽ち果てることだろう。


 知ったことかと嗤った。


 女など、今までだって散々利用して捨ててきた。それがまたひとり、増えただけのこと。


 奪った魂を戻す術は、古文書に記されていなかった。


 夢刈の術は、他者の、人間の魂を奪って使役する紛れもない外法。


 こんな大層な術をこれまで伝えてきた実家に対し、はじめて少しだけ感嘆を覚える。


 そうして手に入れた“歌姫”は、外見こそ資料通りの美しい少女だったが、その性格はまるで想定外だった。


 無表情の冷めきった顔で、取るに足らない塵芥でも見るかのように男を見下してくる。


 ……せいぜい、今のうちに虚勢を張っているといい。


 幸い、見た目は悪くないのだ。いざとなったらどうにかして「仲間」たちを出し抜き、抱いて体に言うことを聞かせてしまえばこちらのものだ。


 鳥籠を用意した男は、どうやら本当にお姫さま扱いをして懐柔するつもりらしい。


 あんな小娘に、なぜそんなに気を遣ったりするのだろうか。ばかばかしい。


 しかし、鳥籠の周囲には常に見張りが立っていて、主の許可が無ければ姫君にお会いすることは叶いませんときた。


 まだ心の幼い少女なのですから、少しずつ慣れていただかなければ、と。


 何さまだ、と思った。そのヒメギミを捕らえたのはこの自分だ。


 自分にこそ、最もその恩恵に浴する権利があるはずだ。


 ――なのにどうして、こんなことになっている。


「疾」


 先ほどから猫が鼠をいたぶるように、小柄な少年が短く言霊を唱えては呪符を操る。


 それは今度は男の左足に、数百の針で貫かれる激痛を与えた。


 広い屋敷の一室で、ろくに味わいもせず呷っていたバーボンの瓶が床に落ちる。


 室内に、強いアルコールの香りが充満していく。いっそ酩酊できていれば、こんな苦痛を味わわずに済んだのか。


「ぐああああっ!!」

「――ウルサイなあ。オカマの悲鳴は趣味じゃないんだけど」


 倒れ込み、起き上がることもできない男を見下ろすのは、まだ高校生かそこらの小柄な少年だ。


 なんだ。この少年は、一体なんなんだ。


 なぜ突然現れ、自分にこんな真似をする。この屋敷に詰めている術者は何をしている。


「だ……れが……っ」

「オカマだーって? だって、優衣さまがそうおっしゃってたし。なよなよしたオカマの変態ナルシストーって。ホント、一発でアンタが楓殿の魂を持ってった外道だってわかったよ?」


 くすくすと楽しげに笑う少年の言葉に、総毛立つ。


「おまえ……佐倉の……!?」

「んー? 正解っちゃ正解だけどね。――皓?」


 その呼びかけに、今まで死角になっていた位置から人影が現れる。


 男は、ひっと喉奥で悲鳴を上げた。

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