じぇねれーしょんぎゃっぷ
子どもたちが飛び込んでいった壮麗な屋敷の中で、次々に派手な音が響き渡る。
どうやら、屋敷を幾重にも守護している結界の要をいくつか破壊したらしい。次第に中の様子を察知しやすくなっていく。
――先ほど、ずっと昏い目をして一言も口をきかず、ただこちらの指示に従うばかりだった少年が、突然弾かれたように顔を上げたかと思うと、次の瞬間ぞっとするほどの雷撃をぶちかました。
咄嗟に指揮権を持つ者たちが、配下に伏せるように指示を飛ばす。
耳を聾するほどの轟音が去り、彼らが顔を上げたときには、悠然と腕を組んでその穴を見つめる明仁の姿だけがそこにあった。
そのそばに控えていたはずの子どもたちが、すべて姿を消していることに気づき、周囲にいた者たちはまさかと青ざめる。
明仁は彼らに、子どもたちが少年を追っていった、となんでもないことのように淡々と告げた。
すぐに修復された結界は既に屋敷と彼らを隔絶しており、今となっては増援を送ることもできない。
子どもたちだけを敵地に放り込んだようなものだというのに、明仁はいっそ愉快げに薄く笑みさえ浮かべている。
「当主……」
数十年来、明仁の側近筆頭を務める男が声をかけると、明仁はくいと片方の眉を上げた。
「柴田。水沢に伝えい。優衣は、今日中に連れて帰る。――小笠原を、潰せ」
低く、後陣を勤めている分家筆頭に命じる。
優衣が“歌姫”の力を持っているとわかったときから、いつかこんなことが起きるだろうと予期していた。……さすがにその目眩ましとして、鹿島の封じを穢すなどという愚かな真似をしてくるとは思わなかったが。
彼女が今まで通りの生活を望むならばそれを叶えてやりたいと思っても、ひとり「外」で生活している限り、どれだけ護りを固めたところで限界がある。
絶対、ということなどこの世にはあり得ないのだから。
だから、最初に手を出してきたものを、潰す。
どこの誰が相手だろうと、二度と同じ愚かなことを考える輩が出ないよう、容赦なく、徹底的に。
根本的な解決にはならないだろうが、喧嘩などというものは気合いとハッタリだ。
相手に「手を出すのは割に合わない」と思わせることができれば、優衣が自分自身を知るまでの時間稼ぎくらいにはなる。
――明仁の哀れな孫娘には、恐らく平穏な人生を選ぶことは叶わない。
しかし、彼女がひとりで人生を歩くことだけはない。
優衣がどのような道を選ぼうと、見守り、必要とあれば助言や救いの手を差し伸べる。
老い先短い我が身にできるのは、せいぜいその程度。
常にそばにいて、彼女とともに歩く役目は、若者たちに任せればいい。
優衣が選んだあの少年や、彼女を慕う孫息子たちがいる限り、優衣が孤独に怯えて動けなくなることだけはきっとない。
(まぁ……。じじいとしては、ぽっくりいく前に、少しでもゴミ掃除くらいはしておかんとの)
これまでにも、さまざまな一門や商売敵の勢力と戦うこともあれば、共闘することもあった。
どんな争いの後であれ、互いに妥協点を見つけて手打ちにしてきた。
今までは。
「小笠原の若造といえば、水沢の小倅と並べても見劣りしない、珍しい小僧だったのにの。……もったいないことよ」
表の世界では優秀な若手経営者と持ち上げられ、術の世界でもそこそこ名の知れていたあの若者は、決して手を出してはいけないものに手を出した。
唇を歪めた明仁に、連絡を受けた側近が声をかけてくる。
「当主。五百蔵家にて、若狭どのと西園寺どのが、無事清めを終えたと」
「そうか。本家に戻り、貴明のそばにおれと伝えい。……ふっふっふ、あのアホ息子はかっちょよく優衣を助ける役を、またしても皓に持っていかれよってからに。優衣に『お父さん』と呼んでもらえる日は、まだまだ遠そうよの」
ちなみに、貴明が優衣との初対面のときに土下座しながら「佐倉貴明だ」と名乗ったのに対し、明仁は「じいちゃんじゃ」と名乗ったため、普通に「おじいちゃん」と呼ばれている。
亀の甲より年の功。
その後翠蘭も「おばあちゃんよ」と名乗り、見事にその呼び名を獲得した。
実の父親でありながら、いまだに「貴明さん」と呼ばれていることに本人が悶々としていることは、家中の誰もが知っている。
普段は次期当主としてやんちゃな父を黙々と支える実に頼れるナンバーツーだというのに、娘が道場に顔を出すたびこっそりその様子を物陰からうかがう姿は、家人たちの生温かい視線を一身に集めていた。
最近ではやはり女同士故か、随分凪子とも親しげに話すようになっていて、ひょっとして凪子の方が先に「お義母さん」の呼び名を獲得するのではないかと、専らの噂だ。
今回の件ではぶっ倒れるまで力を振り絞ったというのに、美味しいところはまたしても皓に取られている辺り、こと優衣に関してはつくづく貴明は運がないというか、要領が悪いというか。
その不憫さを哀れに思ったのか、そっと涙を拭う素振りを見せた側近が、ふと表情を改める。
「皓さま……? なぜ、二手に分かれて」
あちこち綻びかけた結界の向こうで、子どもたちの気配が二手に分かれて移動している。
一方は真っ直ぐに外へと向かっているのに、皓と香月家の漣のふたりは屋敷の奥へと向かっているようだ。
「ふむ……? ほう、楓の魂魄を盗みよった外法者を捕らえようとしておるようだの。柴田。優衣が戻り次第、結界をぶち破って皓の救援に向かえ。楓の魂魄の確保を最優先に考えよ」
「承知」
遠く屋敷の南端で、一際大きな爆発音が響いた。
崩れ落ちた鉄柵の向こうから、次々に子どもたちが飛び出してくるのが見える。
力技の得意な橘家の俊哉が大分緩んだ結界をこじ開け、その隙間を仁科家の和彦が法具を使って拡大し、そのまま維持する。
その穴から真っ先に優衣を抱えた大地が滑り出て、間髪入れずに俊哉と和彦が。
そして最後に、来生家の竜と優衣の幼馴染みの少年が同時に飛び出してくると、ふたりは呼吸を揃えたかのように振り返った。
「ほう?」
軽く目を瞠った明仁の視線の先、竜と少年はほぼ同時に屋敷に向かって構えを取った。
竜が水撃で結界ごと屋敷の一部を倒壊させた直後に、少年が放った雷撃が襲いかかる。
水浸しになった屋敷に、電流の嵐が吹き荒れればどうなるか。
次の瞬間、屋敷の半分の灯りが落ち、結界の綻びが一層顕著に広がった。
「――柴田」
子どもたちの見事な連携に目を奪われていた側近の名を呼ぶ。
「は……は! これより我ら、皓さまの助勢に向かい、楓殿の魂魄を回収して参ります」
「ぬかるなよ。大人がこれ以上、小僧どもにかっちょ悪い背中を見せるわけにはいかん」
「先刻の無茶については、のちほど十分に説教するつもりでおりますれば」
笑みを残して柴田が部下を連れて屋敷に乗り込んでいくのと同時に、ふわりと明仁のそばに一体の式神が現れる。
『当主。無事、優衣さまを救出いたしました。これより、そちらに合流します』
高野家の大地の声だ。
「よくやった。優衣に怪我などなかろうな?」
もし可愛い孫娘に毛一筋でも傷をつけていようものなら、と声を低めた明仁に、素早く否が返る。
『ご心配なく。少々お疲れのようですが、怪我などはなく、今はお休みになられています。――当主。もうひとつご報告が』
「なんだ」
『皓さまが、優衣さまより『祝福』を受けられました』
周囲に控えていた術者たちが、ざわりと顔を見合わせる。
「……真か」
『はい。詳しいことはのちほどご報告いたしますが、まず間違いないと思われます』
そうか、とうなずいた明仁は、大地の式神に改めて目を向けた。
「ところで、この式神は一体なんだ?」
式神の姿形は、術者がそれぞれ定めるものだ。
明仁が用いているものは伝統的な童子姿で、術者の中では一般的なものである。
しかし、目の前にふよふよ浮いている式神は今まで見たことのない姿をしていた。
きれいな薄い緑色をしていて、丸い頭にくりっとしたつぶらな瞳。頭の大きさに対してやたらと小さな胴体にはちんまりとした手足。よく見てみれば、背中にはちょこんと虫のような羽根まで生えている。
そんな珍妙な姿をした式神から、大地の涼やかな声がする。
『芽キャベツです』
「ぬ?」
『芽キャベツの妖精です』
「よ……妖精?」
最近の少年というのは、そんなポエミーなものを愛でるものなのか。
密かに汗を掻いた明仁を知ってか知らずか、大地がそれではと話を締めくくる。
それと同時に掌サイズの式神も、ふっと姿を消した。
「これが、じぇねれーしょんぎゃっぷ、というやつかのー……」
そのつぶやきに答える者は、残念ながらいなかった。




