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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
鳥籠の章

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23/85

 大好き、と聞こえたか細く震えた声が、現実だったのか幻聴だったのか。

 それを確かめる前に次々に乱入してきたのは、皓をはじめ機動力の高い――つまり、佐倉家の術者の中でも若い世代の面々だ。


「神谷さん! なんて無茶を……っ姉さん!?」

「皓……?」


 つんのめるようにして近づいてきた皓の顔が、月明かりのせいだけでなく蒼白になっている。


「無事、で……っ、どこか、怪我……っ」

「し……して、ない。平気」


 ふるりと首を振った優衣の頬が、濡れていることに気づいたのだろう。皓の周囲の空気が、一気に温度を下げる。


「……誰?」

「え?」


 にっこりとそれはそれはきれいに笑った皓が、どこからか取り出したハンカチで優衣の頬を拭う。

 弟だから許しているが、まったくそういう仕草が腹立たしいほど様になっている。これだからお坊ちゃんは。

 ――皓のもの柔らかな仕草や口調と裏腹に、周囲の気温はどんどん下がっていく。熱帯夜だというのに、もはや氷点下だ。


「誰が、姉さんを、泣かせたの?」


 有無を言わさぬ迫力に、大地を筆頭にずっと皓にくっついて駆け回っていた少年たちがそそっと下がっていくのを、翔は確かに目撃した。表面上はあくまでもにこやかに笑っている皓に、優衣も何かしら感じるものがあったのか、戸惑ったように何度か瞬く。


「……あ」

「何?」

「そんなことはどうでもいいんだった。ちょっと聞きたいことが――」


 何か言いかけた優衣の言葉を、皓はにっこり笑って遮る。


「どうでもいい? いいわけないだろ? ほら、言って。姉さんをこんなとこに閉じ込めて泣かせたゲス野郎は、どこのどいつ?」


(お坊ちゃんの口から、ゲス野郎発言、出ました)


「や、だから――」

「姉さん?」


 にこにこにこ。


 その笑顔の押しの強さに、束の間口を閉じた優衣は、おもむろに翔の腕を解いた。

 それから軽く握った拳で、皓の額をちょこんと小突く。皓の目が、まん丸に見開かれる。


「お……っおねーちゃんの、言うことを、聞きなさいっ!」

「……ハイ」


 おおおおっ!? と皓の背後でどよめきが上がる。気持ちはわかる。


(おねーちゃんて。拳でこん、て。いや、それとも皓の「ハイ」に対してなのか? ……その辺は、よくわからんな。つきあいの長い連中に任せよう)


 自分で言ってもクるものがあったのか、泣いたせいだけでなく夜目にも顔を赤くした優衣は、そこからは早口で言い募った。


「えぇと、だから。わたしを攫ったのって、女のひとの腕だったの。佐倉に関わりのあるお嬢さんの腕だって言われた」


 五百蔵の、と皓だけでなく、思わずといった感じで他の少年たちもつぶやく。


「それで、そのお嬢さんの腕を操ってる変態がさっきまでその辺にいたんだけど……。ごめん、名前聞いてない。でも、髪の長いなよなよしたオカマの変態で、香水つけてるナルシストだから、多分見ればわかると思う」

「髪の長いなよなよしたオカマの変態で、香水つけてるナルシスト」


 あんまりといえばあんまりな優衣の形容を、皓が真顔で復唱する。


「うん、そう。――皓」


 月明かりの下、同じ神秘的な色彩を湛える瞳が向かい合う。


「お願い。そいつ、ボコってきて。顔の形変わるくらい、徹底的に」


 対の人形のようによく似た、誰が見ても美しいと言うに違いない姉弟だというのに、その見た目と交わされる言葉が徹底的にそぐわない。


「皓なら、できるよね? お嬢さんを、変態から助けてあげて。女のひとがあんな変態に好きなようにされてるなんて、最悪に我慢できない」

「――わかった」


 優衣の願いに、いろいろとツッコみたくなったのは自分だけだろうか。いや、皓以外の全員が微妙な顔になっている。

 冷静なのは皓だけか。さすが指揮官。立派だ。


「漣。僕と来い」


 はい、と彼らの中で一番小柄な少年が、すっと前に出る。


「大地、あとは任せる」

「はい。お気をつけて」

「――皓!」


 そのまま半壊した部屋から飛び出していこうとした皓を、張り詰めた優衣の声が呼ぶ。


「迷惑かけてごめん、気をつ、け……?」


 突然、ふらりと傾いだ優衣の体を、咄嗟に受け止める。顔色を変えた皓が駆け戻ってくる。

 どうしてか、抱き留めた優衣の体は羽根のように軽かった。

 ――羽根。


(……え?)


 それは、確かに羽根だった。半ば透き通った淡い翡翠色の翼は、優衣の体をすっぽりと覆うほどに大きく、瞬きをためらうほどに美しい。淡く月光をまとう優美極まりないその羽根は、まるで自ら光を放っているかのよう。

 それらがゆっくりと広がる様は、ひどく幻想的な光景だった。


「――『優しい子』」


 いつの間にか、翼をまとった優衣が、そっと皓の頬を愛しげに両手で包んでいた。その横顔の美しさに、息を呑む。

 柔らかく、温かく、姉というより母親が幼い我が子に向けるような慈愛の眼差し。


「『わたしの可愛い優しい弟

 望むままに生きなさい

 あなたのそばにはいつも必ず誰かがいるわ

 あなたを大切に思うひとを

 あなたが大切に思うひとを

 あなたは必ず見つけられるわ

 そのひとたちと支え合って 笑い合って生きていくの

 諦めないでね 笑っていてね わたしの大事な優しい子』」


(なん……て……)


 これが、本当の『祝福』なのか。

 全身が総毛立っている。

 翡翠と白と金の光の渦。

 甘く柔らかく、澄みきった声が言葉を紡いでいくたび、それは天上からの歌声となって降り注ぐ。

 揺らめく羽根は涼やかな風をまとい、細かな光の粒を撒いて広がっていく。あまりに幻想的な美しさに、誰もが呼吸さえ忘れたように魅入られ、震えるような陶酔に身を委ねた。

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