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鳥の娘 ~見えない明日を、きみと~ ≪改稿版≫  作者: 灯乃
鳥籠の章

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約束

(――あ。なんだかメイドさんより、執事さんの方が顔色が悪い)


 ひょっとしてここでは、女性は戦闘要員ではないのだろうか。佐倉家では、術の才能があれば男女問わず修行しているから、ちょっともったいない気がする。優衣はからっきしだが、女性の術者が二回り以上体の大きな男性の術者を吹っ飛ばす様は、なかなか見応えがあるのだが。

 なんにせよ、これでとりあえず籠城の準備は整った。微妙にぎこちない動きで人々が出ていくと、優衣は早速配線が繋がったテレビの電源を入れた。ニュース番組で女子高生失踪の特報が流れていないのを確認していると、今度はノックなしに扉が開いたため、相手を見る前に寝室に避難する。外へ通じる扉に内鍵はないが、寝室とバスルーム、トイレは内側から鍵をかけられるのが、救いといえば救いか。

 電子レンジを必要とするインスタント食品以外は、水も湯沸かしポットもぬかりなく寝室に運び込んである。どうやら、やってきたのは下っ端ふたりらしい。


「おーい、姫さん?」

「開けろ。何を考えている、食事はこちらで用意しただろう」


 彼らには本当に、常識というものがないらしい。


「変態に出されたものなんて、食べられるわけないじゃない」


 もしおかしな薬でも入っていたらシャレにならないことくらい、少し考えれば子どもにだってわかる。

 それきり、扉の向こうで何か言っているのを全部無視して、固形タイプの栄養補助食品をスポーツドリンクで流し込む。これらには、中学に上がったばかりのまだ上手く食事の支度ができなかった頃に、随分世話になったものだ。……そんなことに懐かしさを感じている自分が、ちょっとイヤだ。

 寝室に物資を運び込む際、ついでに鬱陶しいベッドの天蓋を外してもらった。クローゼットの中の衣服も、すっかり入れ替えられた。ざっと見ただけだが、フリルやレースの類いがほとんど見えなかっただけでいいことにした。

 最初に入っていたヒラヒラフリフリが誰のシュミだか知らないが、もしあのロリコンの指示だったら――もう、冥福を祈った方がいいかもしれない。

 大量に買い込まれた非常食は、数ヶ月は保ちそうだ。もちろん、優衣はそんなに待つつもりなどない。


(――考えろ)


 どうしたら、ここから逃げ出せる。

 あるのは自分の身ひとつと、多少相手に「わがままを聞かせられる」程度の立場だけ。必要以上のことを決して話そうとしない使用人たちは、主人にそれなりの忠誠心を抱いているのだろう。そうでなければ、優衣が理不尽さを口にしたとき、或いは明仁のことを口にしたときに、もう少し顕著な反応があったはずだ。

 ひとは、頼りにできない。

 頼れるのは自分だけ。


「大丈夫……大丈夫」


 何度も自分に言い聞かせる。

 ぜったい、帰る。……ひとりでいるのは、寂しいから。膝を抱えて、唇を噛む。


(……翔に、会いたい)


 最後にまたねと手を振ってから、まだ数時間しか経っていない。会おうと思っても会えない状況に置かれることが、こんなに辛いなんて思わなかった。

 大丈夫だと言って。

 心配することなんかないと言って。

 翔の言葉だけは、いつだって真っ直ぐに心に届くから。


(怖いよ……翔)


 ……本当は怖い。凄く怖い。周りはみんな頭がおかしくて、誰ひとり味方がいない。こんなところに閉じ込められて、逃げる術が何もない。

 泣き喚きたい。でも、あんな連中にそんな弱いところを見せたくない。

 いつしか扉の向こうも静かになって、しんと静寂が落ちる。

 ――見知らぬ部屋で、バカみたいに豪華なベッドのそばで、山ほどの非常食に囲まれている。そんな現実味のない状況の中、ふと以前翔に言われた言葉を思い出す。

 あれは、化け物を見るようになったばかりの頃。


(怖いって思うから、怖いんだ。……ほら、目ぇ開けて、ちゃんと見てみろ? あいつら、おまえには手が届かないんだから)


 怖いと思うから、怖い。

 だから、ちゃんと目を開けて。


(ほら。もう、怖くないだろ)


 笑って。

 慰めるためのやさしいキスを額にくれた。


(そのケータイ、すげえな。マジであいつら、全然近づけねえの)


 ――携帯端末。そうだ。ずっとあれに守られていた。

 電波を通じて「場」を繋いでいるのだと、聞いた。

 どくん、と心臓が脈打つ。

 あの男は、なんと言っていた?


(この部屋は完璧に隠してある)


 この部屋は。

 この建物、とは言わなかった。

 たったひとつナンバーの登録された、携帯端末。

 たったひとつ。それでも、その相手は部屋の外にいる。いや、そうじゃなくても、携帯端末の電波は必ず中継点を経由している。

『外』に、繋がっている。


(目ぇ開けて、ちゃんと見てみろ?)


 まろぶように寝室から飛び出して、ダイニングテーブルの上に置きっぱなしだった丸いフォルムの携帯端末を取り上げる。皓と伯凰は、優衣に力の制御を教えるのと平行して、「言葉」を「言霊」に変えるところを何度も見せてくれた。系統の近い人間が力を使うところを見て、感じて、その感覚を自分のものにできれば、力の制御をもっとスムーズにできるようになるからと。

 上手くいくかわからない。今まで、一度も成功したことなんてない。誰もが優衣をまったく術を使えない無力な子どもだと思っていて、それは正しいのだけど、それでも。

 自分にできるかもしれないことは、これだけだから。

 子ども向けの機械は、液晶画面に浮かぶ文字も大きくて、まるで玩具のようだった。

 震える指で、通話ボタンを押す。

 断続的に流れる呼び出し音を、これほど長く感じたことはない。


「……っ!」


 繋がった。


『――なんの用だ。随分とあれこれねだったらしいな? そこにいる覚悟ができたのなら結構なことだが、それなら食事もこちらが用意したものを――』


 何か、話を引き延ばすように喋った方がいいんじゃないか、とか。

 電話を通してもむかつく声だな、とか。

 勝手なこと言ってんな、とか。


「『……翔!』」


 そんなものは全部、頭の中からきれいに消えた。

 ただ、会いたくて。

 叫んだ。


「『翔……翔、翔……!』」


 早く。

 わたしはここにいるから。

 だから、早く。


「『わたし……っここにいる!』」


 迎えにきて。

 目を閉じて、力の限りに叫んだ。

 目を開けろ、と言われていたのに。

 目を開けて、ちゃんと見ろと。


「……っ!?」


 どぉん、と突然、世界が揺れた。地震か、と咄嗟にしゃがみ込もうとして、全身に吹きつける強い風と、何かが焼け焦げるようなにおいを感じる。

 無意識に顔を庇おうとした腕の下で、恐る恐る目を開く。

 ばらばらと何かが砕ける音。遠くに、人々のざわめき。照明が落ちて、月明かりが薄く密やかに降り注ぐ。


「――よう」


 少し掠れた、ほかの誰より優衣の耳を、心を震わせる優しい声。


「ったく……。呼ぶの、おせえよ」


 夢じゃない。

 幻でもない。


「しょ……こそ……っ」


 本当に、迎えにきてくれた。


「遅いぃ……っ」


 翔の顔を見たいのに、涙で滲んでよく見えない。しゃくり上げた瞬間、頽れかけた体を抱き締められる。きつく。強く。

 翔もまだ、制服のままだ。

 数時間。会えなかったのは、たったそれだけの時間。なのに、耐えられないほどの永遠に感じた。


「ごめん……優衣。遅くなって、ごめん」


 熱い吐息とともに耳に触れる声が、震えている。


「や……く、そく、した……っ」

「え?」


 広い背中に、力の限りしがみつく。

 だって、泣けない。ここじゃないと泣けない。


「しょぉ、の……いないとこで、泣かないって、やくそく……っ」


 好きだ、と、はじめて告げられた、あの日。

 好きになるにはどうすればいい、と問うた優衣に、翔がくれた言葉。

 翔のいないところで泣くな、と。

 生まれてはじめての、約束をした。

 だからもう、翔がいないと泣くこともできない。

 どれだけ不安でも。怖くても。心細くても。


「優衣……」


 長い指が髪に絡む。胸が、痛い。

 ずっと鎖していた心が解けて、気持ちが溢れる。


(――あぁ、そうか)


 これが、きっと。


「……大好き」


 愛していると、いうこと。

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