分家の人々
佐倉家の歴史は古い。
その勢力が国の半分を支配するほどに広がったのは、戦後になってからのことだ。激動する時代のうねりに対応するため、貪欲に新たな血を取り込むことにより、従来の枠組みと伝統に固執する他家一門とはまったく別の形を取って力を拡大してきた。
現当主である明仁が香港の李家から翠蘭を妻に迎えたのは、彼女が明仁に一目惚れした上、一族の反対を振り払って押しかけ女房同然に嫁してきたからだ、というのは有名な話だ。しかし、その長子である貴明が西の三条から妻を迎えた顛末は、ある意味それ以上の騒ぎとなり、同時に最大の禁忌となった。
「――DNA鑑定に関わった研究員を、幻術でも催眠術でもなく、普通にお金で買収して茜と優衣さまの検体をすり替えたんですって? シンプルすぎて、逆に盲点だったってわけかしら」
その禁忌を堂々と口にするのは、長い髪をきっちりと結い上げた妙齢の美女。
佐倉家の分家筆頭水沢家の長女、夏帆である。浅黄色の着物の似合う、凜とした印象の美しい面に、今は苦々しさが一杯に広がっている。
「ああ。その研究員とやらは、職を失った上にその世界からも完全に追放されて、今頃路頭に迷っているんじゃないかな」
そう応じたのは、夏帆の双子の弟である水沢飛鳥。
ゆったりとしたサマーニットにスラックス、それにメタルフレームの眼鏡をかけた姿は、術者というよりどこぞの御曹司という風情である。そして彼は、まさにその見た目通りの経歴の持ち主だ。
佐倉家は術の世界で確固たる地位を築きながら、表向きの姿としていくつもの企業グループを作り上げてきた。それらは佐倉家が「動く」際に、そのサポートと折衝を請け負う重要な役割を担っている。
術者を多く輩出する佐倉の一門の中には、術の才に恵まれた者もいれば、そうでない者もまた多くいる。他家の一門においては、術の才のない者は「役立たず」と蔑まれることが多い。だが、佐倉の中でそう生まれついた者たちは、術の世界を深く知り、尚かつ外の世界で術以外の知識や技術を身につけた存在として、ある意味世間知らずの術者よりよほど尊敬を受けることがある。
実際、分家筆頭の水沢家に生まれた双子、夏帆と飛鳥は、術の才については姉の夏帆だけが受け継いだ。そのため、鎌倉を拠点とする水沢家の当主は夏帆が継ぐことになっている。
対して、アメリカの大学院で経済学を学んだ飛鳥は、系列企業の業績を帰国して一年足らずで大幅に向上させ、今や「表の顔」としてその重要な一角を担う存在だ。
「他人事みたいに言ってるんじゃないわよ。高野家の瑞樹ちゃんが茜のところに直談判に行こうなんて思い詰めちゃったのは、どっかのバカが飛鳥と茜の縁談があるなんて与太話を、あの子の耳に入れたからなのよ?」
あの子にとって、あんたは憧れのお兄ちゃんなんだから、と憤慨する双子の姉に、飛鳥は小さく苦笑を浮かべる。
「昔から、あの子の行動力はとんでもないものがあったよ。……まぁ、今回はそのお陰で優衣さまのことが明るみに出たんだから、感謝しなきゃならないね」
茜は「無能」とはいえ、佐倉家の血を色濃く継いでいると思われていたため、西の術者一門から降るように縁談の申し込みがあった。
しかし、たとえ本当に貴明の娘であったとしても、年始や分家の代表を集めての茶会などの場で実際に茜と接した者は、誰ひとりあの女を妻に迎えようなどと酔狂な考えを持ったりしなかっただろう。女のいやな部分を煮詰めて凝縮したような茜の振る舞いに、飛鳥も幾度となく、なぜあんな女が貴明の娘なのだろうと首を捻ったものである。
だがまさか、本当に彼らが赤の他人同士だったとは、さすがに想像の埒外だった。
それで、と一件の報告書に目を通していた飛鳥は、揃えた指で眼鏡のフレームを軽く押し上げた。その奥の目を、軽く細める。
「俺は、術に関してはまったくの門外漢だけど――子どもの頃から力を封じられていた優衣さまは、ちゃんとご自分の異能を使いこなせるようになるのか?」
その問いかけに、夏帆の白い顔が痛ましげに歪む。
「……難しいでしょうね。そうなるとしても、大変な苦労をなさると思うわ」
自分の生まれ持った力の使い方を知らない生き物はいない。大地を駆ける獣は生まれ落ちた瞬間から立ち上がり、鳥は翼が空を飛ぶものだと知っている。水に生きる獣たちが溺れることがないように、術者が己の内に在る力を扱えぬということはない。
術者として生まれた幼い子どもたちの中には、ときに感情の赴くままに異能を暴走させる者がいる。だが、そういった力の強すぎる子どもたちは、きちんと制御を覚えるまで相応しい術者の元に預けられ、厳しく養育されることになる。そうして、身近に術者の力の使い方を見、感じ続けて成長する中で、自然と効率的な力の使い方を体で覚えていくのだ。
しかし、術者として生まれながら、その感覚をまるで知らずに育った者が、本能ともいえるそれを本当の意味で身につけられるものなのか。
あの日、遠く離れた場所にいた夏帆が、ほんのわずかな時間ながらも感じたのは、あまりに膨大な力の奔流。佐倉本家の後継である皓によく似た、けれど明らかに異なる、鳥肌が立つほどのあの力。
それは一瞬の暴走であり、その負荷に耐えかねすぐに意識を失ったという。だがあれほどの力となれば、制御という意味では困難を極めるだろうことは想像に難くない。
どんな力も、弱いものほど扱いやすいのは自然の摂理だ。しかし、一度力があると知られれば、望むと望まざるとに関わらず、その力はあらゆる者に狙われる。
ましてや、優衣が生まれ持った力は、術の世界でも奇跡とされる李家の“歌姫”。その真実を知らず、無理矢理にでも手に入れようとする輩など、星の数ほどいるだろう。ごく普通の少女として育った優衣にとっては、そんな力は『祝福』どころか、己の自由を妨げる枷、或いは檻。
正しく育てられていれば、恐らく皓以上の術者となり得ただろうに、今の優衣は巨大な爆弾を抱えながら、その扱い方も、身を守る術さえ知らない無力な子どもでしかない。
我が子をそんな苦境に追い込んだ薫子に、その意味を知るすべての者が怨嗟の声を上げた。
だが、その報いは既に優衣自身が与えたという。
――おまえが何処で野垂れ死のうが知ったことか
――他者の誇りを穢した分だけ汚濁にまみれ 泥を啜って生きるがいい
――周囲を傷つけた分だけ苦痛を負い 救いの手など差し伸べられず
――惨めに 蔑まれながら生きていけ
その場に居合わせた皓と李伯凰から伝えられたその『歌』を、たった十六の娘が実の母に向けたと聞いたとき、父親である貴明は握りしめた掌を己が爪で抉った。
しかし、報告書には記載されていなかったその『歌』をはじめて聞いた飛鳥は、薄く整った唇に笑みを滲ませる。薫子の行く末に救いのかけらもないという事実は、紛れもなくそれを求めていた周囲の望みを叶えた形となったのだ。
「優衣さまは、皓さまによく似た方だと聞いたが……。中身は随分と違うようだな?」
皓は佐倉家を継ぐ者として、幼い頃から徹底した教育を施され、既に己を律することを知る穏やかな気性の少年である。あの少年に似ているのならさぞ可憐な少女なのだろうが、どうやら話を聞く限り、彼女の性格にはかなり苛烈な部分があるようだ。
そう言う弟に、夏帆は小さく息を吐いた。
「翠蘭さまも、李家の玉蘭さまも、いざとなったらとても恐ろしい方らしいから。血筋かしらね」
「しかし李家といえば、“歌姫”に絶対服従といっても過言でない一族だろう?」
「ええ。だから今も、伯凰さまが本家に滞在なさっているわ。優衣さまに李家の術を伝えるというお話だけど……。一族の血を何より重んじる李家の方々にとって、“歌姫”である優衣さまが一族になんの興味も示さないのは耐えがたい、というのが本音じゃないかしら」
さらりと穿ったことを言う姉に、飛鳥は苦笑を深める。
「それは、我々とて同じことだろう。優衣さまが本家に入ることを拒まれて、我々はいまだにお目通りすることさえ叶わないんだぞ」
今の分家は、守るべき主家の姫に、その存在そのものを知られていない。
弟の皓やその周囲とは、少しずつ交流を深めていると聞く。しかし、普通の高校生としての生活を送りながら、力の制御を必死に学んでいる優衣にそれ以上のしがらみを押しつけるのは、あまりに無茶だ。
理屈ではそうとわかっていても、「佐倉本家に仕える」ことを至上命題としている分家の者たちにとって、もどかしいばかりの状況なのはいかんともしがたい。
「分家の若い子たちは、優衣さまがいらっしゃるときに本家を訪ねて、遠目からお姿を拝見しているらしいけどね」
何を思い出しているのか、笑い含みに夏帆が言う。
「なんだ、そうなのか?」
呆れたように片眉を上げた飛鳥も、子どもたちの気持ちはわかるのだろう。
まったく仕方のない、と言いながらも目が笑っている。
「ええ。本当にお可愛らしい方のようよ」
「夏帆は行かないのか?」
そう尋ねられた夏帆は、楽しげに、艶然と笑ってみせる。
「子どもたちが浮かれて騒いでいる間、優衣さまのご自宅と、通われている学校の結界を張り直しているのは誰だと思っているの?」
「……なるほど」
分家の術者として、為すべきことを為す。
それが家を継ぐ者の誇りだと笑う姉に、飛鳥はよく似た笑みを返した。
「それじゃあ、仕事の話をしようか。水沢の次期当主殿?」
「お久しぶりです、夏帆姉さま!」
元気いっぱいに駆け寄ってきた小柄な少女が、満面の笑みを浮かべて見上げてくる。
ほんの少し会わないだけで、この年頃の子どもというのはあっという間に成長するものだ。そうわかっていても、可愛らしくそばかすの散った少女の変わりように、夏帆はかなり驚かされた。
溌剌とした高い声で挨拶する少女は、トレードマークだった波打つ金茶色の髪をさっぱりと切り落とし、ボーイッシュなショートカットになっている。彼女は西洋の血を引く容姿ゆえか、以前はいつもビスクドールのような雰囲気の、ふわふわと可愛らしい衣服を着ていた。
だが今は、活動的なデザインのふくらはぎ丈のジーンズにスニーカー、その白皙の肌によく映える明るい色柄のTシャツという格好だ。彼女のどちらかといえば凛々しく少年的な顔立ちに、とてもよく似合っている。
幼い頃から、「みんながきれいって褒めてくれるから」といって少女が髪を伸ばし続けていたのは、恐らくやたらときれいな顔をした兄へのコンプレックスゆえだろう。しかし、以前のお人形のような格好よりも、今の姿の方が遙かに彼女自身の魅力を引き出していて、実に可愛らしい。
少年とも少女ともつかない輝きを持つ、元気いっぱいの明るい笑顔に、にこりと笑みを返す。
「久しぶりね、瑞樹ちゃん。本当に見違えたこと。髪を切ったのね、よく似合ってる。とっても可愛らしいわ」
心からそう言うと、高野家の少女の顔が、ぱぁっと輝く。
「ありがとう! これ、凄く楽なの!」
水沢家と高野家は、それぞれの拠点としている土地が比較的近いことから、分家連でも交流が多い方だ。中でも、瑞樹が幼い頃に力の制御方法を教えたのが、同性という理由で指名された夏帆だったこともあり、今でも年の離れた妹のように可愛がっている。
瑞樹の力は暴走して周囲に被害が出るほど大きなものではなかったため、水沢の家で預かることはなかった。それでもしょっちゅう出入りしていたし、飛鳥のことも「大きくなったら、あすかお兄ちゃまのおよめさんになる!」と随分慕っていた。今ではそのことを話題にすると「やーめーてえええぇー!」と恥ずかしがって悶絶するが、子どもの過去で遊ぶのは年長者の特権である。
待ち合わせの目印としていた喫茶店にあとで入ろうと約束し、人並みの中を歩きはじめる。
上品なパンツスーツ姿の夏帆と、ニューヨークの下町ファッションの瑞樹という組み合わせに、すれ違う人々から時折不思議そうな視線が向けられる。だが、この街ではそんなものもすぐ雑踏に紛れる。
「夏帆姉さまは、優衣さまにお会いしたことはある?」
今日の「仕事」に、瑞樹を同伴させるようにと父から命じられたときから、恐らくくるだろうと思っていた通りの質問に、小さく笑う。
「いいえ? まだお目通りの許可は出ていないもの」
瑞樹は、悪戯を見つかったような顔をして肩を竦めた。
「それは、わかっているのだけど……。私、どうしても気になって」
束の間、瑞樹の表情と声が沈む。
優衣との初対面の際に何があったのか、夏帆は報告書でしか知らない。
だが、形式通りの文言からでも、それがこの幼い少女の心に傷を残すものだったろうことは、十分に察せられた。
――瑞樹の行動を知り、皓とその側近候補である瑞樹の兄、大地が優衣の住所を尋ねたのが、佐倉の本業についてまったく無知な秘書だったのは、至極当然のことだった。当時、優衣に関する手続きのすべては、「佐倉グループ創始者一族の汚点」として、あくまで事務的に処理されていたのだから。
もしあのとき皓が連絡を取ったのが、わずかなりとも内情を知る人物だったなら、と今更思うのは愚かなことだ。それでも、皓と優衣の相似に気づいた時点で真実に気づくことのできる大人がその場にいたなら、きっと子どもたちの誰もがこれほど傷つかなくても済んだことだろう。
ぱっと顔を上げた瑞樹は、幼いなりにその葛藤を乗り越えようとしているのか、覚えているよりも少し大人びている笑顔を浮かべた。
「この間ね。優衣さまが皓さまのとこにいらしてるって聞いたから、お元気なのかどうかだけでも確かめたくて、大地兄さまに無理を言ってこっそり本家に行ったの。でも、私だけじゃなかったのよ? 仁科のとこのや、橘や香月、来生のとこのも来ていたんだから」
どうやら分家の若い世代は、将来仕えるべき皓の突然現れた「本当の姉」に、興味津々であるようだ。
それでね、と瑞樹が蹴り上げたスニーカーのつま先に視線を落とす。
「はじめてお会いしたとき、優衣さまはとてもきれいな黒髪を長く伸ばしていたのだけど……。その、髪を随分短く切ってらしてね。それが、とっても素敵で」
恥ずかしそうに言う少女のほほえましさに、夏帆はくすくすと笑みを零した。
なるほど、「きれいな髪」を切って尚魅力的な同世代の少女を見て、ずっと瑞樹の心を縛っていた長い髪へのこだわりが消えたのか。それは本当にささやかな変化かもしれないけれど、きっと瑞樹にとっては大切な一歩だったに違いない。
「えっとそれで、私も髪を切ってから、みんな前よりずっといいって言ってくれるっていうか……。だから、その」
「そうね? 瑞樹ちゃんは前から可愛い子だったけど、今の方が自然で素敵だわ。前よりもお友達が増えたのじゃない?」
「う……うん」
こくりとうなずく瑞樹に、そうだろうとほほえむ。
どこか無理をしていた以前より、明るく溌剌としている今の方が、内側からにじみ出る魅力を陰らすことなく、そのまま表しているのだ。今の瑞樹には男女を問わず、ひとが自然に集まるような明るい雰囲気がある。それは、美しすぎる外見ゆえに他人に引かれてしまうところのある皓や大地には、なかなか持ち得ないものだろう。
そんなことを話しながらたどり着いた目的地。
建設途中のまま計画が頓挫し、むき出しの鉄骨が中途半端に組み上げられている。それらを辛うじて建築用のシートで覆っているだけの、見る者に寂寥感を与える場所だった。こういった「場」には、さまざまな思念の残滓が吹き溜まりやすい。夏帆の仕事を見て学ぶべく同伴している瑞樹も、濁った澱みの発する生温い瘴気に顔をしかめている。
幸い、まだ実体化までは進んでいないようだ。夏帆は短く真言を唱え、周囲に結界を巡らせた上で、清めの祝詞を静かに紡ぐ。そのたび、黒いもやで輪郭が滲むようだった景色が明るさを取り戻し、濁っていた空気も清浄なものになっていく。
「ひと、ふた、み、よ」
ゆるりと揃えた人差し指と中指で印を切る。
「いつ、むゆ、なな、や、ここのたり!」
最後の一節を唱えた瞬間、光が満ちる。
先ほどまで周囲にあった澱みは、既にどこにも残っていない。
きれい、とつぶやく瑞樹を振り返り、夏帆は改めて小柄な少女と向き直った。
「夏帆姉さま?」
不思議そうに見上げてくる、幼い頃から変わらぬ信頼を浮かべる琥珀の瞳。
「……瑞樹ちゃん。優衣さまがあの女に、ずっと封じを施されたことは知っているわね?」
途端に硬く強張った少女の顔が、ぎこちなく上下する。
「優衣さまは、今まで佐倉とは無縁に生きてこられた方。これからも、もしかしたら私たちとは関わりなく生きていく道を選ばれるかもしれない」
「そんな……っ」
驚愕を浮かべる瞳を、静かに見つめる。
「それは、私たちにはどうしようもないこと。――それでも」
どうしても、失うわけにはいかない。
もう二度と。
「おそばにあることも、言葉をいただくことも、私たちの名を知っていただくことさえ叶わないかもしれない。それでも、優衣さまをお守りすることを選べるかどうか、考えておきなさい。……選ばなくとも、誰も責めることはないわ。報われない道を自ら選ぶことなど、誰も強いたりできないのだから」
そう言いながらも、夏帆は心のどこかで確信していた。
この少女が、きっと自分と同じ道を選ぶだろうことを。
そして、自らの意思で実の母さえ切り捨て、道を切り開く強さを持った主家の少女が、いずれ己自身を知ったときのことを思う。
――彼女はどれだけ苦しんだとしても、きっと最後には「こちら側」で生きることを選ぶだろう。
たとえ本人が、それを望んでいなくても。
(いやな風……)
ふと、血の匂いを嗅いだ気がした。
「……これが、佐倉の分家の女か。――ふん。随分、脳天気そうな顔をしている」
「そっかー? カワイーじゃん、オレ、結構好みー」
「余計なことを言うな。我々が必要としているのは、この女の血と魂のみ」
鳥籠の準備は整った。
あとは、鳥を捕まえるだけ。
……もうすぐだ。
待っているといい。
美しい歌をさえずる小さな鳥。
“歌姫”。




