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幼馴染み

 ぽかぽかとした陽射しが、頬に触れる。


 まだ三月になったばかりだというのに、ここ最近は随分と太陽の機嫌がいいようだ。きれいに陽に焼けるよりも赤くなってしまうタチの佐倉優衣は、そろそろ日焼け止めを買っておかなければならないな、と外の光を眺めた。


 アースカラーのジャケット、白いシャツに淡い色合いの綿のニットベスト。それにチェックのスカートという制服のデザインはなかなか可愛らしく、近隣でも人気が高い。この制服に替わったのは、優衣が入学した去年の春だ。ここは学区内でトップと言われる進学校だが、近年の少子化でその座に安穏とはしていられない、ということなのだろうか。


 よりよい環境で勉強ができるようにと、去年には越境入学者用の寮が大改装されている。噂ではふたり部屋の寮は冷暖房完備、食事もかなり素晴らしいものが供されているのだと聞く。そのせいか、クラスの三分の一ほどは遠方からの入学者だ。交換留学生の数も多く、この教室にも異国からやってきた生徒が数名いる。


 教師に勧められるままに入学したこの高校で、義務教育の間と変わったことといえば、周囲の雑音が少し減ったくらいだろうか。意味のない敵意や悪意をあからさまに向けられることがなくなったのは、少し楽だ。


 優衣は物心ついた頃から、他人の感情というものを上手く理解できない子どもだった。五つ年上の姉を溺愛するばかりの母親と、別居中で一度も顔を見たこともない父親。そして、幼い頃からピアノの才能に恵まれ、自分の進む道しか見ない姉。


 そんな「家族」の中で育った優衣にとって、「他人」と正しくコミュニケーションを取るというのは、かなりの難題だ。


 家にも学校にも居場所がなく、ただ言われたことを望まれた通りにこなすだけの日々。四年前、優衣が中学に上がる年に姉が海外へ留学することになり、母親も当然のようにそれについていった。優衣はそれ以来、彼女らがどこでどうしているのかをまるで知らない。


 とはいえ、生活費は父親の名前で月々十分すぎるほどの額が振り込まれてきているから、特に問題はなかった。今からこつこつと貯めておけば、高校卒業後に家を出るときの資金くらいにはなるだろう。アルバイトをしようにも、未成年というのは何をするにも親の承諾が必要で、つくづく不自由なものだと思う。


「……では、今日の授業はここまで」


 いかにも教師らしい滑舌のいい数学教師の声に、教室の空気がほっと緩む。進学校とはいえ、一年の終わりのこの時期に、まだそれほど切羽詰まった空気はない。むしろもうすぐはじまる春休みを前に、そわそわした落ち着かない雰囲気がある。


 高校一年最後のホームルームが、中年の担任教師が当たり障りのない注意事項を口にして終わりになると、教室の中があっという間に騒々しくなる。そんな中、優衣はいやというほど聞き覚えのある声で呼ばれた。顔を上げれば、自分の顔よりも見慣れた顔の少年が、ひどい仏頂面で立っている。


 隣家に住むこの少年は、神谷翔という。幼稚園から義務教育が終わるまで、ずっと同じクラスという腐れ縁だ。まさか、高校に入ってまでそれが続くとは思わなかった。


 昔からなんでもよくできて、長男らしく面倒見のいい性格の子どもだった彼は、いつも人の輪の中心にいる。少し目つきがきついし、愛想がある方だとはとても言えないけれど、周囲の少女たちがしょっちゅう彼の噂話をしていたと思う。


 けれど、いつからだろう。優衣を見るたび、彼はひどく不快そうな顔をするようになった。ほんの幼い頃は、他人とどう距離を取ってよいのかわからなかった優衣を、彼はよく同年代の子どもたちの輪の中に引っ張っていってくれた。いじめてくる子どもたちから、庇ってくれたことも何度もあった。


 だが、そうしてくれていたことの方がおかしなことだったのだろう。ろくに口も開かない、会話もできない子どもの相手なんて、誰だっていやに決まっている。そう気づいてからは、自分の何かが彼の気に障るようになったのだろうと、できるだけ距離を置くようにしてきた。


 この顔も近くで見るのは随分久し振りだと思っていると、彼はおもむろに手にしていた携帯端末を操作しはじめた。こちらから目を背けたまま、液晶画面を優衣の目の前に突きつけてくる。


 そこには、南中学三年C組同窓会のお知らせ、と件名の入ったメールが表示されていた。どうやら、春休みの最中にどこぞのカラオケボックスで行われるらしい。


「おまえ、誰にも携帯教えてねえだろ。幹事の広瀬が、おまえにも知らせとけって」

「そう」


 教えていないも何も、優衣は携帯端末など持っていない。それが世の中の高校生の必需品であることは知っているけれど、今まで欲しいと思ったこともなかった。


「わざわざ、ありがとう」


 そのまますぐに去るのだろうと思った彼は、なぜか苛立たしげな顔をした。携帯端末をしまうと、行くのかよ、と問いかけてくる。思いも寄らない言葉に、少し驚く。


 正直、中学までの記憶はひどく曖昧だ。クラスで目立っていた何人かの顔と名前くらいは覚えているけれど、それとて記号のようなものでしかなかった。そもそも、自分が同窓会に参加する意味なんてどこにもない。


「行かない」

「なんで」


 なんで、と言われても困ってしまう。

 いつの間にか随分と背が伸びた相手を見上げると、一瞬ぶつかった視線がすぐに逸らされた。


「行く理由が、ないから」


 そう言うと、背けられた横顔がますます不快げにしかめられる。相変わらずのそんな反応に、今更傷ついたりはしないけれど、やっぱり胸の奥がひんやりと冷たくなる。一度でもぬくもりをくれた相手に嫌われることは、最初から嫌われることよりずっと痛いことなのだと、この幼馴染みに教えられた。


「さよなら」


 外に出れば、桜の木。

 この季節の通学路は好きだ。等間隔に植えられた街路樹は鮮やかな花弁を撒き散らし、一面を淡い色合いに染め上げる。きれいだな、と思う。薄い花びらを乗せた風が髪を攫って、ふわりと舞い上げる。

 学校から自宅までは、徒歩で三十分の距離だ。バスを使えば十分ほどなのだが、ぎゅうぎゅう詰めの車内に閉じ込められるくらいなら、歩いた方がずっといい。特に、こんな天気の良い日は、歩いているだけで花見気分にもなれるというものだ。


 いつも通り、近所のスーパーで夕飯の買い物をして家に帰り着いた優衣は、その門前に座り込んでいる小柄な少女の姿を見つけた。

 白い、というのが、最初に彼女の姿を見て抱いた印象だ。フリルとレースがふんだんに使われた、白いワンピースに包まれた華奢な体。子ども特有の細い手足。

 小学生だろうか。ふわふわと巻いた明るい栗色の髪を耳の上で掬い上げ、やはり白いレースのリボンで結んでいる。斜めがけにした小さなポシェットも可愛らしく、どこから見ても良いところのお嬢さんといった感じの少女だ。


 近所に、こんな子どもがいただろうか。こんなところに陣取られていては、自宅に入ることができない。

 あの、と声をかけると、抱えた足の爪先を見つめていた少女が、ぱっと顔を上げる。


(……あれ?)


 少女の瞳は、髪よりも淡い薄茶色だった。陽射しに透けて、淡く金色を帯びて見える。どうやら、栗色の髪も染めたものではなさそうだ。くっきりとした目鼻立ちの、とても可愛らしい少女である。少々目尻の上がった丸い瞳と、鼻の周りに散るそばかすが異国の血を感じさせる。どちらかといえばこんなふわふわのワンピースより、ボーイッシュな格好の方が似合いそうな、きりっと強い瞳が印象的だ。


「ちょっと、通してもらえますか?」


 少女は買い物袋と鍵を手にした優衣を目にして、機械仕掛けの人形のように立ち上がる。

 しかし、そこからどけてくれる気配はない。琥珀色のきれいな瞳をこぼれ落ちるんじゃないかと思うほど大きく見開いて、まじまじと見上げてくる。

 そして、優衣の顔と買い物袋とを何度も見比べ、混乱したように視線を泳がせた。


「え、ええええと、えとえと、あの? お、お姉さん、ここのうちのひと、ですか?」


「はい。そうですけど……。どちらさまですか?」


 こんな子どもが家族の誰かに用があるとも思えなかったが、どうやら彼女がこの家の前に座り込んでいたのは、たまたまではなかったようだ。


「あ、あの、あ、あたしっ、ミズキといいますっ」


「ミズキさん?」


 覚えのない名に首を傾げる。

 少女は幼い頬に緊張を滲ませ、意を決したように見上げてきた。


「は、はい! ……あの、あの、佐倉茜さん、ですよね……?」


 ひどく強張ったきつい瞳と、ぎゅっとポシェットを握り締めた細い指が痛々しい。

 なんだか申し訳ないような気分になりながら、首を振る。


「いいえ。姉に、何かご用でしたか?」


 姉が旅立ってからしばらくの間、彼女が連絡していかなかった遊び相手がこんなふうに訪ねてきたことが何度かあった。彼らと比べれば随分可愛らしいお客さまだが、もしかしたら姉と同じピアノ教師についていた子どもだろうか。


「……お、お姉さん?」


 少女の目が、ぽかんとまん丸に見開かれる。


「はい。姉はしばらく、帰ってこないのですけど……。戻ったら、あなたがいらしたことを伝えておきますか?」


 どうしてかひどく狼狽した様子の少女にそう言うと、一層混乱した顔をしてぶんぶんと両手と首を振る。


「え、いえ、あの、けけ結構ですっお構いなくっっ」


「はぁ……」


 ふわふわの髪の毛を勢いよく振って、少女は思いきりのいいダッシュで駆け去っていった。

 一体なんだったんだ、と思いながら鍵を開け、家に入る。買い物袋の中身を冷蔵庫にしまい、普段着に着換える。課題は大量に出ているが、提出は春休み明けだ。すぐに机に張りつく必要もない。


 リビングから直接庭に出られるようになっている大きなガラス戸を開くと、緑の匂いのする風が入り込んでくる。ここ数日雨もなかったし、少し庭に水を撒いた方がいいかもしれない。

 玄関からスニーカーを持ってきて、庭の蛇口から繋ぎっぱなしのホースを取って水を出す。ホースの先を少し潰しながら、新芽の気配のある枝や、樹の根元に水を撒いていく。


 時折光が弾けて、虹ができるのが楽しい。子どもの頃からろくな思い出のない家だが、この庭だけは結構好きだ。

 渇いた地面にふんだんに水を撒き終わり、蛇口を締めてホースを元通りにすると、優衣は寄せ木のテラスに腰掛けてぼんやりと空を見上げた。


 空の青。

 枯れているように見えるのに、不思議と力強い木の枝。

 その向こうに透ける雲と、太陽の光。


(……あ)


 小さな羽ばたきとともに舞い降りてくる鳥たちの姿を見て、ふわりと気持ちが浮上する。

 特に餌づけをしているわけではないのだが、小さな頃からこの庭で落ち込んでいるとどこからともなく小鳥たちがやってきて、ひとしきり優衣の肩や膝の上で戯れていくのだ。そばにいてくれる時間はそう長くないし、来て欲しいと思って来てもらえるわけでもない。

 それでも、彼らは優衣にとって大切な友達だった。真っ黒なつぶらな瞳や、愛くるしい仕草を見るだけで、心が浮き立つ。


 もし自分が鳥だったなら、なんて義務教育で習う英文のようだが、こうしているときに思うのは、いつもそんなことだ。彼らと一緒にこの空を飛んでいけたら、どんなにいいだろう。


 そんな夢想は突然、一斉に飛び立った小鳥たちの羽音によって断ち切られる。

 ひどく慌てた飛び立ち方に、庭に猫でも入り込んだのかと思ったが、そうではなかった。道路に面したコンクリートの壁、その上に張り巡らされた鉄柵の向こうに、一瞬栗色の頭が見えた。

 それはすぐに引っ込んでしまったけれど、どうやら先ほどの少女がまた来たようだ。


 気づかなかったふりをしようかとも思ったけれど、いつまでも家の周りをうろつかれるのは、あまり気分のいいものではない。溜息をついて立ち上がり、庭から門へ出る。

 まだ何か用かと尋ねようとした優衣は、そこで目を丸くした。


 ――増えている。

 少女がいるのは想定内だったが、明らかに彼女と血縁関係にあると思われる髪と瞳をした高校生くらいの少年と、同じ年頃の黒髪の少年が増殖していた。栗毛の少年は、少女の口をいささか乱暴な手つきで塞いでいて、少女はもごもごと何か言おうともがいている。


「……あの。何か、ご用でしたか?」


 あからさまに挙動不審とはいえ全員が子ども、しかもひとりは年端もいかない少女となれば、警戒するのも難しい。優衣の問いに答えたのは、奇妙なほどに顔を引きつらせながら、暴れ続ける少女を抑え込んだ少年だ。


「あ、あはは、あの、その、うちの妹がご迷惑をおかけしましてっ! すぐ連れて帰りますんで、すんませんしたっ!」


「……はあ」


 やはり、兄妹だったか。

 しかし、むーむーと呻いている少女と少年は、髪と瞳の色こそよく似ているが、その顔立ちはほとんど共通するところがない。少女には申し訳ないが、兄の少年はちょっと感心するくらいきれいな顔をしている。男の子にしておくのが惜しいくらいだ。

 その隣でぱっと顔を背けた黒髪の少年も、一瞬ちらりと見えた限り、色白の端整な印象を受けた。普通にしていれば、ふたり揃ってさぞ女の子に騒がれることだろう。残念ながら、覗き魔よろしく壁にへばりつき、地面にへたり込んでいる姿は、なんとも情けない限りだが。

 軽く目礼して家に戻ろうとした優衣の背中に、新たな声がぶつかった。


「……何やってんだ?」


 先ほど聞いたばかりの、不機嫌そうな声。

 振り返ると案の定、幼馴染みが鞄を右肩に引っかけて立っている。彼は少年たちの姿を見て、ふと訝しげな表情を浮かべた。


「おまえら……緑葉中の、高野と蒼月?」


 少女を抑えこんでいた少年たちがぱっと顔を上げ、揃って目を丸くする。


「え、うわ、南中の神谷さん!?」


 栗毛の少年が裏返った声を上げ、黒髪の少年も掠れた声で呆然とつぶやく。


「な、んで神谷さんが、こんなところに」

「なんでって、ここはオレんちだ。おまえらこそ、なんでこんなとこにいるんだ」


 隣家を親指で示した翔に、え、と声を零した少年ふたりの目がますます丸くなる。


「マジです、か……?」

「隣が、神谷さんの家……?」


 翔が軽く眉を寄せ、一瞬だけこちらに視線を向けた。


「コイツに、なんか用があんのか?」


 一層不機嫌そうになった声に、少年たちが口ごもる。

 彼らが再び口を開くより先、すぐ近くで停車する車があった。真新しい国産車から降りてきたのは、見たことのない中年の男性だ。グレーのスーツに身を包み、いかにも手際よく仕事をこなしそうなその人物は、慇懃な仕草で軽く優衣に会釈してきた。


「はじめまして、優衣さま。私は、貴明さまの秘書を務めております、宮坂と申します」

「……はじめまして」


 彼が話しかけてきたことに戸惑いつつ、会釈を返す。


「明日にでも、こちらからご連絡差し上げる予定だったのですが。先ほど、コウさまよりご連絡いただきまして、取り急ぎ参った次第でございます」

「コウ?」


 誰だそれは。


 そう思ったのが伝わったのか、おや、と軽く片眉を持ち上げた宮坂は、固まっている三人の子どもたちを見た。


「まだ、ご挨拶していらっしゃらなかったのですか」


 誰にとも知れない問いかけに、先ほどまでの暴れようが嘘のように縮こまった少女が、ちらちらと完全に固まった少年ふたりをうかがっている。

 視線を優衣に戻した宮坂は、優衣さま、と機械的な口調で話しはじめた。


「こちらは、優衣さまの弟、皓さまです」


 そう言って宮坂が示したのは、黒髪の少年だ。

 さすがに、驚いた。相手の言葉を理解するのに、我ながら珍しいくらいに時間が掛かったと思う。何か言いかけた少年と、視線が絡む。


 そのまま凍りついた少年の瞳は、改めてよく見てみると、青みがかった紫色をしていた。

 自分と同じ。

 幼い頃はごく普通の茶色をしていた優衣の瞳は、中学に上がった頃から少しずつ変色していって、今ではこの少年と同じ奇妙な色になっている。瞳の色など自分では見えないし、視力に問題が出たわけでもないから特に気にしたこともなかったけれど――まさか突然、こんな現実を突きつけられるとは思わなかった。


(……ああ)


 どこかで見たことがあるような顔だと思ったら。

 この顔も、瞳も、毎日鏡の中で見る自分にそっくりだ。


「わたしに、弟なんて、いたんですか」


 はい、と応える相手は、変わらず機械のように平坦な声で言う。


「近いうちに、貴明さまは皓さまのお母さまと正式にご結婚なさる予定です」


 貴明、というのは父の名だ。

 それくらいは、知っている。


「……そうですか」


「優衣さまにはこれまで通り、成人されるまではこちらで生活費等を手配させていただきますので、ご心配なく」


 淡々と、言葉が続けられる。


「既に、奥さまとの話し合いも済んでおります。来月には、おふたりの離婚の手続きを取る予定でございます。優衣さまもそれを機に、奥さまのご実家である三条の姓になられた方がよろしいかと存じます」


 そうですか、ともう一度つぶやいた自分の声が、どこか遠くに聞こえる。

 宮坂さん、と叫ぶ少年の声が、わんわんと頭の中で反響する。

 よかった、と思う。少なくとも、高校を卒業するまで、生活の心配はしなくていいわけだ。……そんなことを、思って。


 誰かが自分の名を呼んだ気がしたけれど、気がついたときには広々とした玄関の冷たい床に、ぺたりと座り込んでいた。頭の中に散らばっていた情報が少しずつ整理されて、ひとつの結論を導き出す。


 ――なるほど。

 本当に自分は、いらない子どもだったわけだ。ずっと昔から理解していたはずの現実が、明確な答えとなって胸に落ちる。


 覚えて、いるのは。

 痛みと、嫌悪。

 息ができない苦しさ。

 父の思い出は、朧な面影だけ。


 それが、優衣の記憶している両親のすべてだ。……なんて、嗤える。


「は……」


 喉が、震えた。


「あ、はは……く、ふ……っあはは、あはははははは」


 なんだろう。おかしくて堪らない。

 一度笑い出したら、止まらなくなった。自分の体を抱き締めて、笑い続ける。そうしていないと、自分がばらばらに壊れてしまいそうだ。内側から全身を貫くような胸の痛みに、一層嗤えてくる。


 何を、期待していたのだろう。

 今更。

 いつか、と。

 いつか、自分をこの世に生み出したひとたちが、自分のことを見てくれるのではないかと期待していた。

 愛されたかったのか。彼らに。そんなことなどあり得ないとわかっていて尚、いつまでも未練がましく願うことを諦められなかった。……本当に、バカみたいだ。


「は、はは……っ、く……ふ、ぅ……っ」


 わかっていたはずだった。

 諦めたはずだった。

 期待などしていないと、自分に言い聞かせるまでもなく、理解しているはずだったのに。

 なのに、どうして。


 ――胸が、痛い。

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