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月の在り処

作者: ヤブノコウジ

「ねぇ、月を見に行こうよ」

 そう言いながら、彼女がマスクの下でニヤッと笑ったのが、僕には手に取るようにわかった。


***


僕らの住むコロニーはすべて、天井を人工的な物質で覆われている。第一コロニーから第三十コロニーま でそこに例外はない。僕らがいつも見ている空は人工的に作り出された空で、昼夜を機械的に反転させる。それはそれで美しい光景なのだが人工物だと知っているならば、どこかうすら寒く見えた。

 だから、僕らの間では本物の空というものはとても大きい憧れの対象になっていた。

 しかし、コロニーを抜け出す方法なんてなく、コロニー同士を行き来する場合も地面に通されたパイプを、空間保全装置と共に潜り抜けるだけである。

 どうにもこうにも、僕らに空を見る方法はないのだ。だから驚いた。彼女が空を見行こうなんて言ったことには。


「どこに? どこから? どうやって?」

 当然、僕の口からでたのは疑問詞の連続だった。僕がマスクを外すと彼女も真似をするようにマスクを外す。彼女は眼をくりくりとさせながらニヤニヤ笑いを浮かべたままだ。

「とりあえず落ち着きなよ。 順を追って話すから」

 先天的なアルビノ体質である彼女は、汚れひとつない白髪をなでながら言った。

 箒で通路を掃きながら、僕は次の言葉を待った。時間は有限で仕事も有限だ。限られた時間内で僕らは仕事をおわらせないといけない。無駄話をしていたとしても手は動かし続けるのが正しい。

「これは姉さんが言っていたことなのだけど。 ……姉さんがね。 近頃、プラネタリウムの修繕が行われるらしいのよ」

 彼女の姉は、政府高官ご用達の娼婦だ。アルビノ体質というものはどうにも珍しくて受けがいいらしい。さらに、彼女や彼女の姉は顔立ちが整っているのだ。そこに、この世のものではないような白さが加わって、一種の芸術的な美しさになる。血が通っていないのかと思うほどの白い肌や、透き通る白い髪。普通ではないような赤い目なんかは、そこらの普通の正常者よりもよっぽど美しい。体のそこらかしこに異常を抱える歪な僕と並ぶと、それがさらに強調された。


 どのコロニーでも僕らみたいな遺伝子異常者の働き口は少ない。男であれば底辺コロニーの力仕事、女であれば手先を使う工場勤務、もしくは娼婦。そして僕らのような子供は清掃作業だ。どの仕事にしても先進コロニーでは機械が補っているために、底辺コロニーに遺伝子異常者は集まりくるのだ。僕や彼女の家族もそういって集まった中の一つである。


「修繕に乗じてコロニーを抜け出すんだね」

「そういうことよ」

 彼女はキラキラと目を輝かして時間や場所を告げた。その様子はまるで、なにか楽しみごとがあるような子供のようで、それがさらに彼女の魅力を高めた。

 プラネタリウム、それは僕らの空を遮る人工物で、昼間は明るく、夜は暗い。それは本物の空を真似ている。


 そもそも、何故僕らがコロニーに住む羽目になったのか、ということだ。大昔に僕らの先祖が戦争をおこし、人間だけでなく僕らの住む大地までも破壊する巨大な兵器をつかったのだ。そのおかげで、地球は荒廃し、大部分の生き物は絶滅した。生き残った人類は無事な部分だけを保全し、その地域に住み始め、外の環境と無事な環境を切り離すために壁を作り、空を覆った。それが、コロニーの始まりだといわれている。コロニーの外は未だに兵器の影響が残っていて、人が住めるような環境ではないらしい。

 それは全部、図書館で閲覧した内容だ。遺伝子異常者だと烙印を押された僕らには学校に通うことも、図書館から本を借りることもできない。僕らが詰め込んだ知識は全て慈善事業である図書館学級で得た知識だ。


 僕らのコロニーにある図書館が所蔵する、空や宇宙について書かれた本は何度も何度も読んだ。もちろん、読むのは僕だけでなく、たくさんの人が読み返した。そのおかげか、その本だけボロボロだった。

 そのボロボロの本の中で見たことがある。僕らの住んでいる星、地球や空にある星座の見方。地球の外の宇宙に浮いている星、惑星。そして、話に上がった地球の衛星、『月』。

 本に書かれていた絵や写真を見たのはずいぶん前だけど、今でも覚えている。白く、輝く物体が暗い闇に浮かぶそれを。

 僕は月を思い浮かべる度になんども思う。まるで彼女みたいではないかと。


 不意に、顔に息がかかるのを感じた。

「ねぇ、聞いているの」

 それは少し唇を尖らせた彼女によるものだった。顔を覗き込まれると、赤い瞳と目線がバチリとあってしまう。そして、その白い睫に目が奪われる。

「月の形、思い出しいてたんだ。」

「思い出せた?」

 可憐に笑いながら、彼女は箒を動かす。僕は今までに集めたゴミを一つに集め始める。


「当日のルートは確保しているのだけれども、多くのロボが来るわ」

「警備ロボ? 工事用ロボ? どっちなのかな」

「どっちもだって姉さんが言っていたわ、どっちにしてもテキパキと動かないと見つかってしまうわね」

「……僕、大丈夫かな」

 全身の骨格が一般者と違って歪に曲がっている僕の体ではあまり速く走ることができない。不安がる僕を見て、彼女は優しく微笑む。

「大丈夫よ、きっと。 見てよこれ」

 彼女は清掃衣の下から細長い円筒を取り出した。

「ねぇ、これのこと、知ってる? 望遠鏡というのよ。 遠い空や景色を見るために作られたんだって」

 まるで彼女は、子供がオモチャを見せびらかすようにそれをひけらかした。いまだ少し幼さが残る彼女の顔つきはよりいっそうそれを際立たせた。

「ねぇ、これ、どこで手に入れたの?」

 僕がそう聞くも、彼女ははぐらかすようにうふっと笑う。

「秘密よ。 それに、今夜は少し、早く帰らないといけないから」

 そういった彼女のいつもとは違う様子に少し心が揺さぶられたが、『彼女と』月を見ることができるというビッグイベントに僕の心は踊っていた。



***


 当日の僕はいつも以上にそわそわしていた。はやる気持ちは抑えることができなく、夜はあまり寝つきがよくなかった。隣のテントの彼女も同じような気持ちだったろうか。

どこか急かされるようにしている呼吸をゆっくりとしてみる。今日も空気の味は変わらない。本物じゃない、つくりものだ。僕らの世界における作り物からぬけだして、本物を見に行けたらな。僕は何度もそう思ってきた。今夜、それが叶うのだ。

 

 清掃作業が終わり次第、修繕予定の箇所に向かうのだが、どうにも今日は終わるのが遅く感じた。

 僕らは清掃着を脱ぎ、地下にあるゴミ輸送用の空間保全装置に乗り込む。普通の装置で地下を通って隣のコロニーに行くと、お金がかかる。そのため、ごみ運搬用の装置で隣町まで飛ぼうというのだ。


 装置を起動すると、透明で空気の膜のようなものが僕らを包み込む。台座の中心を起点として、その膜は大きな泡のように見えるだろう。

そして、超磁力か超電力か、どうにもよくわからないハイテクエネルギーで宙に浮き、僕らはちょうど泡分くらいの狭いパイプを流されていくのだ。


「もうすぐね……」

 彼女がポツリとつぶやいた。曇りない白髪が少しなびいて、暗いパイプの中で溶けていくように見えた。

「このまま進めていたら、フロア28-4につくから、降りたらすぐだ」

「うん……、ずっと前から見たがっていたものね。これで最後だしね」

 暗闇の中、彼女の赤い目はその輝きを失わずに主張する。しかし、何を考えているのか、見ても全く分からなった。


 装置を解除し降りると、僕らは地上への階段を上る。

 彼女はお姉さんに渡されたであろう腕輪型のデバイスを起動させた。3Dホログラムで作られたマップが宙に展開された。僕たちがいるところから目的地までの最短ルートがそこには示されていた。プラネタリウムの修繕はもう始まっていて、偽物の空の向こうに黒い闇が広がっていた。

 僕らが出たところはオフィス街だったのだが、人っ子一人もそこにはいない。どうやら、修繕を行っている間、付近は立ち入り禁止になっているらしい。

「もうすぐだね」

「うん、絶対に見てやりましょう。 絶対に」

 どこか遠くを見ている彼女は力強くつぶやいた。


 裏道を通り、街の影に身をひそめながら、僕たちは歩いた。時には人を、時にはロボを避けながら。そして、それらをやり過ごすために、僕らは密着することになる。サラサラの髪や白いなまめかしい肌と。

 ふわり、甘い匂い。

 もちろん彼女は女の子だし、いい匂いなんていつものことである。しかし、普段彼女からする匂いとは確実に違ったのだ。そう、それは彼女の姉がつけている匂いで、娼婦からするあの匂いだった。

 彼女の服の隙間から除く肌がほのかに赤く、色づいているのを見て、僕は彼女がそうなったことを確信した。そして、僕の心はどん底の暗い雲に覆われるようだった。

そうだ、僕は彼女のことが好きだったのだ。

 たとえ、遺伝子異常者だとされても、どうして恋をすることを止められよう。たとえ人間扱いされなくても、僕らに人を愛する権利がないのはおかしかろう。そもそも、人を好きになるだとかそういうことは、本能なのだ。止められないのだ。

 それからのことを、彼女の肌に浮かぶ唇型の痣をみてからのことを、僕はあまり覚えてなかった。

 気がつけば目の前の空にはぽっかり穴が開いていて、そのふちを小さな球形の機械がくるくると回っていた。

「ねぇ、あそこ、あれが月じゃないの?」

 彼女は目をきらきらさせながら、懸命に手を伸ばした。黒い穴の向こうにはたくさんの何かが輝いていて、それはそれはとても美しかった。

 そして、彼女が手を伸ばすまでもなくひときわ大きな、目立つものがあった。濁った青色のとても大きな球体で、僕にはそれがなにだかわかっていた。

「地球の昔の戦争で、月まで濁ってしまったのかな」

 彼女はかわいらしくこてん、と首を傾げてみせる。僕はそれに頷いた。

「もう、とっくに汚れてしまったんだよ、僕の、月はね」



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