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 仮想から現実へと戻った時の感覚は眠りから覚めた時のそれだ。瞼を上げると見慣れた自室の天井が目に入る。身じろぎをして身体が横になっていることを確かめ、頭に装着しているカチューシャを少し大きくしたような形状の接続機器を外し枕元に置いた。

 窓から入る夕日が部屋を暮れ色に染めている。その中でベッドに身を横たえている自分。腕を上げ仮想での肉体と見比べる。やすやすと刀を振るうことのできた逞しい腕ではなく、生活するのに必要最低限の肉しかついていない細身の腕。仮想から現実へと戻り、その身体の落差を意識するたびに嫌気がした。〈赤の雫〉の中ではどんなに力強く俊敏に動けても、現実世界では身体を鍛えてもいなければスポーツもやらないひ弱な学生なのだ。

 顔だけを横に向ける。机の上でデジタルの数字が赤く浮かび時間を刻んでいた。学校から帰ってきたのが十六時。今は十九時。約三時間、〈赤の雫〉にいたことになる。推奨されている仮想世界の滞在時間はもうとっくに過ぎていた。

 のろのろとベッドから起き上がりうんと伸びをする。すっと明かりが灯り、部屋の中があらわになった。真っ白な室内にはベッドと壁にかかったモニタ、窓際に設置している机しかなく、衣類やほかの小物は壁と一体化した収納スペースに全て収めてある。机の上には既に読破した小説がいくつか積んであり、どれも紙媒体だ。

 いまどき紙媒体の本を集めるなんていつの時代の人間だとクラスメイトに言われたときのことを思い出した。たしかに保管場所をとるし、専用の情報端末が普及した今では非効率的な媒体だが、惹かれてしまったのだからしょうがない。

 廊下に出ると夕飯の匂いが漂ってきた。一階のキッチンまで降りて中を覗くと、夕食を作る母の後姿が目に入った。こちらに気づいて声をかける。

「あら、いたの?」

「いるよ。今日はなに?」

「そこにできているでしょ」

 テーブルの上にはできあがったばかりのから揚げが白い大皿に盛りつけられていた。油で光るそれを一つつまんで口に入れた。噛むと熱い肉汁が口に広がり、よく咀嚼して飲み下してもついもう一つと手を伸ばしたくなる。

「すぐにご飯だから準備して」

 母に言われ、棚から食器を取り出して運ぶ。

 玄関から声が聞こえた。妹が学校から帰ってきたのだ。


 そしてその日の夕食。母と妹と三人で囲む食卓。

「そういえば、ちゃんと考えているの?」

 母が唐突に聞いてきた。何についてなのかはわかっていたが、あえて問い返した。

「なにを?」

「将来」

 母は最近よくこの話題を口にする。確かに息子がもう十八歳になり、これからについて一切話を持ちかけないのだから無理はない。妹も箸を進めながら耳を欹てているようだ。

「まだなにも」

「いつになったら決めるの?」

「わからない。でも他に決まってない人だっている」

「それは関係ない。あんた自身のことでしょ」

「ご馳走様」

 そそくさと片付けて部屋に逃げ込んだ。

 自分の将来について話題にあげられることは苦しかった。何より自分自身、これからどうしたいのかわからないのだ。それは何にも打ち込まず、ただ漠然と生きてきた結果なのかもしれないが。

 学生だからという理由だけで学校に通う。目指すべきものがないにも関わらず。

 いや、違う。それを見つけるために通っているのだ。それに学校には自分と同じように将来を迷う人が他にもいる。自分だけが特別遅いというわけでもないはずだ。

 ベッドに腰を掛けると、手が自然と接続装置に伸びた。気を抜くとすぐに仮想世界へ行こうとする。こうしてみると滞在時間など何の歯止めにもなっていない。

 頭に装着しようとして、ふと手を止めて接続装置を眺める。自分は仮想世界に依存しているのだろうか。ここではないどこか。何かに夢中になれる場所に身を置きたいのか。大事な問題に向き合いもせずに。

 身を横たえ、頭の中で自問する。好きだから。息抜きになるから。あちらに行く理由はいくらでもあるのに、将来を考えなければいけない理由が浮かばない。そのうち意識がまどろみ、知らず知らずのうちに眠りに落ちていった。

 次に目を覚ましたのは零時近く。母に起こされ手早くシャワーを浴び、髪の毛も乾かぬままに再びベッドに潜り込んだ。

 結局この日もいつもと何も変わらない一日の終わりだった。


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