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「監視員は種子の採取を見届け、その後も〈栽培者〉の干渉がないか監視を続けなければならない。終了時期は決まっていない。だがどれほど時間がかかろうと継続しなければならない。肉体を失ってでも」
肉体を失ってでも。
言葉の意味を考えさせるように男は少し沈黙し、再び話を始める。
「監視員は使者と接触した者であり、全員がすでに現世で死を迎えた者達だ。死亡後に人格を仮想世界に移した。私にも肉体はない」
「仮想の住人ということか?」
「住人のような〈造られた者〉の限界はない。〈ボックス〉と呼ばれる外界との通信手段もある。これは仮想間の転移も自在とし、現実世界のネットワークともデータの行き来を可能にする。監視員が現実世界に干渉できる装置だ。
マルスが回収した機器も〈ボックス〉の一つだ。不破の住所は他人のものに偽装されていただろう。そのような処理を行うのだ。
〈ボックス〉は最初、監視員それぞれに割り当てられていた。だが取り上げざるをえなくなった。仮想世界の中での生活、環境に問題があった。
人格のみとなった監視員は死ねない。そもそも監視が継続している間に死ぬことは許されない。見届けなければならない。それは栽培者と協定を結んだ者の責任でもある。
同時に監視員は人でなければならない。人として考え、判断できなければ人を守ることはできない。人である為には肉体が必要だ。食欲や睡眠欲を感じ、体細胞は新陳代謝を行い、怪我や病気にもかかる生身の身体が。仮想世界の中で監視員たちには身体が与えられた。若い身体だ。
監視員の仕事は主にオーヴァの活動、世界情勢の監視。栽培者や使者の正体、対抗手段の模索だ。あくまで監視であり、現実世界への干渉は極力、行わない。
これらは不毛な仕事ではなかった。だが世界に干渉できないという事実は仕事の目的意識を薄れさせる。監視に向いておらず、また嫌気がさす者もいた。
対抗手段の模索に関しても、最初こそオーヴァの研究施設が存在したが、現世のオーヴァの人間の反発や時勢の変化から、数が減少していった。もうほとんど行われていないと言っていい。肉体を失った監視員はただ監視に注力するしかなくなった。
監視業務の傍ら、あるものは仮想世界の中で知見を広めることに努め、またあるものは在りし日の家族を作りだし、生活を送るようになった。欲望のまま様々な仮想世界に没頭する者も。
生活の場として仮想世界。そこで自分を律することができる者は少ない。各々の自由が問題だった。
それに監視員の全員がナノマシンの恩恵を受け天寿を全うした者達だ。高齢であり、その彼らが死から解放され、肉体を得た。欲求の解放手段を得たのだ。
現実世界への渇望、欲望の増大。また監視員同士の人間関係の悪化。仮想世界への極度の没入による狂気、忘我。ついには〈ボックス〉を通じ、〈栽培者〉や〈使者〉の存在をネットワークに広める者まで現れた。その反逆的行動に加わり、人格の消去、死を望む者もいた。
自意識の増長、諍い、自暴自棄や自殺衝動は、監視員の家族や子供、その子孫が途絶えたことを知ると顕著になった。彼らは絶望したのだ。
ただこのような事態の為に、監視員はあらかじめ人格のコピーをとっていた。
監視員には〈原点となる人格〉と、〈現在の人格〉がある。
監視業務を遂行するのは〈現在の人格〉だ。今の私のような。
そして〈原点となる人格〉とは、監視業務につく前の時点での記憶を有した人格。死亡し、仮想世界で監視業務につく説明を受けた状態の人格だ。こちらは普段、眠っている。
監視員の〈現在の人格〉に問題が発生した場合、〈原点となる人格〉が呼び起こされ、事態を報告される。〈原点となる人格〉と〈現在の人格〉の対話。それは過去の自分との対話であり、未来の自分との対話でもある。
監視業務の続行が困難となった〈現在の人格〉は監視を通じて感じたこと、仕事の今後や考え、懸念を〈原点となる人格〉に伝える。その〈引き継ぎ〉の終わった〈現在の人格〉は〈眠り〉と〈消去〉の二つの選択ができる。〈引き継ぎ〉を終えた〈原点となる人格〉は再び眠り、そのコピーが新たな〈現在の人格〉となり監視業務につく。自らに起きた問題を繰り返さぬように。
監視員のボックスの使用は限定されていった。反逆行為が起これば当然だった。
前よりも自由のない監視員たちの世界。だが一度も〈引き継ぎ〉を行わずに監視についている者もいる。私もその一人だ。
私の役職は仮想世界のクリエイターだ。監視業務を行いつつ、監視員の仮想世界で不足している物を補う。流行りの衣服であったり、バーガーの新商品であったり。役職柄、別の仮想世界を利用できる権限を持つ。制限はあるが。私が今まで〈引き継ぎ〉を行わずに済んだのも、役職のおかげだろう。仮想の没入による危険を十分知っている。それに他の監視員が希望する物、その欲求が何であるか分析もできる。他者の轍を踏まぬようにと気を付けたのだ。
だが私にも欲があった。傾いたのはやはり子孫の途絶だ。私の家族、妹とその子供たちの死がきっかけだ。私自身は独身であり子供もいない。友人もとうの昔に亡くなっている。妹の子供たちが亡くなり、血筋が途絶え、生まれ育った家も消えた。自分がいた証が世界から消えた。それが世の常でも、この目でその経過を見るのはつらい。あの子たちの死がどれほど理不尽であろうとも、私は手を下せないのだ」
男は言葉の最後に感情を露わにした。怒りだ。
「他の監視員と同様に、私も幸せだったころの思い出の再現を試みるようになった。家族との時間を。それはおぼろげに計画していたことだった。だからこそクリエイターという仕事に就いた。
葛藤はあった。両親はちゃんと見送った。なぜまた蘇らせるのか。死者への冒涜にならないか。考えた。だが体験してから決めるというのが私のクリエイターとしての指針だ。結局、仮想世界は欲望を果たす手段に過ぎない。自分が仮想世界に囚われ、どうしようもなくなったら、その時は消去され、新しい私が監視につく。自棄でもあっただろう。私は思い出の再現を開始した。
人の記憶は不確かで薄れゆく。監視員も然りだ。あらかじめデータバンクに家族の写真や動画を保存していた。そこから再現した世界は、だが満足できなかった。この記憶が邪魔をしていた。作り物だという感覚を拭えなかったのだ。
かといって記憶の操作、改ざんは行えない。実行してもその人格は問題ありと判断される。そして私の〈原点となる人格〉がその報告を聞き、もう二度と実行しないだろう。今この計画を実行できるのは私だけだ。
そもそも私の欲するものは、虚構を感じない生活の体験だ。私の作った父、母、妹を本物だと感じ、自然に生活すること。その体験だ。そこにはクリエイターとしての記憶、感情は邪魔だ。
記憶の改ざんではなく、体験の同化という手法を思いついた。一体化の応用だ。私の新たなコピー、別人格を作り、生活させ、記憶や感覚を同化させる。監視員だからできることだ。
懸念はあった。同化してもこの記憶がある限り、やはり色あせてしまうかもしれない。だがそれも実行してみなければわからない。
まずこの私、〈現在の人格〉の記憶の一部を削除した実験人格を作ることから始めた。
試行錯誤の末、人格破綻を起こさない安定した人格を作り上げた。その最低年齢は十八歳。それ以下になると人格が安定しなかった。
最初の実験人格は、私とはかけ離れた存在にした。年齢は三十。家庭があり、子供が二人。職業は菓子職人。生活年数は一年。
最初の同化実験の成果は驚くべきものだった。灰色だった感覚に色が戻ったような衝撃。私と実験人格の感情、価値観が交差し衝突する。久しく経験していなかった嘔吐、落涙、恥辱、不快感や喜びに身体が震えた。違う価値観、偏見、差別をもつ側の嫌悪、憎悪。
この同化は他人の感覚を自分のものとすることだ。感情、記憶の同期。進めていけば一体化の研究に繋がるだろう。だがこれはあくまで仮想世界上での結果であり、現実の肉体にどう影響するか不明。仮に全人類が感覚の共有をすればどうなるのかも研究課題となり得るが、この研究成果は誰のものにもならない。監視員は現実世界に干渉してはならない。ただし栽培者に人類の進化の可能性を示す材料にはなる。
それに監視員の業務にも使えるかもしれなかった。肉体と精神の健全な運用をするために利用できるかもしれない。この事態が発覚しても、使者や監視員、〈原点となる人格〉たちに説明する材料は揃った。だがまずは内密にことを進めることにした。成功してから打ち明けるつもりだった。
最初の同化の衝撃に囚われ、二人、三人と実験人格を作り上げて並行して生活させた。
その中である考えが浮上した。現代世界を反映した世界を作れば、今の世界で自分と家族が暮すことが可能となるのではないか。つまり家族の復活だ。
こんなものは屈折した考えだろうとは思っていた。だが実践しないわけにはいかなかった」
男が自分を見、口を開く。
「不破、お前もその実験人格の一つだ。そしてお前こそ私の本命だ。私の家族を再現した世界。望んでいた体験を得る人格だ。〈ボックス〉を与え、現実世界との通信手段すら与えた。だがその環境は万全とは程遠い。
〈ボックス〉のようなリソースの私的利用は許さていない。使者には何としても見つかってはいけない。重要度の低い、いずれは廃棄されるオーヴァの施設に〈ボックス〉を設置させ、仮想世界の保存媒体を格納。〈この世界〉の制作に取り掛かった。
ここで思わぬ進展があった。オーヴァの撤退だ。重要度の低い施設に隠したことがあだになった。廃棄される施設。保存媒体と〈ボックス〉の移動はできない。何とか残せないか。その為には打ち明けなければ。しかし話したところで私は問題ありとなってしまう。撤退までには僅かだが時間がある。準備は万全ではなかったが、実行するしかなかった。作り上げた世界を無駄にしない為にも。
それが二ヵ月前だ。不破に二ヵ月しか記憶がないことも当然だ。生まれてまだ二ヵ月なのだから。
そして動き出したこの世界を私は監視していない。生活を客観視しないこと、知らないことが同化を意味のあるものにするからだ。
そのせいでこの事態に気づくのが遅れた。準備不足のせいで、〈ボックス〉がまさか所在地を送信していたなど。だがそのおかげで、ここは破壊を免れている。マルスが保存媒体を回収してくれたからな」
浅く呼吸を繰り返していた。身体の内側からの圧迫感。息苦しさがぶり返していた。
男はこちらを見つめたままだ。
「不破、これがお前の出生だ」




