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「時間よ」

 マルスが現れ、告げる。

 三十分などあっという間だった。ただ放心していただけで時間が過ぎたといっていい。

 自分が〈仮想の住人〉。現実世界が仮想世界。考えようとしても言葉だけが頭を巡り、何の結論も、気持ちの整理もできなかった。

 もう考えたくない。だが砂時計が視界に入り、意識せざるをえなかった。

 あの世界に戻ること。

 あぁ、戻るしかない。しかし戻ってこれまで通りに生活できるか。すべて忘れない限り、そんなことは無理だ。

「戻る決心なんてついていないでしょう」

 マルスが近づく。壁を背にして床に座り込んでいるのでこちらが見上げる格好になった。

「でもずっとここにいるわけにもいかない」

 その通りだ。そんなことは言われるまでもない。

「教えていないことがあるわ」

 今更なんだ。もうどうでもいい。

 俯き、床の一点を見つる。だが次の言葉はこなかった。仕方なく顔を上げマルスを睨む。

「今は四月十八日の午前二時。あなたがここにきてもう八時間近く経過しているの」

 思わず部屋を見回した。時計を探したが、この部屋にそんなものがないことはわかっていた。

「その間、あなたは現実世界に戻らなかった。仮想世界に人を縛る力はない。外的刺激、肉体の欲求によって簡単に戻される。だから私も治療を急いだの。刺激によって目覚める前に行う必要があった」

 思い返す。(反逆の園)に来たのは確か六時前だ。であればもうすぐ夕食の時間だ。自分が降りてこなければ母や妹が起こしに来るはず。

「けれどあなたはまだここにいる。誰にも起こされていない。今までの生活サイクルでは考えられない。恐らくあなたの世界でも何か変化が起きていると思うわ」

 マルスの話が嘘である可能性を考えた。自分を動揺させる為の嘘。信じられない。信じたくない。

「お互い次の状況が予測できないけれど、進むしかないわ」

 淡々と話を続けるマルス。

「うたさんたち三人にあなたの世界を見てきてもらったわ。彼らがあなたの世界に入れるかどうか確かめる必要もあったから。その点は問題なかった。けれどどんな変化が起きているのか、まではわからない。あなたがいなければあの世界は動かないから確かめようがないの」

 あの三人が、自分の世界に?

「先にあなたを戻した後で、三人をあなたの世界に向かわせる。近くに現れるはずよ。当然、外見は違うから名乗り合わなければお互いがわからない。まずは彼らと合流して。その後にあなたの家族から話を聞いて。できることなら私の制限も解除してほしい」

 言葉が出ない。答える気力も沸かない。

「家族に話すには勇気がいると思う。でもあなた以外にはできないの」

 マルスが機械に近づく。数秒、視線が合う。

「戻すわね」

 体が硬直した。声を上げることも、呼吸もできない。身体が傾き、床に倒れる。意志とは無関係に瞼が落ちていく。


 驚きと共に目を開ける。どこだ? 目を開けているはずなのに暗い。息苦しい。また場所が変わったのか。

 直前の記憶、床に倒れた感触を覚えている。だが今は仰向けになっているようだ。

 自分の息遣いだけが聞こえる。目が暗闇に慣れてくる。顔だけを横に向けた。あの部屋ではない。見慣れた机にカーテン。部屋の内装。背中の感触。自分の部屋だ。ベッドに寝ている。戻ってきた。しかしまったく安心できなかった。直前の記憶がはっきりと残っていて、怖くて動けない。

 時計が見えている。四月十八日、午前二時過ぎ。マルスの話した通りの日時だ。耳が痛いくらいに静まり返っている。皆はもう寝ているのか? 何故起こしにこない? 夕食もまだなのに?

 身体が冷える。寝汗か。部屋の温度は適温にしているはずだ。

 そのままの姿勢で呼吸を繰り返しているうちに、混乱も落ち着いてきた。ゆっくり体を起こす。

 自分の吐く息、口の中の唾液、指に触れるベッドシーツの感触、無音。両手で顔を覆う。皮脂が掌につき、べたついた。

 これが、作り物?

 立ち上がり、部屋を隅から隅まで見渡す。

 どこか不安で、落ち着かない。ここが仮想世界という疑念があるからか。しかし一方で、確かな現実感がある。仮想世界とは思えない。そんなはずがない。

 ドアの前に移動し、聞き耳を立てる。何も聞こえない。音をたてないよう慎重にドアを開け、廊下を覗く。暗い。

 この静けさはみんな眠っているからなのか、それとも誰もいないからなのか。

「変化が起きている」マルスの言葉が頭に蘇る。

 廊下の右手は突き当りで、妹と両親の部屋がある。左手には一階に下りる階段。

 父と母、そして妹の部屋に入った記憶はない。どんな部屋かもわからない。

 廊下に身体を出す。何か聞こえて、硬直した。耳を澄ます。外からだ。

 階段側にある窓に近づき、外を覗く。歩道を歩く人達が街頭に照らし出される。家の前で立ち止まった。

「この家じゃない?」

 はっきりと声が聞こえた。誰だ? 人数は三人。こんな時間に。こちらをじっと見ている。男性一人に女性二人。

「あれ」

 女性がこちらを指さした。咄嗟に身を隠す。

「不破か?」

 男性のその一言で気づいた。うた、モーフィアス、猫。あの三人だと。マルスは自分の近くに現れると言った。

 心臓が高鳴る。出ていくべきか。しかし人違いだったらどうする?

 外を覗く。男が玄関先のインターホンを指さした。鳴らされるとまずい。もし家族に気づかれたら。

 廊下を振り返る。誰もいない暗い廊下。外と交互に見比べる。三人はまだこちらを見ている。

 出ていくしかない。階段を下り、玄関に向かう。靴を履き、ドアノブに手をかけ、躊躇した。ここまで来て何を迷う。早く開けろと自分をせかす。

 扉を開ける。三人はまだ玄関先にいて、こちらを見ていた。

「不破か? 俺だ。モーフィアスだ」

 男が言う。その名前をこの世界で聞くことになるとは。何と答えるべきか。言葉が出ない。

 三人とは少し距離がある。ここで大声を立ててもらいたくない。その感情を優先して自分から彼らに近づいた。

 三人に性別以外の特徴らしい特徴はなかった。二人が大人で、一人が学生らしい恰好をしていることくらいだ。当然、〈赤の雫〉での面影もまったくない。

「猫よ」

 女性が自ら名乗った。では黙っている女学生がうたか。視線が合う。何か言おうとしたが、結局は何も言わずただ視線を外した。

「不破だよな?」

 男性が、モーフィアスが念を押すように聞いてくる。答えないわけにはいかない。

「えぇ」

「ここがお前の世界か?」

 答えられなかった。ここが仮想世界か、わからない。

「とりあえず、どこか話せる場所を探さないか?」

 家を振り返る。だが中はだめだ。マルスと会った公園にしようか。夜更けだが、そこ以外に思いつかない。

「公園に」

「どこだ?」

 先導する。

 この三人が、本当にあの三人なのか。確かめる方法は? すでにお互い名乗り合った。この状況がその答えではないか。

 では公園についてから、どうする。何を話す? これからのことか?

「三人と合流してから家族に話を聞いて」マルスの言葉を思い出す。

 この三人と一緒に話を聞くのか? それでいいのか?

 考えがまとまらないまま公園に到着する。

「ここか」誰にともなく呟くモーフィアス。

 園内のベンチに近づいた。だが誰も座らない。

「さっきとはまるで違うな」

 男性が呟いた。言葉の意味が分からず、その顔を見る。

「この世界に入れるかどうか試したんだ。その時は街頭や家の明かりも点いてなかったし、空に星や月もでていなかった。不破がいないとこの世界は動かないと聞いていたが」

 この男性の、モーフィアスの言葉をどう受け取ればいいのか。マルスと組んで自分を騙している。だがその理由はなんだ? この男性は、本当にモーフィアスか? 姿も声も違う。だからこんなに自分を警戒させているのか。

「不破は本当に記憶がないのか?」

「えぇ」

 沈黙が降りる。今のところモーフィアスとしか話していない。猫もうたも押し黙ったままだ。

 何がきっかけだろうか。急に気分が悪くなってきた。頭が重く、吐き気もする。耐え切れずベンチに座った。息が荒くなる。

「どうした?」

 答える余裕もなかった。だめだ、倒れる。


「お、気づいたか?」

 見知らぬ人達の顔があった。自分を見下ろしている。

 誰だ? あぁ。モーフィアス達だ。すぐに状況を理解した。

 結局、気を失ってしまったのか? 椅子の上で仰向けに寝かされていた。

「急に倒れるからびっくりしたぞ」

「気分が悪くなって」

 上体を起こす。

「大丈夫か?」

 こちらに戻ってからずっと落ち着かず、どこか不安だった。それが頂点に達して気を失ったのかもしれない。

「どのくらい?」

 眠っていたのか。モーフィアスは持っていたメタトロンを見て「十分も経っていない」と答えた。

 メタトロン。自分も取り出そうとしたが、家に置き忘れていることに気づく。

「不破、起きたばかりで悪いが、いくつか確認させてくれ」

 自分だけが椅子に座っている。三人に見下ろされて居心地が悪い。

「これからのことだ」

 はっきりと告げられ、胸に嫌な緊張が広がった。

「ここに来たのは不破が何者か調べる為。通常はあり得ない仮想と仮想を行き来する転移技術を持っている不破は何者か、マルスは知りたいらしい。けれど記憶喪失で自分自身ではわからない。だからまずこの仮想世界で、お前の家族に話を聞けと言われた。マルスの説明だが、ここまでは共通しているか?」

 気になる言葉はなかったので、頷いた。

「えぇ」

「それでこれから不破の家族に話を聞きに行くことになる。準備は大丈夫か? 心構えとか」

 心構え。そんなもの、できてない。そもそもなぜ行くことが決定しているのか。こちらの意志はどうなるのか。苛立ちから頭が熱くなる。

「まぁ、できないよな」

 モーフィアスの言葉に顔を上げる。

「自分が何者か。現実にいるのか、それとも〈仮想の住人〉なのか。知るのは怖いだろう。そのくらいは俺にも想像できる」

 聞き流した。

「今、お前が悩むこと、その行動もただ設定されたものかもしれない。だがこうなった以上、はっきりさせるべきだと思う。知った上で、また考えればいい。今はどちらかわからないままだ」

 他人だからそんなことを言えるんだ。勝手なことを。呼気に怒りが混じった。

 自分の本心。どうすればいいのかわからない。自分の正体というものを知りたいのか、知りたくないのか、それすらもわからない。決心がつかない。

「ちょっと」

 女性が声を上げた。公園の入り口側に顔を向けている。自然とそれにならう。

 誰か立っていた。こんな時間に? こちらに近づいてくる。何の変哲もない見知らぬ男性だった。

「話がある。モーフィアス、うた、猫、そして不破光春、全員に」

 誰だ?

「お前は?」

 モーフィアスが聞いた。

「この世界を創った者だ」


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