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 目を開けると部屋の中は真っ暗だった。

 慌てて置き時計を見る。七時過ぎ。もうすぐ母さんたちが帰ってくる。家の明かりをつけてないと、仮想世界にいたことがばれてしまう。

 部屋を出て廊下、玄関、居間と明かりをつけて回り、最後にテレビをつけてソファーに座った。臨時会見は終わっていて、その内容を繰り返し伝えている。

 まだ頭は混乱しているけど、見ておかないと。

 男性広報官が臨時会見で伝えた内容はこうだ。

 WHOの要請を受けて、オーヴァが提供する携帯端末メタトロンとナノマシン、仮想世界の利用を控えるよう警告。これはオーヴァが管理する仮想世界〈赤の雫〉において、利用により異常行動が引き起こされ、それが一連の行方不明事件と関連していると判明した為である。

 異常行動の症状は夢遊病に似ている。無意識下での行動。ただし自傷行為や犯罪行為の報告はなく、ただの歩行のみにとどまっている。そしてその歩行を導くように各種交通機関がオーヴァによって操作されていることが発覚。警察はオーヴァの日本支部、関連施設の一斉捜索を開始。

 あわせて国内のメタトロン、ナノマシンの流通停止と、〈赤の雫〉を含むすべての仮想世界の座標のダウンロード停止。ただ仮想世界もナノマシンも機能まだ有効であるため、利用は控えること。〈赤の雫〉を一度でも利用したことがある、またこの症状が現れた人に対しては特別窓口を用意しているのでそちらに連絡するように。今後、流通とダウンロードが再開するかどうかは不明である。

 男性広報官の映像からニューススタジオに切り替わる。

「これは、もうメタトロンやナノマシンが使えなくなるということでしょうか?」

 女性アナウンサーがご意見番の初老男性に尋ねた。

「行方不明事件への関与が事実であればそうならざるを得ないでしょう。仮想世界の利用による異常行動とそれに伴う流通停止は過去にもありましたが、今回は管理会社であるオーヴァが、しかも被害者を誘導までしているとなると、オーヴァ自体が消える可能性もあります」

「私達の身体にもナノマシンは入っています。摂取したナノマシンはどうすれば?」

「今すぐにでも身体から除去したいという人もいるでしょうが、オーヴァのナノマシンは自然排出を待った方が安全です。脳細胞に定着したナノマシンを除去するにはリスクがあります」

「自然排出を待っていて大丈夫でしょうか?」

「絶対とは言えませんが現時点で影響があるのは〈赤の雫〉の利用者だけようです。決して関わろうとしなければ」

「そもそもオーヴァの動機はなんでしょう?」

「異常行動というと、これまでは犯罪組織やカルト教団による洗脳目的の仮想世界の利用により引き起こされていました。ですが〈赤の雫〉は架空の世界でのロールプレイを目的とした仮想世界です。監査機関による報告にも洗脳や催眠に類する装置はないとあります。ただネットでは〈赤の雫〉の中で、あるアイテムを手にすると行方不明になるという書き込みが何件かあり、注目されています」

「ではそのアイテムが原因でしょうか?」

「わかりませんが、プレイヤーの間でアイテムを集めようと言う動きがあります。危険ですので絶対に〈赤の雫〉には関わらないようにしてください」

 メタトロンとナノマシンの流通停止と、すべての仮想世界のダウンロード停止。

 真っ先に頭を占めたのは、これで他の仮想世界へ行くことができなくなるという不安だった。

 まだ行ってみたい世界があったのに、もう行けない。

 これを残念がってはいけないと諌める気持ちが頭の片隅に浮かんだ。瑛子がいなくなった原因は仮想世界で、この事件の影響で規制された。でもこれは喜ぶべきこと?

 悪いのは〈赤の雫〉なのか。それとも仮想世界そのものなのか。

 この事件に関してはオーヴァだ。そして瑛子に関しては私だ。

 メタトロンやナノマシンが使えなくなることよりも、仮想世界に行けなくなることのほうが衝撃だった。瑛子や他の友達との連絡は別の携帯端末を使っていたし、健康チェックだってよほどのことがない限り使わない。メタトロンは仮想世界専用の端末でしかなかった。

 よくよく考えれば、オーヴァが仮想世界やメタトロンを提供する大元だから、その会社に問題があればすべてに影響があるのは当然だと思えた。けど今回の行方不明事件では、問題が起きた〈赤の雫〉だけが使えなくなると勝手に思い込んでいた。まさかすべての仮想世界のダウンロードが停止するなんて。

 自分のメタトロンにダウンロードしてある仮想世界の座標は三つだ。〈赤の雫〉と〈反逆の園〉、それに〈サマーディ〉。まだ機能は有効ということだから、仮想世界には行けるけど、これ以上は増えない。 そして〈赤の雫〉も、ダウンロードはできなくなったから、報道を知って面白半分に参加するプレイヤーは増えないはず。その点は歓迎すべきことだと思った。

 プレイヤーが増えないから、記号の回収にはもう意味がないの? 〈反逆の園〉での、マルスさんの言葉を思い出した。

 テレビではオーヴァ施設へ捜索に入る人々の中継が流れた。まだ行方不明者の情報はない。この捜索で行方不明者たちが、瑛子が見つかったら。

 瑛子との対面を想像し、不安になった。どうやって謝ろうかと。瑛子の行方不明の原因は私だ。瑛子は私を許さないかもしれない。学校の皆にも、私が原因だと伝わる。責められて、一人になる。

 その妄想はこれまで何度も頭に浮かんだ。瑛子が無事に見つかっても、その後のことを都合よく考えることができなかった。だから〈赤の雫〉に行っていたんだ。考えたくないから。想像したくないから。

 でも状況が変わった。向き合わなければいけない時なんだ。

 半ば、答えは出ていた。瑛子が私を拒否しても、それを受け入れるしかない。それ以外にできることはないんだ。

 行方不明者達が見つかれば、もう使徒には関わらなくてもよくなる。私もそれどころではなくなるし、わざわざ危険に付き合う必要もないと思えた。

 でも皆はどうするのだろう。猫やモーフィアスは私がやめると言えばやめるはず。私達のことを放っておけないから協力すると言っていたから。

 でも光春は? いや、そもそも光春は……

 アナウンサーは仮想世界市場が崩壊することを話している。そして臨時会見の映像が再び流れた。

 一旦、ニュースから離れ、ぼんやりと頭に残っていることに集中する。〈反逆の園〉での話し合い。光春のことを。

 結局、私は現実に戻ってきた。そうするしかなかった。光春を連れて行ったマルスさんは「後で連絡する」とだけ言って、そのまま帰ってこなかったからだ。

 光春をどこに連れて行ったんだろう。悪い予感がする。マルスさんの様子は明らかにおかしかった。彼の記憶を取り戻すために何かするのだろうか。例えば彼の記憶を覗き見るとか。

 そんなことは許されない。けれど、光春が本当に〈仮想の住人〉だったら? その世界の登場人物。いわばキャラクターに何をしようが、それはその世界で自由。

 そもそも本当に光春は〈仮想の住人〉なの? マルスさんの話が真実だとは限らない。住所番号はでたらめで、でも位置情報は無人のオーヴァ施設から送られていて、そこで見つかった仮想世界の中で生活しているなんて、全部マルスさんの話だ。私が調べたわけじゃない。

 過去を指摘されて彼は混乱していた。どこかの日本の古い風景を思い出したと。でも、そこは今、彼が住んでいる場所じゃない。別の仮想世界の記憶なのかもしれないとも言った。

 ほんとうに記憶喪失なら、彼の記憶を取り戻すことは大事なことだと思う。

 でも私ができることは? 記憶を思い出すことを手伝う? そんな知識もないのに。

 彼の現実の問題を見せられて戸惑っていた。仮想世界の中だけの関係の私にはですぎたことかもしれないとも思えた。

 彼本人のことはほとんど知らない。東京に住んでいて、学生であること。これも最近知ったことだ。正確な年齢も、名前も知らない。それでも不自由はなかった。〈赤の雫〉では彼は不破光春で、それ以外の存在ではなかったから。

 そして私も〈椎名 奏〉ではなく、魔法使いのエルフ〈うた〉だった。

 現実世界のことが全く話題に上がらないわけじゃなかった。些細なニュースとか。でも関心はいつも〈赤の雫〉だった。あの世界の色んな国の風景や動物、場所、食べ物、戦い、人、出来事。話題はいくつもあった。彼からもあまり現実世界について話してこなかった。だから私と同じで仮想世界に現実を持ち込みたくないんだと思っていた。

 光春が、仮想の住人。

 まだ信じられないのは、事件より前に彼と知り合っているから、〈仮想の住人〉らしさ、そぶりを見たことがないからかもしれない。

 だって、彼の人格は作られたものだったとしたら、じゃあ〈仮想の住人〉と生身の人間の違いは何? 彼は私と話をして、何を考えていたんだろう。どうやって生活していたんだろう。

「ただいまー」

 玄関の開く音と声にはっとする。母さんが帰ってきた。

「奏、いるわね?」

 私をみて安心したようだった。夕食の袋を置いて、隣に来てテレビを見る。

「奏はナノマシンを使っているわよね? いつからなの?」

「二週間前。あと一週間は残ってる」

 私の使っているナノマシンは約一月で排出されるものだ。

「この〈赤の雫〉って仮想世界に、瑛ちゃんは行っていたの?」

 父さんも母さんも瑛子のことは知っている。夕食を一緒に食べたこともあるし、父さんのお店にも瑛子は来たことがある。

「わからない」

「奏も行ってないでしょうね?」

「行ってないよ」

 嘘をついた。この事件に関わってから、嘘をつく回数が多くなった。

「この仮想世界には関わらないようにね」

「わかってる。お母さんたちは?」

「ナノマシンを使っていないから大丈夫よ。父さんもね」

 二人は必要な時にだけナノマシンを摂取する。常に摂取を続けているのは私だけだ。

 肩を抱かれる。

「瑛ちゃんは無事よ。きっと」

 私が悲しんでいると思った時にいつもこうしてくる。鬱陶しいときもあるけど、今はされるがままにした。

 事件が解決するまで、瑛子のこと、〈赤の雫〉のことは話せない。

 それから母さんと二人で夕食を摂った。父さんは遅くなるようだった。楽器職人として有名らしいけど、そんなにお店を大きくするつもりはなく、食べていけるだけの収入があればいいと母さんには話している。それよりもお弟子さんの教育に熱心で、今日も勉強会らしい。

 夕食を済ませて部屋に戻るとメタトロンが点滅していた。モーフィアスからメールが来ていた。

「大変なことになっているな。無事か?」

 光春のことを話すべきだと思った。これは私だけの問題じゃない。それにモーフィアスの方が光春について色々知っているかもしれない。

 メールではとても伝えられないので、仮想世界で会うことにした。猫も呼ぼうか。光春のことを知っているし、さっきのことを話しておいたほうがいい。

 どこで話そう。〈赤の雫〉か〈反逆の園〉か。

 〈赤の雫〉には行かないほうがいいかもしれない。けれど〈反逆の園〉も、〈最後の晩餐〉が使えるかどうかわからない。一度、予定時間よりも早く行った時は扉が開かなかったから。それ以外の場所となると、行ったことがないのでわからない。モーフィアスと猫以外には聞かれたくはない話だ。何時にどこで集まるのか、二人の意見も聞こう。

 数回のやり取りの後、零時に〈赤の雫〉でと決まった。時間までは、テレビとネットで情報収集をした。

 そこでマルスさんが話した仮想間の転移というのがいかに驚くべきことかというのを知った。

 まず〈仮想の住人〉が別の仮想世界に行くことはできない。たとえ住人に別の仮想世界に行きたいという意思を持たせ、メタトロンを渡し、ナノマシンを注入して接続機器を装着させても、彼らは別の世界には行けない。それは利用者も同じで、仮想間での転移はできない。

 何故か。そもそも利用者や〈仮想の住人〉のみならず、その世界の創造物を他の世界に移動させることができないのだ。仮想世界同士の繋がりがないから。

 仮想世界でクリエイターが干渉できないものがある。ユーザー個人の人格、記憶。仮想体験の反映フィードバック。そして仮想世界同士の繋がり(ネットワーク)だ。

 人格や記憶の改ざんはできない。それが可能になれば仮想世界どころの話ではなくなる。そもそも仮想世界に送られた人格や記憶はその中身を見たり、改ざんしたりできない。ソースコードに触れられないプログラム。データとして渡されるが、適切な入れ物(人など)を用意していなければ付与されないと。

仮想体験の反映フィードバックとは、現実に戻ってどれだけ仮想の体験を覚えているかということ。誰しも仮想での体験を完璧に覚えているとは言えない。どんなに印象的な体験でも、夢と同じですぐに忘れてしまう。この忘れることが〈一体化〉を防ぐ手段になっているが、同時に仮想世界での訓練や学習が定着しない要因でもある。

 仮想体験を完璧に反映できれば、それだけ仮想世界での学習が意味のあるものになる。

 しかし〈一体化〉による身体不調と、仮想世界での洗脳、催眠などにもかかりやすくなる側面もあるという。

 そして仮想世界間の繋がりは、クリエイターがどれだけ時間をかけて試行錯誤を重ねても、いまだに実現していないものだった。創造物や〈仮想の住人〉がその仮想世界固有のものだからデータのように移動できないのかもしれず、またデータ変換機を作りだそうともしたが、それも実現に至っていない。可能なのはメタトロンへの数値データの引き渡しくらい。

 これらは全てが仮想世界という性質上、干渉できないものかもしれないが、オーヴァがクリエイターに触れられないよう制限をかけているという説が大きいようだった。全ての創造を可能にしている仮想世界で、これらが操作できないはずがないと。だからオーヴァにそれらの干渉を解放しろと要求しているクリエイターもいると。クリエイターは自分達の思いのままに世界を作りたいと。創造の解放は危険だろうが、我々はすべて制御可能であると言っている。そしてオーヴァはそれを頑なに拒んでいる。

 本当に光春が仮想と仮想を行き来しているのなら、マルスさんが光春をオーヴァの人間だと疑うのも当然かもしれない。〈彼の現実〉という仮想世界から、〈赤の雫〉や〈反逆の園〉に移動しているのだから。

「場合によっては、あなたを彼の世界に行かせるかもしれないわ」

 マルスさんの言葉が甦った。

 彼の世界。光春の世界。事実なら、どんな世界なんだろう。

 光春が仮想の住人かどうか、まだわからなかった。モーフィアスと猫、二人にも教えて意見を聞きたかった。

 他にも、一斉捜索による影響でいくつか事件が起きていた。

 説明責任を果たすべきだと、メタトロン使用者やナノマシン否定派が集まり、抗議デモが始まりつつあること。仮想依存者がオーヴァ施設を捜索する警察に突進。異常行動は仮想世界での催眠によるものか、それともナノマシンによる人体操作なのかという論争。

 被害者の症状、夢遊病があらわれている動画も見た。といっても内容は人がただ歩いている様子を映したもので、本物なのか演技なのかわからなかった。

 ネットで公然と記号の解明をしようという動きもあった。彼らの回収班は今も〈赤の雫〉にいて、記号を探し回っている。〈赤の雫〉がそんな人たちで溢れ返っていると思うといい気がしなかった。

 彼らを助ける為にも、回収は続けた方がいいのかと思ったけれど、自分から危険に飛び込んでいる人たちに、そこまでする必要があるのか疑問だった。

 それにマルスさんはもう回収は意味がないと言ったんだ。使徒が回収情報をくれるかわからない。

 そのマルスさんからは全く連絡がない。こっちからすぐに連絡がほしいとメールしているのに。光春も同じで、二人とは連絡が取れない状態だった。

 行方不明者も依然として見つかっていない。

 もし瑛子が見つかっても、使徒には関わらない、というわけにはいかなくなってしまった。

 瑛子と使徒という二つの糸が絡まっていたからこそ、使徒の記号の回収に協力していた。けれどここで瑛子という糸が解けても、今は光春と使徒の糸が絡まってしまって、そのまま離れるわけにはいかなくなった。

 このまま光春を見捨てることなんてできない。その思いが私の中にあったから。


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