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「朝の彼女は知り合いだから、心配しなくていいよ」

 家を出ると同時に届いたうたからのメール。文面に目を通し、歩きながら“朝の彼女”が誰を指しているのかを考える。すぐに昨日の尾行者のことだと気づきく。こちらが睨んだ通り、あれは使徒が用意した尾行者だったのか。正体がわかれば一応は安心するが、心配するなと言われてもこちらはその尾行をやめてほしいのだ。

 抗議の文を送ろうとして、やめた。うたとは今日も〈赤の雫〉で会う。その時に話せばいい。それに今、抗議したところで遅いだろう。すでに尾行者と遭遇した場所に差し掛かっていた。

 歩道に生垣、そして透明なバゾルの中を音もなく通り過ぎていくセル。見慣れた風景。辺りを見渡すが女性の姿はない。ひょっとしたら昨日とは別の人間が監視しているのかもしれない。だが結局、登校中にそれらしい人物は見かけなかった。

 学校に到着し、いつも通り訓練を受ける。今日はホテルフロントの訓練だ。受付から部屋への案内、荷物運び、クレーム対処、会計。すべての行動、所作が数値化されて顧客満足として結果がでる。

 訓練中、荷物の重さに思わずよろけ、壁に肩をぶつけた。鈍い痛みが走る。荷物をぶつけなかったのは幸いだ。減点対象になる。

 すっと痛みが引いていく。不意に昨日のモーフィアスの講義が想起された。この世界も誰かの記憶、想像から作られていて、この体の感覚もそのクリエイターの作り上げた感覚なのかと。

 他人の感覚。もし接客を快いと思わせる感触なり感覚があるなら、それは洗脳ではと思った。そうやって人の快、不快を矯正する。

 だがこの世界で達成感を得ても、それは仕事としてだ。本当に接客が好きかと言われれば、違う。そもそも感覚ではなく意識の問題なはずだ。接客に喜びを見出すこと。だが自分は仮面を作っている。接客の仮面、仕事の仮面を。その仮面を作りだすことがこの世界の目的なのかもしれない。望まぬ仕事であっても、こなせるようになる。仕事とはそういうものなのだと。

 ただ仕事の真似事をしているだけなのに、知った気になって、お前は何だ? 自問し、思い上がりをたしなめた。

 結局、このままどんなに訓練をしても自分は接客を好きになることはないだろう。真似事ではなく実際に働いてみるとまた違うのだろうか。

 訓練を終えて何気なく二見にクリエイターの話をしてみた。

「誰にでもできることじゃない」

 仮想世界を作るにはありとあらゆる経験と知識を積まなければならない。勉強にかける時間も膨大だ。途中で挫折する者も多くいる。それでも目指す者は後を絶たない。憧れの職業らしい。

 なぜクリエイターなのかと二見は聞いてきた。軽い気持ちではとても続けられないと。

 目的。思いつかない。作りたい世界なんてない。そもそも何かを作りだすという気持ちがなかった。自分は創造とは無縁だ。クリエイターという選択肢を除外する。

 では自分に何ができるのか。何を望むのか。

 何も望まない。ただ今が続けばいい。人の夢、理想が作り上げた仮想世界に浸る。それだけ。

 つくづく自分には夢も何もないと思った。


「あら、今日はセルを使ったの?」

 家の地下から上がってきた自分を見て母が言った。念のためだ。今朝はつい習慣でモノレールを利用したが、明日からは朝もセルを使っていこうと決める。

「誰か家に来た?」

 尋ねるが母は首を振る。

 階段を上がり、自室に入って窓からそっと外の様子を窺う。家の前の通りは誰も歩いていない。セルを使えば尾行はまるで意味をなさない。使徒はこちらがこういう対応をするとわかっているのだろうか。

 尾行者をちゃんと撒けただろうか。セルを使うことも想定しているだろうか。考えだすと落ち着かない。集合時間まで少しある。気を紛らわす為にメタトロンを取り出して攻略サイトを開いた。今日向かう依頼のメールは昼にうたから届いていた。

 今回の依頼は〈イザナミ〉大和の国での依頼だ。知った時には思考が停止した。それは前に挑戦し、完遂できぬままに挫折した依頼だった。

 内容は、現実世界で黄泉比良坂と呼ばれる場所の由来の物語だ。近隣の山に魑魅魍魎が集まっていると聞かされた放浪者は早速そこへ向かい、その山にある巨大な石から黄泉の国へと誘われてしまう。黄泉に住む醜女が放浪者に襲いかかり、最後にはイザナミと対峙しなければならない。回収対象はそのイザナミの髪だ。

 前はイザナミのもとまでたどり着けずに挫折した。その理由は、単純に一人では無理だったこと。そして二度とあの悪夢を体験したくないという思いからだった。

 悪夢がどのようなものかは他の放浪者もサイトに書き連ねていた。

 数の暴力。

 黄泉では醜女が大量に襲い掛かる。その姿は一度見たら忘れられない。墨をかけたような真っ黒いからだに、白く醜い顔だけが浮かびあがっている。体型もそれぞれ違う。がりがりにやせ細った者、脂肪が弛み肥えた者、髪の長い者、短い者、老婆のように背の曲がった者。それぞれが獲物を見つけた動物のごとく身体にしがみつき、こちらを噛み殺そうとしてくるのだ。

 一体一体は脅威ではない。人の形をした異形というだけ。人を相手にしているのと変わらない。それも女性を。力が強いわけでもない。顎の力も動物に比べれば強くない。歯も鋭くない。そんな彼らに髪を引っ張られ、爪を立てられ、もみくちゃにされる。噛みつかれるたびに焼けつくような痛みが襲う。まさに悪夢だ。逃れる為に、隙を見て自ら依頼を放棄して逃げ帰った。たった一度の失敗でもう挑戦する意欲が消滅した。うたやモーフィアスを連れて再挑戦しようとは思わなかった。二人にあの悪夢を経験させるなど。結局そのまま忘れ去ることにした。

 攻略法は大人数での討伐のみと書かれていた。それも一部の資格をもつ者だけ。醜女には普通の武器では攻撃が通らない。霊的な力を帯びた武器でなければならないらしい。あとはエルフの魔法。

 何故魔法が有効なのか一応は書いてあった。エルフたちは実は人類の進化した姿であり、精霊という存在が云々。今はこの詳細な設定を気にする必要はない。うたには参加資格があるということだ。モーフィアスはどうなのだろう。相談する必要があった。

 こんなことにならなければ、再び緒戦することはなかっただろう。昨日のミノタウロスといい、辛い依頼が続く。

 集合時刻になった。もう一度外をみて異常がないことを確認し、〈赤の雫〉に入る。うたの姿だけがあった。

「やっぱり使徒が俺を尾行していたのか?」

 早速切り出した。

「うん。隠してたのは余計な心配をさせたくないからって」

 呆れてため息がでた。こちらを不安にさせてよく言う。だったらもっとましな人間を用意すべきだろう。校内に無理やり入ろうとするような人間ではなく。

 しかしこれで自分は使徒に素性を知られてしまった。そして規模はわからないが使徒という組織が確かに存在することもわかった。

「尾行をやめてくれないのか?」

「本当に嫌ならやめてくれるみたい。でも護衛も兼ねているから、何かあった時は守れないからって」

 何あった時。オーヴァに操られた時か。自分がもしそうなってしまったら、止めてくれるのか。このまま利用すべきだろうか。

 いや、尾行されているとわかっただけでも脅威を感じているのだ。警察ならともかく、得体のしれない組織に護衛されるなど、ごめんだ。

 脅迫という言葉が浮かんだ。弱みを掴み、何か要求してくるのではと。それが一番恐るべき事態だ。

 止めろと言っても、隠れて尾行を継続するかもしれない。セルを使えば彼らも追跡できないだろうが。

「止めるように言ってくれ。それともし隠れて尾行を続けるような、このことを警察に話すとも」

「わかった」

「俺のことをどこまで知っているんだ?」

「それは……教えてくれなかった」

 不満、不安ばかりが自分の中で積もっていく。

「うたも尾行されているのか?」

「うん」

「それでいいのか? 脅迫とかは?」

「今のところは大丈夫」

 不安に思っていないのか。友達のことがあるから、彼女の判断力が鈍っているのかもしれない。

「そうだ。モーフィアス、今日はこれないって」

 その言葉にうろたえる。

「二人だけ?」

「うん」

 尾行の件もそうだが、依頼のこともモーフィアスに相談したかった。何とか会えないだろうか。尾行の件だけでも後でメールして時間が取れないか聞いてみよう。

「今日もまた難しいらしいね」

 うたもサイトに目を通したのだろう。

「挑戦したことがある。攻略はできてないけど」

 体験した悪夢の内容を話す。うたの顔が辛そうに歪む。

「でも行くしかないね」

 その決意に驚いた。以前の彼女なら絶対に拒否するはずだ。体験していないから言えるのかもしれない。引き留めるべきか。だがそうしてどうなる。自分一人で挑戦するつもりか。

「うたっ!」

 悲鳴に似た叫びに驚いて振り返った。まったく予期していない人物の姿がそこにあった。

 黒い忍び装束。猫だ。

 まっすぐうたに近づく。肩を強く掴んだ。

「どうしてここにいるの! 約束したでしょ、もう奴らには関わらないって!」

 剣幕に茫然とする。うたはじっと視線を返した。

「ごめん。でもやっぱり守れないよ」

「どうしてそこまで」

 うたは肩を掴む猫の手を柔らかくほどき、理由を話しはじめた。友達との再会の免罪符を求めていることを。

 訊き終えると、猫は小さく息を吐いた。呆れているようでもあった。それから小さく「馬鹿ね」と呟いた。

「でもいいわ。私も協力するから」

 永い沈黙の後で、猫が静かに言う。うたは悲痛な面持ちでそれを聞いた。

「今度こそちゃんと守る。同じ間違いは繰り返さない」

 二人は見つめあう。彼女達の間で交わされた時間を自分は知らない。だから成り行きを見守るだけだ。

「それで猫の気持ちが晴れるなら、私は」

「大丈夫よ、もう」

「えっ?」

「うたはうた、あの子はあの子だから」

 うたが微かに首をかしげる。

「要するに、私は私が守りたい人がちゃんと見えているってことよ」

 それは猫とうたの、二人の話だった。自分が入り込む余地はない。

「そうと決まれば早速回収に行くわよ」

 猫がこちらを見る。形容できない感情が自分の中に渦巻く。疎外感だろうか。

 結局、その正体はわからないままだった。


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