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あとをつけられている。
その尾行者の存在に気付いたのは家を出てすぐだ。いつものように徒歩で駅まで向かっていると、バゾルを挟んだ向かい側の歩道に佇む女性がこちらを見ていることに気づいた。見知らぬ女性だ。そのまま通り過ぎ、ふと振り返ると女性はいつの間にか自分の後ろを歩いている。それだけならまだ気に留めなかった。駅を目指す人間はなにも自分だけではない。
駅に到着し、改札を抜けても女性は追ってきた。足を止めれば彼女も止まる。その視線は常に自分を捉えていた。わざとらしいほどに。
そこで一気に女性への不審が広がった。トイレや売店へ立ち寄り、わざとモノレールを一本遅らせる。自分の思い込み、勘違いだということを期待して。
期待はすぐに裏切られた。女性は遠巻きに自分の様子を窺い、そしてついてくる。こちらから直接問いだたすことはできなかった。関わりたくない、逃げたいという欲求が強かった。それに勘違いであったらと、まだその可能性を捨てきれずにいた。
そうこうしているうちに次のモノレールの時間が迫る。遅れるわけにはいかない。発車ぎりぎりに乗車しようと決めた。これでもし追ってきたらなら、もう間違いない。
駅構内にモノレール到着のアナウンスが流れた。通路に学生らしき五人組がいて、横を通り抜けて早足でホームまで駆け上がる。ほとんど飛び込むようにして車内へ乗り込み、座席で身を縮めた。
少ししてモノレールが発車する。自分より後には誰も乗り込んでこなかった。ほっとしたが、それも一瞬だった。席の背後に位置する貫通扉を開けて例の女性が同じ車両に入ってきたのだ。
早鐘をうつ心臓。女性も自分を発見して少し驚いたようだった。すぐに顔を逸らして離れた座席につく。
自分を監視する人間。これが勘違いならばいい。だが女性の行動、視線がそれを否定していた。
一体何者か。真っ先に思いついたのは使徒だ。彼らが自分に監視をつけた。だが目的は何だ? 協力者の情報収集か。今は不破光春といういわば匿名で協力を名乗り出ている状態だ。どこのだれで、どんな人間か相手は知らないはず。
それとも誘拐されないように見張る為、迂闊な行動をとらせないようにする為か。ならば身元を明かしてくれてもいいはずだ。オーヴァの監視を警戒しているのか。
そもそもどこから自分の情報が漏れた? 思い当たる節が一つある。うただ。彼女は住所番号を知っている。使徒に伝えていてもおかしくはない。
しかしこちらに知らせないとは。それは仲間を売る行為ではないのか。教えればどうなるのかわかるはずだ。
「自分は彼女を身代りにしようとしたくせに」
咄嗟に自責の言葉がよぎる。
そうだ。うたは使徒に保護されることが何よりも安全だと言っていた。ならば彼女なりに心配した上で使徒に住所番号を教えたのかもしれない。それに護衛がついていると考えれば、いざという時に対応してくれるはず。いい方向に考えようとする。そうすることでうたに対しての苛立ち、不満を振り払おうともしていた。
モノレールが目的地に到着した。下車すると女性もついてきた。このまま学校まで追ってくるつもりか。だがそこまでだろう。部外者は中に入れないし、警備員もいる。
だが女性はあろうことか学校の中まで追ってこようとしていた。背後で警備員の声がして振り返ると制止されている。身分を問われ、言葉を濁してこちらを見る。あれではただの不審者だ。人の注意も集めているし、本当に使徒の人間なのか?
女性は警備員に促されて引き返していった。その姿に別の可能性が頭をよぎる。オーヴァによって遠隔操作された人間という可能性。自分を浚う為に。そうだとすれば学校の場所をむざむざ教えてしまったことになる。自宅はどうだろう。彼女がいた場所は自宅からかなり近い場所だった。特定されていてもおかしくはない。
だが疑問もある。オーヴァはナノマシンから個人情報を得ている。わざわざ人間を利用して対象を監視する必要はないはずだ。その気になれば操作だってできるのではないか。
女性の正体は使徒か、オーヴァか。
教室に着くとすぐに仮想訓練が開始された。モノレールを一つ遅らせたせいだ。次から次へと起きる問題の対処に忙殺され、訓練以外のことを考える暇はなかった。だが訓練回数に比例して結果がよくなるのは当然のことで、結果が良ければ二見も何も言わない。
昼休みになり、食堂で女性の正体を考えてみるが答えはでない。仮に使徒であるなら、うたに問いただすことが一番の近道だ。しかしメールでは危険だろう。〈赤の雫〉の中でしか自由に言葉を交わすことができないとは。
そこで今朝彼女からメールが届いていないことに気づいた。尾行者のせいでそれどころではなかったのだ。
「今日も昨日と同じ時間?」
念のため、うたにメールを送る。まさか浚われているということはないだろう。昨日の依頼で記号は自分が回収したのだから、彼女に危険は及ばないはず。
返事はすぐに届いた。
「うん。今日はモーフィアスも来てくれるって」
希望がわく。彼がいればこれからについて話し合うことができる。それにいろいろと聞きたかった。オーヴァや使徒について彼も調べているはずだ。
午後の訓練を終え、周囲を警戒しつつ学校を出る。女性の姿はなかった。だが用心してモノレールではなくセルで帰宅しようと決意する。
ホームの一画にあるセルの乗り場では学生たちが列を作り、順番を待っていた。列に加わる。セルに乗り込むのに十秒もかからない。学生たちは次々とセルに乗り込み、列が消化されていく。公共のセルは清潔とは言い難い。利用者の出したごみや汚れ、匂い。清掃されているとはいえ、あまり利用しない理由の一つだ。だが今回は比較的清潔で、いつもより二十分ほど早く帰宅できた。
家には母がいた。会話を交わすことなく部屋に戻る。集合まではまだ時間があった。ベッドに腰掛けるとつい尾行者について考えてしまう。何者なのか。うたに聞けば何かわかるかもしれない。気持ちばかりがはやる。
ようやく時刻になり、接続器を装着して〈赤の雫〉へと入ると、始まりの庭には魔女の姿があった。近づくとこちらの気配を感じたのかうたが振り返る。
「来たよ」
「ありがとう」
彼女の殊勝な態度に戸惑う。お互いに言葉が続かない。普段なら会話を続けるのは彼女のほうだ。
「モーファイスは?」
「まだ」
再び沈黙。顔を背け、どこまでも続く空を見つめるうた。
「うた、聞きたいことがあるんだけど」
こちらに向き直る。自分から会話を進めなければ。
「ん?」
「俺の住所番号、使徒に教えたのか?」
表情が固まった。次に視線が泳ぎ、ついには下を向いて頷く。
「うん」
「やっぱり」
「何かあったの?」
「今朝、家の近くで変な奴に後をつけられたんだ。明らかに俺を狙ってた。使徒かと思ったけど相手からは何も言わない。何か知っているか?」
「どんな人だった? 髪型とか、服装とか」
特徴らしきものは思い当たらない。どこにでもいる女性のようだった。年は恐らく二十歳前後。大学生といった風体。
「ユダから協力者には護衛をつけるとか、話はなかったのか?」
「何も言われていない」
使徒の護衛なら一言あってもいいはずだ。危険だから護衛すると。それがないということは……
「このことをユダに伝えてほしいんだ。それにもし使徒でないなら、オーヴァの人間かもしれない」
「オーヴァの?」
「それ以外には考えられない」
「う、うん。わかった」
承諾したが、どこか腑に落ちない様子だった。
しかしうたは知らないことが多すぎる。もっと疑問に思っていることは聞くべきだ。
いや、使徒もこの件については知らないのかもしれない。だとしたら責められない。
そこでモーフィアスが現れた。
「悪いな、遅くなって」こちらの姿を認めて「二人だけか。猫は?」と聞く。
うたが現状について説明する。猫は協力してくれないということ。使徒の指示に従って昨日、自分と一緒に目的のアイテムを回収したこと。そして今朝のことについて。
話を終えてもモーフィアスは黙り込んだままだ。
「どう思います?」
「不破は気にしすぎじゃないのか。前にもうたの件があっただろう。不安、恐怖に晒されると身の回りで起きる些細なことも目に付くようになるからな」
うたの音信不通を行方不明だと結び付けていた件のことか。つまり今朝の件も自分の勘違いだと。
「でも」
「もう少し様子を見たらどうだ? 直接何もしてこないのなら、こちらからもどうすることもできない。何日も続くようなら警戒が必要だろう」
しかし考えてみれば、うたの件もあながち見当違いではなかったのだ。うた本人ではなく彼女の友人が行方不明になっていたのだから。
「あの、モーフィアス。本当に協力してくれるの?」
うたが控え目な態度で尋ねた。
「赤の雫や使徒について俺も調べたんだがな」
問いには答えず話し始める。
「使徒に関しては何も掴めなかった。ああいう手合いは自分達のチャンネルを用意して人を誘導するものだが、それらしいものも見当たらない。記号が〈赤の雫〉でのイベントだとしても案内がなければ誰も気づかない。不自然だがそれも演出だと考えれられなくもない。考え出せばきりがないが、使徒に関しては現在ネットに情報はない。一旦止めて、次に赤の雫のコミュニティをいろいろ見て回ったよ。本当に使徒の協力者がいるのかどうなのか」
確かにユダは他にも協力者がいると言っていた。行方不明と〈赤の雫〉の関連にだけ注目していて、そちらは調べていなかった。
「いたよ。連絡が取れたのは五人で、赤の雫で直接会って話を聞いた。だが真剣に考えている者はいない。面白そうだから、遊び半分、そんなところだ。使徒のことも赤の雫のイベントだと思っている」
普通ならばそうだろう。こっちもうたの件がなければそう捉えていたはずだ。
「仲間と音信不通になった奴もいたが、そいつは現実世界の相手のことは知らない。行方不明事件との関係は不明。不破の言う監視者、尾行者についてはこちらからは尋ねていないが、彼らからもその類の話は出なかった。気づいていないか、身近にそんな奴は現れていないか」
だとしたら、あれは何だったのか。本当に自分の勘違いか。考えが揺らぐ。
ひょっとしたら学校の新しい職員だとか、そんなところかもしれない。だから生徒である自分を見ていたのかもしれないし、IDが発行されていないから警備員に呼び止められたのかもしれない。そんな考えが出ても釈然とはしなかった。所詮、推測に過ぎない。
「彼らも俺達と同じように赤の雫でスカウトされ、反逆の園でユダと会い、使徒に勧誘されたらしい。そしてそのスカウト役だが、これは不破も知っている」
使徒に勧誘する人物。自分も知っている? 思いつかない。
「誰ですか?」
「桜花だよ」
あの女剣士が? 役になりきっていた彼女が?
「名前の重複も考えられたから、どんな人物なのか聞いたが、まず彼女に間違いない」
左手の甲に触れ、戦友の項目を呼びだす。表示されている彼女の名前は灰色のまま。今、この世界にはいない。うたと再会してから色々あってすっかり存在を忘れていた。うたが無事だとわかり、一時は噂や行方不明事件のことが頭から離れていたのだ。まさか彼女も使徒に関わっていたとは。
「ここにはいません」
「連絡が取れるか確認してくれ。話が聞きたい。彼女も使徒の一員なら、あの時の態度もうなずける」
彼女も〈赤の雫〉と行方不明事件を結び付けていた。そのために〈赤の雫〉に来たとも。調査メンバーとは使徒のことだったのか。
「戻ったらメールを送っておきます」
「ああ、頼む。うたは桜花という人物に心当たりは?」
「どんな人?」
モーフィアスが桜花の容姿、人物像を教える。
「知らない。皆を誘う前は私も別の回収チームに参加してたけど、そこにはいなかった」
「そのメンバーと連絡は?」
「リーダーの人とだけなら」
うたもその場で戦友の項目を呼びだした。首を横に振る。
「彼もこっちには来てないみたい」
「そのチームにはどのくらいの頻度で参加してたんだ?」
「多くないよ。三回くらい」
「メンバーはいつも同じ?」
「うん。来ない人もいたけど」
「名前を教えてくれるか?」
うたが名前を告げた三名の放浪者は、モーフィアスが連絡を取った放浪者たちとは一致しなかった。
この三名に関して、うたもあまりその人柄を知らないらしい。アイテム回収の名目で急遽結成されたチーム。ちょうど今の自分達と同じように。その中ではリーダーが決まっており、メンバーの召集やアイテム回収を務めていた。
「早くこのイベントを終わらせよう」その一言で、うたはリーダーの考えを知った。使徒の話をただのイベントだと思っている。うたが友人の身に起きたことを話さなかったのは、知り合ったばかりの人間だということ、うた自身もユダの話を完全には信じていなかったことが重なったからだという。だからメンバー内で誰にも相談しなかった。淡々と後についていき、アイテム回収に協力する。しかし事態が変わった。ユダから他の回収チームの幾人かが行方不明になったと連絡がきたのだ。もはや猶予はない。うたを含む残りのメンバーがそれぞれリーダーとなり、チームを結成して回収に当たれと指示され、そこでモーフィアスに猫、自分を頼ったのだ。
「他にいくつ回収チームがあるか知っているか?」
「わからない。ユダは詳しいことは教えてくれないから」
「ボロがでるから余計なことは話さないのかもな」
モーフィアスはうたと自分を交互に見渡す。
「だがなんであれ、俺としてはお前達がこのまま使徒に協力を続けるかどうかだ。これが赤の雫のイベントならいい。被害者まで出ている事件を持ち出すなんて不謹慎だが、危険はない。だがユダに何か目的があり、そのために利用されるのなら関わるべきじゃない。仮想世界だから、なんて安易な考えは持たない方がいい。どんな行動がその世界に影響するかわからないからな。業務妨害や不正アクセスに繋がることもある。もし仮に行方不明事件と繋がりがあるなら、なおさら危険だ。俺にはまだ何が真実か判断できないが、いずれにしたってこんなことは続けるべきじゃないと言える」
自分には記号がある。
それが使徒に協力を続ける理由。ユダの話が真実であれば、自分は無関係ではない。オーヴァに誘拐されない為にも、使徒から情報を得なければならない。それに記号の情報が必要ならユダも自分を助けてくれるはずだ。
だがそれは結局体裁的、打算的な理由だ。本心は仮想世界への欲求と、自分は誘拐などされないだろうという思いがあるから協力を続けているのだ。
すべてを忘れ、仮想世界から離れたほうが安全なのに。
それとも、二人と別れたくないのだろうか。もう以前のように気軽にこの世界で会うことはできないかもしれない。うたはこの世界に来ないかも。ここで別れ、あるいは仲間外れになるのがいやなのか。不意に沸いた考えに怯む。目の前にいる二人をそれほど想っていたのか。たかが仮想世界の中の関係なのに。お互いの名前すら知らないというのに。こんな薄いつながりを。
そうやって貶めてどうする。
交叉する考え。目の前にいる二人の存在価値が、意味が揺らぐ。
「私は続けます」
うたが先に答えた。彼女の中でどんな葛藤があったのか。それは知りようがない。
「俺も」
なんとかそれだけ答える。二人が自分にとってどういう存在なのか。答えはまだ出てない。
返事を聞いてモーフィアスは呆れた様子で微かに息を吐いた。それも仕方ない。恐らく彼なりの最後通告のはずだ。それが拒否されたのだから。
「仕方ない。じゃあ俺も付き合おう。このままお前達を放ってはおけない」
「ごめん、モーフィアス」
「まったくだ」
にべもない言葉に俯くうた。
「まぁいいさ。俺も使徒の件をこのままにしておくつもりはないからな。ついでだ」
ともすればすぐに沈みがちな空気を和らげるモーフィアス。こうして今後は三人で回収に赴くこととなった。
「とりあえず俺達は協力することに同意した。事態について詳しく教えてもらわなくてはな。でなければ不破が危険を抱えたままだ。ユダにもう一度、話し合いの場を要求する」
モーフィアスの提案には賛成だった。
「聞いてくるね」
うたが消える。いちいち現実に戻らなければ連絡が取れないとは。しかし現実世界と連絡手段がない〈赤の雫〉ではこうするしかない。
二人が自分にとってどんな存在なのか。まだ答えが出せないことへのもどかしさと焦りが渦巻きいている。落ち着くために深く呼吸を繰り返す。
「うたには話さなかったがな」
見送ってモーフィアスが口を開く。
「協力者から話を聞いて、もう一つ気になったことがある。うたのように現実世界で使徒と接触を持った人物が彼らの中にはいなかったということだ」
「どういうことです?」
考えがまとまらず、そのまま疑問を口にする。
「さぁな。本当は接触していて隠しているのか、俺が使徒と接触を持った人物と会えなかっただけか。あるいはうたが特殊なケースだからなのか。たまたま使徒の協力者がうたの近くにいただけなのか。案外、うたが接触した人物がユダ本人なのかもな」
使徒などという組織は存在せず、ユダ一人だけの虚構の組織。だとしたら護衛に人をまわしたりすることなどできないはずである。
そこでまた一つ別の可能性が頭をよぎる。うたが嘘をついている可能性だ。彼女も使徒とは接触していない。だが何故そんな嘘をつく? 話に真実味を持たせ、自分達の協力を得る為か。そうまでして使徒に協力する理由が彼女にあるだろうか。わからない。モーフィアスも同じだろう。しかし疑念はある。だからこうして自分だけに告げたのではないか。
そこでうたが戻ってきた。しばらくユダとは会えないという伝言をもって。
「いつなら大丈夫なんだ?」
「明後日なら。それまでは回収を続けてほしいって」
「今は従っておくか。ここで接触を絶たれても困るからな」
やはりモーフィアスは先程のことをうたに話さない。であれば自分も黙っておくべきだろう。
「そうだ、依頼に行く前に二人に聞いておきたいことがある。住んでいる場所を教えてほしい」
何故という視線を送る。これまでお互いのプライベートを話したことはない。
「よければ直接会って話せないかと思ってな。ちなみに俺は北海道だ」
「私は九州」
「東京です」
モーフィアスは苦笑する。
「見事にバラバラだな。気軽には会えないか。わかった。この件は諦めよう。それでいまから依頼に向かうわけだが、二人とも準備はいいのか?」
うたのメールで依頼内容は知っていた。
〈ミノタウロス〉
青い光の先、古代ローマでの依頼だ。自分とうたには挑戦できる資格はないが、モーフィアスはすでに一度クリアしており、彼のおかげで今回はすぐに依頼に取り掛かることができる。
依頼内容はその名の通り、ギリシア神話で語られたミノタウロス伝説の再現だ。地下に築かれた迷宮、そこを徘徊するミノタウロスを倒す。かなりのトラウマを植え付けるらしく、二度とやりたくないという声がいくつも書き込まれていた。
「難しいらしいですね」
「近接武器で挑むには、な。銃火器を持った奴がいれば随分楽になる。誰か誘ってみるか?」
ミノタウロスは迷宮で影に紛れ、放浪者を斧で断頭する。その異様な風貌に対峙した者はまず圧倒され、繰り出される強烈な斧の前になすすべなく斃されてしまうらしい。狭い通路や暗闇など近接戦闘の条件は最悪。よほどの熟練者でなければ難しい。
ただ〈赤の雫〉ではどの国でも放浪者の属性は有効。所持している武器、携行品は何を持ち込んでも通用する。なので刀よりも銃火器のほうが多数の局面で有利に事を運べる。つまり合衆国兵士を選択した放浪者はどの世界でも活躍できるのだ。まれに例外はあるが。
兵士とはこれまで行きずりで共に依頼をこなしたことはあっても、戦友を結んだ知り合いはいない。
うたが提案する。
「あんまり他の人を関わらせたくない」
その一言が癪に障った。なら自分達はどうなのか?
「わかった。まぁこの三人でもなんとかなるだろう」
モーフィアスの一言で決定する。
彼はうたに対して立腹している様子はない。大人だ。対して自分はどうか。口には出さなかったものの、うたの一言で明らかに顔が歪んだのは自覚している。故意にしたわけではない。
「勝手でごめん」
俯くうた。黒い帽子のつばが彼女の顔を隠す。なんと答えていいかわからない。居心地の悪い沈黙。
「ま、俺がいるから大抵の依頼は大丈夫だろう。他の奴に面白半分でかき回されても迷惑だしな」
またもやモーフィアスが場を取り持つ。なぜ自分は彼のようにできないのか。
「じゃあ行くか」
モーフィアスが草原を漂う青い光に向き直り、歩み寄って手を伸ばす。するとその姿が消えた。光の先、ローマへと移動したのだ。
うたと二人きりになる。どちらも動かない。何か言わなければ。
「いこうか、うた」
「うん」
やり取りはたったそれだけだった。




