8話「ご足労おかけしました、と被害者は言いました」
「申し訳ありません」
天使は、頭を下げたまま動かなかった。
颯は田中を見た。田中は折れた肘掛けを片手で押さえたまま、固まっていた。
「あの……」
田中が、戸惑ったように口を開いた。
「顔を上げてください」
「いえ。顔を上げる前に、まず―」
「いいんです。あの、お茶飲みますか?冷めてますけど」
颯は額を押さえた。
「田中さん。謝られてるんです。お茶を勧めないでください」
「でも、この方、ずっと頭を下げてるので、つらくないかなと―」
「つらいのは田中さんの方です」
天使が、顔を上げた。目が赤かった。泣いていたのか、寝ていないのか、あるいは両方か。でもエリエルの充血とは違う。この天使の赤さには、感情がこもっていた。
「転生管理省第12課のゼファと申します。田中誠様の案件を担当として調査いたしました」
「あ、はい。ご足労おかけしました」
「田中さん。それ、窓口の対応です」
「すみません。癖で」
ゼファがテーブルの上に一枚の紙を広げた。田中の案件の流れが、図として書かれていた。矢印が何本も引かれている。字が丁寧だった。色分けまでされている。
「田中様の転生申請は、まず第3課で処理されました」
「農村が魔村になったところですね」
「はい。第3課の処理票は、次に第15課の配属担当に回されました。ここで魔族カテゴリに分類され、空きポストの検索が行われたのですが―」
ゼファが、図の一箇所を指した。
「検索条件に、前の案件のフィルターが残っていました。『管理職以上』という条件です」
「前の人のフィルターが残ってた」
「はい。消し忘れです。このフィルターがなければ、村の警備兵、森林管理官、鉱山の記録係―三つの空きが出てきたはずです」
「田中さんは鉱山の記録係になれたかもしれないってことですか」
「はい」
田中が、小さく頷いた。
「ああ、フィルターの消し忘れはありますよね。うちの窓口でも検索システムの―」
「田中さん」
「はい」
「共感しないでください」
「……すみません」
ゼファが続けた。
「配属が決定した後、第22課のスキル付与に回されました。ここで田中様の戦闘適性がゼロだったため、前世の生活習慣から自動抽出が―」
「そば打ち名人のやつですね」
「はい。本来であれば、戦闘適性ゼロの場合は配属課に差し戻すのが望ましいとされています。ただ―」
「差し戻さなかった」
「差し戻しは推奨であって、義務ではないんです。自動抽出で代替スキルが出力された場合は、それで処理完了にできる規則になっていまして」
「できるから、した」
「はい。自動抽出は正規の代替処理なので、担当者は規則に違反していません」
田中が口を開いた。
「ああ、それはわかります。推奨と義務は違いますよね。窓口でも、確認の電話は『推奨』で―」
「田中さん」
「はい」
「また共感してます」
「してないです。仕組みを説明しただけです」
「それを共感って言うんです。被害者が加害者の仕組みを解説してどうするんですか」
田中は黙った。折れた肘掛けを押さえる手に、少しだけ力が入った。
「最後に、第4課の最終チェックですが―」
「これも通ったんですよね」
「はい。第4課の記録では、チェック済みになっています」
「チェックしたのに通したんですか」
「第4課のチェックリストを確認しました。確認項目は―書類の枚数、各課の承認印の有無、書式の種類、提出日。全て合致しています」
「じゃあチェックは通ってるじゃないですか」
「はい。ただ、確認項目に『内容の精査』がありません」
颯が、一拍置いた。
「……内容を読んでない?」
「チェックリストの項目は全て確認しています。書類に不備はなかった。ただ、チェックリスト自体に『転生先と申請内容が一致しているか』という項目がないんです」
「チェック項目にないから、チェックしなかった」
「はい。第4課の担当者は、チェックリスト通りに処理しています。規則違反はありません」
颯は椅子の背もたれに体を預けた。
全部の課が、規則に違反していない。全部の課が、自分の仕事をしている。それで田中は魔王になった。
颯は手を上げた。
「わかりました。全部聞きました。要するに、どの課も自分の仕事はしてるつもりで、結果だけおかしくなった」
「はい」
「どれか一つでも止まってたら、田中さんは農村にいた」
「はい」
田中が、ゼファの図を見ていた。矢印を目で追っている。
「ゼファさん。これ、全部一人で調べたんですか」
「はい。各課に照会して、記録を確認して、関係者に聞き取りをしました」
「どのくらいかかったんですか」
「……三日と、二晩です」
「お疲れさまでした」
颯はもう止めなかった。
今のは窓口の癖じゃなかった。田中の本心だった。
「それで―転生先の変更は、できるんですよね」
ゼファが、口を閉じた。
「……事実認定は、全件されています。ただ、転生先の変更を実行する権限は、私にはありません」
颯の声が止まった。
「変更の最終承認ができるのは、転生管理省の大臣だけです」
田中が、冷めたお茶を静かにテーブルに置いた。




