6話「並んでるだけです、と魔王は言いました」
光が消えた。
足の下に、硬い床の感触があった。
颯は目を開けた。
白い。
壁も、床も、天井も白い。空気が軽い。重力が少し違う気がした。窓の外が光っていて、空が―金色だった。
ここが、天界。
建物の中にいた。広い廊下。天井が高い。柱には彫刻が施されていて、光が当たるたびに影が揺れている。遠くで鐘の音がかすかに響いていた。
颯は息を吸った。
神聖な場所だと思った。世界の秩序を管理する場所。転生を司り、運命を書き換え、すべての命の行き先を決める場所―
「あの、列の最後尾はどこですか」
田中の声が聞こえた。
颯は振り向いた。
行列があった。
白い廊下の端から端まで、人が並んでいた。天使もいた。翼のある者、ない者、書類を持った者、持っていない者。全員が同じ方向を向いて、黙って立っていた。
「……何ですか、これ」
「受付の列です」
エリエルが、当たり前のように言った。
「転生管理省の総合窓口は先着順でして。整理番号を取ってからお待ちいただく形に―」
「整理番号」
颯は、田中を見た。
田中は、列を見ていた。目が、少しだけ輝いていた。
「あ、整理番号の発券機がある」
「田中さん、嬉しそうにしないでください」
「すみません。懐かしくて」
田中が発券機に近づいた。ボタンを押した。紙が出てきた。
「第847番」
田中は紙を受け取り、番号を確認し、丁寧に折って鎧の内側にしまった。一連の動作に迷いがなかった。
「……何番まで進んでるんですか」
颯が窓口の上の電光表示を見た。
「第612番」
「235人待ちじゃないですか」
「今日は少ない方です」
エリエルが言った。颯は聞かなかったことにした。
田中が列の最後尾についた。
列に並んでいる顔ぶれを、颯は見た。翼の大きな天使が書類を何枚も抱えている。その前に、翼のない人間が不安そうに立っている。転生待ちだろうか。さらにその前に、天使が二人、小声で何かを確認し合っている。全員が疲れた顔をしていた。天界も、忙しいのだ。
田中の前に並んでいた天使が、振り返った。
目が合った。
天使の顔が、白から、さらに白くなった。
「ま―」
「すみません。並んでるだけです」
「ま、魔―」
「大丈夫です、並んでるだけなので。すみません」
天使が、3歩後ずさった。前の人にぶつかった。前の人も振り返った。田中を見た。その前の人も振り返った。振り返りが伝染していった。
10秒で、田中の前方に5mの空白ができた。
後ろに並ぼうとしていた天使は、田中を見て列を離れた。別の窓口に向かっていった。
「……田中さん」
「はい」
「前、空いてますけど」
「ああ。いつもこうなので」
「いつもって、城の中でも?」
「はい。廊下を歩くと、みんな壁際に寄るので。歩きやすくはあります」
田中は気にしていなかった。整理番号の紙を大事そうに鎧の内側にしまったまま、姿勢よく立っていた。手を体の前で組んでいた。窓口で順番を待つ客の姿勢だった。
颯は田中の隣に立った。
前の天使たちが、さらに距離を取った。
「颯さんまで避けられてますね。すみません」
「田中さんのせいじゃないです」
「すみません」
「だから謝らないでください」
「すみません」
「……」
エリエルが、田中の反対側に立った。
颯は、一歩引いて三人を見た。
身長2m超、角つき、赤目、黒鎧の魔王。剣を腰に差した勇者。書類の束を抱えたヨレヨレの天使。
三人が、天界の受付窓口の行列に並んでいる。
前後5mに誰もいない。
周囲の天使たちは、全員目を逸らしている。一人だけ、こちらをちらちら見ている天使がいたが、田中と目が合った瞬間、書類で顔を隠した。
なんでこうなったんだろう、と颯は思った。2年前、勇者として転生したとき、最終決戦で魔王を倒す未来を想像していた。魔王城の玉座の間で剣を交える。壮絶な戦い。勝利。世界に平和が戻る。
今、魔王と一緒に行列に並んでいる。
「あ、動きましたよ」
田中が、一歩前に進んだ。
前方の空白は変わらなかった。
「動いたの、田中さんだけですよね。列は動いてないですよね」
「あ、そうですね。すみません」
颯はため息をついた。
この行列を、あと何時間待てばいいのか。颯は勇者だ。魔王を倒すために転生した。それが今、役所の順番待ちをしている。人生で一番無力だった。剣では列は短くならない。
そのとき、廊下の奥から足音が近づいてきた。
天使だった。翼が大きく、手入れが行き届いている。エリエルとは明らかに格が違った。腕には書類が一枚だけ。一枚だけ持って歩いている天使を、颯はここで初めて見た。
天使は、田中の前で足を止めた。
怖がっていなかった。
「あなた、苦情案件の当事者ですね」
「あ、はい。田中誠です。あの、並んでるだけなので―」
「特別窓口にご案内します。こちらは来賓用の窓口で、通常窓口とは別です」
颯が口を開いた。
「特別窓口?」
「はい。苦情案件の当事者が直接お越しになった場合は、特別窓口でお受けすることになっています」
天使の目が、エリエルに向いた。
「クレーム処理担当が同行しているなら、当然ご存知ですよね」
エリエルが、書類の束の後ろに隠れるように小さくなった。
「あ……来賓対応は管轄外でして―」
「管轄外でも、案内くらいはできるでしょう。当事者を一般の列に並ばせてどうするんですか」
「……申し訳ありません」
田中が、一歩前に出た。
「あの、この方も困っていると思うので―」
「田中さん」
颯が止めた。
「被害者の自覚もってください」
「……すみません」
特別窓口の天使は、エリエルを一瞥してから、廊下の奥を指した。
「こちらへどうぞ」
颯は田中を見た。
田中は、整理番号の紙を鎧の内側から取り出していた。
「これ、取っておいていいですか?」
「……整理番号をですか?」
田中は紙を見ていた。第847番。丁寧に折り目がついている。
「なんとなく。番号があると、安心するので」
颯は、何も言わなかった。
言えなかった。




