3話「魔王のスキルがそば打ちでした」
田中が差し出した紙を、颯は受け取った。
紙の上部に「転生者スキル付与通知書」と印刷されている。その下に田中の名前と管理番号。中央に、スキル一覧。
そば打ち名人。
エレベーターのボタンを押すタイミングが完璧。
駐車一発。
相手の靴のサイズがわかる。
傘を絶対に置き忘れない。
颯は、紙から目を上げた。
田中を見た。
身長2m超。角。赤い目。黒い鎧。
もう一度、紙を見た。
そば打ち名人。
紙を見た。田中を見た。紙を見た。
「……これ、全部ですか」
「はい」
「魔王のスキルが、これ」
「はい」
「エレベーターのボタンを押すタイミングが完璧」
「はい。使ったことないですけど」
「エレベーターないですもんね、ここ」
「はい」
「駐車一発」
「はい」
「車もないですよね」
「はい。駐輪場はあるんですけど」
「……あるんですか」
「第2棟と第3棟の間に」
「相手の靴のサイズがわかる」
「はい」
「魔王として何に使うんですか」
「わからないです。ただ、窓口にいたとき、お客様の足元を見る癖はありました」
「傘を絶対に置き忘れない」
「これは……正直、ちょっとうらやましいと思いました」
「うらやましい?」
「前世で、よく置き忘れてたので」
颯は紙の右端を見た。各スキルの横に小さく「使用回数」の欄がある。
全部、ゼロだった。
「……全部ゼロ」
「使い道がないので」
「傘のスキルも?」
「この世界、あんまり雨が降らなくて」
「そば打ち名人も?」
「小麦粉はあるんですけど、そば粉がなくて」
颯は紙を田中に返した。返しながら、何かが喉の奥に詰まっているような感覚があった。笑っていいのか、怒っていいのか、泣いていいのか、わからなかった。
「……なんでこうなったんですか。魔王に、そば打ち」
エリエルが、おずおずと口を開いた。
「スキル付与課で、田中様の前世データを参照したところ……戦闘適性がゼロだったそうです」
「ゼロ」
「はい。魔王として必要な戦闘スキル、指揮スキル、威圧スキル、全てゼロです。通常、転生先に応じた戦闘スキルが付与されるのですが、適性がないとシステムが対応するスキルを出力できないんです」
「出力できないなら、どうしたんですか」
「前世の趣味、特技、生活習慣から、自動抽出を―」
「自動抽出」
「はい」
「それでそば打ち名人」
「田中様が前世で、ご趣味でそば打ちを―」
「してました」
田中が、小さく頷いた。
「日曜日に、たまに」
颯は目を閉じた。
日曜日にたまにそば打ちをしていた市役所職員が、過労で死んで、書類を書き間違えられて、空きポストに放り込まれて、戦闘スキルの代わりにそば打ち名人をもらって、4年間、魔王をやっている。
目を開けた。
「エリエルさん」
「は、はい」
「こんなめちゃくちゃなこと、わかってて放置してたんですか」
エリエルが書類の束を抱え直した。眼鏡の奥の目が泳いだ。
「苦情申請書は……全件、受理されています。ただ、処理の優先順位が―」
「4年ですよ。4年間放置して、それで今日来たのは何のためですか」
エリエルが、書類の束の中から一つの小さな箱を取り出した。
「こちら―苦情案件の対応として、お詫びの品をお届けに参りました」
箱を開けた。
中に入っていたのは、そば打ちセットだった。
颯は箱を見た。
「……何ですか、これ」
「お詫びの品です。田中様のスキルに『そば打ち名人』がございましたので、関連用品を―」
「ちょっと待ってください。4年間放置して、お詫びがそば打ちセット―」
「あ、のし板だ」
颯が振り返った。
田中が、玉座から身を乗り出していた。箱の中を覗き込んでいる。
「こま板もある。……これ、いい道具ですね」
「田中さん」
「あ、すみません」
「そこじゃないです」
「すみません。でも、こんないい道具なかなか―」
「田中さん」
「……すみません」
田中が姿勢を戻した。膝の上で手を組み直した。
颯はエリエルに向き直った。
「エリエルさん。これ、誰が選んだんですか」
「スキルに応じた関連用品を、自動的に―」
「自動」
「はい」
「スキルも自動、お詫びも自動。人の目は、どこで通るんですか」
エリエルが、唇を噛んだ。
「田中さんは、過労で死んで、書類を書き間違えられて、魔王にされて、戦えるスキルを一つももらえなくて、4年間ここで一人で朝礼して、苦情を出しても誰も来なかった。それで届いたのが、そば打ちセット」
「……はい」
「これでどうしろと?」
エリエルは答えなかった。書類の束を胸の前で抱え直して、肩が内側に入った。しばらく黙っていた。
「……申し訳、ありません。規則上、お届けが完了した時点で、苦情案件は完結扱いになります」
「完結」
「はい。……なってしまうんです」
颯は黙った。
振り返って、田中を見た。
田中は、玉座に座っていた。膝の上で手を組んで、背筋を伸ばして、さっきまで箱を覗き込んでいた目が、もう伏せられていた。
慣れているのだと、颯は思った。
理不尽に、慣れているのだ。窓口で何年も、書類のミスで振り回される人たちを見てきた。今度は自分がその側に回っただけだと、この人は思っている。
「田中さん」
「はい」
「天界に行きましょう」
田中の赤い目が、少しだけ見開かれた。
「直接言わなきゃ駄目です。書類じゃ届かない。届いても処理されない。届いて処理されても、返ってくるのがそば打ちセットなんだから」
田中が、そば打ちセットの箱に目を落とした。
「……でも」
「でも?」
「俺が行って、何か変わりますか」
「わからないです。でも、ここにいても変わらないことはわかってますよね。田中さんが一番わかってるはずです。4年間で」
田中は、答えなかった。
エリエルが、二人を交互に見ていた。書類を抱えたまま、何か言いたそうにして、言えずにいた。眼鏡の奥の目が、揺れていた。
田中が、口を開いた。
「……行き方、わかるんですか」
颯は振り返った。
エリエルを見た。
エリエルは、書類の束を抱え直し、小さく―本当に小さく、頷いた。




