20話「座っていてください、と魔王は言いました」
「複写は―」
田中と天使の声がそろった。
颯は待った。
「―少し、お時間がかかります」
天使が言った。
「はい。わかります」
田中が言った。
「複写申請書を先に書く必要がありますよね」
「……はい。なんでわかるんですか」
「書式が第3課系なので。貼り紙にも書いてありましたし」
天使がエリエルを見た。エリエルが書類の束から用紙を一枚引き抜いた。
「複写申請書です」
「……持ってるんですか」
「各課の書式は一通り集めてあります」
天使の目が少し見開かれた。エリエルの書類の束を見ている。
田中がペンを取り出した。書き始めた。
ルカが横から覗いた。
「田中さん、対象文書名の欄は略称じゃなくて正式名称で書いた方がいいです。第33課は略称だと差し戻されます」
「あ、ありがとうございます」
田中が書き続けた。速かった。ルカが隣で項目を確認している。エリエルが次に必要な書式を準備している。
三人の手が、止まらなかった。
田中が一枚書き終える。エリエルが次の用紙を出す。ルカが「この欄は西暦じゃなくて天界暦です」と補足する。田中が書き直す。エリエルが修正用の用紙を出す。
颯は、座っていた。
カウンターの横にあった椅子に座って、三人を見ていた。
田中が書く。ルカが指示する。エリエルが書式を出す。天使が確認する。四人が一つの窓口で回っている。歯車みたいだった。誰も無駄な動きをしていない。
「……俺、何すればいいですか」
田中がペンを止めずに答えた。
「座っていてください」
「座ってます」
「すみませ―」
田中が口を閉じた。颯を見た。
「……お構いなく」
代わりに出てきた言葉が、よそよそしかった。
颯は座ったまま、周りを見た。何かできることはないか。
書棚の本を整理してみようかと思った。田中の真似だ。やめた。
書類を運ぶのを手伝えないかと思った。三人の間に割り込む隙がなかった。
お茶を淹れようかと思った。茶器がどこにあるかわからなかった。
立ち上がって、近づいてみた。
「颯さん、そこに立つと書棚が―」
田中が言いかけた瞬間、颯の肩が書棚に当たった。本が一冊落ちた。
「……座ってます」
颯は椅子に戻った。
勇者だ。剣聖の素質がある。全属性魔法が使える。主人公補正もある。ここでは全部、意味がない。剣では書類は斬れないし、魔法では書式は変えられない。
ルカが指差した。田中が書いた。エリエルが次を出した。田中が受け取った。流れ作業だった。三人が三人とも、書類の扱い方が同じだった。角を揃える。端を折らない。インクが乾く前に重ねない。
颯は椅子の背もたれに体を預けた。
前世の面接を思い出した。「御社の組織課題を分析し、業務フローの改善に貢献したい」。嘘だった。暗記しただけだった。でも今、本当にそれをやっている人間が目の前にいる。ペンを持って、書式を読んで、天使と連携して。魔王が。
「できました」
田中がペンを置いた。複写申請書、添付書類一覧、対象文書の目録。三枚揃っている。
天使が確認した。
「不備、ございません」
田中が頭を下げた。何か言いかけて、飲み込んだ。代わりに、もう一度頭を下げた。
ルカが口を開いた。閉じた。開いた。
「……ご安全に」
自分でも意味がわからなかったらしく、首を傾げていた。
颯はこの人達から「すみません」を禁止したことを後悔し始めた。
「では、複写を始めます。少々お待ちください」
天使が奥の部屋に入っていった。複写が始まった。
颯は椅子に座ったまま、天井を見ていた。
「田中さん」
「はい」
「ここまで全部、田中さんのスキルで来てますよね」
「スキルは使ってないです。使用回数ゼロのままです」
「そっちのスキルじゃないです」
田中が首を傾げた。角が書棚に当たった。本が一冊ずれた。
「スキル欄に載ってないやつです。書類処理。窓口対応。受付時間の暗記。書式のパターン分析。全部、前世の才能と経験です」
「……才能って言うほどのものじゃ―」
「才能です。田中さんが4年間魔王城でやってきたことも、今ここでペンを持ってやってることも、全部田中さんの才能です」
田中は、黙った。
颯は椅子から立ち上がった。
「俺の剣は、ここでは何の役にも立たないです。でも田中さんのペンは、天界の制度を相手に戦ってる」
田中が、颯を見た。
「颯さんがいなかったら、俺はまだ玉座に座ってました」
颯は、少し黙った。
「天界に行こうって言ってくれたのは、颯さんです。書類じゃ届かないって。俺は、一人じゃここに来られなかった」
田中の声は、穏やかだった。赤い目が、まっすぐ颯を見ていた。
颯は泣くまいと唇を噛みしめた。それでも、目頭が熱くなった。
田中が続けた。
「だから―」
「はい」
「颯さんは、座っていてください」
「……ぶん殴りますよ」
奥の部屋から、天使が戻ってきた。
「複写、完了しました」
書類を受け取った。田中がすかさず確認した。一枚ずつ、項目を目で追っている。
「……大丈夫です。全部揃ってます」
颯は、確認する田中の手元を見ていた。速い。正確。ここに来てから何枚もの書類を処理してきた手だった。
「残りは第7課の面会申請書だけですね。受付は午前10時から」
ルカが時計を見た。
「午前9時40分です」
颯は立ち上がった。
「行きましょう。最後の一枚です」
四人が、廊下に出た。田中が書棚にぶつかった。また舌打ちの音が聞こえた。




