17話「パンとスープの朝定食を頼みました」
にぎやかだった食堂が、一瞬で静まりかえった。
手から落ちたフォークが皿に当たる音。どこからか聞こえる換気扇の音。それだけが、静かな食堂に響いた。
天使たちが、全員、入口を見ていた。
入口に立っているのは、身長2m超、角つき、赤目、黒鎧の男。
田中は、入口で固まっていた。
「……すみません。食事をしに来ただけなので」
誰も動かなかった。
颯が田中の背中を押した。
「行きましょう。食券を買うんですよね」
「あ、はい。食券―」
田中が食券の販売機に向かった。天使たちが左右に分かれた。割れる、というより、溶けるように道ができた。
販売機の前に立った。メニューを見ている。
「パンとスープの朝定食が……200テンカですね」
「田中さん、お金持ってるんですか」
「はい」
「魔王なのに」
「ガザンが毎月くれるんです。城の収益の中から」
颯が足を止めた。
「……おこづかい?」
「おこづかいっていうか……月々の生活費というか……」
「もらってるんですよね。部下から」
「はい。最初は断ったんですけど、『城外で何かあったときに困るでしょう』って」
「使ったことは」
「ないです。城から出なかったので」
「4年分の、おこづかいが、鎧の中に」
「お金は鎧の中じゃないです。巾着に入れて、腰のところに―」
「そこじゃないです」
颯は田中を見た。身長2m超。角。赤い目。黒い鎧。その腰に巾着をぶら下げて、食券の販売機の前で200テンカの朝定食を選んでいる。
「田中さん、前世で何歳でしたっけ」
「35です」
「35歳が、部下から、おこづかいをもらって、巾着に入れて……」
「おこづかいじゃないです。生活費です」
「使ってないのに生活費ですか」
「……」
田中が食券を買った。颯も買った。ルカとエリエルは職員証で通した。
盆を持って、配膳口に進んだ。
田中が並んだ。
配膳口の天使が、田中を見た。
固まった。
「あの、パンとスープの朝定食を―」
「は、はいっ―」
天使が盆にパンを載せた。普通のパンだった。スープをよそった。普通のスープだった。
「あ、ありがとう―」
「こ、こちらもどうぞ」
天使が、もう一皿出した。目玉焼き。メニューにはなかった。
「え、頼んでないですけど―」
「サービスです」
「いえ、そんな―」
「サービスです」
天使の手が震えていた。目が「断らないでください」と言っていた。
「……ありがとうございます」
田中が盆を進めた。隣の配膳口の天使が、田中を見て、皿を出した。
焼き魚だった。
「あの、頼んで―」
「どうぞ」
「いや―」
「どうぞ」
田中の盆に、焼き魚が載った。
次の天使が、サラダを出した。次の天使が、フルーツの盛り合わせを出した。田中が口を開くたびに「どうぞ」が返ってきた。断る隙がなかった。
盆が重くなっていた。
両手で持っていた盆が、パン、スープ、目玉焼き、焼き魚、サラダ、フルーツ、そしていつの間にか載っていた小さなケーキで埋まっていた。
配膳口を抜けたところで、奥から天使がもう一人出てきた。小皿を持っていた。
「あの、こちらもお持ちくだ―」
「もう載りません」
颯が止めた。
天使が小皿を引っ込めた。引っ込めながら、田中を見ていた。目が「怒らないでください」と言っていた。
「大丈夫です。この人は怒らないです」
颯が言った。天使は小皿を胸に抱えて、小さく頷いた。
田中の盆と、颯の盆が並んでいた。
颯の盆には、パンとスープ。
田中の盆には、パン、スープ、目玉焼き、焼き魚、サラダ、フルーツ盛り合わせ、ケーキ。
「……これ、同じ値段ですよね」
「そうだね…」
「世の中は不公平ですね」
「すみません」
ルカとエリエルは、パンとスープと小さなサラダだった。職員用の通常メニュー。田中の盆だけが、明らかに異質だった。
田中は盆を持って、席を探した。食堂の真ん中のテーブルに近づいた。座っていた天使が三人、盆を持って立ち上がった。
「あ、すみません―」
三人はもう別のテーブルに移動していた。
田中は空いた席に座った。椅子が小さかった。膝がテーブルの裏に当たった。テーブルが持ち上がりかけた。
「―すみません」
颯がテーブルを押さえた。
「田中さん。ゆっくり座ってください」
田中が姿勢を調整した。膝をテーブルの外に出して、横向きに座った。落ち着かなさそうだった。
ルカが、田中の盆を見ていた。
「……すごいですね」
「頼んでないんです。全部勝手に―」
「フルーツが、盛り合わせですね。あれ、大臣への来客用の―」
「来客用」
「はい。普段は出ないです」
颯は自分のパンをちぎった。
「怖がられてますね。完全に」
「……はい」
田中は、豪華な盆の前で、背筋を伸ばして座っていた。膝はテーブルの外に出ている。角は天井の照明にぎりぎり届かない。周囲の天使たちは全員目を逸らしている。
魔王が、天界の職員食堂で、おこづかいで買った朝定食の前に座っている。パンとスープを頼んだだけなのに、盆の上はフルコースになっている。
田中がスプーンを持った。
スープを一口飲んだ。
「……美味しいです」
「田中さん。全部食べられますか」
「頑張ります」
「頑張らなくていいです。残していいですよ」
「でも、作ってくれた方に申し訳ないので―」
「怖がって出してきたんですけどね」
「それでも、作ってくれたのは事実なので」
颯はパンをちぎった。怖がられても、不本意な豪華さでも、「作ってくれた」にフォーカスする。この人にはかなわない。
ルカがフルーツの盛り合わせを見ていた。
「これ、本当に大臣用ですよ」
「……食べますか。一人じゃ食べきれないので」
田中がフルーツの皿をルカの方に寄せた。ルカがブドウを一粒つまんだ。エリエルがおずおずとイチゴに手を伸ばした。
颯は、その光景を見ていた。
魔王と、勇者と、天使が二人、天界の食堂で朝ごはんを食べている。魔王の盆だけ異常に豪華で、フルーツを分け合っている。周囲のテーブルには誰もいない。
これで今日、大臣に会いに行くのだ。
「田中さん。食べ終わったら、第12課ですね」
「はい」
「残り三つ。今日中に全部回りましょう」
田中は頷いて、ケーキを一口食べた。
「……これも美味しいです」
「感想はいいので、急いでください」
「すみません」




