16話「食堂が静まりました」
颯は、光で目が覚めた。
窓の外が金色だった。天界の朝。藍色の空が、いつの間にか金色に変わっていた。
体を起こした。寝台の上で首を回す。背中が痛い。鎧を着けたまま寝る田中のことは、もう何も言えない。
田中を見た。
田中の寝台は、颯の正面にあった。足がはみ出している。寝台の端から膝下が完全にはみ出して、鎧の足が床についていた。
そして―角が、壁に刺さっていた。
颯は、二度見した。
寝返りを打ったのだろう。頭が壁側に向いていて、右の角が白い壁に突き刺さっている。石膏が少し崩れて、角の根元に白い粉がついていた。
田中は、まだ寝ていた。
角が壁に刺さったまま、静かに寝息を立てている。
颯は、しばらく見ていた。
金色の朝日が窓から差し込んでいた。神聖な天界の朝に、魔王が壁に角を突き刺して寝ている。
「田中さん」
「…………」
「田中さん」
「……ん」
「起きてください。角が刺さってます」
「……はい?」
田中が目を開けた。赤い目が寝ぼけてぼんやりしている。体を起こそうとした。
頭が動かなかった。
「……あれ」
「角です」
「あ」
田中が右手で壁を触った。角が刺さっている場所を確認した。
「……すみません」
「俺に謝っても角は抜けないです」
田中が頭を引いた。角が食い込んでいて、すぐには抜けなかった。ぐりぐりと角度を変えている。白い粉がぱらぱらと落ちた。
「ゆっくり回してください。壁が崩れます」
「はい。すみません。こういうの、城でもたまに―」
「城でもやってるんですか」
「玉座の裏の壁に、穴が三つくらい―」
「三つ」
ぼすり、と音がして角が抜けた。壁に丸い穴が残った。四つ目。
田中が頭を押さえた。角の先に石膏の破片がついている。颯が手を伸ばして取ってやった。
「ありがとうございます」
「修理の申請書は出さなくていいですからね」
「……でも、穴が」
「なにもなかった。いいですね?」
「え…あ、はい…」
田中が立ち上がった。天井に角がかすった。かがんだ。
颯はルカの寝台を見た。
空だった。
毛布が畳んであった。丁寧に、角を揃えて。寝台の上に皺ひとつない。
「……ルカさんは」
エリエルもいなかった。壁にもたれていた場所に、書類の束だけが置いてあった。
廊下に出た。田中も続いた。角が入口の上框にかすった。
白い廊下が金色の光を反射していた。昨日の薄暗い廊下とは別の場所のようだった。すれ違う天使が田中を見て壁際に寄ったが、朝は人が少なくて、昨日ほどの騒ぎにはならなかった。
第3課の前に来た。
扉が開いていた。
中から、紙の音がした。
覗き込んだ。
ルカが、書類を仕分けていた。
昨日田中が崩した書類の山。散乱したままだったそれを、一つずつ拾い上げて、色テープを確認して、処理段階ごとに分けている。机の上に、赤、青、黄色の束が並び始めていた。
その横で、エリエルが床のガラスの破片を拾っていた。昨日、田中が割った照明の。
田中が、入口で足を止めた。
「……ルカさん。エリエルさん」
二人が振り返った。
ルカの隈はまだあったが、昨日よりは顔色がよかった。
「あ、おはようございます。すみません、先に来てしまって」
「いつから起きてたんですか」
「一時間くらい前に。目が覚めたら、書類のことが気になって―」
田中の手が、動いた。
赤い束に手が伸びかけた。
「田中さん」
颯が言った。
田中の手が止まった。
「……仕分けようとしてませんよね」
「してないです」
「手が伸びてました」
「……癖です」
「昨日も同じこと言ってました」
田中は手を引っ込めた。ルカが、田中と颯を交互に見ていた。
「……田中さんも、書類が気になるタイプですか」
「はい。昨日、我慢できなくて仕分けようとして―」
「それで崩したんですね」
「……はい。すみません」
ルカが、少し笑った。
「じゃあ、この山が崩れてたのは、仕分けようとしてくれたから―」
「はい。すみません」
「謝らないでください。嬉しかったので」
田中が、少し困ったように目を伏せた。
「ルカさん。朝ごはんは―」
「大丈夫です。食べなくても動けます」
颯は天井を見た。
「田中さんも食べてないですよね」
「……はい」
「二人とも、食べてから行きましょう」
「でも、第12課が午前8時からで―」
「今、何時ですか」
エリエルが答えた。
「午前7時です」
「1時間あります。食べましょう」
田中とルカが、同時に口を開いた。
「でも―」
声がそろった。二人が、お互いを見た。
ルカが、少し笑った。
「……また同じでした」
「……ですね」
颯はもう驚かなかった。この二人が同時に同じことを言うのは、もう自然現象だと思うことにした。
「エリエルさん。食堂とか、ありますか」
「職員食堂が、第20課の隣に―」
「行きましょう。全員で」
ルカが、手に持った書類を見た。
「ルカさん。書類は置いて」
「……はい」
ルカが、書類を机に戻した。
四人で、廊下を歩いた。
天界の朝は早かった。昨日より人が多かった。出勤してくる天使たちが、あちこちの扉を開けて課に入っていく。書類を持っている天使。茶器を持っている天使。まだ眠そうな天使。どこの役所も朝は同じだった。
田中が歩くと、天使たちが道を空けた。朝でも、それは変わらなかった。
「ここです」
エリエルが指した先に、扉があった。扉の上に「職員食堂」と書いてある。
扉を開けた。
中は広くにぎわっている。テーブルが並んでいる。天使たちが朝食を取っている。パンの匂い。温かい飲み物の湯気。普通の食堂だった。
田中が入った。
にぎやかだった食堂が一瞬で静まりかえった。




