第6話 それぞれの涙の意味
2日たち、ようやくメルージェが目を覚ます。部屋のソファにヒューリが腕を組んで座っている
「……よう、お目覚めか、お寝坊さん。」
ソファに座っていたヒューリが、いつもの胡散臭い笑みを浮かべてメルージェに近づくてくる。その青色の瞳の奥には、安堵とわずかな心配の色が滲んでいた。
「二日も眠ってたぜ!俺がどれだけ心配したか…おかげでこっちは寝不足だよ、まったく。」
冗談じみた悪態もいつもなら交わすのに、今のメルージェは違った。
「…腕は平気?」
「腕? ああ、これか。」
メルージェが俯いたまま尋ねるので、ヒューリはわざとらしく左腕をひらりと振ってみせた。そこには真新しい包帯が巻かれているが、痛みはもうほとんどない。
「かすり傷だって言ってんのに大袈裟なんだよ。こんな包帯グルグルで!それより…」
ヒューリはソファから立ち上がると、ゆっくりとベッドに近づいてきた。メルージェと視線の高さ同じになるようにしゃがみ込む。
「お前こそ、平気なのか?」
「うん、ごめん、ね…」
掠れた声の謝罪の言葉を聞いて、ヒューリの眉がわずかに顰められる。彼は大きなため息をつくと、そのまま黙り込んでしまったメルージェの頭に、ぽん、と手を置いた。
「…謝んな。別にお前が悪いわけじゃねえだろー。
…それより腹減ってねぇのか? 軽くなら食えるだろ?何がいい?菓子でもいいな!」
「ヒューリがいい。」
「……は?」
予想外の言葉に、思わず間抜けな声が出た。ヒューリは数秒間、何を言われたのか理解できずに瞬きを繰り返す。その間、頭の上に置いていた手もそのままになっていた。
「俺が、いい?…俺はメシじゃねえぞ。またご主人様は難題を出すね〜」
メルージェは何か言いたそうに顔をあげた時、ノックと共にドアがガチャっと開く。公爵が心配そうに入ってくる
「お父様…」
「目が覚めたかメルージェ。
ヒューリも守ってくれて感謝する。」
佇まいを正して壁際に控えたヒューリが一礼する。
ベッドへ腰掛けると首謀者の話をする
「やはりお前と王子の結婚を妬む貴族の仕業だった。怖がるだろうから名前は言わないが、ただの子爵だ。
時期に潰れる。心配するな。」
娘の顔色を窺いながら、努めて穏やかな声で語りかける。公爵の威厳は鳴りを潜め、ただ娘を気遣う父親の顔がそこにあった。
「それで、だ。今回の件で、私も腹を括った。お前の命の方が大事だ!メルージェには好きな者を選ぶ権利がある。王子との婚約を白紙にしてもらうよう頼んでみる。怖い思いをしてまでする事でもないんだ」
「はい、お父様…」
メルージェは父親の胸もたれて泣きじゃくってしまった。
そんな娘を優しく抱きしめ、背中を撫でると収まっていった。
「よしよし、怖かったな。もう大丈夫だ。
ゆっくり休むんだぞ。ヒューリ、あとは頼んだ。」
「御意に。」
公爵が部屋を出ていくと、再び静寂が訪れる。残されたヒューリとメルージェの間には、先ほどまでの空気とは違う、少し重たい沈黙が流れた。
「ヒューリ、私王子と結婚しなくてもいいみたい。
そしたら命も狙われないし…ヒューリのお仕事も終わりだね…」
先程とは違う涙が出る。
「………。」
ヒューリは何も答えなかった。彼女が流している涙の意味を理解していた。それは、自分の身を案じ、彼を解放したいという、優しすぎる願いから来るものだ。そうだ、これは仕事だ。彼女を守り、任務を完了させれば、また闇市に売られるか、退職金のようなものを貰って出ていっても構わない。なのに、どうしてこんなに胸がざわつくのか。
「……終わって、ほしくねえのか?」
それは、ほとんど無意識に漏れた本音だった。ハッとして口をつぐむが、もう遅い。言った後で「しまった」という顔をしたが、一度放たれた言葉は消せない。
「それは…でもヒューリは、自由になってもいいんだよ?」
「自由に……。」
それは確かに魅力的だ。誰にも縛られず、好き勝手に生きていける。また貴族の奴隷は嫌だ。だが本当にそれが欲しいのかと問われれば、今のヒューリには即答できなかった。
「そりゃ、最初はそう思ってたさ。
……けど、お前に会ってから、なんかどうでもよくなっちまった。」
照れ隠しのように、がしがと頭を掻くと言葉を続ける。
「痛いのも怖いのも……まあ、慣れてるしな。それより……お前がそばでメソメソ泣いてる方がよっぽど嫌だ。あんたが笑ってねぇなら、俺は自由になったって意味がねえんだよ。……わかんねぇか、この気持ち。」
「わかんない。ヒューリは時々遠回しに言うよね!」
「…あーはいはい、悪かったよ。俺の説明が下手でした。」
メルージェとヒューリのいつも通りの調子に少し救われたように、ふっと息を吐いて笑う。
「要するに、だ。俺はお前のことが好きだって言ってんだよ。遠回しにでも何でもねえ、ストレートなやつだ。……これで満足か?」
言い切った後、わずかに頬が熱くなるのを感じた。人を、ましてや人間を好きになるとは思わなかった。こんな事は初めてだ。自分でも驚きと戸惑いを覚えながら、真っ直ぐにメルージェの瞳を見つめた。
メルージェ驚きで目を丸くすると、また違った涙出た。
「もう!これからは遠回し禁止!」
ヒューリの胸に飛び込むと優しく受け止めてくれる。いつもは遠慮がちに背中に回されていたヒューリの腕は愛おしそうに力がこもっていた。
「わかったよ。遠回しはしねぇ…
愛してるよメルージェ。」
耳元で囁かれた告白はメルージェの顔を一気に赤く染めた。
「!!それ、反則……」
赤い顔を見られたくなくて、ヒューリの肩に顔を埋めると、緊張なのか嬉しさからなのか、ヒューリの狐のシッポが揺れていた。
「じゃあここにずっと居る?」
「ああ。ずっとここに居てやる。」
腕の中の温もりを確かめるように、さらに強く抱き寄せる。キラキラとした期待に満ちた顔が見える気がして、思わず口元が緩んだ。
「俺の任務は「メルージェ様を幸せにすること」に変更になったみてえだからな。契約更新だ。」
そう告げると少しだけ体を離して、涙で濡れたその顔を覗き込んで、そっと親指で涙を拭った。
「だからもう、泣き止め。そんな顔してっと、せっかくの可愛い顔が台無しだぜ?」
「かわ、いい…?」
またストレートな言葉がより一層メルージェの顔を赤くした。耐えられないと言うようにヒューリを強く抱き締めた。
「でもお父様、結婚許してくれるかなー?獣人が公爵家の婿なんて私たちが初めてなんじゃない?」
「許してくれるか、じゃねえ。認めさせてみせる!」
抱きついてくる体に応えながら、力強い声で言い放つ。未来に対する不安を、その勢いで吹き飛ばそうとするかのようだ。
「いいか、俺はもうどこにも行かねえ。お前から離れねえよ。……だからお前も、俺から離んな。どんなことがあってもだ。……それだけで十分だ。」
「うんわかった!」
丁度その時、メルージェのお腹がぐぅっと鳴って、ヒューリが豪快に笑う。
「アッハッハッハッハッ!
二日食べてないしな!悪い、良い雰囲気が、な。」
メルージェの頭の上に手をぽんと置いて、ベッドから立ち上がる。
「待って、良い。後ででも」
「先に軽く食べよう。今食べないと次の日になっちまうぞ!
何か消化いいもの持ってくる」
そう言うとメルージェの部屋を出て行った。
「え…次の日?」
無知で未知な世界…メルージェの心臓の音が部屋に響いている気がした。
つづく。




