第23話 行き場のない想い
月明かりに照らされるヒューリは、艶っぽく見えた。
「……殿下が来てたみたいだな。」
その声には何の感情も乗っていないように聞こえるが、青色の瞳はメルージェの顔をじっと捉えて離さない。
「うん。
明日隣国の使節団が来るんだって。
また忙しくなるから、よろしくね」
ティーカップを片付けるためその場離れようとすると、ヒューリが腕を掴んで制止した。
「待った。いいから。」
有無を言わさぬ口調で、メルージェは抵抗することなく、諦めたようにゆっくりと顔を上げた。
「……やっぱり、ひでぇ顔してんじゃねぇか。殿下の前では知らねぇけど、俺の前でまで無理すんな」
「やめて…よ…そんな事、言わないでよ…」
ティーカップがカタカタ音を立てる。
「主であるアンタを心配してるんだ……アンタがそんな状態で、平気なフリしろってのか?」
「もう私は主じゃないよ…
だから私を見てなくていい…サラさんだけ見てなよ。」
「なんでサラが出てくんだ……それに主じゃなくても、アンタは俺にとって大事な人だ。」
「…何言って…もういい、ティーカップ片付けるから…」
「あ、おい!」
メルージェはヒューリの声に耳を貸さず、そのまま立ち去り、振り返ることはなかった。
ヒューリはただ遠ざかっていく彼女の背中を、苦い表情で見送ることしかできなかった。壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込むと大きな狐の尻尾が力なく床に垂れた。
やがて、彼は何かを振り払うように頭を振ると、静かに立ち上がり、自身の部屋へと消えていった。
そのやり取りをサラが柱の影から見ていた。
メルージェが自室に戻ってくると、ノックがする。
「はい、誰?」
「サラです。
お話良いですか?」
メルージェがドアを開けて、サラを部屋に入ると、後ろ手でそっと扉を閉めて、俯きながら話し始めた。
「さっき、ヒューリと話してましたよね。ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったんですけど……。
ヒューリ、最近ずっとあんななんです。殿下の事気にしてて……
困るんです。獣人が王太子妃殿下と仲良くなんて、他のメイドが見たらなんて思うか…
私たち、こんな良いところで働けるだけでラッキーなんですし。」
回りくどい言い方にメルージェはよく分からない。と言った顔をして見ていた。
「ごめんね。で?」
悪意はないメルージェの言葉に逆上したサラは、相手が王太子妃と言う事も忘れて怒鳴ってしまった。
「だから!ヒューリと仲良くしないでください!迷惑なの!彼と貴方じゃ立場が違うの!わかるでしょ!?
私からヒューリを取らないでよ!!」
サラの悲痛な叫びに含まれた嫉妬と独占欲は隠しようもなく、剥き出しの感情となってメルージェに叩きつけられる。サラは、はっと我に返ったように口元を手で押さえたが、もう遅い。
「わ、私は……その、ただ、ヒューリを心配してて……
申し訳、ありません……王太子妃殿下に、怒鳴るなんて……。」
震える声で言うと、慌ててその場に膝をつき、深く頭を下げた。
「良いのよ…
ヒューリが好きなのよね……良かったわ。彼は奴隷として生きてきたから、サラさんのような人がいて…。」
「え…。」
叱責されることを覚悟していたサラは戸惑いを隠せない。メルージェは優しく微笑んでいた。
「私もみんなに心配かけないようにするから、ヒューリにも気にしないように強く言っておいて。」
「あ、はい。わ、分かりました…」
「もう用が無いなら、下がってくれる?まだ仕事があるの」
「はい。失礼します…」
サラが出て行くと、メルージェはふぅ、と小さなため息をこぼした。
サラの気持ちを思えば、ヒューリに心配をかけるわけにはいかない。それでも、彼に気にかけてもらえるのが、嬉しくないはずはなかった。
絡み合う感情を、胸の奥に押し込めたのだった。
つづく。




