第19話 知らなければ良かった朝
「ヒューリ…?」
扉の向こうにいたのは、メルージェだった。
一歩、踏み入れた瞬間——
彼女はすべてを悟った。
床に散らばる衣服。
乱れた寝台。
そして、布団に覆われながらも、絡み合うように眠る二人の姿。
息が、止まる。
まさしくヒューリと自分もこんな感じであろう、幾度となく重ねてきた光景…
「ん……」
小さな声とともに、ヒューリが目を覚ました。
次の瞬間、思考が凍りつく。
なぜ今、ここに。
どうして、このタイミングで。
隣には、無防備に眠るサラ。
露わになった肌と、乱れた痕跡。
言い逃れなど、できるはずもない。
心臓が、氷水に沈められたように冷えていく。
「メルージェ…?なんで?…」
声が震える。恐る恐ると顔を向ければ、そこには案の定、呆然と立ち尽くすメルージェの姿があった。
「こ、これは、その……違うんだ。いや、違わねぇけど、その、これはだな……」
口から言葉は飛び出すが、まったく要領を得ない。しどろもどろになりながら、必死に言葉を探すが、何一つまとまらなかった。ただ、冷や汗が背中を伝う感覚だけがやけにリアルだった。
「良いのよ…ヒューリに、恋人が出来る事はいい事だわ」
にこりと微笑むが力がない。メルージェはいつかこうなるとわかっていた。都合の良い理由でヒューリを縛り付けられないと、思っていたから。だが現実にその場を見ると、心と頭が追いついてはいかない。
「明日、結婚式なんだけど、今日は自室でゆっくりしたい。って言ってこっちに来たの…」
「あぁ、そうか。…待ってくれ…!」
ベッドから転がり落ちるよう降りて、裸のままメルージェに駆け寄ろうとする。しかし、床に脱ぎ捨てられていた自分のシャツを踏んで滑り、無様にその場で尻餅をついた。
「ふふ。慌て過ぎ…私は部屋に居ますので。
……二人とも仕事頑張って。」
部屋を出るまでメルージェが凛とした態度を崩さないことに、逆にヒューリの混乱は深まった。なぜ怒らない?なぜ悲しむどころか、サラのことまで気遣うような素振りを見せる?その落ち着き払った様子が、まるで全てを見通されているようで、余計に居心地の悪さを感じさせた。
「ん…ヒューリさん?今誰か居ました?」
「あぁ、メルージェ様が…明日結婚式で、今日は自室で過ごすそうだ。」
「え!私、寝てた!ご挨拶しに行った方がいいかなぁ?」
「いや、いい。そろそろ仕事の時間だろ?」
そう言われ、サラが身支度を整え、部屋を後にする。
それに続くように、ヒューリも無言で衣服を身にまとい、自室を出た。
廊下に出た、その時だった。
かすかな啜り泣きが、狐の耳には否が応でも入ってくる。
「——メルージェ。」
はっとして、足が止まると、音を立てぬよう、そっと扉を開けた。そこには布団を頭まで被り、小刻みに震える小さな背中。
声を押し殺してもなお漏れてしまう嗚咽が、胸を締めつける。
何も言えない。
何もできない。
ただ立ち尽くすことしかできない自分に嫌気がさして、ヒューリはその場から逃げるように去っていった。
メルージェは気分転換にと、メイドと庭の散策をしていた。サラがメルージェに気づき、お辞儀をしていると、後ろから着いていたメイドが叱責した。
「ちょっと!ここはメルージェ様の庭よ?あんたが居ていい場所じゃないの!」
「も、申し訳ございません……」
メルージェはいきなりメイドの物言いに驚いたが、獣人だからこういうものなのか。と思う。メイドを制止し、サラに言葉をかけた。
「良いのよ。庭師の方は入っているわ」
「メルージェ様!そんな甘い事…」
「あ?騒がしいな…」
ガサガサと植木から顔を出したのはヒューリだった。どうやら庭師の手伝いをしていて、サラはお喋りのために来ていたようだった。
メルージェは慌てて振り返り、その場を後にしようとするが、ヒューリの切羽詰まった声が足を止めた。
「待ってくれ!話を聞いてくれ!こいつは、サラと言って、熊の獣人で…そういうんじゃ……いや、そうなんだが、仲良いだけなんだ」
弁解しようとするが、言葉は空回りするばかりで的を得ない。するとサラがヒューリの腕に手を回して、メルージェに言い放った。
「サラと申します。ヒューリさんとはお付き合いしてます。獣人同士なのだから、何の問題もないと思います。」
「そう。ね…」
メルージェは一言だけ言うと、サラを睨むメイドと部屋へ戻って行った。
サラは勝ち誇った顔でメルージェを見つめ、ヒューリは何も言えず佇んでいた。
つづく。




