第8話 聖女の祈りと旅の仲間【後編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ― エピソード⑥「“術理”と小さな灯火」
風が――戻った。
焦げた匂いと、土の焼けた匂いと、どこか焦げすぎたパンの匂いが混ざった広場に、
静かな風が吹き抜けた。
月明かりの下、倒れ伏す巨体。
そこにいるのは、光を帯びてレナの傷口の手当をするセリアと、痺れた手を振るライエル。
その傍に、剣を収めたユリシアがゆっくりと息を吐いた。
「……レナさん、もう大丈夫です」
ぽつりとこぼれたセリアの声は、緊張の解けた空気を静かに、やさしく震わせる。
「セリア、ありがと! すっかり傷口も塞がったみたい」
レナは確かめるように、足を一歩一歩伸ばしながら、ゆっくりと周囲を歩く。
歩くたびにマントの裾が灰を踏み、焦げた風を裂いた。
「よくやったわね、二人とも。特に――ライエルくん」
少年は、ただ照れくさそうに笑ってみせた。
「……ちょっとだけ、怖かったです」
「ちょっとだけで、あれが撃てるんならたいしたもんよ」
レナが肩をすくめ、ヒノカゲが「ほんとだぜー」と尻尾でぱたぱたと同意する。
セリアは、そっとライエルの手を取った。
少し驚いた様子のライエルの目を、じっと見つめる。
「ありがとう、ライエル君。あなたがいなかったら、誰も……守れなかったかもしれないです」
「……俺、怖くて……ずっと隠れてたんです」
「でも、最後には来てくれました。
あの時、あなたが来てくれて、私は――信じてよかったって、思えました」
その言葉に、ライエルは目を伏せたまま、ぎゅっと拳を握った。
「……俺、もっと強くなります。今度は、最初から一緒に戦えるように」
セリアは微笑みながらライエルの手を優しく包み、うなずいた。
「……!」
ライエルは慌てて手を引っ込める。
「こ、これは……顔面の毛細血管に血が集まっただけで、その……社会的羞恥心とかじゃないです!たぶん……です!」
「ライエルくん、変なの」
セリアがそう言うと、みんなの笑顔が零れた。
「……ライエルくん、マジで面白いからそのままでいいわよ」
レナが笑いながら背中を軽く叩くと、ライエルはさらに真っ赤になってうつむいた。
けれど、その笑顔の余韻が消えるより早く――
レナの表情に、ふと陰が差した。
「……ほんとはね……怖かったんだ。このまま終わっちゃうのかなって。
でもさ。人の前で泣くのって、性に合わないのよ」
「……ごめん。結局、一番足を引っ張ったのは私だってわかってる」
『そんなことありません!!!』
その瞬間、三人が唱和した。
「レナ殿。あなたが我らの先頭に立ち、我らの心を奮い立たせてくださったからこそ――私は剣を振るい続けることができたのです」
「レナさんは、わたしたちを傷つきながら守ってくださっただけです。
それに……わたしたちは“仲間”なんですから、泣いたっていいんです」
「僕だって、レナさんがいなかったら勇気を出して広場に出てこれなかったし」
「そうだぜー、年長者の俺様だってあんなオーガー見たことないしな」
一緒に戦った仲間たち。
それぞれの感謝の言葉で返され、レナは思わず噴き出す。
――そして、あたりはみんなの笑い声で包まれた。
(仲間っていいな…なんだか懐かしい)
ふとレナはそう思った。
(変なの……。ずっとソロでやってきたのに、懐かしいなんて……)
耳を真っ赤にして笑うレナ。
肩の上のヒノカゲはそんな彼女を片目で見ると、また目をつぶり、小さく丸くなった。
まるで、彼の記憶の彼方の――誰かにレナを重ねるかのように。
――その夜。
村の宿屋の一室には、ほのかな灯りがともっていた。
木造の天井。きしむ床。
小さなテーブルには、村人が差し入れてくれた果物酒と、焼いた干し魚が並んでいる。
「……おかわり、いりますか?」
セリアが素朴な陶器のカップを手に、レナに問いかけた。
「んー……ありがと。でも、もう酔っちゃいそう」
レナが、ぽりぽりと焼き芋をかじりながら笑う。
その隣で、ユリシアが黙って、窓の外を眺めていた。
窓の向こう――
わずかに残る“風の灯り”が、広場の一角を照らしている。
「……静かですね」
セリアがぽつりと呟くと、ユリシアが軽く頷いた。
「ようやく、です。あれだけの混乱のあとですから……」
しばしの沈黙が落ちる。
(……さっきまでのこと、嘘みたいに静か。でも、心の中は……まだ少しざわついてる)
やがて、セリアがカップを置き、手を胸にあてた。
「……今日、怖かったです。でも……あの子も、みんなも守れたことは、よかったと思ってます」
(守れた……ほんとうに? あんなに震えてたのに。
だけど――次は、もっと強く。震えないで、守れるように)
「セリア様は、よくやられました」
セリアの少し震える声を感じたのか、ユリシアが真っすぐにそう告げる。
「ホーリーシールドは、並の祈りで発動する術ではありません。あれは……覚悟の力です」
(信じてくれた人がいた。背中を預けてくれた人がいた。
だから……私も、“誰かを守る祈り”を、やっと形にできたんだ)
「ふふ……姉様、ありがとう。
でも、あれが出来たのは……たぶん…レナさんの“余裕そうな顔”のせいかも」
セリアがちょっぴり照れ隠しのように言うと、レナが肩をすくめる。
「それは失礼しましたー。
だってね、あれぐらいのオーガー、普通の奴だったら火弾一発、んー、二発だったんだけどな~」
「普通の、ですか?」
「うん……今日のやつ、ただのオーガーじゃなかったわ」
レナの声が少しだけ硬くなった。
「炎が効かない。喋る。任務みたいな動き。ホブゴブリンを従えてる。全部、おかしい。
……まるで“何かの命令”で動いているようだった」
「私もそう感じました。それにあの鉄のような皮膚……普通のオーガーでは断じてありません」
ユリシアも賛同する。
「その“何か”が、どこの誰なのかはまだわかんないけど――」
レナのルビー色の瞳が、火を灯したように鋭くなる。
「オーガーが言ってたように“術理”を狙っていたのは、確かよ。
最初にライエル君の”風の灯り”を、その後、人間を狙った。
つまり、あの子の“風の灯り”が“術理”ってこと。
それを、その“何か”が見過ごせなかった、ということだと思う」
セリアが息をのむ。
「ライエル君が……狙われた、ってことですよね」
ふと、セリアは胸の奥が重くなった。
「正確には、“あの術理が広まるのを阻止しようとする者”がいるってことよ」
「帝国……でしょうか?」
ユリシアが口を挟む。
(帝国? ……私たち神聖国に侵攻を企てていた国。
でも、もう……争いは終わったって、伯父様は……そう言ってた。なのに、また……?)
レナは何も言わず、黙って杯を傾けた。
セリアがふと視線を上げ、二人を見渡す。
「……だとしたら、あの子をここに置いておく訳にはいかないです。
だから…あの子を、連れて行きたい――このままじゃ、また“何か”に狙われてしまいます。
だったら、わたしたちと一緒に歩くほうが安全ではないでしょうか?」
「……あら。聖職者様もずいぶんアグレッシブになったわね?」
レナはいたずらっぽく笑った。
「だって……。今日、わたしはようやく“何かを守ることができた”気がするんです。
――あの子の、あの”風車の灯り”は、この世界に灯った光だと思うんです。
それを狙う“何か”がいるなら、私がちゃんと守れるようにならなくちゃって」
レナは少しだけ目を細めて、笑う。
「……なるほど。それじゃあ、あの子を連れていく覚悟も、あるってことね?」
セリアはゆっくりと、うなずいた。
「はい。わたしも……“誰かを守りたい”って、心から思えたんです。
あの灯りを見たとき、そう感じました。だから……もっと強くならなきゃって」
「……それは、私も同じよ」
レナは少しだけ真面目な顔をして、ふっと息をついた。
「だから――次に会ったら、コテンパンなんだから!」
レナの冗談めいた言葉の奥に、熱が確実にあった。
そして、自分の胸にも、小さな火が灯るのを感じた。
その小さな火は、きっとレナの中に灯った“焚き火”と、同じ色をしている。
それは、夜の闇を照らす、仲間の誓いの灯りだった。
【第8話 聖女の祈りと旅の仲間【後編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ―】
【エピソード⑦「“焚き火”の誓い」】
※いつも『異世界転生売ります!』をお読みいただきありがとうございます!
ブクマ&フォローしてお待ち頂けますと励みになります。




