第8話 聖女の祈りと旅の仲間【後編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ― エピソード③「“誓い“の剣、“祈り“の盾」
──ズゥン……ズゥン……。
祭りの残り香が漂う広場に、不気味な振動が響きはじめた。
風が止み、空気が凍りつく。
その音は、地響きとも、何かを引きずる音ともつかない。
ただひとつ確かなのは――
“何かが来る”ということだった。
「……ッ、来るよ」
ヒノカゲの声が低く震える。
その尾が逆立ち、レナの肩でぴたりと静止した。
そして。
“それ”は、夜の帳を破って現れた。
村の外れから、ぼうっと浮かび上がるように現れたその影は――
一目見ただけで“格”が違った。
漆黒の肌に、樽のような腕。
三メートルを超える巨体に、頭部には奇怪にねじれた角。
――オーガーだ。
辺境でも遭遇することは非常に稀。
ましてや、こんな神聖国の内地深くで現れることなんてありえない。
Bランク以上のパーティ、ソロ討伐であればAランク以上の冒険者でないと討伐は困難とされる、強力な魔物だ。
しかも、その周囲を囲むように、ゴブリンのゆうに二倍は背丈があろうかというホブゴブリンが三体。
まるで忠実な部下のように動きを合わせながら、地響きを立てながら広場へと進んでくる。
ホブゴブリンはゴブリン10体分以上もの力を持つ強力な魔物である。
実際、辺境でも、大きなゴブリンの群れに一体程度が普通だ。
それが三体。
「なに……あれ……」
セリアは思わず声を漏らす。
ユリシアが、瞬時に剣の柄を握り直した。
「……セリア様。お気を付けください。あの行進、普通ではない」
「オーガーとホブゴブリン。あれは…小規模ながら魔物の“軍勢”です」
(魔物の“軍勢”――叙事詩に謡われる英雄王と聖女が戦ったという…)
その瞬間、セリアの目が、オーガーの口元に吸い込まれる。
(何かを言おうとしている…?)
「……異界ノ術理……許サレナイ……コワス……」
「喋った……!?」
ユリシアが小さく叫んだ。
ヒノカゲの尾がピクリと跳ね上がる。
「オーガーが……人の言葉を……?!」
レナの全身に、冷たいものが走った。
「ただのオーガーじゃないみたいね」
「……操られてる? それも違う……?」
そして風が止む。
その瞬間、ゴブリンとは明らかに異なる威圧感が、村全体を包み込む。
セリアが息を飲み、レナとユリシアは一歩、前に出る。
レナは唇を噛み、目を細めた。
――これが、“狩る”意思を持った魔物。
オーガーに踏みつぶされたライエルの“風力発電機”がぐしゃりと音を立ててひしゃげた。
まるで、この世界の“技術”の芽を――摘みに来たかのように。
「どっちにしろ、やるしかないわね」
「オーガーなら、何度か迷宮都市でもやりあったことはあるし――」
レナはにやりと笑い、御鈴杖を鳴らすように軽く揺らすと、声を張った。
「オーガーはこの“Aランク冒険者”の私が引き受けるわ。二人は、ホブゴブリンをお願いね!」
その言葉は、静まり返った広場に突風のように響いた。
余裕を感じさせるその声に、ユリシアは一瞬だけレナと視線を交わすと、すぐに頷く。
「セリア様。レナ様なら――“爆炎の戦巫女”様なら、オーガーを抑えられます」
「わたしたちでホブゴブリンを。後方からの支援をお願いします」
「……はいっ!」
声も、体も震えていた。
でも、ユリシアが信頼を置くレナの自信に満ちた言葉が、ほんの少しだけ、心を強くした。
そして――もう逃げないと決めたその足は、確かに地面を踏みしめていた。
三者三様、それぞれの想いと覚悟を胸に、戦線は二手に分かれる。
その瞬間、夜の広場は――再び、“戦場”へと変わった。
巨体のオーガーが、地を揺らしながら歩みを進めてくる。
その一歩ごとに、空気が軋み、強力な魔物が持つ“威圧感”が震えを持って広がっていく。
レナは不敵な笑みを浮かべながら言う。
「さあ、踊ってもらうわよ」
「ヒノカゲ、準備はいい?」
「おうよ!」
レナは御鈴杖を低く構え、駆け出す。
ヒノカゲが肩から跳び下り、赤い閃光となって旋回する。
「焔舞――炎弾!」
両手の杖から放たれた火弾が、軌道を描いてオーガーに命中。
爆ぜるように炎が広がり、巨体を包み込んだ。
だが――
「……効いて、ない?」
たしかに放たれた火球は全弾命中し、オーガーを激しく焼いた。
だが、体表に薄く残った炎をまとわせ、オーガーは煙の中を悠然と歩く。
その深淵のような漆黒の瞳は、ただ淡々とレナを見据え、言葉の代わりに“殺意”を語る。
まるで、命令された任務を淡々と遂行する“狩人”のように。
「ちょっと、本当にただのオーガーじゃないじゃない…」
「火に耐性あるオーガーなんて、聞いたことないって!」
直後、鉄塊のような拳が音もなく迫った。
「っ――!」
ヒノカゲの短い警告と共に、レナは地を蹴って跳び退る。
直後、轟音。
拳が地を叩きつけ、広場の石畳が粉々に砕け散った。
「……やば。これ、ガチで死ぬやつ?」
レナの額に、ひと筋の汗がにじんだ。
――その頃、反対側の広場では。
ユリシアとセリアが、三体のホブゴブリンと対峙していた。
「来ます、セリア様――!」
鋭く放たれたユリシアの警告と同時に、獣のごとき咆哮が轟き、ホブゴブリンたちが地を蹴って突進してくる。
全身を覆う異形の筋肉。
握られた棍棒には、鉄塊にも等しい質量と、純粋な殺意が宿っていた。
(……あんなのに、一撃でも当たったら――)
セリアの呼吸が、一瞬止まりかける。
その刹那、背中越しに凛とした声が響いた。
「ご安心ください、セリア様。ホブゴブリン程度――
辺境伯直伝の剣術にかかれば、恐れるに足りません」
ユリシアの瞳が、静かに燃えていた。
それは、戦場で幾度となく“命”と対峙してきた者だけが宿す、覚悟の炎だった。
「落ち着いて。支援魔法を」
その言葉で、セリアははっと我に返る。
そう、この人は――ユリシア姉様は、ただの騎士ではない。
(思えば……伯父様は、姉様の未来を予見していたのかもしれない)
毎朝毎晩、兄様と並んで剣を振る姉様に、伯父様は誰よりも厳しく、誰よりも熱く向き合っていた。
そのまなざしは、ただ技を教える父のものではなかった。
――いつかこの子が、“誰かを守る剣”になることを、初めから知っていた者の覚悟だったのかもしれない。
そして今、ユリシア姉様は“聖女の剣”として生きることを選んだ。
己の心を捨ててでも、誰かの盾となる覚悟の剣――。
(わたしも……わたしの“祈り”で、応えなくちゃ)
振り向かずとも、ユリシアが信じて背中を預けてくれているのがわかる。
(……わたしに、できることを)
すると――
まるで導かれるように、頭の中に祈りの綴りが浮かんでくる。
「Domine, lumen tuum dona nobis.
(主よ、あなたの光を、私たちに授け給え)」
その言葉を、祈るようにゆっくりと口にする。
――ぼんやりと、手のひらに光が灯る。
それは、夜の中で見失いかけた“希望”が、
再び指先に宿ってくれたような、あたたかな光だった。
やがてその光は、静かに、しかし確かに力を増していく。
「ライトブレス!」
届け――!
そう願って印を結ぶと、まばゆい光があふれ、
ユリシアの剣が淡い白光を帯びて輝きはじめた。
神聖な力によって強化されたその剣は、まるで“神の剣”のように見えた。
「なんと、神々しい! 助かります。――背中は、セリア様に預けました!」
ユリシアが地を蹴った。
ホブゴブリンの一体が、雄叫びを上げながら棍棒を振り下ろす。
だが――その軌道を見切っていたユリシアは、わずかな隙を突いて滑るようにかわし、
そのまま踏み込む。
辺境伯直伝の剣術――その真価が、まさに今、発揮される。
「はっ!」
白光をまとう剣が閃き、ホブゴブリンの脇腹を鋭く斬り裂く。
強烈な斬撃と共に、黒い血が飛び散った。
咆哮と共にホブゴブリンが崩れ、土煙が舞い上がる。
しかし――土煙の向こうから、もう一体の大きな影が跳びかかってきた。
「セリア様、こちらはお任せを!」
「はいっ……!」
ユリシアがその巨躯の個体を引き受ける。
だがその隙を狙って、三体目のホブゴブリンが地を蹴り、セリアへ向かって突進してきた。
(……来る!)
あのときの記憶が、フラッシュバックのようによみがえる。
山賊に囲まれ、ただ震えて祈ることしかできなかったあの夜――
でも、今は違う。
(この手は、あのとき震えていた。でも今は――誰かを守るために、祈れる!)
「Domine, scutum sanctum luce tua, protege servum tuum…
――(主よ、あなたの聖なる盾で、あなたのしもべをお守りください…)」
「ホーリーシールド!」
静かな決意と共に、セリアが両手を組む。
その指先から放たれたまばゆい光が、静かに空間を染め上げた。
【第8話 聖女の祈りと旅の仲間【後編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ―】
【エピソード④「祈りが灯す“希望“と炎が焦がす”焦燥“と」】
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