第7話 聖女の祈りと旅の仲間【前編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ― エピソード⑨「祈りと灯火と、“最初の夜”」
夕暮れが迫る頃、ようやく三人は街へとたどり着いた。
こぢんまりとした木造の門の前には、軽装の衛兵が二人。
彼らは目に入った三人の姿――剣を携え、旅塵にまみれたその格好に警戒の色を浮かべるも、ユリシアが素早く外套を整え、騎士としての礼節をもって軽く一礼すると、衛兵たちは無言のまま視線を外した。
「……強そうな旅人に、余計な詮索はしない。そういう街ね」
レナが小声でつぶやく。
「こんなふうに小さな街では、強そうな旅人に関わるのはリスクだからな」
肩に乗ったヒノカゲが小さくうなずく。
見上げたセリアと目が合うと、ヒノカゲは尻尾を軽く振り、また丸まって目を瞑った。
セリアの気持ちが少しだけ軽くなる。
三人は門を抜け、石畳の通りを進んでいく。
夕暮れ時の街はまだ賑わっており、市場では人々が最後の買い物を済ませていた。
「とりあえず、宿を探しましょう。セリア様もお疲れでしょう」
ユリシアが指を差し、街の中心へと向かう。
やがて、「草原の宿」と書かれた看板のある宿屋が見えてきた。
木造二階建ての建物で、窓からは温かなランタンの光がこぼれている。
中に入ると、カウンターの奥にいた中年の宿主が顔を上げた。
「おや、いらっしゃい。旅のお嬢さん方かい?」
「はい。できれば三部屋お願いしたいのですが」
ユリシアが丁寧に言うと、宿主は申し訳なさそうに首を振った。
「すまないねえ、今日は市が立っててね。残ってるのは一部屋だけなんだ」
「食事も…、予約でいっぱいでね。市で調達するといい」
ユリシアが一瞬、困惑の色を見せる。
「……一部屋だけ、ですか」
「そうだね。ベッドは二つ。まぁ、三人ならなんとかなるだろう」
レナが肩をすくめて笑った。
「しょうがないわね。とにかく、まず部屋を確保しましょう」
「……はい。お願いします」
鍵を受け取った三人は、階段を上がって二階の部屋へ向かう。
室内は簡素だが清潔感があり、木の香りが心地よい。
「いやー、野宿も覚悟してたから嬉しいねー!」
レナがベッドに倒れ込み、嬉しそうにはしゃいだ。
「……とりあえず、着替えて、身を清めましょうよ!
このまま寝るのは、さすがに…ね」
ベッドに寝転がったレナが言って、服をつまんでくんくんする。
「確かに。私たちの荷物は山賊に襲われた時に馬車に置いてきてしまいましたし――
買い出しも必要ですね」
ユリシアが答えると、レナは腰の小袋を確認して、ぱっと跳ね起きる。
「よーし、買い出しは任せて! 市って聞いたら血が騒ぐわ!」
レナが風のように去った後――
セリアは「ふぅ」と言いながらベッドに腰掛けようとした。
「セリア様、少々お待ちを」
ユリシアはベッドに近づくと、寝具を一つ一つ丁寧に整えはじめた。
枕の位置を調整し、布団の端をきっちりと折り直し、さらには手で何度もぽんぽんと叩いて感触を確かめる。
「……これなら、眠っても肩が冷えません」
「え、あの……姉様? さすがに、そこまでしなくても……」
思わず声をかけると、ユリシアは真顔のまま、ふっと目を伏せる。
「いえ、こういった環境では、些細な油断が疲労に繋がりますので」
(……うぅ、やっぱり姉様って、ちょっと過保護すぎるかも)
月明かりの中、宿屋の裏庭にある小さな洗い場で、二人は並んで服を洗った。
冷たい水に指先を沈めると、心なしか旅の疲れも和らぐ気がした。
そのまま身を清め、簡素だが清潔な布で身体を拭ってから、部屋へ戻る。
……なお、その時も「セリア様は部屋でお休みください」とユリシアが真顔で言い出し、しばし二人の攻防戦が繰り広げられたのは――きっと秘密、である。
買い出しを終えたレナが、市の“戦利品”をベッドに広げて待っていた。
「じゃー、わたしも行ってくるね」
窓からは広場の灯りが揺れ、市の喧騒が聞こえてくる。
並んで干された三人の服が、開いた窓から吹くやさしい風に、ゆらゆらと揺れている。
三人は干し肉とパンの簡単な食事を済ませると、宿主が貸してくれた簡素な寝間着に着替え、ようやく一息ついた。
部屋には木製のベッドが二つ並んでいる――。
セリアがベッドを見て、少し困ったように呟く。
「どうしましょう……ベッドが二つしかありませんね」
「私が床で寝ます。警備も兼ねて、交代で見張りを――」
「ええっ!? そんなのだめです!」
さっそく床に毛布を敷き始めたユリシアを、セリアは慌てて止めようとする。
レナは、水を一口飲もうと革の水筒の口をゆるめる手を止め、笑いながら口を挟んだ。
「そんなに気張らなくてもいいのに。どうせなら、みんなで横になって寝ちゃえば?」
「え……?」
ユリシアが固まる。
「いや、それは……警備上問題が……」
「でも、一人で見張って疲弊してたら意味ないわよ。それに…」
「たまには全員まとめて寝ちまえ。警戒なら俺に任せな」
ヒノカゲが肩でぐでっとしながら口を開いた。
しかし、ユリシアはそれでも“真ん中”を譲らない。
「騎士の心得として、主の傍には誰かが起きているべきです」
と、小さく呟くユリシア。
(姉様にも休んでいただきたいのに…。わたしから何か提案できたら…)
(そうだ!)
セリアは思いつきに任せて、ぽんと提案した。
「じゃあ、私が真ん中に寝て、ユリシア姉様とレナさんが両側に寝ればいいんです!」
レナが思わず吹き出す。
「ふふふ、それってまるで修学旅行みたいね」
「しゅう……がくりょこう?」
セリアが首をかしげると、レナは片目をつぶって言った。
「あー、みんなで寝泊まりして、夜遅くまで話したりするの。――友達との特別な時間よ」
セリアはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、ユリシア姉様とレナさんは……私の、初めての“しゅうがくりょこう”の友達ですね!」
その一言に、ユリシアがわずかに目を伏せ――少しだけ、視線をそらしたように見えた。
まっすぐな言葉に、照れたみたいに。
(……なんだか、ちょっと懐かしい)
硬い表情の奥に、昔と同じ、変わらない姉の気配が見えた気がして――
セリアは胸の奥が、少しだけあたたかくなるのを感じた。
「……わかりました。
それでは、私とセリア様がこちらのベッドで。セリア様を挟んで、レナさんはそちらのベッドに」
どこまでも真面目な言い回しの中に、ちょっとだけ優しさがにじんでいて――
セリアは胸の奥がほんのり温かくなるのを感じた。
こうしてこの一夜が、“旅の仲間“の絆の第一歩となったのである。
夜も更け、市の喧騒も静まり、部屋には静寂が訪れていた。
窓の外では、広場の灯りがちらちらと揺れている。
月明かりがカーテンを透かして差し込み、風に揺れる布越しに、床へと淡い模様を描いていた。
三人はベッドに並んで横になっていたが、セリアだけが目を開け、
ぼんやりと消えかかったろうそくの灯火をながめていた。
隣では剣を抱えたままのユリシアが、小さく寝息を立てている。
その時、レナがそっと身を起こした。
「眠れない?」
「……はい。少しだけ」
セリアが笑って答えると、レナは軽く首を傾けた。
「大丈夫です、セリア様。ここは安全です」
ユリシアが目を開け、静かに声をかけた、その時だった。
ヒノカゲがピクリと反応し、もぞもぞと口を動かす。
「ん……来るぜ。ちょっとだけ、火ィ出すぞ」
ぽん、と吐き出された小さな火球が宙に浮かび、部屋の中央でふわりと揺れた。
その炎の中に、淡い光で文字が浮かび上がっていく。
ユリシアは即座に立ち上がり、それを読み取った。
『無事生還。負傷者あり。先へ進め。――ガウェイン』
セリアが勢いよく身を起こす。
「ガウェイン様……無事なんですね!?」
「……まだ続きがあります」
さらに文字が現れる。
『山賊二十、撃退。味方重傷二。
セリア様無事確認。追跡は困難、頭目逃亡。目的不明。
今後も警戒を。護衛任務、感謝する。
“爆炎の巫女”殿へも伝言を。
――ガウェイン』
ユリシアが小さく息を吐いた。
「……生き延びたようです」
「よかった……! 本当によかった……!」
(わたしの祈り……ほんの少しでも、届いたのかな)
セリアは胸を押さえ、涙をこらえるように微笑んだ。
レナも安堵したように息をつく。
「さすがね、あの騎士団。あの状況で死者無って、たいしたもんだわ」
ユリシアがふと視線を向ける。
「……レナさん。いつの間にガウェイン様に伝言を?」
レナはくすっと笑って答えた。
「市に行くときにね。ヒノカゲにお願いしておいたの。“無事だったら教えて”って」
「俺様の鼻があれば、隊長の匂いくらい朝飯前だぜ!」
ヒノカゲが得意げに尾を揺らす。
ユリシアは驚きと尊敬が入り混じった表情で、小さく頷いた。
「……さすが、です」
「まあね。寝不足で眉間にシワ寄せたくなかったし」
レナが軽く肩をすくめると、セリアもほっと笑って言った。
「レナさん……ありがとうございます。
ヒノカゲさんも、本当にありがとう」
「おうよ! 俺様もっと褒めていいぜ!」
「……それじゃあ、今日の“英雄様”は……ヒノカゲさんに決まり、ですねっ!」
「ふふん、当然だぜ!」
「ふふっ、はいはい。最高でしたよ」
レナが笑うと、セリアとユリシアからも笑顔が零れた。
セリアはそっと手を伸ばし、ヒノカゲの毛並みをなでる。
「――ありがと、英雄さん」
小さく囁くと、ヒノカゲはぷいっとそっぽを向きながらも、どこか気持ちよさそうに目を細めた。
――緊張の連続だった三人の間に、ようやく柔らかな空気が流れる。
ユリシアはそっとセリアの背に手を当て、
「……セリア。大丈夫です。明日も、必ずお守りします」
と、どこまでも優しい声で、静かに告げた。
セリアは、その言葉に胸がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
きっと、あのころと何も変わっていない。
でも、きっと……私がそれに気づけるようになっただけなのかもしれない。
すると、レナも同意するように頷いた。
「さあ、もう寝ましょう。朝になったら、また出発よ」
「はい……」
三人は再び布団を整え、それぞれ横になる。
セリアは隣で眠るユリシアの背にそっと触れた。
ユリシアは気付かなかったのか、そのまま静かに寝息を立てている。
(ユリシア姉様……ありがとう)
少しだけ目を閉じ、
「みんなが無事でありますように」
祈りの言葉を心の中でそっと唱え――セリアは静かに眠りについた。
ユリシアは、セリアに背を向けたまま、そっと瞼を開く。
一瞬だけ、窓から差し込む銀の月光がその瞳に宿り――やがて静かに閉じた。
頬にはかすかな朱が灯り、口元には、ほんの小さな微笑が浮かんでいた。
――それは“聖女の守り手”ではなく、“妹を想う姉”としての、やさしい微笑みだった。
その時、窓からのやさしい風が、そっと強くなる。
消えかけていたろうそくの灯火が、ほんの一瞬だけ強く揺れ、
――そして、静かに煙を立てて、消える。
それはまるで、三人が眠りにつく、その瞬間まで……
ずっと、寄り添ってくれていたかのようだった。
こうして、“祈り”と“絆”が灯った一夜は――
――後に、“旅の仲間”の第一夜として、何よりも鮮やかに、心に刻まれることとなる。
次回。
【第9話 聖女の祈りと旅の仲間【後編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ―】
【エピソード①「村に灯る“灯火”」】
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