第7話 聖女の祈りと旅の仲間【前編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ― エピソード⑦「“聖女”に灯る灯火」
――刃が振り下ろされる。
セリアをやさしく、それでいてきつく抱きかかえるユリシアの荒い息を感じながら、
全身が硬直したその瞬間――
赤い光が辺りを包み込み、山賊たちが怯んで動きを止めた。
「おやおや、困っているようですね」
穏やかで落ち着いた女性の声が響く。
次の瞬間、巨大な狐火が空中に舞い上がり、炎の矢が放たれ振り下ろされる寸前だった山賊たちの刃が薙ぎ払われる。
セリアは思わず目を見開いた。
炎の残光の中に、“叙事詩”から抜け出たような、ひとりの少女の影が浮かび上がっていた。
狐火の咆哮が響いた瞬間、恐怖に凍りついていたセリアの胸に、熱が差し込んだ。
(……助かった……)
そして、ただの“救い”ではなかった。
――あの少女は、まるで舞うように、悪を祓っていく。
セリアの目には、それが“叙事詩の英雄”にすら見えた。
「誰だ!」
ユリシアが起き上がり、警戒しながら振り返る。
そこには、無造作に結った赤い髪をなびかせ、白地に赤い炎の刺繍で彩られた巫女装束を着た女性が、赤いマントを翻して悠然と立っていた。
赤い光が山賊たちを包み込み、その場にいた者たちが一斉にたじろぐ。
立ち込める狐火が、まるで生き物のように山賊の間を駆け巡り、次々に足元を舐め上げるように燃え上がった。
「うわぁっ、なんだこれ!」
「熱い、熱いぞ!」
山賊たちは慌てふためき、炎を避けようと必死に跳ね回る。
ゆらゆらと燃え上がる炎の中を、焔のように、まっすぐな眼差しをした少女が、悠然と歩く。
その手には、巫女装束に似た白と赤の布をまとい、鈴の付いた杖が握られている。
ユリシアが剣を構えたまま、肩で息をして問いかけた。
「あなたは誰ですか!」
女性は柔らかく微笑みながら、軽くその杖を振った。
鈴の音があたりに響き渡る。
すると、狐火が一斉に集まり、彼女の足元で小さな炎の狐となった。
「通りがかりの旅人です。ですが、どうやら困っているようだったので」
狐火の形をした小さな式神が、ひょいと飛び上がり、女性の肩に乗った。
「ヒノカゲ、あんまり暴れちゃダメよ」
「へいへい、お姉さんが言うなら仕方ねぇな」
狐が小さな声で応え、尾をふわりと振った。
その光景に、こんな時だと言うのに、セリアは思わず目を輝かせる。
「わぁ……かわいい……!」
「精霊さん…?」
ヒノカゲはぶるっと震え、ふわっとした尻尾を立てた。
ユリシアは依然として警戒を解かず、剣を握りしめたまま尋ねる。
「あなたの目的は? なぜここにいる?」
巫女装束の女性は、ふっとため息をつきながら応えた。
「私には“レナ”って名前があるんだから、“レナ”って呼んで」
セリアは大きくうなずき、ユリシアは小さくうなずく。
「目的……そうね。酒場で噂を聞いたの。なんか“燃えそう”な話だなって思って」
「理由なんていらない。助けを求める声があれば――私は、ただ火を灯すの」
その声には、どこか達観したような響きがあった。
「おい、あの女、何なんだよ!? 魔法使いか?」
「くそ、やってやる!」
山賊の一人が槍を構え、レナに向かって突きかかった。
だが、その刹那――
その沈黙を破るように、レナの杖が空を裂いた。
「焔舞――火焔狐!」
狐火が膨れ上がり、地を這う火焔の獣が咆哮する。
それはまるで巨大な九尾の獣――咆哮を上げながら駆け回る。
「う、うわぁぁぁっ!」
狐の尾が一振りするたび、地面が焦げつき、
山賊たちが次々に吹き飛ばされる。
一人の男が火の海に倒れ込み、悲鳴を上げた。
「助けてくれ! こいつ、化け物だ!」
他の山賊たちも、次々と恐怖で足がすくむ。
「まだまだよ!」
彼女は両手に鈴の付いた杖――御鈴杖を握り、流れるように一回転した。
「焔舞――炎輪烈華!」
空中に炎の花弁が舞い散り、レナの周囲に円が描かれる。
レナはそのまま舞い踊るように駆け込み、華麗な回転蹴りと共に、火焔が螺旋状に放たれた。
「うおおっ! な、なんだこれは!」
「近づけねぇ、燃える!」
山賊たちは次々に蹴り飛ばされ、その体に炎の残像が刻まれる。
レナがそのまま軽やかに跳ね上がり、狐火を背に、舞い踊るように山賊の中心に降り立った。
「邪悪を払う巫女の舞――これでもう終わりよ」
最後の回転蹴りが、炎の渦となり、
周囲にいた山賊たちをまとめて吹き飛ばした。
「くそっ、こんなの敵うかよ!」
「逃げろ! あんな化け物、やってられるか!」
山賊たちは恐怖に駆られ、四方八方へ逃げ出していった。
セリアは、巫女装束の女性――レナの背を呆然と見つめていた。
(これが……“誰かを救える力”
――いつか、この人みたいに、“誰かを守れる力”を、私も……)
胸の奥に灯った光は、まだ小さい。けれど、確かに――消えなかった。
山賊を撃退した後、辺りには静寂が戻っていた。
倒れた山賊が数人、その場に取り残され、炎の痕が黒く地面に残っている。
レナが小さく息を吐き、御鈴杖を納めた。
ユリシアは剣を両手に構えたまま、すぐさま警戒範囲を広げて周囲を確認する。
セリアも立ち上がり、ユリシアを真似るように周囲を見まわす。
その姿は、心なしか背筋が伸びているように見えた。
周辺の安全確認が終わり、ユリシアは剣を収め、深く息を吸う。
「セリア様、お怪我はありませんね? もう安全…」
言い終える前にセリアがユリシアの胸に飛び込む。
ユリシアは少しよろけながらもセリアを受け止め、やさしく抱きしめ返した。
「セリア様…」
「姉様…、本当に、本当に無事でよかった……」
セリアの両目に涙が溢れ、どうしようもなくほほを伝う。
ただ、うれしいのではなく、何もできなかった自分への悔しさも混じった…、そんな涙だった。
レナは微笑みながら、ただやさしく抱き合う二人を見つめていた。
「なー、姉さん。燃やし足りないんだけど?」
肩のヒノカゲが、げっぷのように小さい炎を吐きながらぼやく。
「二人が無事だったんだから、もうおなかいっぱいじゃない?」
レナがそう言うと、ヒノカゲはあくびをしながら尻尾をパタンと一振り。そのまま目を瞑って丸くなった。
――落ち着きを取り戻したセリアとユリシアは、傍の丸太に腰を下ろした。
「姉様……ガウェインたち、大丈夫でしょうか?」
その瞳には涙がにじみ、強がろうとする気持ちが見え隠れしている。
ユリシアは少しだけ視線を落とし、深呼吸した。
「セリア様……わかりません。
しかし、ガウェイン隊長は必ず無事に生還されています。
信じて、先に進むべきです」
セリアはその言葉に納得しきれず、しばらくうつむいて沈黙したままだった。
二人の様子を、しばらく黙って見ていたレナは、セリアの隣に腰をおろした。
うつむいたままのセリアに優しく微笑みかけ、その肩に手を置いて話しかけた。
「ねぇ、セリアちゃん、でいいのかな。きっと大丈夫よ。
さっき見た限り、あの騎士たちなら山賊なんかに負けない。
彼らもきっと無事で帰ってくる」
セリアはその声に少しだけ安心し、ゆっくりと頷いた。
「……そうですね。私が泣いても、何も変わりませんよね。」
「そう、その通り。」
レナの明るい声に、セリアも微かに微笑んだ。
ユリシアはレナの言葉に少し意外そうな顔をしながらも、
「……確かに、その通りです。セリア様の無事が何より大事です。」
と、少し硬いながらも同意した。
その時、ユリシアは「はっ」として少しかしこまり、立ち上がってレナに向かって深々と頭を下げた。
「改めて、助けていただき、ありがとうございます」
レナは微笑んで首を振った。
「困っている人を放っておけない性分なの。気にしないで」
セリアが隣に座るレナの顔を、少しだけ見上げて、無邪気な笑顔を向けた。
「本当にありがとうございます! あの舞、すごく綺麗でした!」
「ふふ、ありがとう。ちょっと派手だけどね」
レナは肩の狐を撫でながら、少し照れくさそうに笑った。
ユリシアは依然として緊張した様子で口を開く。
「この方はセリア様、わたしは護衛のユリシア。共に辺境伯ゆかりの者だ」
「なるほど、辺境伯の…」
そして、慎重に尋ねた。
「改めて伺いたい……あなた、一体何者ですか?」
「私はレナ。戦巫女として各地を巡っている旅人よ」
「戦巫女……?」
セリアは首をかしげながら、興味津々でレナを見つめた。
「うーん、この辺りでは“爆炎の戦巫女”なんて呼ばれてるけど…」
レナは少し目を伏せ、恥ずかしそうに言った。
「“爆炎の戦巫女”様!ここ最近、辺境を騒がせているAランク冒険者の!?」
ユリシアが思わず叫んだ。
「有名な方…、なんですの?」
セリアが目を輝かせて尋ねた。
「はい。先日の山賊騒ぎや、黒の渓谷事件など数々の依頼を、騎士団が出る前に彼女がたった一人で片付けてしまうほどの高ランク冒険者だと」
「それにもかかわらず、迷い猫探しから、掃除や片付け、肩もみなど、細な依頼も引き受けるという、一風変わった方だと聞いております…」
「えーっと、それは、本業は“便利屋”なので……」
レナがもじもじしていると、肩で丸くなっていたヒノカゲが、もぞもぞと動く。
「えっへん。俺様と姉さんはすごいんだぞ!」
そういうと、ヒノカゲが上を向き、尻尾に小さく火を灯した。
セリアはヒノカゲの火の温もりを感じ、手のひらを見つめながら、心がじんわりと暖かくなるのを感じた。
(あたたかい…。心に火を灯すってこういうことなのかな)
セリアは両手をそっと握りしめた。
まだ頼りない火かもしれない。けれど、それは確かに、自分の中に“在る”とわかった。
セリアは、不甲斐なかった自分の心に火を灯してくれた精霊を、不思議そうに見つめた。
ヒノカゲは、見つめるセリアの瞳に何かを見たのか――
何か言いかけたが、言葉にはせず、ただそっと目を閉じた。
――レナが尋ねた。
「で、あなたたち、どこへ?」
ユリシアは一瞬躊躇したように結んだ口を開いた。
「聖都だ」
レナは手を打ち、反応する。
「実は私も聖都に向かおうと思っていたところなの。修行を兼ねてね」
「そうだったんですね!」
セリアは心から嬉しそうに笑みを浮かべ、ユリシアを振り返った。
「ユリシア姉様、レナさんも一緒に行きましょう!」
ユリシアは少し戸惑ったが、“爆炎の戦巫女”であるレナの実力を考えれば心強い。
「……わかりました。ただし、気を抜かないように」
レナが満足げに頷き、セリアに優しく声をかけた。
「よろしくね、セリアちゃん。」
「はい、レナさん!」
丸くなったままのヒノカゲの狐火がパッと消え、狐の精霊だけがレナの肩に残った。
三人は再び道を歩き出し、新たな旅の仲間が加わった。
道端の花々が揺れ、暖かな風が吹き抜けていく。
セリアはそっと、ユリシアとレナの顔を交互に見つめ、小さく頷いた。
どんな未来が待っているかはわからない。
けれど、もうひとりじゃない――そう思っただけで、心がずっと軽くなった気がした。
次回。
【第8話 聖女の祈りと旅の仲間【前編】 ― The Fellowship of the Praying Holy Maiden ―】
【エピソード⑧「二つの“祈り”」】
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