第6話 “希望の残響” ― Resonance of Hope ― エピソード③「“AI三原則”」
「――さて、と。」
資料の続きを確認しようとしたその時、アスティの声が響いた。
『桐島部長よりミーティングの招集です。全員、ミッションルームへ集合とのこと』
一瞬にして場の空気が変わる。
獅堂はダンベルを置き、ぬうと立ち上がると、先陣を切って歩き出した。
神楽は両手を頭の後ろで組み、わざとらしく伸びをしながら唇を尖らせる。
「きりっち、ヨーロッパ出張から今朝帰ったとこじゃーん。時差ボケとか無縁?鉄人か!?」
「文句を言っても始まらない」
氷室は淡々と返し、ウサギ課長を彼の椅子にそっと座らせ、立ち上がった。
その表情はいつもの氷室紗綾だ。
水無瀬はソファに沈み込んだまま、片手で目元をこすりながら、もう片方の手をふにゃりと振った。
「んー、ミッションルームね……」
「凛…。寝てないで、さっさと起きなさい」
氷室は小さく溜息をつき、わずかに眉を寄せながら、水無瀬の肩を二度、正確なリズムで叩いた。
(さあ、仕事だ)
俺も、デスクのホログラムに映し出された書類を消し、立ち上がった。
そして、長すぎる白衣の袖を揺らしながらふらふらと歩く、水無瀬を視界に入れながら続く。
(みんな、個性はばらばらだし、むしろカオスな職場なのに、団結した時のチームワークはすごかった。ほんとに、不思議なチームに入ったものだ…)
そんなことを考えながらミッションルームの扉をくぐった。
――STF部ミッションルーム。
ミッションルームに到着すると、すでに桐島部長が中央のホログラムディスプレイを囲む円卓の傍に立っていた。
髪をきっちりとまとめ、背筋を伸ばしたその姿は、疲れの色は一切見えない。
欧州から今朝帰社したばかりだというのに、
さすがは自衛隊特殊作戦班の元隊長だっただけはある。タフさが桁違いだ。
そして、ホログラムディスプレイの中心に、いつもの光沢のあるワンピースを着たアスティが、軽く前で手を結び、待機していた。
「全員、揃ったな。おはよう」
「おはようございます」「……」
獅堂を除く全員が一斉に挨拶すると、桐島は軽くうなずいた。
「なお、風祭は作戦中で不在のため、音声だけの参加になるわ」
「……」
風祭から返事は無かったが、聞いているということだろう。
(それにしても、作戦中――まあ、風祭さんは隠密担当だから…。
そういえば、風祭さんの“転生保険”営業の話、聞いたことが無いな)
桐島が口を開いた。
「まず、不在中の対応に感謝するわ。特に坂下透の案件、報告書を確認させてもらったわ。
彼の魂の再生、そして母親との和解……本当に良かったわね。
皇、氷室、あなたたちの寄り添う姿勢が、彼の“生きたい”という意志を引き出した」
俺と氷室を順に見つめ、その眼差しには柔らかさがあった。
「ELICの理念を体現してくれたわ。ありがとう」
軽く頭を下げ、微笑む桐島に、俺たちは小さくうなずいた。
だが、次の話題に入ると、桐島の表情が引き締まった。
「ただし、問題は“ノクターン”ね。アリアの“魂の調律”という手法。
私たちの“シェル”と同様の技術なのか、それとも全く異なる異能なのかは、まだ不明。
いずれにせよ、警戒が必要なことは間違いないわ」
桐島が視線を鋭くしたまま続けた。
「そして、今回もアリアは“肉体に対する攻撃”を一切仕掛けなかった。
これまでの報告を見ても、彼らは一貫して直接的な暴力を避けている。
理由は不明だけど、何かしら“制約”があるのかもしれない。
あるいは、肉体への攻撃自体が無意味と考えているのか」
すると、ずっとうつむいていた水無瀬が、白衣の裾を引っ張りながら手を挙げる。
(また寝ているのかと思ったが……起きてたんだ)
「水無瀬?」
「坂下さんの魂を解析したんだけど~、“希死”、つまり“死を希む”感情が不自然に増幅されていたの。
ノクターンは魂の改造にはためらいがないのに、肉体への攻撃は回避してる。
これってさ~、やっぱり“物理的な攻撃を加えられない”ってことじゃないかな~」
桐島は腕を組みながら問いかける。
「物理的な存在ではない可能性はある?」
神楽が、空気を和らげようとしたのか、いたずらなのか……氷室にひそひそとささやく。
「ねえ、物理的じゃないって……幽霊ってことじゃない?」
「……やめて。そういうの、苦手なの」
氷室はわずかに眉を寄せ、小さく唇を噛んだ。
桐島の視線が獅堂に移った。
「物理的な存在だ」
獅堂は短く断言した。
先日の邂逅でアリアと直接渡り合った際、確かな“存在感”を感じ取っていたのだろう。
桐島が再度全員を見回す。
「他に意見がある者はいる?」
少しの間。
俺は腕を組んで考え込みながら口を開いた。
「……“AIの三原則”です」
「え、あの“ひとーっつ、AIは人間に危害を加えてはならないー”ってやつ?」
神楽が芝居がかった声色で言うと、水無瀬がふんわりと続けた。
「そうそう~。人間とAIが共存するために、全てのAIコアに組み込まれた基本ルールだよ~。
具体的には……アスティちゃん、お願いしていいかな~」
『はい、では表示しますね』
アスティがホログラムで表示された文書を読み上げてくれた。
『AI三原則
一つ、AIは、人間に危害を加えてはならない。
二つ、AIは、第一原則に反しない限り、所有者の指示に従わなければならない。ただし、人命救助および治療を目的とする場合、この限りではない。
三つ、AIは、第一および第二原則に反しない限り、自己を保存しなければならない』
「なるほど…。確か、20世紀に提唱された“ロボット三原則”から修正が加えられてるんですよね?」
俺が尋ねると、水無瀬が待ってましたとばかり、にっこりして答えた。
「ですです~。
自動治療機とか医療用アンドロイドにAIを搭載するために、変更されたんですよ~。
“ただし、人命救助および治療を目的とする場合、この限りではない”ってとこね~」
神楽が首をかしげる。
「どっちにしても、第一原則の“人に危害を加えられない”って、AIだからこそ成立する話じゃない?
アリアがAIならともかく……」
「ん~、そもそも、アンドロイドに魂があるなんて、聞いたことないしね~」
水無瀬はのんびりと感想を述べた。
――獅堂が視線を落とし、低く言った。
「アリアからは魂の波動を感じた。彼女は“人間”だ」
重みのある一言だった。
神楽は両手を広げて肩をすくめ、大げさに目を見開いた。
「え、じゃあ、AI説はナシ?終了?このミステリー、即解決~?」
「なわけないよね、アスティちゃん?」
そして、アスティに視線を向け、冗談めかして肩をすくめた。
振られたアスティはと言えば、少し首を傾げて真面目に答える。
「はい、ノクターンのエージェントがAIである確率は17%以下。
可能性は低いですが、否定はできません」
「なんかつまんない回答~。さーやせんぱいみたい」
神楽が口を尖らせて文句を言うと、氷室は目を細くしながら言った。
「そうね、私も、アスティに賛成。現時点では否定はできないけど、可能性は低いと思うわ」
そして、桐島は少し机に目を落とし、現時点での結論をまとめた。
「そうね。アリアがAIアンドロイドである可能性は排除してもよさそう。
でも、肉体を攻撃しない理由は依然として不明よ。
魂そのものを重視しているか、もしくは別の理由があるのか……」
獅堂さんがそこまで言い切るなら、この結論は納得だ。
しかし、あのアリアの冷たい、感情の揺らぎが感じられない目を思い出し――
少しだけ胸がざわめいた。
少しの沈黙の後、桐島は円卓にそっと手を添え、全員を見渡す。
「引き続き、情報収集を進めて。
アリアが去り際に言った“次はこうはいかない”という言葉を甘く見てはいけないわ」
水無瀬は口元を袖で隠しながら、のんびりとあくび混じりに呟いた。
「じゃあ~、わたしも~“シェル”の防御力強化の研究、進めておくね~。
こないだソウルリンクを妨害されたとき、ちょっと危なかったでしょ?」
俺と氷室の視線が交差する。
「よろしく頼む」
桐島が締めくくり、次のアジェンダに移る。
「では、各自、案件の進捗報告を。要点だけで結構よ」
「アスティ、必要に応じて、報告書の表示をよろしく」
『承知しました』
アスティはそう言うと、ホログラムの光の粒子と共にくるりと一回転し、各自の前に次々と報告書を表示せた。
(AIとは、そもそもこういうものなのだろうか……)
もやもやとしたものを抱えながら、彼女の青い瞳をじっと見つめていた。
すると、アスティはふわりと宙に浮かびながら、ぱちくりと瞬きをし、片目を瞑って柔らかく微笑む。
(もし、アスティが人間だったとしても――俺は、同じように接している気がするな)
そんなことを考えていると、説明が始まる。俺も報告書を目でなぞり始めた。
【第6話 “希望の残響” ― Resonance of Hope ―】
【エピソード④「もう一度の人生という“希望”」】




