第6話 “希望の残響” ― Resonance of Hope ― エピソード②「近未来オフィスと“カオス”【後編】」
「この”ウサギ課長”、すめっちに似てない?」
神楽の言葉に俺が苦笑していると、部屋の隅で、堂々と筋トレをしている巨漢が視界に入る。
――STF部のターミネーターこと、獅堂 岳。
ダンベルが持ち上がるたびに、隆々とした筋肉が波打つ。
「獅堂さん、今日も朝から全開ですね」
「……ああ」
獅堂は振り向きもせず、うつむいて伸縮運動を続ける。
「……」
「獅堂さん、デスク、半分筋トレ用品置き場になってますよ……」
無言でサムズアップ。
本当に口数が少ない人である。
あれで、どうやって営業してるのだろうか?
俺は神楽に聞いてみることにした。
「獅堂さんの営業、同行したことあります?」
「えとねー、二回だけ。
一回目はー、腕相撲してた。でー、二回目はー、ずっと睨めっこしてた」
神楽はひざの上に鎮座するウサギ課長の耳を、ぴょこぴょこと動かしながら言った。
「……」
(営業って、腕相撲と睨めっこでするもんだったか……!?)
「――それで結局、案件は?」
「ちゃんと取れてたよ~」
「えとね、一回目は、現役のプロレスラーさん。
結構有名な人で~、マッスル…なんとか?って人。
『鍛えてますね。ひと勝負しましょう』って言いだして―、もうびっくりだよねー。
で、腕相撲に負けた後、『次はリングで待ってます』って。握手してそのまま契約」
「そんで、二回目はー、頑固そうな社長さんだったな。
30分間ずっと無言で睨めっこしてたんだけど、
社長さんが先にため息ついて、『負けたよ、契約しよう』って」
「……」
俺は唖然としつつ、獅堂の営業スタイルを少しだけ理解した気がした。
(共通しているのは、勝負に負けた後、契約の意思を示していることだな)
きっと、あの圧倒的な存在感で納得させる何かがあるのだろう。
でも、その迫力で無理に契約させている訳ではない。
“あと一押し“が必要なクライアントに、自ら一歩前に進む理由を作り出す。
(ほんの“一押し”があれば、人は前に進める。それは確かにある)
だが、その手法は実に獅堂さんらしい。むしろ、獅堂さん以外には出来ない手法だ。
(俺には真似できないアプローチだが、勉強になるな…)
「しーちゃん、あれでも成約率、わたしより上だよ。すごいよね~」
右手にプロテインバーを持ったまま、ウサギ課長の耳を広げてピースを作る。
彼は、その結んだ口で、無言で抗議しているようだった。
それにしても、桐島さんの采配の凄さもあると思うが、獅堂さんさすが、としか言いようが無い。
その時、中央のホログラムディスプレイにアスティがふわりと現れ、部屋に誰がいるのかを確認するかのように、一周くるっと回った。
ワンピースの裾がふわっと広がり、ホログラムの光の粒が空間に広がる。
――AIアシスタントのアステリア(アスティ)
俺たちSTF部専属のAIアシスタント。
愛嬌のある性格で、時々AIということを忘れそうになる。
『おはようございます、皇さん、神楽さん、獅堂さん。
今日もSTF部は元気ですね♪』
「そだねー。元気っていうかー、いつものカオスだけどね」
神楽が笑いながら答えると、アスティが少し困ったように微笑む。
(おい神楽、お前が言うなー。)
俺は一人、心の中で突っ込みを入れる。
そこへ、足音が近づいてきた。ホロタブを片手に、背筋を伸ばして淡々と歩いてくる女性が目に入る。
――氷室紗綾。
俺は転職組だから、しばらく新人扱いでメンターが付く。彼女が俺のメンターだ。
彼女の容姿は――正直、思わず見とれてしまうほどだ。
彫刻のように整った顔立ちと、陶器のように白い肌。
しかし、そのきっちりとした身だしなみや、完璧にコントロールされた表情は、他者をよせつけないオーラを醸し出している。
――結果、社内では”氷の女”と呼ばれているそうだ。
「皇君、おはよう。もう今日の資料はまとまってる?」
「おはようございます。あと少しですね」
すると神楽が、にやにやしながらちゃちゃを入れた。
「ねぇねぇ、さーやせんぱい。おはようのキスとか……ないの?」
「は?」
「いやいや、さーやせんぱいってさ、なんかこう、すめっちにだけちと甘くない?」
(神楽、お前はいったい何を言い出すんだ…)
「……そんなことは…ない」
「けど、そうね――神楽さんがそう感じるのは、私が皇君のメンターだからかも」
その氷の表情を少しも崩さずに、淡々と答える。
(氷室さん、ジョークにマジ顔で答えるのだけはやめてください…)
その時、奥のソファーからごそごそと物音がし、歯磨き粉の匂いが漂ってきた…。
「……ん、うぅ、歯、磨かねば……」
もぞもぞと起き上がってきたのは水無瀬凛だった。
寝ぼけ眼のまま、歯ブラシをくわえてふらふらと歩いてくる。
「みなりーん、もしかして、ここで寝てたの?」
神楽が半ば呆れたように突っ込むと、
水無瀬はぼんやりとした顔をして、長過ぎる白衣の裾で目をこすりながら答えた。
「んー?昨日?ラボで実験してて~、気付いたら~、ここで寝てたみたい……」
「住んでるんかい!」
神楽が笑いながら言うと、水無瀬はソファーに深く沈み込みながら言った。
「いやー、ここ居心地いいから……なんか気付いたら、ね~」
(いやここ、水無瀬さんのマイルームじゃないからね?)
さらに、アスティがフォローに入る。
『水無瀬さん、またオフィスで寝泊まりですか?健康管理に支障が出ます』
「大丈夫だよ、アスティ。ワタシ、ちゃんとカロリーメイト食べてるし」
水無瀬はキリッとして、当然のように答える。
(やっぱりこの人もダメだった……いや、キリッとすな)
『それ、栄養管理とは違う気がしますが……』
氷室がため息をつきながら、
「凛、本当に規則正しく生活しないと、いつか体調崩しますよ」
と諭す。
水無瀬は「へーい」と曖昧に返事しながら、再びソファーにパタンと倒れ込む。
ふと、視線の先で揺れるウサギの耳が目に入った。
――そういえば、あの“ウサギ課長”、誰のだ?
「そういえば…。氷室さん、この”ウサギ課長”って誰のです?」
「ウサギ課長って?」
神楽は、度重なる抗議もよそに、彼の耳を持ち上げ、高く掲げた。
「あ、それ…。私の」
すると、さっと神楽からウサギ課長を取り上げ、抱きしめたまま椅子に座る。
そんな氷室の頬が、少しだけ染まっていた。
「えーーーーーー!」
思わず、神楽と声を合わせて叫んでしまった。
「そんなに驚かないでもいいじゃない」
氷室はかすかに頬を膨らませて抗議する。
「お客さんにもらったのだけれど、わたしの部屋には合わないから。それだけよ」
ウサギ課長をぎゅっと抱きしめて、少しムキになったように言った。
「べ、別に好きとかじゃないから」
その様子を見て、神楽はもうニヤニヤが止まらない。
「わー、さーやせんぱい、やっぱそういうとこ可愛いんだよね~」
「うるさい」
氷室はウサギの耳を軽く引っ張って、顔を埋めた。
(もしかして……あの氷室さんが照れてる……?)
「てかさ、そのウサギ、すめっちに似てない?」
神楽は、満面にニヤニヤを張り付けながら聞く。
「……そんなことはない」「だから、似てないから」
氷室の返事に、思わず出た俺の声が重なった。
「えー、似てると思うんだけどなー」
氷室は顔を埋めたまま小さく首を振る。
どんな表情をしているのかは、わからなかった。
「……意外ですね」
「何が?」
氷室は、ウサギ課長の耳の間に顔を埋めたまま、こちらを振り向く。
「いや、氷室さんがそういうのも好きなんだなってことが」
「別に、そういう趣味じゃないわ。……これは、その、気が向いただけ」
普段と違う氷室の一面に、神楽のニヤニヤはまずます止まりそうになかった。
氷室は、俺の視線に気づいたのか、少し顔を背けて小さくつぶやいた。
「……別に、見ないで」
――そして少しの沈黙の後。
氷室は急に俺の方を向き、真剣な眼差しで言った。
「……ちなみにこの子のネクタイ、皇君のと同じブランドなの」
「えっ」
その瞬間――場の空気が固まった。
神楽のくわえたプロテインバーが、ぽろっと落ちる音だけが響く――
――氷室はくすっと少しだけ笑って言った。
「…冗談に決まってるじゃない」
氷室はそう言うと、そっとウサギ課長を隣の席へ置き、すまし顔で仕事に取り掛かる。
ウサギ課長の、キュッと結ばれた口元が――
まるで「よくやった」とでも言いたげに、誇らしげに笑っているように見えた。
……俺に、じゃなくて。
きっと――氷室さんに、だけど。
次回。
【第6話 “希望の残響” ― Resonance of Hope ―】
【エピソード③「“AI三原則“」】




