第5話 “胎動” ― Quickening Shadows ― エピソード⑦「再生と“カルテット“」
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「クライアントの魂を――再生する!」
(これは保険契約なんかじゃない。“魂の運命”に責任を持つ、俺自身の――選択だ)
「フェニックス・コード、起動!」
『皇律の魂の波動を確認。ロック解除』
『フェニックス・コード、アクティベート!』
アスティの声とともに、シェルに刻まれた意匠――フェニックスの翼が、光の羽ばたきと共に展開する。
それは腕全体を包み込むように、赤い光を伴って変形していった。
同時に、翼から赤い光が坂下と母の間に伸び、二つの魂が共鳴し始める。
魂の揺らぎが小さく震え、波紋のように空間へと広がっていく――。
坂下の魂に、母・頼子の穏やかな魂が、そっと寄り添うように重なっていく。
それはまるで、互いの痛みと優しさを分かち合い、ひとつに戻ろうとするかのようだった。
(これが、フェニックス・コードによる魂の”共鳴”……)
その時だった。
突如として、空間から“音”が消えた。
風のざわめきも、空調のうなりも、人の呼吸さえ――まるで世界が“録音停止”されたかのように、沈黙へと閉ざされる。
(何だ……?この異様な空気は……。あのカフェを出た時と同じ感覚…?)
その静寂の中に、どこからともなく、優雅な歌声が響き渡った。
低く、深く、どこか悲しげでありながらも、狂おしいほどに美しい旋律。
その歌声と共に、空間が微かに歪み、まるで空間を切り取った絵の中から抜け出すようにして、真紅のドレスを纏った“アリア”が姿を現した。
まるで世界の“解像度”が変わったかのような違和感が、背筋を這い上がってくる。
アリアは、指先でドレスの裾をそっと摘み上げ、もう一方の手を胸元へと添えた。
そして、舞台に立つ女優のように、観客へ捧げるような、流麗な一礼を――まるで“そこにある魂すべて”に対して捧げるように――ゆっくりと描き出した。
「……ああ、美しい“調律”――まるで春の終わりに咲く一輪の白花」
「でも、それが“正しい旋律”とは限りませんわよ?」
朱の唇に浮かぶのは、どこか芝居じみた――けれど、抗いがたい微笑。
一歩、また一歩――音もなく、滑るように。
そのたびに、真紅のドレスが花びらのように舞い、空気をそっと撫でていく。
「アリア!」
氷室がその名を呼ぶ。
「どうして、ここに……!」
とっさに俺が問いかけると、アリアはふっと微笑んだ。
「どうして?そんなもの、決まっているでしょう?
“狂った旋律”を奏でる者がいるのですもの、わたくしが調律してさしあげなければ。」
彼女の指が宙を怪しげになぞり、その動きに合わせるように、再び歌声が響き渡る。
その声が重なるごとに、坂下の魂が不安定に揺れ始めた。
『警告。共鳴波に異常を検知。外部干渉が発生しています。』
アスティの冷静な声が、脳裏に直接響いた。
『ソウル・リンクが切断され…ま――。』
(くそ……アリアが魂に干渉しているのか……!?)
「何をしている!?」
俺は詰め寄るように声を荒げるが、アリアはあくまでも優雅に微笑むだけだった。
「魂は“旋律”。わたくしが奏でるのは、“美しき狂奏曲”……。
あなたの拙い“調律”で、この完璧な旋律を乱さないでくださいますこと――お願い申し上げますわ。
……せめてもの“礼儀”として」
その言葉に、腹の底が熱くなる感覚を覚える。
(ふざけるな……このままじゃ、坂下さんが……!)
アリアの歌声が強まり、坂下の魂の共鳴が狂っていく。
その歌声は、音ではなかった。
むしろ、鼓動の内側を“掻き鳴らす”ような異音だった。
坂下は肩を揺らし、目を見開いたまま、呻くように息を吐く――まるで魂ごと引き裂かれるように。
さらに、坂下の魂の歪に呼応したかのように、母・頼子の魂まで、微かに歪み始めた。
(この状況を覆すには…、坂下さん、お母さんの“絆”、それしかない!)
俺は、響き渡る歌声にあらがうように、声をふり絞った。
俺はアリアに叫んだ。
「俺の“調律”が――本当に拙いか、試してみろ。魂に責任を持つ覚悟だけは……誰にも負けない」
そして、苦し気に息をつく坂下の両肩に手を置く。
「坂下さん、今だ!
今こそ、あなたがお母さんに本当に伝えたいことを、伝えるんだ!」
坂下は涙を浮かべながら、震える声で言った。
「……母さん……僕を……僕を覚えてるかい?僕だよ!透だよ!」
その瞬間、頼子の魂が「ドクッ」と強く反応する。
「とおる……?」
と震える声が漏れ、そのうつろな目に、わずかだが、光が戻る。
坂下の目には涙が溢れ、強く握りしめた母の手に零れ落ちた。
かすかな言葉に呼応して、坂下透の魂が光を取り戻し、共鳴が一気に強まる。
「おやめになって……! そのような偽りの音色で、わたくしの旋律を乱すのは……!」
アリアの口元が歪む。
「違う……これが、坂下さんの、本当の“旋律”なんだ!」
「もう一度、ちゃんと伝えましょう。お母さんに…、今のあなたの想いを!」
坂下は涙をこぼしながら、懸命に叫ぶ。
「俺……ずっと言いたかったんだ……
ごめん……そして……ありがとう。
俺、ちゃんと生きるよ……母さんの息子として、もう一度――
生き直してみせるから!」
頼子の魂が、赤く優しい光を帯び、坂下の魂に寄り添う。
「……親子の絆……ふふ、なるほど。
少しばかり、わたくしの想定を超えてしまいましたわ。」
一瞬だけ、アリアのガーネットの瞳に、“孤独”の影が差し込んだ気がした。
母子の共鳴が強まり、フェニックスの光が鮮烈に輝いた。
二つの魂が響き合い、その光の奔流は、まるで温かな翼のようにはばたいた。
光がアリアの歌声を打ち消し、その場に立ち尽くすアリアの瞳に、
ほんの一瞬、完璧に整ったその仮面に、“驚き”という名のひびが入ったように見えた。
フェニックス・コードと親子の絆によって、魂の再生は成功した。
しかし、室内はまだ異様な静寂に包まれたままだった。
「……あら、これは……」
驚愕と共に揺れる彼女の瞳――だが、次の瞬間にはもう、微笑が戻っていた。
「ふふ……どうやら、わたくしの“調律”が甘うございました」
「――けれど、次はこうはいきませんことよ?」
氷室へとすっと視線を滑らせ、その声は、音よりも冷たく優雅に響いた。
(……!)
(まだ……終わっていない……!?)
俺が一歩前に出ようとした瞬間、氷室が俺の肩に手をかけ、前に出た。
「私に何か用?」
表情を崩さず冷静に問いかける氷室に、アリアは愉悦に満ちた表情を浮かべる。
「ええ、あなたも、あの親子と同じく“狂った旋律”をお持ちのようですもの」
「狂った……?」
氷室が微かに眉をひそめる。
「ええ、“混じり合う旋律”……異質な“音色”が交じり合っている。
それは、まるで魂の“色”が二つ重なっているかのように」
氷室のまなざしが、わずかに揺れる。普段見せない、感情の揺らぎ――。
表情を一瞬だけ曇らせたが、氷室はすぐに凛とした瞳でアリアを見据えた。
「……そういうあなたも、異質な存在のようだけど?」
アリアはわざとらしく肩をすくめ、優雅に微笑む。
「さあ、どうかしら?」
氷室が胸元のシェル・フェンリルに手をかざすと、それは淡く青白く光る──かに見えたが、直後に“拒絶するように”光が消えた。
氷室の瞳が一瞬だけ見開かれる。
氷室はアリアを見すえたまま口を開いた。
「妨害、してるのね…。わたしの魂の周波数に同調しているのかしら?」
アリアは手を朱色の口元に当て、わざとらしく笑った。
「まあ……“シェル”も使えないのですね?
まるで、音感を失ったピアニストのよう。なんてお可哀想な」
そのまま手を腰まで下げ優雅に一礼し、一歩、また一歩と近づいてくる。
俺の額に汗が滲む。
(どうする……?このままでは――)
この状況では、シェル・フェニックスも起動できるかはわからない。しかし――
(アリアの魂に触れる! いちかばちか…、やってみるしかない!)
氷室は少し肩を震わせて後ずさり、俺は氷室の前に進み出た。
後ろから氷室の息遣いが聞こえる。
俺は覚悟を決め、仄かに光るシェル・フェニックスに手をかかげようとした。
その瞬間だった――。
突然、重い音を立ててドアが開く。
ギィィ――と軋む音が、異様な沈黙を裂いた。
ドアが軋む音と共に、無言の巨影が入り込む。
その瞬間、空気が一変した。
その人物は、両手首に光る腕輪を装着し、歩くにつれ、その光が尾のような残像を空間に刻む。
黒い革のジャケットをまとい、まるで物言わぬ彫刻のように無表情だった。
しかし、獅堂の、その圧倒的な存在感が、室内の空気を一瞬で変えた。
後ろにいる氷室が思わず息を呑む。
アリアは、少しだけ唇を歪めて笑った。
「……まあ、相変わらず、なんて無粋な登場ですこと」
「……」
獅堂は一言も発さないまま、ただじっとアリアを睨みつける。
その鋭い眼差しに、アリアの笑顔がわずかに崩れた。
「消えろ」
獅堂が一言、低く言い放つ。
その瞬間、右腕に刻まれたシェルが燃え上がり、獅堂の右腕がらせん状の炎をまとう。
「イフリート・コード、アクティベート」
「……」
「煉」
「獄」
「葬」
その三文字が、獅堂の口から低く静かに放たれた瞬間――
炎が獅堂の腕から奔流のように噴き出し、アリアを包み込んだ。
(獅堂さんの“コード“。炎は全く熱さを感じない…。観念的なものなのか?)
だが――。
彼女の姿は、燃え盛る焔の中でも微動だにせず、まるで“そこにない”かのように影すら揺れていなかった。
「……あら、こんなに激しく燃え上がっているのに、私の心を暖めるには足りませんわ」
炎が徐々に薄れ、残り火に照らされたアリアの姿が怪しく浮かび上がる。
獅堂が、わずかに眉をひそめた。
「おかしいわね。あなたの炎は、わたくしの“魂”を焼いたはずなのに。
――私には効かないなんて」
アリアはまるでからかうように、優雅にくすりと笑った。
獅堂は表情を変えず、もう一つの“シェル”、左腕にあるそれを胸の前にかかげ、
腰を低くかがめた。
「さて、今宵の宴は、これでおしまいですわ」
アリアはふっと肩をすくめ、優雅に一礼した。
「氷室さん、また“お誘い”いたしますわ。
次は、無粋な“カルテット”よりも、優美な“デュオ”、一緒に踊ってくださるかしら」
「それと――皇さん。次に会いする時には、もっと“深い音色”を聴かせてくださいね」
「それでは、みなさま、またどこかでお会いしましょう」
アリアの別れの挨拶は、あくまでも優雅だった。
次の瞬間、微笑みを湛えたアリアの姿がふっとかき消されるように消失した。
空間の歪みが解けた瞬間、空気が“現実”を思い出したかのように流れ始める。
『ソウル・リンク、復旧しました。システムチェック、正常です』
このアスティの報告が、俺たちが現実へ回帰したことを実感させてくれた。
そして、まるで、張りつめていた冷気がようやく溶けたように――
氷室が小さく息をつき、獅堂に向かって問いかけた。
「獅堂さん、どうしてここに……?」
獅堂は無言で少しだけ視線をずらし、俺を一瞥する。
「任務だ。礼なら桐島に言え」
獅堂はそのごつい手で俺の肩をドンと叩くと、ゆっくりと部屋を後にした。
その無言の一撃に、なぜか心の奥がほんの少しだけ、あたたかくなった。
(なんだか、獅堂さんにほめられたような気が…)
氷室と俺は互いに視線を交わし、深く、深く安堵の息をついた。
「助かったわね」
「……それにしても、彼って、ほんとに無口ね」
氷室がようやく、少しだけ微笑む。
「本当に……獅堂さんが来てくれなければどうなっていたか」
俺もようやく肩の力を抜き、部屋を見渡した。
坂下は母の手を握りしめたまま、涙をこぼしている。
(何とか……乗り越えたが、アリアはまた現れるだろう)
――その時、俺たちは…
いや、俺はもう、ただの営業マンじゃない。魂に触れた以上――その責任を背負っていく。
俺はもう、逃げない。たとえそれが、この世界の“裏側”すら相手にすることになっても――。
そして、室内にようやく穏やかな空気が戻りつつあった。
小さな花が咲くように。
その空気は、確かに“未来”へと続いていた。
【第5話 “胎動” ―Quickening Shadows―】
【エピソード⑧「困難な道でも、必ず“花”は咲く」】




