第5話 “胎動” ― Quickening Shadows ― エピソード④「“ノクターン“」
オフィスに戻ると、獅堂は、無言で俺たちを下ろし、どこかへ走り去った。
夜のSTF部オフィス、オペレーションルームには人影はなく、俺と氷室は、そのままミッションルームへと向かう。
東京都新東京区
ELIC本社地下5階 STF部・ミッションルーム。
ミッションルームへ入るや否や、中央のホログラムディスプレイにアスティがふわりと現れる。
『おかえりなさいませ、皇さん、氷室さん』
『早速ですが、ひとつ、報告させてください』
『カフェをお二人が出た時刻に、
シェルのリンクが短時間だけ、途切れた記録があります』
(あの、カフェを出て、一瞬、静寂に包まれた瞬間か……?)
「なるほどね…。その時刻、“ノクターン”の“アリア”が現れた時間と一致してるわ」
”アリア”の名前が出た瞬間、アスティの瞳が少しゆらいだ気がした。
「……アスティ、“ノクターン”について調べて。特に、 “アリア”についても」
『了解しました。整理して後ほど報告します』
「……おかえり~」
「お疲れさま~。あれ? 何か難しそうな話してる?」
背後から、のんびりした声が。
「うわっ、水無瀬さん?いつからそこに?」
「んー? 今来たばかりだよ~」
そう答えると、水無瀬は「ふわぁ~」と言いながら大きなあくびをする。
『わたしがラボからお呼びしました』
アスティが微笑んで補足した。
「水無瀬…さん、今ちょうど“ノクターン”の件をアスティに確認しているところなんです」
「あ~、やっぱり。“ノクターン“が現れたの?」
「やっぱり?」
「うん。この案件のランクが“S”だったでしょ。“ノクターン”がらみかなって」
(なるほど…。コーポレートや桐島部長も把握してたってことか…)
「もしかして~、“魂の奏者”?」
水無瀬が尋ねる。
「ああ、本人は“アリア”と名乗った」
俺が答えると、水無瀬の表情が少しだけ曇った。
「え~。紗綾ちゃん、大丈夫だった?」
「ええ、“今回”は何もされていないわ。大丈夫」
「よかった~」
水無瀬はこんな時でもマイペースを崩さない。
(“今回は”何もされていない? “前回は”何かされた…のか?)
「そもそも、彼らの目的って何なんです?」
「さあね~。でも、魂を集めてるのは間違いなさそう」
「魂を……集めて、何かを成すってことですか?」
「でもね~、集めてどうするつもりかは、さっぱりわかんないんだよね~」
水無瀬は相変わらずマイペースだ。
丁度その時、アスティがホログラムに組織図のようなものを表示させた。
「アスティ、説明をお願いしてもいいかしら?」
『了解しました。
ノクターン。ELICと対立する闇転生組織です。
リーダーの“レクイエム”の傘下に、複数の幹部、その下に複数の構成員がいることはわかっています。
ただし、現時点でコードネームが判明しているのは、”魂の奏者“アリアと、レクイエムのみ。
組織の全体像や構成員の数、その能力などの詳細は、現時点では掴めてません』
『幹部の一人、“アリア”が今、現実世界で活動していることは確定していますが、
ほかの幹部や構成員が異世界側にいる可能性もあります』
「レクイエム…。異世界…」
組織図の頂点にいる、黒塗りの人物を見つめながらつぶやいた。
資料のページが変わり、アスティは続けた。
『ノクターンは二つの世界に跨って活動しています。
その、活動の傾向は大きく2点、判明しています。
1 闇転生:現実世界における、不正な手段による異世界への転生
2 魂狩り:異世界における、手段を問わない魂の収集
ただし、彼らの目的及び、これらの活動の因果関係については不明です』
(なるほど。同じ組織なのに、現実世界と異世界で活動の傾向が異なるってことだな。
それにしても…、なぜなのか)
水無瀬が顎に人差し指を当てて話し出す。
「でもね、ノクターンの連中って~。
少なくともこっちの世界ではね、人を殺しちゃったりはしてないっぽいよ?」
頬をふくらませている水無瀬に尋ねる。
「それは……どうして?」
「理由はわからないんだ」
「ただ、桐島さんも“殺害報告ゼロ”って言ってたし、人を“消す”ようなことは、今のところしてないみたいなんだよね~」
「それって、何か理由があるんですか?」
「うーん、推測だけど……。何らかの“制約”があるのかもね~」
氷室が補足する。
「でも、“今のところ”であることは忘れないで。今後のことはわからないわ」
続けざまに、俺は尋ねた。
「ちなみに……警察は?」
「う~ん、桐島さんの話では、警察も組織の存在は把握してるみたいだよ~。
警察庁の“特異課”ってところが、ELICと情報を共有してるって言ってたから~」
「でもね~、“魂の領域”って、証拠が残らないことが多いから~、簡単には介入できないみたいなんだよね~」
そう言いながら、水無瀬は白衣のポケットから、透明な袋を取り出す。
小さな袋いっぱいに詰まったカラフルな“こんぺいとう”。
こぼれ落ちそうになりながら、何とかひとつつまんで口へ放り込む。
(……警察もあてにはならない、か)
国家機関ですら及ばない“魂の犯罪組織”。
それに対抗するのは、たったひとつの民間企業――それも俺たち“STF部”……。
異端の部隊だからこそ、組織の論理を超えて動ける。
……とはいえ、本当に俺たちでどうにかなるのか? あまりにも危険すぎる。
“こんぺいとう”を次々に口へ放り込み、ポリポリと食べる水無瀬の仕草を眺めながら、ぼんやりと考え込む。
すると、唐突に、「はっ」とした表情になった水無瀬が言った。
「……食べたいの? あ~ん」
「いらんわ」
ほほをさらにふくらませた水無瀬は、今度は氷室に目を向けた。
氷室は無言で小さく首を振る。
俺は小さくため息をついて、問いかける。
「つまり……現時点では、ELICで追いかけるしかない、ということか」
「そだね~、今のところはね~」
(“ノクターン”にとって、殺人や傷害は禁忌とされているのだろうか……。
それとも、証拠が残る犯罪を避けて、警察の介入を恐れている?)
どちらにしても、今すぐ“命を狙われる”ような危険は無さそうだ――
だが、だからこそ恐ろしい。
計算された沈黙こそが、最も制御された“狂気”なのかもしれない。
氷室が俺の肩を、ほんの軽く、“とんっ”と指先で叩いた。
俺は驚き、彼女を見やる。
氷室は小さく息をつき、そのヘーゼルの瞳で俺を見つめて言った。
「皇君、今日のところは、これくらいにしておきましょ。油断は出来ないけど……これまでの動きを見る限り、今すぐに危険ってわけでもなさそうだから」
「もっと情報が揃ってから、対策を考えればいいわ」
「……そうですね」
『ノクターンの行動原則について傾向分析を継続します。何か新しい情報が入り次第、お知らせしますね。』
『今日は本当にお疲れさまでした』
「アスティ、よろしくね」
「ありがとう、助かるよ」
「じゃ~、ラボに帰るね~。――ふんふん、ふふーん――♪」
(……本当にこの人があの水無瀬博士のお嬢さんでかつ、一番情報を持っている人なのか…)
たまに不安にはなる。でも――あの人の言葉は、いつも“核心”だけは外さない。
皇は、鼻歌を歌いながらふらふらとラボへと歩く水無瀬を見送りながら、
心の中で整理を続けていた。
ノクターン……坂下透を狙っていたのも、ただの偶然じゃない。
あのアリアは、間違いなく俺たちを“観察”していた。
氷室さんとの前回の接触、それに“お誘い”とは何か、も気になる。
アリアが言っていた“俺のやり方”。奴らにとって、何か都合でも悪いのか。
(もしかして、俺の存在自体が、奴らにとって予期せぬ“ノイズ”――)
(……だとしたら、俺がやってることは、“敵にとって不都合な”何か……?)
現実世界、異世界。
闇転生、魂狩り――それに、レクイエムとアリア。
あまりにも非現実的な話ばかりだ。
ここに転職しなければ、こんなことを知ることも、悩むこともなかったのだろうか。
横目に帰り支度をする氷室を見ながら考える。
だけど…。これが俺の”選択”なのだから。
とにかくだ、やっぱり、俺たち“トラッシュパンダ”は、
ただの“保険営業”では済まされない、ということだけは間違いない。
「皇君、帰りましょ?」
「うん、今日は……“いろんな意味で”お疲れ様、ですね」
ぽろっと出た言葉が、自分でも妙に普通すぎて――思わず、苦笑してしまった。
氷室をちらりと見ると、彼女も小さく笑っていた。
それは、ほんの少しだけ肩の力が抜けたような、
そんな微笑みだった。
次回。
【第5話 “胎動” ―Quickening Shadows―】
【エピソード⑤「“魂”に触れるということ」】




