第5話 ”胎動” ― Quickening Shadows ― エピソード①「昼下がりの“日常”」
2098年/冬
現実世界・東京都 新東京区
エターナルライフ生命保険株式会社(ELIC)本社11階 社員カフェラウンジ。
広々としたカフェラウンジには、昼休みを楽しむ社員たちの声が穏やかに響く。
壁一面の太陽光発電ガラスからは、冬の寒さを感じさせない柔らかな光が注ぎ込んでいる。
店の中央にはホログラムのジャズバンドが現れ、軽やかなピアノとサックスの旋律を奏でていた。
曲と共に揺れるホログラムの照明演出が、どこか現実と幻想の境界を曖昧にしている。
店内のあちこちでは、制服を着たアンドロイドウェイトレスがスムーズに注文を取り、小型ドローンが料理やドリンクを運んでいる。
午後に向けた休息のひと時。ありふれたカフェの光景だ。
そして、その一角にセールスタスクフォース(STF)部のメンバーたちも、和やかな時間を過ごしていた。
「ねーねー、しーちゃんは? 今日こそ一緒にご飯行こうって誘ったのにさ~」
神楽ひなたがストローを咥えたまま口を尖らせ、ソファにふわっと体を預ける。
「んとね、獅堂ちゃんに『ご飯行く?』って聞いたら~、プロテインボトルを一気飲みして、一言、『完了』だって~」
水無瀬凛がトマトとモッツァレラのサンドイッチをつまみ、くすくすと笑った。
「…プロテイン以外摂ったら死ぬ呪いでもかかってんのかい!」
「ってか、あれ本当に人間?」
「筋肉で動いてるターミネーター説あるよね」
神楽のツッコミに、コーヒースプーンをくるくると回していた氷室紗綾がすっと顔を上げる。
「筋肉の、筋肉による、筋肉のための栄養……いわば“筋肉主義”ね」
「ある意味、“筋肉”に特化した摂取形態……合理的といえば合理的だわ」
(…“ジョーク”なのか?“本気”なのか?俺でさえ突っ込みたくなるな…)
やはり、神楽がこの機を逃すはずもない。
神楽は、ドローンが滑らかに運んできたスムージーを受け取り、さっそく咥えていたストローを、鮮やかに差し込むと…。
「マジメか!」
「さーやせんぱいも、栄養ゼリーとか栄養食で済ませがちじゃん?」
「やっぱ同類ってことで~」
(さすが、鋭い突っ込み)
「違うわ。私はちゃんと必要な栄養素を計算して摂取してるもの」
氷室はカップを置きながら、冷静に即答する。
「さーやせんぱいってー、普段から
『アスティ、このサンドイッチのカロリー教えて』とか絶対言ってるやつー」
神楽はけらけら笑い、氷室の声をまねて決めつけた。
水無瀬が続けて言う。
「紗綾ちゃんと獅堂さん、AIアシスタントとか。そうだ~、アスティに栄養管理任せて、共通の食プログラム組んだ方がいいかもね~」
水無瀬の天然な一言に、神楽がお腹をかかえて笑い出す。
「アスティの前で、エプロンして並んで食べてるその絵づら、想像させないで~」
神楽はひとしきり笑うと、ひっくひっく言いながら俺に振ってきた。
「すめっち~、どう思う?」
……女性陣のやり取りをぼんやり眺めていた、
俺――皇律は、苦笑してホットサンドを手に取る。
「いやいや、アスティの使い方、おかしいからそれ」
みんなの笑いがこぼれる。
このメンバーでの何気ない昼休み。つかの間の、穏やかな時間。
(玲奈さんの案件から、もう3か月か…)
先月訪れた時は、まだまだ“今”を楽しむんだってお母さんと三人で話したっけ。
余命一か月だったなんて、とても信じられない明るい笑顔だった。
今月もまた、案件の合間に訪れてみようか……。
“秋”が終わって、いつの間にか、もう“冬”だな。
入社してからというもの、日々が過ぎるのが本当に早い。
少しはこの仕事にも慣れてきたが、先輩たちにはまだまだ助けられっぱなしだ。
それでも、少しずつ自分のペースでやれている気がする……。
「それでさ、かげっちは?」
神楽が話題を変える。
「“外”だって。さっきラボルームで資料探してたら、通信だけは来たよ~」
水無瀬はそう言うと、長過ぎる白衣の袖を引き上げ、サンドイッチのかけらを口に放り込む。
「風祭君は、誰に言われなくても勝手に動いてるから……」
氷室が小さくため息をつく。
その声音には、呆れというより諦め、いや、むしろ少しの信頼すら感じられた。
すると、神楽が、にわかに目を輝かせて身を乗り出す。
「っていうかさ、さーやせんぱい」
「……なに?」
「今日のスーツ、なんか雰囲気違うよね?」
「いつもの黒だけど~、ちょっと柔らかい感じっていうか~、超~似合ってる!」
「プチイメチェン? どしたのどしたの~?」
…氷室は少しうつむいて、小さく答えた。
「……特に理由はないわ。ただ、たまたま気に入っただけ」
「え、照れてる? ちょっと照れてない~?!」
「照れてない」
そんな軽口を交わしながらも、心地いい空気が流れていた。
窓際の俺の視線は、次第に高層ビルの向こうの空へと吸い込まれていく。
……こんな風に、何気ない“日常”が、ずっと続くのも悪くないな…。
──その時だった。
四人それぞれの“シェル”が、同時に淡く光を放った。
『強制リンクを発動しました』
『緊急着信です。特務指定案件、通達』
いつもより抑揚を抑えたアスティの声が、脳裏に直接響く。
店内に響くジャズがフェードアウトし、そのまま聞こえなくなる。
『ホログラムフィールドを展開します』
(ホログラムを使って、この一角だけ、外部と遮断したってことか…?)
3人とも、それぞれの淡く光るペンダント型の“シェル”を手に取り、
そこに展開されたホログラム表示に見入った。
「おっと、昼休みはここまでってか~」
神楽がわざとらしく溜息をついて、スムージーを傾ける。
「このタイミングで全員通知って、珍しくない?」
水無瀬はスプーンを咥えたまま、小首を傾げた。
「……これは、わたしたち全員が関係者ってことね」
氷室は表情を崩さずに呟いた。
俺も、左腕のシェル・フェニックスの上に浮かぶ表示を見つめる。
《案件分類:特務指定/レベルS》
《担当 :皇・氷室・神楽・水無瀬・獅堂・風祭》
《発令者 :桐島麗華(営業本部 STF部 部長)》
《備考 :第二営業部案件/コーポレート判断によりSTF部にて優先対応》
「……レベルS!?」
思わず声が出た。
氷室が一瞬だけ、目を細める。
「桐島さんって~、今ヨーロッパだよねぇ?」
水無瀬はこんな状況でも、マイペースを崩さない。
「そうそう。“ヨーロッパの宝石“アルステイン王国で王室案件対応だって。超~観光名所じゃーん。いーなー、うらやまー」
神楽は、宙を見上げ、手に持ったストローをくるくる回しながら言う。
その言葉と同時に、四人のシェルにホログラムメッセージが投影される。
《STF部 各員へ》
《出張中ですまないが、特務案件よ》
STF部長 桐島麗華は、トレードマークの黒ジャケットを羽織ったスーツ姿のまま、西欧風の石造りの壁に高いアーチ窓が映る部屋を背に、落ち着いた声で話し出す。
《依頼元はコーポレート。クライアントは東京在住》
《“魂容量(Soul Capacity)“に超高容量を記録したケースよ。経緯は、本人の申し込みから、一般の“転生契約“希望者として第二営業部が対応。でも、ソウル・スキャンでこれを確認し、コーポレートにエスカレーション》
《氷室の“白川氏の報告書”に記載あった件、ね》
(超高容量…か。確かに珍しいが、特務ってほどではないのでは…?)
少し間を置いて、桐島が告げた。
《魂に“契約刻印”あり。でも、“カーネル”のデータベースに“契約履歴”無し》
氷室が目を見開いた。
「契約刻印はあるのに……履歴無し!?それって……。」
《現在、研究所の分析によると、“非正規契約刻印”の可能性が示唆されている》
「……ノクターン」
水無瀬が、珍しく声を潜めて呟いた。
「…たぶん。彼らがかんでるわね」
氷室が、静かに応じた。
始めて聞く言葉に、俺も息を飲み、つぶやいた。
「…ノクターン?」
氷室はちらりと俺に目を向けたが、それ以上は何も言わなかった。
《詳細は追ってアスティに送ってもらう。今回の主担当は、皇》
「……俺?」
思わず声が漏れる。
《氷室がサブ。神楽はオフィスで待機、別途指示を待て。水無瀬は解析支援》
《風祭と獅堂には別ルートでの補完任務を指示済み》
「かぜっちとしーちゃんも動くって……ガチの案件ってことね~」
神楽は、くるくる回転させていたストローを、そのままスムージーに差した。
《質問は?》
「………」
《よろしい》
桐島は最後に、やや声のトーンを落として言った。
《みなが気付いている通り、普通の案件じゃない。……皇、氷室。慎重に》
《最後に一つ。今回は“特務案件”だ。“シェル”の使用を許可する》
左腕に淡く光る“シェル・フェニックス”に目を落とす。
「了解」「承知しました」
桐島はやや頬をゆるめ、うなずく。
《それでは、トラッシュパンダ諸君、慎重に確実に。健闘に期待する》
次回。
【第5話 “胎動” ―Quickening Shadows―】
【エピソード② 「“自嘲と諦め”の狭間で」】




