第4話 “想い”を運ぶ者 ― Bearer of Wishes ― エピソード③「“心に残す”もの」
その沈黙の中、皇はただ静かに白川を見つめていた。
(……違う。そう言いながら、この人は“誰かに託したい”と願っている)
(そうでなければ、自ら資料請求なんてしないはず……)
俺の視線は、白川の背後の棚にふと向かう。
そこには、薄く光を反射する一枚のホログラフ写真が見える。
若い女性と、まだ髪に黒いものが残る、十数年前の白川。
笑顔で肩を並べるその写真。
(……データにあった娘さん、か)
皇の胸の奥で、なにかが静かに…、でも確かに灯るのを感じた。
長い沈黙が流れる。
「……白川さん」
沈黙を破ったのは、俺だった。
氷室と神楽の言葉は、確かに届きかけていた。
だが、最後の一歩を踏み出すには、まだ何かが足りない。
「家族とは……最後に会ったのは、いつ頃ですか?」
白川の目が、わずかに揺れる。
「……なぜ、そんなことを聞く?」
「いえ、この家に“誰かの気配”がうっすら残っていた気がして」
「……それだけです。お気に障ったのならすみません」
少し目を伏せて、白川は低く呟いた。
「……五、六年は会ってない。娘だ。たまに連絡は来るが、そっけないもんさ」
「あいつにとって、俺はもう“過去”なんだろう」
「それでも“連絡が来る”なら、“過去“になったわけじゃないと思いますよ」
「……どうだろうな」
――少しの沈黙。
だが、白川は目を伏せたまま、ふいに笑った。
ほんの少し口角が動くだけの、小さな笑みだったが。
「……昔は、“お父さんすごい!”って、よく言ってくれた子でな」
「徹夜で帰っても、“お父さんが一番かっこいい”ってな……」
「この家の玄関で、満面の笑顔で出迎えてくれたもんだ」
俺は、玄関ポーチの隅に溜まった埃を思い出す。
「……だから、見せられなかったんだ。会社が傾いた“かっこ悪い”俺を」
「あいつの中に、“かっこいい父”のまま遺せるなら、それでいいと、そう思ってた」
その声には、ひどく優しい、後悔がにじんでいた。
神楽が、静かに息を呑むのが分かった。
氷室は、言いかけた唇をそっと閉じ、俺を見つめている。
俺は続けて、言葉を紡ぐ。
「……じゃあ、こういうのはどうですか?」
白川は視線を上げた。
「かつて、“がんばってた父”が、異世界でもう一度、“がんばってる”」
「娘さんが好きだったお父さんは、“かっこいい父”じゃない。かっこなんて関係ない。
きっと、”がんばってる父“だったのかも知れませんよ」
「…………」
再び目を伏せた白川は、少し肩を震わせた。
「異世界転生って、何かを“やり直す”ためのものじゃなくて、“今のあなたの想い“を、誰かに届けるためにあるものなんだと思います」
「たとえ姿も声も届かなくても、“それでも父は前を向いていた”という事実は、必ず娘さんの心に残ります」
「………」
――白川は、長い沈黙の末、ふっと笑った。
「……あんた、名前は?」
「皇です。皇律。」
「……本当に、皇君、君はしつこい営業だな。まったく……」
「ありがとうございます」
俺は静かに頭を下げた。
白川はソファに手をかけ、ゆっくりと立ち上がる。
「君は、ひよっこのくせに、古臭い…、そう、お客に“寄り添う営業”だな。おかげで、俺も昔を思い出したよ」
「……検討してみるさ」
「異世界とやらで、少しくらい、かっこつけてみるのも悪くないかもしれん」
氷室が、一歩進み出て一礼する。
「本日はお時間ありがとうございました。後日、正式なご提案をお持ちいたします」
「ああ、……気が向いたらな」
そう言って白川は、少し笑った。
背を伸ばし、玄関に向け歩く白川の歩みに、微かだが、軽さが戻っているように見えた。
そんな笑顔だった。
門をくぐり、石畳の道に出た途端、神楽がぽつりと漏らす。
「すめっち、“転職組”ってだけじゃなくて、やっぱりただの新人じゃないなぁ……」
「いや、少し出しゃばり過ぎてしまい、申し訳ない」
そう言いながら、ちらりと氷室の顔を盗み見る。
笑ってはいなかったが、少しだけ微笑んでいるように見えた。
すると神楽が、ぴょんっと飛ぶように俺の前に回り込み、下から覗き込んでくる。
「今のトーク、白川さんも言ってたけど、“寄り添う営業”のマジもののプロだよ~。さすがのひなたさんも、感動しちゃったわ~」
「おお、……ありがとう」
(ストレートに褒められると、なんだか照れくさいな…)
「さーやせんぱいもさ、言ってやってよ~。ほら、“いい顔になった”ってやつ」
(まったく…。神楽のやつ、これを言いたかったのか?)
氷室は、ぷいっと視線を逸らした。
「……既に言ったつもりだったんだけど?」
その声は小さかったが、どこか照れたようでもあり……優しかった。
冷たい風が吹き抜ける。
その中に、ほんの少しだけあたたかい空気が混じっているような気がした…。
本件の “その後”についてだが、氷室さんの報告メールを載せておく。
白川恭一郎という名の、“終わらせるはずだった魂”が、再び誰かのために灯らんことを。
【件名:白川様 本契約完了のご報告】
宛先:桐島部長、セールスタスクフォース部 各位
送信者:氷室 紗綾
セールスタスクフォース部 各位
お疲れ様です。
先日対応いたしました 白川物流 相談役 白川恭一郎様の異世界転生契約につきまして、無事本契約が完了し、転生プランが確定しましたのでご報告いたします。
転生スキルは、ご本人の強いご希望により、
《荷馬車の達人》
を中心とした、“物流“関連のスキルが選択されました。
「偉そうな肩書きはもうたくさんだ。俺は、また現場からやり直す」
とのことで、最前線の“運び屋”として、再び汗を流す人生を選ばれました。
お嬢様とも、転生プランについて何度もお話されたそうで、スキルの候補リストを見ながら、お二人で冗談を言い合っていたとのこと。
「お父さん、また“がんばる”んだね」
「……ああ、もう一度だけな」
というやり取りもあったそうです。
なお、お嬢様は、現在白川様のもとで同居を再開されており、親子で日々笑い合いながら、穏やかに過ごされているそうです。
ちなみに、家の埃もだいぶ減ったとのこと。
なお、本契約では、皇さんのオペレーションにて、“シェル・フェニックス”を使用しました。
本件が、皇さんにとって、最初の”本契約対応”となったことも、合わせてご報告いたします。
以上、簡潔ながらご報告申し上げます。
魂とは、誰かの想いが宿る場所。
そう信じた、お客様に、心からの敬意を込めて。
氷室 紗綾
営業本部 セールスタスクフォース部(STF)
PS 第二営業部からの情報です。
魂容量(Soul Capacity)が非常に高い(Sランク)のクライアントを対応中とのこと。
少し気になったので、報告しておきます。
「誰かの心に遺るなら――」
それだけで、魂は未来へ進める。
けれど、想いってやつは、時に一人を越えて、
気づけば、もっと遠くへ、もっと多くの人へ届いていく。
“荷馬車の達人”――その魂が運ぶものは、やがて世界に希望を届けるのかもしれない。
次回。
【第5話 “胎動” ―Quickening Shadows―】
【エピソード①「昼下がりの“日常”」】




