第4話 “想い”を運ぶ者 ― Bearer of Wishes ― エピソード①「さまよう“魂”」
2098年/秋
現実世界・東京都 新東京区
エターナルライフ生命保険株式会社(ELIC)
営業本部 セールスタスクフォース(STF)部 ミッションルーム
「……以上が、法人営業部から移管された新規案件の概要よ」
氷室紗綾は眉一つ動かさずに話し終えると、「アスティ」と言い、軽く手を振った。
『はい、氷室さん』
円卓の中央に浮かぶアスティが答える。
ホログラムのアスティと、案件概要のブリーフィングシートが淡く消え、代わりに顧客プロフィールがじわりと大きく表示される。
俺こと、皇律は、クライアントの名前に見覚えがあった。
「……白川恭一郎。確か、昔それなりに大きな会社の社長だった方ですよね」
「そう。“白川物流”」
「かつては業界シェアトップ3の企業。今は譲渡済みだけど」
氷室は、冷静な口調のまま淡々と続ける。
「五年前に会社が傾き、経営権を手放してからは、相談役に退き、自宅で静養していたらしいわ」
「去年、法人契約の打診があったけど、本人の希望で中止。それから個人名義で改めて資料請求。そこまでは法人営業部が対応していた案件よ。」
そわそわしていた神楽ひなたが、「はい、はいっ」と言いながら手を上げて割り込む。
「でもさー、これって結局“やる気のないおじいちゃん”ってことじゃないの?
資料だけもらって終わるパターン。あるある~」
氷室は神楽を睨みもしない。
ただ、静かに一言。
「確かにそうかもしれない。でも、私は“逆”を想定してるの」
「逆?」
「……“本当は契約したいけど、できない理由がある”可能性。むしろ、その方が厄介ね」
一瞬、沈黙が部屋を包んだ。
皇は思わずプロフィールに目を戻す。
【顧客名:白川恭一郎】
【年齢:72歳】
【健康状態:末期がん(ステージⅣ、余命半年)※G-MIBより抜粋】
【家族構成:配偶者とは死別。娘(31歳)】
【職業:相談役 白川物流(グローバルロジックス 子会社)】
【資産:1~2億円相当(都内の自宅含む。抵当の有無は未確認)】
「……たしかに、“法人契約”は成立しませんね。実質権限も無いようだし」
「それでも、個人で“転生保険”を検討した。その事実が、何より気になるわけ」
神楽がくるりと椅子を回しながら口笛を吹いた。
「さーやせんぱいってさ、やっぱ法人営業出身だよね~。背景の詰め方、ガチ」
「すめっちもー、そう思わない?」
俺は、軽くうなずいた。
「当然でしょ。法人部では、案件の“熱量”を見誤ったら命取りだったから」
「命取りですって!そんな殺生な…、旦那、命だけは~」
「神楽さん!」
「へへー、お許しを~。手打ちですか?マジもんの手打ちになさるんですか?」
(ほんと、よくもまあ変幻自在に…)
(でも、“玲奈さん”との初契約を経て、俺も“新人くん”から“すめっち”にステップアップした、とも言えるか)
「それにしてもさ、すめっち、あんた意外とやるじゃん?新人くんとか言ってたのに、入社一か月でもう5件も成約してるしさ。しかも成約率100%とか、やばくない?」
「――ねーねー、もしかしてすめっちってー、元伝説の営業マンとか?」
「そうね。玲奈さんの案件からこれまで、全部クローズしてる。しかも、主担当以外の案件にも積極的に同行して、実績を積んでいるのは評価に値するわ」
「いや、そんな……まだまだ勉強中ですよ。皆さんのフォローのおかげです」
神楽と氷室に評価され、俺は少し笑って答えた。
「それでその謙虚さ!なんなの?優等生か!」
「成果はもちろん大事。でも、皇君の、クライアントに寄り添う姿勢が、一番の強みね」
「そうそう、あたしみたいな天才型と違って、ちゃんと足元固めてくタイプっつーか?」
「神楽さんの直観力はすばらしいと思うわ。でも、もっと理論的に足元を固めたら――」
褒められてるのか、なんなのか……。でも、なんだか不思議と心地よい。
横目で、続く二人のやりとりを聞きながら、俺はボールペンで小さくメモを取る。
(“契約したい”が、“できない理由”がある。“法人契約”は自ら取り下げ、“個人契約“は自ら問い合わせた。それは……)
“法人契約”と、“個人契約”の部分に、それぞれ丸を付けた。
すると、アスティのホログラムがふわっと現れる。
『皇さん、本件は部長の指示により“ランクA:優先“での対応が指定されています』
『理由は、法人営業部との連携案件であること、となっています』
涙目の演技真っ最中の神楽が、涙を拭く仕草をして、アスティにぶんぶんと手を振る。
「つまりはさ~、また“トラッシュパンダ”部隊の出番ってわけね。営業のごみ拾い、ばんざ~い」
『はい。でも、個人的な見解を申し上げるなら、わたしたち“トラッシュパンダ”は、“問題解決のエキスパート集団”、という認識です』
アスティの声はいつも通り淡々とした“会議用”のトーンだが、どこか小さく抗議のニュアンスが混じっていたように感じた。
ふっと笑いそうになるのを堪えながら、改めて尋ねる。
「氷室さん。この案件……どれくらいの“地雷”と踏んでますか?」
氷室は、その彫刻のような顔に無表情を貼り付けたまま、静かに答えた。
「契約に進める確率は五分」
「成功しても、半分は、リードを獲得した法人営業部の成果ね」
「失敗すれば、その責任はわたしたちが負うことになる。今後の信頼にも響くわね」
神楽は「ぶー」と不平を漏らしながら、座った椅子をくるくると回している。
「了解です。……慎重にいきましょう」
そう言った俺は、現場に向けて心が研ぎ澄まされていくのを感じた。
氷室はそんな俺を見て、少しだけ目を細め、ごくごく小声でささやいた。
「…ちょっとは…、いい顔になったじゃない…」
「……!?」
(ん?なんて…。少し認められた…のか?)
だが氷室は、それ以上言葉にせず、黙って立ち上がった。
「では、準備が整い次第、出発しましょう」
「私が主担当、神楽がサブ。皇君は今回は同行オブザーバー。いいわね?」
「了解です」
「りょーかい。“地雷処理班”しゅっぱーつ!」
元気よく“ぐー”を天井に向けて突き上げ、神楽も立ち上がる。
(ついに、“トラッシュパンダ”から“地雷処理班”になっちまったか)
思わず笑みがこぼれた……。
『“地雷処理班”の皆さん、本案件について、桐島部長より追加の指示があります』
その時、再びふわっとアスティのホログラムが現れる。
(アスティまで…。最近、神楽に似て来たような…)
「なになに~、またまた地雷案件に追い討ち~?」
『いいえ、今回はシェル使用に関する通知です。本件は特務案件ではないため、シェル使用は不可。但し、本契約時のみ、皇さんの“シェル・フェニックス”の使用を許可する
――との通達が出ています』
「……本契約でSTF専用シェルを使用?」
思わず聞き返す俺に、アスティが淡々と続ける。
『はい。通常の本契約では、フルダイブ環境構築のため、ソウル・リンク・ネットワークの中枢量子コンピュータ、“カーネル“と接続する”汎用シェル“を使用します。
今回は桐島部長より、特例的に“フェニックス”を使用するよう指示がありました』
氷室が少し目を細めた。
「……なるほど。フェニックスの初使用だからアスティ経由にして、凛のラボでモニタリングしたい、ということかしら…」
『申し訳ありません――桐島部長からは、理由は明示されておりません』
「いいのよ。気にしないで」
「てゆうかー、部長の指示、契約取れる前提だよね、ね?」
「『この案件、落としたらお仕置きよ』って言ってるようなもんじゃーん」
神楽が口をとがらせながら、桐島の声真似をする。
(――俺の“フェニックス”が、誰かの“もう一度”を支えるってことか。だったら、絶対に悔いのない契約にしてみせる。)
氷室は目を細め、少し眉をひそめてつぶやいた。
「……それにしても、玲奈さんの時に私の“フェンリル”の特例使用を許可したのと同じ…。また、STF専用シェルを使わせるのね」
「また……?」
俺が思わず聞き返すと、氷室は小さく首を振った。
「いいえ、なんでもない。……ただ、桐島さんらしい判断だと思っただけ」
そのヘーゼルの瞳には、どこか遠くを見るような色が宿っていた。
こうして、三人は“魂の使い道”を問いかける老人のもとへと向かうのだった。
次回。
【第4話 “想い”を運ぶ者 ―Bearer of Wishes―】
【エピソード②「“魂”の使い道」】




