第5話 果実大好き白黒兎
「それにしても、ホント芝生って気持ちいーっ!」
見晴らしの良い丘で、ふかふかの芝生にバサッと背から倒れ込む。残花と村を出て早十日。獣ノ山は遠い。まだ林檎の御神木の地にいる私達は、芝生に座り一服していた。残花は隣に座って煙管をふかしている。うーん、煙管を吸う姿も渋カッコ良くて絵になるなあ。
「ふー……ああ、心地好いな」
残花は煙を吐きながら優しい目で言う。
「うん! 今まで地面は灰ばかりだったからさあ、芝生に寝っ転がれるって最高に気持ち良いよね! 柔らかくって、手触りもいいし」
「そうか。きっと次の目的地も気に入るだろう」
残花は少しだけ笑いを押さえるように言う。
「ん、どういう意味?」
「兎を知っているか? 獣ノ山は御神木と共に、その眷属たる兎を祭っているのだ」
私はぱあっと顔が明るくなる。
「兎!? うん、私好き! ちっちゃくてもふもふで、ちょー可愛いよね!!」
残花は思わず「ふ」と笑いをこぼした。
「お前の驚く顔が楽しみだ」
「ええー、どういうこと?」
残花は煙管を懐にしまい、立ち上がる。
「さあ、行くぞ。もうじき獣ノ山が見えてくる」
「あ、待って! ねえどういうこと? 教えてよー」
すたすたと歩き出す残花を追って、私もたたっと駆け出した――。
◆
「で、ででで、で……!」
灰に覆われた獣ノ山の麓、狩ノ村に着いた私達。残花に眷属たる兎のもとへ連れられ、私はあまりの驚きに大声をあげる。
「でっっっかあーーーーい!!」
神社の境内に座すのは、母上よりもずっと大きな白兎! 身の丈八尺、縦も横も母上よりもうんとでかい! 白い毛並みがもっふもふ、でっぷり丸々の大兎だ!
「ね、ね、触ってみてもいい?」
「ああ」
残花に聞いてから触ってみれば、さらさら艶々、ふんわりふかふか! 極上の毛並みだあ……!
「これが獣ノ山を守る御神木の眷属の一、【白兎】だ。しかし、番たる【黒兎】の姿が見えんな……」
残花があたりを見回していると、社務所から弓を背負った神主らしき男が出てきた。パッと見、私と同い年くらいかな。
「おお、誰の声や思たら残花はんでっか! お待ちしとりましたでえ!」
「久しいな、猟。……俺を待っていたとは、まさか黒兎に何かあったのか」
猟と呼ばれた男は大きくうんうん頷く。
「そうなんや! さすが残花はん、お見通しで。……ところで、お連れのめんこいお嬢はんはどちら様で?」
え!? いきなりめんこい何て言われちゃうとびっくりしちゃう! でも嬉しい、この人絶対良い人だ、うん! 私はにっこにこの笑顔で自己紹介する。
「私は芽ノ村から来た、樹法師の豊穣タネ! 残花と一緒に、世界中の御神木を治す旅をしてるの!」
猟はとてもびっくりした様子で目を見開いた。
「ええっ、お嬢はんも樹法師でっか!? そりゃどえりゃあこった! わいはここ、獣の狩猟を生業とする狩ノ村で、白兎様と黒兎様の世話役【兎番】やっとる谷井猟いう者や。残花はんには以前山に出た灰人狩りでごっつぅ世話になったもんで。仲間内ではタニー呼ばれとるし、猟でも何でも好きなように呼んどくんなはれ。よろしゅう!」
猟が手を差し出したので、私も手を出し握手を交わす。何だかちょっと暑苦しいというか、熱のこもった手だ。
「よろしくね、猟!」
「こちらこそよろしゅう! ささ、立ち話も何や、どうぞ社務所の中へ」
私と残花は、猟に促されるままに社務所の板間に上がり、出された座布団に座る。猟は手早く茶を淹れ、差し出した。
「さ、粗茶やがどうぞ。ええと、茶菓子は――」
「あ、お構い無く!」
茶を出すなり茶菓子を用意しようとするので、私は慌てて遠慮する。何だか気遣いしいで忙しい人だ。やっぱり、根が良い人なんだろう。
「いんや、お客人にそういうわけには――」
「いや、良い。それより獣ノ山の現状を聞きたい。黒兎が姿を消すとは、何が起きている?」
残花は猟に問い、熱い茶を一口啜った。私は熱くてとても飲めないので、湯呑みを両手で持ってふーふー吹いて冷ましている。猟は真剣に困った顔で語り出した。
「そうなんや、残花はん。いま獣ノ山はごっつう大変なことが起きとる。おいたわしや……白兎様と共に、三百年以上この山を灰人からお守りくだはった黒兎様が、殺されてしもたんや」
「何だと!」
残花は啜っていた湯呑みをタンと床に置く。私は残花の声にびくっとして、思わず湯呑みを置いた。
「村の者が見たんや。黒兎様が謎の鎧武者に斬られるところを。今思えば、おそらくその鎧武者は灰人やと思う。鎧武者はすぐどこかへ消えてしもうた」
「鎧武者の灰人……。神の眷属を殺せるとは只者では無い。黄泉の寵愛を受けし者か」
残花はひとり思案するが、猟は構わず言葉を続ける。
「しかし、ホンマに大変なのはここからや」
猟は両拳を膝の上で握り締め、涙と怒りを堪えながら言葉を絞り出す。
「黒兎様が……あの心優しき、果実の大好きなお方が……なんと人も獣も食い散らす、恐ろしい灰人、いや【灰兎】になってしまわれたんや……! わいは兎番としてホンマに悔しい! 悔しゅうて悲しゅうてたまらんのや! 親父の親父のそのまたずーっと親父から、わいの家系は代々白兎様と黒兎様にお仕え申し上げてきた。黒兎様は大好きな御神木の実も焼け落ちて食えず、神力もだんだん弱ってはった。それでもずーっとこの山に出た灰人と戦い、人も獣も分け隔てなくお守りくだはっていたのに……!」
猟はだんと板床に額を押し付け、叫ぶ。
「後生や残花はん! どうか、どうか! 黒兎様を、楽にしたってくだはりまへんか……!」
残花は姿勢を正したまま、土下座する猟に向け刀を掲げた。
「頼まれた。桜花の剣にかけ、誓おう。灰兎と化した黒兎を、我が剣で必ず斬ると」
「大きに! 大きに……!」
猟は頭を床に擦り付け、涙声で何度も感謝の言葉を繰り返す。残花は私を向き、声をかけた。
「どの道、一時でも山の平和を取り戻さんことには、気を集中して御神木を復活させることは出来ん。タネ、まずは灰兎を斬るぞ」
「……うん、わかった」
私が大きく頷くと、残花は冷めた茶を飲み干し、タンと湯呑みを置く。
「頭を上げろ猟。山を良く知り、兎番たるお前の力が必要だ。助力してほしい」
猟はバッと頭を上げた。その目は涙で潤み、しかし真っ直ぐと残花を見つめている。
「もちろんや! わいも同行させとくんなはれ! いつも猪鹿熊を狩っとるから、弓の腕には自信があるんや。せやけど、灰兎と化した黒兎様はえらい素早く強靭で、人の足では追い付くことすらままならず、弓矢も簡単に弾かれっちまう。まるで径八尺の巨岩が、ごっつい速さで縦横無尽に跳び回っとるようなもんで。どんな策で行きましょか?」
残花はやや考え、話した。三人と白兎で力を合わせ、灰兎と化し暴れ狂う黒兎を斬る策を。
……
「行ける! こりゃ行けまっせ、さすが残花はんや!」
猟は感心して高い声を上げた。
「うん、私もいけると思う!」
さすが残花は頭が良い。猟から話を聞いただけで作戦を思い付いてしまうんだから。
「よし、決行は明朝だ。今日は良く休み、各々体を整えておくように」
「了解や!」
「うん!」
私と残花は社務所の板間を借り、猟と共に一晩過ごした。こうして、二番目の御神木の復活に向けた、灰兎との決戦が始まる――!