第45話 残花が遺したもの
「最期の最期まで、あの野郎は……ッ」
断十郎が胡座をかく膝をバンと強く打つ。
芽ノ村、巴の家の板間にて。根助の呼び掛けに応じ、猟、断十郎、江良、咲良、鳴岳が芽ノ村に集まった。皆が来てくれたことで、タネは少しだけ元気を取り戻していた。
タネ、巴、根助と共に総勢八名で囲炉裏を囲み、タネの話を一通り聞いた後、一番に口を開いたのは断十郎だった。
「隠し事が多い野郎だとは思っていたが、んなこた今更どうでもいい。勝手に散りやがって……大馬鹿野郎がッ! 結局俺――他人のことなんざ見えてねえ、全部ひとりでやりやがってよ……! 何が今を生きろだ、ざけんなッ!」
悲しさか、悔しさか。やりきれない想いは怒りとなって、断十郎は愚痴をぶつけずにいられなかった。咲良が同調して頷く。
「まったくだ。詰まるところ、残花は初めから一人で責を負い、最期まで一人でやりきろうとした。結果は……もって三百年の平穏を得た、と。後世の民にはとても胸を張れんな」
咲良も怒りを秘めつつ、表面的には冷静を装うわざとらしい発言に、江良が噛みつく。
「そんな言い方無いじゃない! 残花は私達のために命を散らしたのよ! 文句言ってないで、残花がくれた、この時間をどうするかが大事なんじゃないの!」
「んだとこのアマ――」
キレて片膝を立てる断十郎を、巴が制止した。
「やめな」
「……チッ」
渋々胡座をかく断十郎に、巴はやれやれ、と首を振り、口を挟む。
「江良、と言ったね。断十郎も、咲良も、わかってるんだ。でもね、言わずにはいられない。そんな時が、男共にはあるのさ」
「……ええ、わかります。私も男所帯の頭領ですから」
巴が優しくたしなめると、江良は矛を納めた。続けて巴は断十郎と咲良を睨む。
「あんた達もそこまでにしときな。わかってんだろ?」
「……ふん」
悪態をつく断十郎。咲良は、まあいいだろう、と片眉を上げ、口を開く。
「無論、理解しているとも。残花の文を信じるなら、現状はこうだ――黄泉は生きており、いずれこの世に舞い降りる。その際には、世の御神木を焼き尽くし、自分だけが咲き誇ろうとしている」
咲良が「ここまではいいか」と皆を見回すと、それぞれ頷いた。咲良が続ける。
「一方で、幽世を失った今、死者の魂は現世に澱み、神力の循環を阻害する。これにより、三百年後にはこの世は荒廃してしまう上に、積もり積もった死者の気が黄泉を呼び寄せる」
咲良は右手と左手をそれぞれ広げ、問題が二つあることを示した。
「三百年後に訪れる世の荒廃と、黄泉の降臨。対処しなければならないのはこの二点ということになる」
咲良の言葉に皆がうんと頷く中、断十郎だけは首を振る。
「違えだろ。やるこたぁただ一つ。黄泉をぶった斬るってことだ」
「はあ? 君はタネの話を聞いていたのか? それとも聞いた上で理解出来なかったのか?」
煽る咲良の返しに、「やめな」と巴が睨んだ。構わず断十郎が返す。
「荒廃を止めるにゃ死者を浄める幽世が要る。幽世を造るには、主神の力とやらを黄泉から奪わなきゃならねえだろ。だから問題は黄泉だってんだよ。何より――」
断十郎の眼光が、鋭く咲良を射す。
「斬らなきゃ俺の気が済まねえ」
江良は「あんたねえ……」と呆れ、咲良は、ふー……と深く息を吐いた。
「黄泉が現れる三百年後には、世は荒廃している。人が生きていられる環境かも分からぬ。仮に生きていられたとしても、あの残花ですら無理だったのだ。どうやって斬ると?」
「それを考えんのがてめえの役じゃねえのか、天才サンよ」
断十郎の返しに、咲良は「話にならん」と横向いた。険悪な空気に、皆が押し黙る。それぞれに考えても、名案どころか取っ掛かりすら浮かばない。
……。
重い空気に耐えきれず、鳴岳が茶化す。
「い、いや~黄泉が行方知れずとなった今じゃあどうしよーもねえなァ。万雷印の時空移動機巧でもありゃあ、俺様が過去に戻って、黄泉をぶった斬ってやるのによォ! なんつって」
はは、と自身の乾いた笑いだけが静寂に響いた。皆の冷たい視線に、鳴岳の顔が引きつる。
「たはは……ジョーダン、ジョーダン……」
「……過去に、戻る……」
鳴岳がバツが悪そうに頭をかく中、タネがポツリと呟いた。
「タネ、すまんすまん、冗談だぜ! 変なこと言っちまって悪かった」
しまった、と慌てて謝る鳴岳に、タネは「ううん」と首を振り、咲良を見つめる。
「咲良、作ってたよね。過去に行ける機巧」
タネの問いに、皆が驚く中、咲良が短くため息を吐く。
「アレは夢だと言ったろう。主神の知る【世の理】さえ得られれば実現できる可能性があったが、残花のいない今それは絶望的になった。少なくとも、人を過去に送るなど不可能。僕のような天才が何人もいて、膨大な資金と時間をかけて出来たとして、せいぜい小さな物を送る程度だ」
「……そっ、か……」
呟き、黙り込むタネを見て、断十郎が口を挟む。
「なあ、咲良。さっきからよ――」
断十郎は、苛立ちの声を出す。
「――あの残花でも斬れなかっただの、残花の知識が無いと絶望的だの。……奴はもういねえ。やめようぜ」
その苛立ちは咲良に対するものでも、落ち込むタネに対するものでもない。強く固執していた自身に対するものと気付き、項垂れる。
「いいや、おる」
ずっと黙っていた猟が、静かに口を開いた。皆が一斉に猟を見る。
「残花はんは、確かにおる。わいらの心の中に」
断十郎が舌打ちする。
「……くだらねえこと言ってんじゃねえ」
「いいや! 大事なことや!」
猟は立ち上がり、落ち込むタネの前に膝をついた。
「タネ。覚えとるか、わいの親父の言葉」
「……うん。『待つ者と行く者は、どっちが幸せ』、だよね」
「せや。残花はんは行ったが、わいらに多くの言葉を残してくれた。この文もそうやが、それだけやない。……どうすれば黄泉を斬れるか分からん。こんな時こそ、対話するんや。心ん中の残花はんと。絶対助けてくだはる。心はずっと、共に在るんやから」
他の者の言葉なら、綺麗事だと突き放したかもしれない。しかしタネは、猟が白兎との別れの際に心底悩み、父の言葉に救われたことを知っている。だからこそ、素直に受け止めた。
「……うん」
タネは目を瞑り、心の中に残花を思い浮かべる。脳裏に浮かぶは、残花と御神木を治した旅の日々。林檎に始まり、苺、蜜柑、芭蕉――。
皆が黙って見守る中、タネは静かに涙を流した。――馬鹿、泣くんじゃない。今は悲しみに浸る時じゃない。残花が遺してくれたこと、かけらも残さず思い出せ――。
順に思い出す中で、甜瓜の御神木を治し、天に登る道中の会話が心に引っ掛かる。
◆――……
『もしかして【天果の札】って、この樹? すっごく甘いから、神力も相当強いだろうし』
『……いや、違う。それは他に無い特別なものだ。いざという時の為、決して失くすな』
……――◆
「あ……」
タネは目を開け、立ち上がる。
頭の中で、残花が遺した言葉が一気に繋がっていく。
芽ノ村で残花は言った。
『桜の御神木は確かに一柱だけある』
獣ノ山で残花は言った。
『桜は世に一柱しか存在できない』
残花は文に記した。
『俺が散った後なら、見れるやもしれん』
タネは急に外に駆け出した。皆が驚き、後を追う。
駆けながら、涙がぽろぽろと零れる。
そういうことだったんだ。全部、全部わかった。だから《《この札》》は、樹に出来なかったんだ。
芽ノ村の中央広場に着くと、タネは腰の札入れから一枚の札を取り出した。それは、本草図譜にも載っていない。世界中を旅しても、その樹を見たこともない。唯一自分で作ったものではない、大事な札――。
タネは両手でぎゅっと札を握りながら、後ろから追いついた巴に声をかける。
「母上。私、やっとわかった。残花は、最初から、ずっと一緒にいてくれてたんだね」
タネは両手で握る札――【天果の札】に、あらん限りの気を込めた。自身を神と認識した今、はっきりと神力の流れを感じる。樹法師とは即ち神であり、樹法は神力の発露。各地の御神木の果実から得た神力が、想いと一体になって天果の札に注がれていく。
タネは、そっと札を地に置いた。
天果の札は、太陽の如く激しく光輝く。
根を張り、太い幹を伸ばし、枝を広げ、やがて小さな蕾が幾つもほころんで――
満開の桜の樹となった。
「……!」
タネは涙を流しながら、幹に抱きつく。強く、強く抱き締めた。これは残花じゃない。ここに魂は無い。わかってる。でも、でも……残花なんだ。残花が遺した、最後の桜。
『生きろ』
残花の最期の言葉が、桜から聞こえた。
その声は、確かにタネの心に響いた。
タネはしばし桜と心を交わし、誓う。
私、生きるよ。残花と向日葵姫の子だもの。
きっと、私なら生きていける。三百年後、たとえ世が荒廃しても。
皆が後ろから見守る中、タネは幹に回した腕をゆっくりと離し、涙を拭って振り返った。その顔に、もう絶望は無い。
満開の桜の下、タネは皆に向かって言う。
「みんな、ありがとう。私、生きなきゃ」
巴はうんと頷き、
根助はにこにこしながら泣いて、
猟はせやせやと同意し、
断十郎は真っ直ぐに見据え、
江良は静かに涙を一筋流した。
咲良はただ一人冷静に思考を巡らせ、問う。
「見事な桜だ。で、如何に黄泉を斬る?」
柔らかな風が吹き、淡紅の花弁がふわりとタネの周りを舞う。舞い散る花弁の中、タネは強い光を込めた目で、宣言する。
「残花が桜を遺してくれた。私が、造るんだ――【桜花の剣】を」





