第43話 亡失の帰郷
やや時を遡り、残花が煉獄に足を踏み入れた頃。地上では、天の灰雲から翼の灰人達が降り続け、人々は命懸けの戦いを続けていた。
芽ノ村も例外ではない。灰人達は無差別に暴を振るい、田畑を荒らす。根助は果樹園の木々に紛れ必死に逃げ回っていたが、灰人がある果樹に向かって暴れるのを見つけ、足を止めた。
「やめろ! そのリンゴは……!」
タネの帰りを待ち、甘い林檎を育て続けていた。ついに実が成った、特別手を掛けた一株。ゴツゴツした灰岩の腕を振り上げる灰人の前に、根助が飛び出して両腕を広げ、立ち塞がる。
「これはタネの分だ、あいつは絶対帰ってくる! ぜってえ帰ってくるんだ! おら、約束したんだ! これだけは、やらせねえっ!」
灰岩の腕が風切り音を上げ、根助の頭上に振り下ろされるその時――
――ゴガァンッ!!
大薙刀が、灰人を砕く! 崩れた灰人の後ろに姿を現すは、身の丈七尺、縦にも横にもでかい戦衣装の巴だった。その巨体は灰人達との戦いでぼろぼろに傷付きながら、なお頼もしい。
「根助! 死んだら元も子もないよ! 生きて、タネを迎えてやるんだよ!」
「……!」
根助は急いで足元の壺を拾い、砕け散った灰を分け封じていく。巴は根助にうんと頷いて、石突を地に突き、吠える。
「さあ、灰人どもッ! かかってきなあッ! この【戦女】巴が、叩っ斬る!!」
覇声が突風のごとく村に響き渡ったその時。
突如、灰人達がみな崩れ、灰と散った。阿鼻叫喚の戦場は、一瞬にして静寂に包まれる。
一陣の風が、灰煙を空に吹き散らした。巴は風を見送るように天を仰ぎ、呟く。
「……やったのかい? 残花」
その問いに応えがあるはずもなく。ただ天を覆う灰雲が、巴を見下ろしていた。
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残花が煉獄を斬った瞬間。現世の各地に降っていた全ての灰人は、黄泉の神力が途切れ、灰と散った。芽ノ村だけではない。獣ノ山も、武ノ里も、沖ノ島も、機ノ都も。辛うじて絶望の戦を耐え凌ぎ、命を繋ぎ止めていた。
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残花が煉獄を斬ってから、半月が過ぎた。天は灰に覆われているものの、地の灰は無く、灰人の出現ははたと止まり、人々は平穏な日々を取り戻しつつある。残花をよく知る者は、残花がついに黄泉を斬ったのだと思っていた。
そんな中、根助は来る日も来る日も、芽ノ村の門前で待ち続けていた。
「タネ……。リンゴ、実ったぞ。なあ。帰って来ねえと、おらが食っちまうぞ。まだ世界中のうめえモン探してんのか? ……そんなモン、もういいんだ。おらのリンゴが、いっちばんうめえぞ。だから――」
根助は、涙をぐいと拭い、天に告げる。
「帰って来い、タネ」
しばらく門前で立ち尽くし、今日も帰らなかったか、と振り返ろうとしたその時。門前に広がる草原のはるか向こうから、走ってくる白い動物が見えた。
「……? なんだ?」
根助は潤んだ目をごしごしと拭い、目を凝らす。見れば、白い動物は大きな兎のようだ。背に、誰かを乗せている。
「……!」
遠く、それが誰かはまだ見えない。それでも、根助は駆け出した。でっ腹を揺らし、どしどしと全力で走った。
「タネ! タネーー!」
草を踏み、土を蹴り、叫んで、駆けて、また呼んで。こちらに来る兎を、待ってなんかいられずに、根助は息急き切って駆け寄る。
広い広い草原の真ん中で、根助と兎は出会った。見れば、兎はぼろぼろに毛並みが汚れている。いったいどれだけの距離を走り続けたのか。根助に触れ安心すると、兎はゆっくりと背を落とし、負う娘を降ろした。
草原に降り立つは、待ち望んだ友。目は赤く泣き腫らし、沈みきった表情で力無く声をこぼす。
「根助……」
タネは、根助の顔を見るなり涙を溢し、倒れるように根助に抱き着いた。
「根助……根助ぇ……!」
何も言えなかった。ただ友の名を呼ぶ。
根助はタネを抱き止め、まあるい手で背を優しくさすった。
「タネ。良く帰った。良く帰ったなあ、タネ」
その優しい声が、温かな手が、タネの涙をいっそう溢れさせる。
「ううん……私は……私だけ……!」
言葉に詰まるタネの想いを察し、根助が背をさする。
「……残花さんは、おらの頼みを守ってくれたんだな」
根助は、タネを見送った日のことを忘れたことはなかった。
◆――……
『だから残花さん、たのんます。どうか、こいつを――無事に、帰して下さい……』
丸い体を縮込ませ、深く頭を下げる根助に、残花は言った。
『桜花の剣――即ち、我が命にかけ誓う。必ずタネを無事に帰すと』
……――◆
泣き続けるタネに、根助は言葉を続ける。
「タネ。泣きたいなら、うんと泣け。おら言ったろ、泣いて帰ったっていいって」
「根助……!」
タネは、ひとり抱えていた悲しみを全部吐き出すように、声を上げて泣いた。根助の厚い胸に顔を埋めて、思い切り泣いた。根助はまあるい体で全部受け止めて、黙って背をさする。広い広い草原のただ中で、タネの慟哭が収まるまで、ずっと、ずうっと、抱き締めていた――……。





