第42話 桜、散る
これが、最期の輪廻になる。
内に咲く花にそう直感した桜は、最初の輪廻となるべく同じようにタネと旅した。思い返せば、最初の旅が一番タネが幸せに見えたからだ。
タネは、今回も良く笑った。
お日様のように、向日葵のように、眩しい程の笑顔で。
桜は、その都度込み上げる涙を堪え、ふっと笑った。
タネが御神木を治す度、全力で褒めた。
「良し! 良ぉし! 良くやった!!」
「流石だタネ! その調子だ!!」
「最高の出来だ!!」
桜は、その都度堪え切れず溢れた涙を拭い、思い切りタネを抱き締めた。タネは、「痛いよ残花」と言いながら、それでも嬉しそうに頬をほころばせた。
タネにだけではない。
巴と根助に心からの感謝を伝え深く頭を下げ、
猟へ涙ながらに力不足を詫び、
断十郎と全力で剣を交わし、
江良を強く強く抱き締め、
咲良に治世を頼むと頭を下げた。
出会う人皆に、全霊の愛で接した。
それが最期の一会だと、覚悟していたから。
◆
タネと共に煉獄の門へ走り着くと、残花は鳥居の前で急に足を止めた。懐から白兎を取り出し、事前に書いておいた文を首輪に括り付けると、そっと地に下ろす。残花の背に、タネが声を飛ばす。
「どしたの残花、急がなきゃ! 早くしないと皆が――」
天を覆う灰雲から無数の灰人が舞い降り、地上は絶望の最中にある。焦るタネは、残花が足を止めた理由にはたと思考を巡らせた。
「――まさか、今、なの?」
「……ああ」
沖ノ島へ向かう海上で、タネは聞いていた。桜花の剣を振るう度に、残花の命が散ることを。そして、最期の花が散るその時が来れば、残花はわかるのだと。
「次で、最期の一振りだ」
「……! 何で、今……!」
タネは残花の前に回り込み、バッと両手を広げて立ち塞がる。
「だったら、行かせない!」
「そうはいかん。俺が行かねば」
「ダメ! 残花が散るなんて、絶対ダメッ!」
タネは首を強く振り、目に涙を湛えながら残花を制止した。残花は、優しくタネを抱き締める。
「すまん」
「謝らないでッ! 嫌だ、謝ったって許さないから!」
タネが残花を押し退けようとするも、残花は力を強め離さない。抱き締めたまま、タネの耳元で語る。
「聞け、タネ。俺の最期の言葉だ」
「嫌だ、最期なんかにしないで!」
ドン、と残花の胸を叩く。ドン、ドンと、何度も何度も胸を叩いて……泣きながら顔を埋めた。言葉を失ったタネに、残花が口を開く。
「生きろ」
それは残花にとって心からの願いであり、タネにとっては決別の言葉だった。
残花がそっと腕を解くと、タネは膝から崩れ落ち、泣いた。小さな白兎が、そっとタネに寄り添う。
残花は、タネを置いて鳥居をくぐり、煉獄の門を開く。タネは追おうとも門の圧に動けず、ただ漆黒の死地に向かう背を見つめることしか出来なかった。門が重い音を響かせて閉じ、二人を分かつ。
◆
『待ちわびたぞ、桜』
日の光届かぬ幽世。燃え盛る黒炎に嗤うは、茨を纏う黄泉。黄泉は見抜いていた。桜の内に咲く花が、もうわずかしか無いことを。
『神とは命、命とは力。主神と言えど、力を使い切れば散る定め。もう主神の位を固持できまい』
『……ああ』
勝ち誇る黄泉に、桜が首肯する。黄泉は焼けた喉でがらがらと嗤う。
『さあ、譲れ。まさか向日葵や種には譲るまいな』
黄泉が憎たらしく口角を上げる。
『……ああ』
桜はまた首肯した。向日葵やタネに譲るわけにはいかない。もし譲れば、黄泉に狙われ、俺のように永劫に苦しめられるだろう。俺以外をそんな目に合わせるわけにはいかない。それに、【これからする事】によって、現世に力を送ることは出来なくなる。
桜は、ゆっくりと桜花の剣に右手をかける。
『黄泉……俺は、御前を斬れぬ。望み通り、ひとりで咲き誇るがいい』
桜は、全力で桜花の剣を抜き、横一文字に虚空を薙いだ。刃が鞘を走る音だけが煉獄に響き、黒炎に桜色の剣閃が弧を描く!
――サンッ……
瞬間、幽世の時は停止し、無数の花弁が舞う。
桜が斬ったのは、黄泉ではなく、煉獄そのもの。黒炎も、灰も、門も、幽世そのものが花弁と化し、無の虚空へ散った。
剣を振るった桜自身もまた、花弁と化し、交じりて舞い散る。真闇に、主神の剣【花御魂】だけを残して。
✿
そして時が動き出し、花弁が舞う。
『馬鹿な……最期の一閃、まさか幽世そのものを斬るとは……』
真っ暗な無の空間に、黄泉が浮かぶ。
『……貴様への憎悪は揺るがぬ。が、その覚悟の美、認めよう』
黄泉は桜が残した【花御魂】を掴み、抜く。闇に映えるは、八百万の花咲くが如く、七彩に輝く透き通しの刀身。
『……なんと美しい……!』
花御魂を掴む手から、膨大な【世の理】が黄泉の頭に流れ込む。それは、万物を造るための万象の知識にして、主のみが知る理。
黄泉は感動に全身が震えた。
『これが、これが主神の力……! ついに手に入れたぞ……!』
黄泉は焼けた喉でがらがらと高嗤い――
そして、気付く。
桜の意図に。
『ひとりで咲き誇るがいい』
脳裏に繰り返す覚悟の声。桜花の剣は、万象を斬る破壊の剣――斬ったのは、世の繋がり。気を飛ばせど、神界も現世も感じ取れない。
『……これが貴様の選んだ最期か。あくまで現世を守る、と。……いや、現世も、幽世が無ければ直に澱む。種に束の間の生を与えただけか? 命を懸け、世を捨て、主の力を譲り、娘に一時の生を?』
黄泉はぐらぐらと喉を鳴らす。
『どこまでも愚かな父よ!』
私も愛の証であろうが。
妬みなどするものか。醜い、醜い……!
『いずれ現世が死で溢れれば、気を辿れよう……醜き種を、焼き尽くしてやる!』
黄泉は煮えたぎる憎悪に顔を歪ませ、黄泉の使者たる死者の気を探り、無の虚空を飛んだ。それは無限の宇宙に浮かぶひとつの星を探すが如き遼遠の途。永き時を、黄泉は彷徨い続ける。
いつか必ず、タネを灰と化すために。
桜の愛を、完全に焼き尽くすために。
◆
◆
◆
一方、天ノ島の洞窟の最奥、煉獄の門の鳥居前では、タネがへたり込んだまま待っていた。
タネは見る術も無いが、門の向こうで残花が最期の剣を振るった瞬間――
鳥居の奥にそびえる門が、突然に桜の花弁と散る。タネの視野一杯に桜が舞い散り、花弁が頬を掠めた。
「あっ……!」
タネは力無く立ち上がる。花弁が地に落ち視界が晴れると、門から感じていた圧は消え、洞窟の突き当たりは、ただの岩壁となっていた。
「あっ……。あ、……ああっ……!」
タネは力が抜けていた脚を引き摺り、岩壁となった門跡に駆け寄った。
ドン、ドンと岩壁を叩く。
「残花……! 残花、残花ぁ! 残花あッ!!」
何の気配も感じられない、ただの岩壁を、ひたすらに叩いた。返事はない。皮膚が破れ、血が滲んでも、壁を叩き続ける。
「う、ああ……ぅああああああああ!!」
残花が、散った。それ以外に考えられない。それ以外は何もわからない。タネは声を上げて泣きながら、壁を叩き、叫んだ。
「帰ってきてよ! 嫌だ!! 何で門が! 残花、残花あ!! あああああああ!」
泣いて、泣いて、泣いて。
頭に、残花の最期の言葉がよぎる。
『生きろ』
「………………!」
声の限り泣き叫んだ末に、ドン、と弱々しく岩壁を叩いて、ずりずりとへたり込んだ。足元に散る桜の花弁を集め、掬い上げて……また、泣いた。
慰めるようにすり寄る白兎を抱いて、手にカサと紙が触れる。
それは、残花が遺した文。タネは拭っても拭っても溢れる涙をそのままに、文を開いた。
✿――……
タネ。お前がこれを読む頃には、俺は散っていることだろう。悲しい想いをさせてすまない。
俺は黄泉を斬れぬ。
もう、斬る力が無いのだ。
灰人として幾千年の戦いを経て、俺の花はほぼ散った。
故に、煉獄を斬る。
次元を断ち、黄泉を無の虚空に落とす。
だが、俺の【力】は黄泉の手に渡る。
いずれ黄泉は、この世に舞い降りるだろう。
幽世無き現世も、やがて死に澱む。
世の荒廃と黄泉の降臨まで、もって三百年。
わずかばかりの平穏の時を、どうか精一杯生きてほしい。今を生きる友と共に。
お前は何も負うことはない。
これは、俺の責だ。
タネ。前に、大きな桜が見たいと言ったな。
叶えてやれず、すまなかった。
俺が散った後なら、見れるやもしれん。
もっとお前と、花咲く世を見たかった。
タネとの旅は、楽しかった。
責を果たす為の旅なれど、幸せだった。
心折れず戦えたのは、俺が強いからではない。
俺は弱い。
世の柱たるはずが、黄泉を斬ることも出来ぬ。
わずかな時を残すことしか出来ぬ。
タネ、お前だったのだ。
お前が俺の柱だった。
お前の笑顔は、向日葵によく似ている。
お喋りが過ぎるところも、
ころころと変わる表情も、
甘味に目が無いところも、
何より、郷を愛し、人を愛しているところも。
お前は、俺と向日葵の子だ。
言えずにすまない。責を負わせたくなかった。
良い子に育った。良き友を持った。
巴達には頭が上がらない。
俺は良き父では無かった。
だが、いつもお前の幸せを祈っている。
いつも笑顔でいてほしいと心から願う。
ついぞ言えなかったが、最期に記す。
愛している。
……――✿





