第40話 種、願い込めて
◆――……
桜は天ノ島に降りて煉獄の門を開け、日の光届かぬ幽世に足を踏み入れる。黒炎に茂る茨を進んだ先にいたのは――
『黄泉……』
黒炎に立つは、茨を纏う獄神、黄泉。ヒトの姿をした黄泉を初めて見た桜は、驚きに声を失った。ヒトの姿であることは勿論、最も美しい存在として造ったはずの黄泉が、刺々しい醜花に成れ果てていることに。黄泉が酷くしゃがれた声に憎悪を込め、返す。
『私を憐れむか、桜よ。今さら貴様の情けなどいらぬ。私の望みは一つ――主神の力を寄越せ』
『……力を得てどうする』
桜は無意識に、腰に差す二振りの刀のうち、桜花の剣ではないもう一方の刀に左手をかけた。黄泉はその刀を睨みながら、怒りを発する。
『どうする? どうするだと? 貴様は、この姿を見てもわからぬのか? 何故私が力を欲するのか。私の恨みが、怒りが、憎しみが、わからぬというのか!』
黄泉はわなわなと拳を震わせ、腕を振るう。すると茨の鞭が伸び桜の足元を強く打ち付ける!
――バチィッッ!!
桜は避けも受けもせず、黄泉を見つめ、頭を下げる。
『すまぬ』
『謝罪などするなッ!』
――バチィッッ!!
茨の鞭が桜の腕を打ち、袖は破れ鮮血が黒炎に飛散した。が、桜は表情一つ変えず、頭を下げている。
『全知たる主神が、行く末を知らずに私を幽世に置いたわけではあるまい! 知っていて! 《《必要》》だから捨て置いたのだろう! 要らぬ、要らぬ、要らぬッ! 貴様など! 何が父だ! 認めぬ、許さぬッ!』
黄泉は叫べぬほど酷く焼けた喉で怒りを吐き、何度も茨の鞭を振るった。その度に、桜の身は裂け、血が飛散しては黒炎に燃える。
桜は世の理を知る主神と言えど、全知全能では無い。黄泉の成れ果ては想定外だった。が、必要だから黄泉を幽世に置いたのは事実。桜は、責を持って受け止める。
どれ程、打ち続けたか。もはや桜の全身が焼けた血で赤黒く染まり、黄泉と同色になった頃。黄泉は鞭を止め、桜に歩み寄り、顎を掴んで頭をグイと上げた。
『力を寄越せ』
『……言ったろう。力を得てどうする、と』
『貴様――!』
再び鞭を振るわんとする腕を、桜が掴んで止めた。顔面を焼けた血で赤黒く染めながらも、強い意思の光を込めた眼で、黄泉を見据える。
『答えてくれ』
『……! 良いだろう、聞きたくば聞け』
黄泉は桜の腕を振り払い、答える。
『花は、咲いてこそ花。貴様の様に、他者のために花弁を散らすは愚の骨頂』
『……』
黄泉は一呼吸置き、腹の底から怨念を吐き出すように声を絞る。
『逆だ。私が咲く。全ての花を散らし、色無き世界で、ただ一輪赤く咲き誇る。それこそが、私の望む至高の美』
桜は、静かに首を振る。
『それは、哀しい。とても哀しいことだ、黄泉』
『……今は哀しくないかのような言い草だ』
桜が、『違う』と言いかけた瞬間。
黄泉は腕を振り、無数の茨で桜の全身をきつく縛り上げた。棘が身に食い込み、黒炎が茨を伝い桜を焼く。
『――ぐぁあっ……!』
さすがの桜も、苦悶の声をあげた。身動き一つ取れず、桜花の剣を抜くことも出来ない。黄泉はギリギリと桜を縛り上げたまま、恨みを込めて告げる。
『もとより、貴様が簡単に譲るとは思っていない』
黄泉が大きく両腕を振るうと、夥しいほどの人魂が黒炎から舞い上がり、闇の虚空へ飛び立った。桜は激痛に耐えながら、声を絞り出す。
『……何を……した……!』
『神を焼けば、貴様が一人で煉獄へ来ることは予想できた。大事な大事な姫は、連れて来ぬだろうと』
『……!』
瞬間、桜は全身にあらん限りの力を込め、茨を振り千切って桜花の剣を抜き、黄泉に斬りかかる!
『黄泉――ッ!!!』
『もう遅い』
黄泉が腕を振り上げると、黒炎纏う茨が黄泉の足元から無数に生え、先刻以上の物量で桜を縛り上げる。桜花の剣は、あと一寸で黄泉の目に届くところで静止した。再び茨の棘が桜の身を刺し、黒炎が燃え伝う。
『ぐぁあッ……!』
『日の光を一身に浴び、咲き誇る花。さぞ死者の眼に眩く映るだろう』
身動きが取れず呻く桜に顔を寄せ、黄泉が迫る。
『譲れ』
桜は激痛に耐えながら、苦渋の決断を吐き出す。
『……黄泉……貴様を、斬る……!』
『主の責と理に囚われ、姫をも捨てるか。貴様は、何のために咲いている。何のために散るのか』
桜は叫ぶ。
『御前にはわからぬッ!』
『ああ、知りたくもない』
黄泉がゆっくりと片腕を上げ、振り下ろすと、桜を包む黒炎が一気に燃え盛り、焼き尽くす。
桜は、炭と化し、力無く黒炎に臥した。
黄泉が見下し、言の葉を散らす。
『今頃、向日葵も死者の怨念に侵され、醜く朽ちていよう。直に貴様が帰らぬことに気付き、私の使者たる死者に誘われ、呪詞を唱える。あれはひとりでは咲けぬ花だ』
黄泉は、物言わぬ焼け落ちた桜に語りを続ける。
『今から、貴様を地に落とす』
黒く焦げきった桜の右手が、ぴくりと動いた。
『灰と化した天地で、灰人のもたらす死に怯える生者と共に、絶望に苦しみ続けろ。貴様が心折れ、力を譲るまで、私は何度でも貴様の子らを焼き尽くす』
桜の手は、もう動かない。
『まずは四百年。これは猶予ではなく、いわば刑期。力を譲らぬ限り続く、黒炎の輪廻』
黄泉は、桜に手をかざす。
『散れ、桜』
桜は灰と化し、黒炎に舞い、闇の虚空に消えた。
地に送られ、侍の灰人として形を為す。
その腰に、主神の刀たる【花御魂】と、桜花の剣を提げて。
◆
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やや時を遡り、桜が向日葵のもとを発ち、煉獄の門へ向かった頃。真っ白な神界で、向日葵はただひとり祈っていた。
きっと、桜は帰らない。
だから、授かった種に、願いを込めて。
無力な母でごめんなさい。
私に出来ることは、あなたに、精一杯の想いを注ぐことだけ。桜がくれた、日の光よりもずっとずっとあたたかい想いを。桜と一緒に造った、花と、天地と、そこに生きる全ての者への想いを。
愛してください。
それがあなたの力になるから。
どうか、花に光をあげて。
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向日葵が地に撒いた種は、三百年の時を経て、焼け落ちた林檎の御神木のもとに芽吹く。灰人となった桜は、小さなタネを抱き上げて泣いた。込み上げる涙を抑えきれず、声を殺して泣いた。やがて泣き枯れ、天を仰ぐその表情は、どこか晴れやかだった。
桜はもう、二度と涙を流さない。
その腕に、希望のタネを抱いているから。





