第37話 黄泉、生誕
◆――……
天ノ島の遥か雲上、お日様が照らす真っ白な神界で、桜と向日葵が言の葉を交わす。
『ねえねえ桜、なーんにも無かった大地もだんだん賑やかになってきたね!』
『うむ。御神木のもとに多様な命が育まれ、理想的な生態系ができたと言って良い』
『まーたムズかしいこと言ってる。楽しくやろーよ!』
『……そうも言っておれん。次は命が廻る仕組みが必要だ。死者の魂を焼き、造り直す場所が』
『えー、何か怖い。私そーいうの好きじゃない』
『好きとか嫌いではない。必要だから造るのだ。この世と対を為すとても重要な場所になる。俺達と並ぶ特別な神を置かねば』
『私達に並ぶ、特別な神かあ……どんな花がいいかなあ』
向日葵がうんと悩む中、桜は言い辛そうに口を開く。
『……実はな、特別な神を、その……。ずっと、考えていたのだ』
珍しく言い澱む桜に、向日葵が首を傾げた。すると桜は、右手を前に出して強く握り、神力を込め始める。
『どうしたらもっと向日葵が喜んでくれるかと、ずっと考えていた。次はどんな花を造ろうかと』
日頃一時も口を閉じない向日葵が、黙って桜を見つめた。そんなことを言われるのは初めてだったから。そんなことを想ってくれてるなんて、知らなかったから。
『だからこれは、特別な神なのだ。俺の想いが込もった、特別な花。今の俺が造れる、最も強い神になるだろう』
桜は、強く握った右手を優しく開く。
手の平から、眼下一面に桜の海が広がるほどの花弁が溢れた。
後に手の平に残ったのは、一輪の深紅の華。
十二単のごとく幾重にも重なる花弁が、甘く優雅な香りを放つ。それは枝に鋭い棘を持ち、美しさだけでなく気高き強さを感じさせる。
『――【薔薇】、と名付けようと思っていた。向日葵の好きな甘い果実をつける花ではない。可愛らしい花でもない。だが――』
至上の美を込めたのだ、お前のために。
その訳を聞くまでもなく、向日葵が肯定する。
『ううん、とっても綺麗。私、好きだよ』
いつもの明るく跳び上がる向日葵ではない。しっかりと桜を見つめ、心から感謝を伝えた。自分の言う通りに造った花ではない。桜が考え、懸命に造り上げてくれたことが嬉しかった。
その想いが、嬉しかった。
だから、その花は特別なのだ。
だからこそ、在るべき場所は――。
向日葵は、桜が差し出す深紅の花に、そっと手をかざす。それは、初めて桜と向日葵の神力が交わった瞬間だった。
花は輝き、次元を渡る。
主と姫の手から、日の光届かぬ幽世へ。
向日葵は、涙を流す。
静かに、声を押し殺して。
桜は宥めるように、落ち着いた低音で語りかける。
『名は【黄泉】にしよう。黄と、付けてやりたい』
『……うん』
桜は、泣き続ける向日葵をそっと抱き寄せた。
必要だったのだ。
幽世に置くのは、特別な神でなくてはならない。
たとえそれが、愛の証であっても。
『……ねえ、桜』
胸の内でぽつりと呟く向日葵に、桜は優しく返す。
『何だ』
『せめて……近くに、感じていたいの』
『……ああ。わかった』
◆
こうして、幽世に黄泉が置かれた。
お日様の光届かぬ幽世は、死者の魂を焼くべく、黄泉の神力で黒炎燃え盛る煉獄となる。
おかげで、この世に澱んでいた死者の魂が浄化され、天地は再び豊かな緑と数多の生命で輝く楽園となった。
さらに桜は、天ノ島に煉獄の門を造った。
遠き別の世へと送った黄泉を近くに感じていたいという、向日葵の想いに応えるために。
これで、万事うまく廻るはずだった。
桜は、気付けなかったのだ。
自身でもわからぬ程、黄泉に込めた想いが強大であったことに。
向日葵が、桜以上に大きな想いを込めたことに。
黄泉が、特別過ぎる存在となったことに。





