第34話 花は散れどもまた芽吹く
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花よ 永遠に咲け
たとえ天地を 灰と化しても
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果てなく広がる灰野で、侍の灰人は悔恨に拳を握る。長き戦いの末に敗れたからではない。タネの愛に付け入り、踏みにじったことが許せなかった。
タネが唱えた呪詞は、愛する人を取り戻す言葉ではなかった。
それは、この世を終わらせ、輪廻させる禁呪。
全ての命が流転し、再び同じ生を繰り返す。
輪廻から外れた、永遠に咲く花を除いて。
生と死の輪廻を司る煉獄の神【黄泉】は、本来は多大な消耗を伴うその禁呪を、タネの力を利用して容易く発動した。――かつて、向日葵姫の力を利用したように。
黄泉の狙いは、世を脅かし続けて俺の心を折り、【力】を譲らせること――そう考える侍の灰人は、あらためて覚悟を決めた。折れぬ心を持ち、今度こそ黄泉を斬る、と。
しかし侍の灰人に御神木を治す力は無く、天ノ島へ行くにはタネが芽吹く三百年後まで待たねばならない。それまで人々が灰人に負けないよう、前回と同じく、基盤を固める必要がある。
侍の灰人は自らを初代樹帝【藤 桜雲】と名乗り、
ある村には農業を教え、
ある村には狩猟を教え、
ある里には武芸を教え、
ある民には漁業を教え、
ある街には工業を教え、
人々に【樹教】を授け、導いた。
全ては、世を発展させ、灰人に立ち向かう力をつけるために。
灰人を通じた樹教典の改竄など黄泉の妨害を受け続けながらも、発展する基盤ができると、侍の灰人は樹帝の位を後継に託した。三百年もの間、ひとりの人間が樹帝という最も目立つ立場で生きていては、人々に怪しまれ、協力が得られない。
侍の灰人は葉桜家として在野に下り、歳格好を変え名を変え、代を継ぐように見せかけながら、人々を守り、育てた。
三百年の長きを経て、種が再び芽吹く時。
侍の灰人は、【葉桜残花】として、芽ノ村に向かう――。
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「み、見つけた! あったぞタネ!」
「何があったの、根助」
芽ノ村の山頂、焼け落ちた御神木の周りで、這いつくばって地に積もる灰を漁る私と根助。空はいつだって厚い灰雲に覆われているのだ、上を向いたって仕方無いからね。十七の乙女の膝は灰だらけ(豊穣タネ、心の一句)。
「だからタネだよ、種! ほら!」
食いしん坊で泣き虫の太っちょ根助が、丸い腕をずいと差し出す。見れば手の平にとっても小さな黒い粒。割れていて芽が出なかったみたい。
「根助、あんたこんな小さいの良く見つけたね……! 確かに何かの種っぽいかも!」
「おらわかんだよ、絶対うんめえ果物の種だ! ほらタネ、早く早く!」
何だか確信を持って鼻をふんすか鳴らす根助から粒を受け取ると、両手で祈るように握り、気を込める。どうか甘くて美味しい果物の種でありますように!
「えいっ!」
気を込めた粒を地に放ると、粒はにょきにょきと芽を出し根を張って、あっという間に成木していく!
「ほら種だった!」
「こっからよ、もうすぐ花が咲く!」
ぎんぎんに目を見張る私と根助。薄紅色の蕾が開いて白い花が咲き、やがて黄色く丸い果実がいくつも実る。ふたり顔がつくほど寄って嗅いでみれば、何だか甘ぁい良い香り!
「みみみ、実ったぞ! タネ、これ何だ!? 食ってもいいか!?」
「ちょっと待って! これは、えっと……」
私は母上から貰ったとっても古い植物図鑑【本草図譜】を急いでめくる。万が一でも毒があるものだったらいけない。
「あった! リンゴ……林檎っていうみたい。毒は……無いね。蜜があって甘味のある果物だって!」
「でかした! いっただっきまーす!」
「私も!」
言いながら根助は林檎をもぎ取りかぶりつく。私も負けじともぎ取って、一口かじる。思わず私と根助はバッと顔を向き合わせた。
「「あまーーーーーーい!!!」」
静かな灰山に2人の歓喜の叫びがこだまする。
「うま、うま!」
「美味しいねーっ!」
あっという間に1個食べきると、根助は両手でどんどんもぎ取っていく。お腹の膨れた私は短刀を取り出し、幹を削って薄く小さな木札を作る。初めて見た植物は何でも木札にすることにしているのだ。筆でちょちょいと林檎の絵を描く。
「よし、【林檎の札】いっちょ上がり。これでいつでも林檎食べ放題! 私、母上に報告してくるね。これで村の皆お腹いっぱいになるよ!」
「もぐんぐ……いっへらっしゃい! んぐ!」
詰まったのか胸をどんどん叩く根助。口いっぱいに頬張るからだよ。私は腰の札入れに木札をしまい、かわりに和紙の原料である【楮の札】を取り出すと、出来上がりを想像しながら気を込めて頭上に放る。
木札はぽんと煙を上げ、大きな和紙製の三角凧に姿を変えた。私はひょいと跳んで持ち手を掴み、風を受けてそのまま山肌を滑空する。
「ひゃほーーーぃ!」
まばらに生えた木々を避け、麓の村まで一直線。風が涼しくて気持ち良いーっ! あっという間に村に着くと、すとっと着地して三角凧を木札に戻す。まったく自慢にならない村一番のボロ家の木戸を、勢い良くガラガラっと引く。
「母上ただいまーっ! ――っんぎゃっ」
開けながら駆け込んだ瞬間、土間に立っていた男の胸にどんとぶつかり、体勢を崩すも、男がさっと抱き止めてくれた。
「ご、ごめんなさい!」
咄嗟に謝ると、男が微笑んだ。私より歳上、二十代くらいだろうか。上等な白い羽織に、何かの花柄の袴、腰には二振りの刀。どう見ても位の高そうな侍だ。でも何よりびっくりしたのは、無造作に縛った淡紅色の長髪。あと単純に顔がめちゃイイ。凛々しくてちょー好み。
ほけーと見上げる私に、侍が声をかける。
「大丈夫か」
「だ、だいじょぶ!」
侍はそのまま、私を胸に強く抱き寄せる――て、ええっ!? 急に何! すっごくドキドキするんだけど!?
「こら、何してんだい残花。タネもさっさと入りな」
残花と呼ばれた侍の胸越しに、母上の呆れた野太い声が届く。
「……すまん。つい、な」
ついって何? でも残花は真剣に申し訳無さそうな顔をして私を離し、頭を下げた。私は慌てて手をぶんぶん横に振る。
「あ、いえ、役得なんで! 全然」
「ふ」
あー笑われた! 思わず赤面してうつ向く。あーもう滅茶苦茶だよ! 本音駄々もれ!
――その時だ。
「てえへんだ、てえへんだあっ! 山に【灰人】が出たぞおっ!! 皆早く逃げろおっ!!」
必死に叫ぶ声が響き、わずかの沈黙の後、村中一斉に悲鳴が上がる。みなが家を飛び出し大混乱だ!
【灰人】だって!? かつて煉獄の炎で生じた灰に、死者の魂が宿り形を為す異形の化物……!! 一度形を為したら灰ある限り何度でも蘇る、あの灰人!?
私が戸惑っていると、残花が私に話しかける。
「山頂へ行くぞ、タネ。友人がいるのだろう」
「――あッ! そうだ、根助の奴、食い意地張ってるから絶対まだ山頂にいる! 助けに行かなきゃ!」
私はすぐさま山へ駆け出しながら、腰の札入れから【蔦の札】を手に持つ。
山の斜面にはまばらに高い木が生えてる。木札に気を込め蔦に変化、すぐさま伸ばして高枝に巻き付け、縮めてはまた次の高枝へ蔦を伸ばす! 伸縮は一瞬、次々に高枝へ跳び移れば走るよりずっと速い! 残花も後ろから追って来てるみたいだけど、急がなきゃ根助が灰人に襲われちゃう!
――あれ? でも残花は、どうして根助が山頂にいるって知っているんだ? ていうか誰? ううん、考えてる暇は無い! とにかく今は、早く根助を助けなきゃ――!
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それから色々あって灰人を無事倒し、私は林檎の御神木を治した。大きな御神木の下、私と根助が笑いながら林檎を頬張る横で、残花は灰雲に覆われた天を仰ぎ、何かを思い出しているようだ。
何故だろう。この人に胸が苦しいほど心惹かれるのは。初対面のはずなのに、会えてすっごく嬉しいって思ってる。絶対離したくないって。
あなたの想いを、私も知りたい。ねえ残花、あなたは一体、何者なの? 今、何を想っているの? そう思いながら、私は残花に黄色い林檎を差し出す。
「食べる?」
残花は悲しそうな目をして、静かに首を振った。
「……黄色、か。向日葵が望んだものは、こんなものでは無かった。……こんな、世では……」
残花はまた、遠く想いを馳せる。きっと私の知らない、ずっとずっと遠くの景色に。
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◆――……
物語は、遥か神代へ遡る。
それはまだ天地が出来る前のこと。
残花の魂に刻まれた、桜咲く創世の記憶へ――。





