第29話 揺らぐ土壌
「残花が、灰人……」
武士達と残花が去り、静まり返った謁見の間で、私は茫然と立ち尽くしていた。咲良が私の肩をぽんと叩く。
「そうだ、彼は紛れもなく灰人だよ。君にひとつ、理を授けよう。『灰人は手が冷たい』――単純にして有効な見分け方だ。灰人は体を持たない。灰がヒトの形を取っているだけだ。故に、熱が無い」
「あ……」
思い当たる節は、いくつもあった。初めて会った時、転んだ私を引き上げてくれた手。船で一緒に布団に入って寝た時も――残花の手は、いつも冷たかった。
「さて、君に話さなければいけないことがある――が、今は残花の尋問が先だ。君も突然の事に疲れたろう。今日は宿でゆっくりするといい。また遣いを送るよ」
そう言って咲良がパンパンと手を叩くと、襖の向こうから、今度は若い役人が参上した。
「タネを宿に案内せよ」
「かしこまりました」
咲良の指示に役人は頭を下げ、私に「こちらへ」と合図した。あまりの衝撃に、頭がうまく働かない。残花が、灰人……咲良は、尋問するって? 私は、どうしたら……。
私は何も考えることが出来ないまま、茫然と謁見の間を後にしようとして――重い足を止め、振り向いた。ひとつだけ、言いたくて。
「……ねえ、咲良」
「何だい」
形では優しく微笑む咲良に、私はぽつりと呟く。
「……残花に、ひどい事しないで……」
「それは彼の態度次第だ。さあ、もう帰りたまえ」
咲良が役人に目で合図し、役人が私に退室を促す。私は誘導されるがまま、力無く御殿を後にした――。
◆
「こちらが都一と評判の温泉宿『三階御宿』です。宿代は結構ですので、ご自由にお使い下さい。それでは」
役人は大きな高級宿の前まで案内すると、淡々と述べ立ち去った。宿はなんと3階建てで、見るからに立派な造り。温泉もあるなんて、いつもだったらすごい興奮するところだけど……とてもそんな気分ではない。
すっかり日も暮れ、玄関の綺麗な格子戸から中の灯りと喧騒が漏れる。
『――俺様が三階御宿を押さえておいてやったぜ! 今日はブレーコーってヤツでヨロシク!』
『……俺は都まで遥々遊びに来たわけじゃねえ――』
ん……? 二人の男の声がするけど、何だかどっちも聞き覚えがある。とりあえず格子戸を開けると――玄関にいたのは、やっぱり知り合いだった。
「お! タネじゃねえか、今日は機巧長屋を案内できなくてスマンかったな! 見ての通り武ノ里から客人っつかダチが来ててよ」
「誰がダチだ。武家同士、昔からツラ合わせてるだけだ」
広い玄関に立つ二人の男は、鳴岳ともう一人――武ノ里で会った武家の総本家当主、仁道断十郎だった。背中には、相変わらず鉄塊のごとき大刀【斬灰刀】を背負っている。
断十郎は私の周りを見回して言う。
「おい、残花はどうした。てめえが都にいんなら、奴もいるんだろ」
「……残花は……」
うつむき言葉に詰まる私を見て、断十郎は何か察したのか、私に近付いて低い声で言う。
「奴に何かあったのか」
「うん」
私が小さく頷くと、断十郎はすぐにダンと館内に上がり、私に呼び掛ける。
「来い。部屋で話を聞かせろ。鳴岳、お前も来い」
「ゥおい! せっかく宴席を用意してんのによォ! 福々温泉つかろうぜ、泡がぷくぷくーって湧くんだ」
「ごめんね、鳴岳」
鳴岳には申し訳ないけど、断十郎が話を聴いてくれるのは正直すごく助かる。自分ひとりで抱えきれなくて……断十郎なら、信頼して相談できる。
ドカドカと階段を上がる断十郎に続き、私と鳴岳も三階の部屋へと上がった。三人が入るなり、断十郎はビシャっと襖を閉め、斬灰刀を壁に立て掛けた。鳴岳が行灯に火を灯し、それぞれ灯りを囲むように座った。断十郎が口火を切る。
「で、何があった。言ってみろ」
「うん……」
◆
私は謁見の間での出来事をありのままに話した。残花が灰人だったことを明かすと、鳴岳が「マジかよ!!」と驚く一方で、断十郎は静かにため息をつく。
「んで、大人しく帰らされたってわけだ。らしくねえな」
「……なに?」
ちょっとだけカチンと来て、断十郎を睨んだ。だって、何も言えないじゃん。私らしくないって言われても……。
断十郎は呆れたようにふっと息をこぼし、鳴岳を見た。
「鳴岳よ。皇太子ってなどんな奴だ。俺は政にゃあ疎くてよ。都住みのお前ならよく知ってんだろ」
「あ、ああ。そりゃモチ! 樹教に言う向日葵姫に愛されし"主"の子孫――現人神【樹帝】藤十七世が嫡男、藤咲仁皇太子殿下だ。齢二十五にしてとんでもねえ切れ者で、政を取り仕切ってるのは実質皇太子殿下だって言われてる」
鳴岳の説明に、断十郎は気に食わないような顔をした。
「切れ者ねえ。信用できんのか」
「断十郎、アンタやっぱとんでもねえなァ。ンなこた言えねえよ、皇太子殿下だぞ? 信用も何も、逆らえねェよ」
断十郎の問いに、鳴岳は慌てて手を振った。
「誰だろーが関係ねえよ。民を守るのが武士だ。ソイツが民を守る気があんのか、ねえのか。肝はそこだ」
断十郎の言葉に鳴岳はぐっと息を飲み、覚悟を決めたように語り出す。
「民を守る気概は、あると思うぜ。ゴツイ外壁や街の繁盛っぷり、綺麗な道を見たろ? 都の防壁強化、商工業への積極投資、徹底清掃による灰の排除――今の都の発展は、間違いなく皇太子の政策によるモンだ。……ただ、綺麗な顔だけじゃねえ」
「ほう。どんな顔があるってんだ」
断十郎は興味深そうに身を乗り出した。鳴岳が続ける。
「……病に伏せっていた帝が、最近突然お勤めに復帰されたんだ。だが、表に姿を見せない。皇太子は天才機巧技師でもある」
「何が言いてえ。はっきり言え」
鳴岳は再びごくりと喉を鳴らし、答える。
「皇太子が、直したんじゃねえかって噂がある。皇太子はうちの機巧長屋でいつも研究してるんだが、人体らしい図面を見たってウチの者が」
「……おいおい、んなことが――」
「出来る。あの人は、出来る。技術も、倫理も、ブッ飛んでんだ」
驚く断十郎に、鳴岳は続ける。
「何が言いてえかっつーと……恐ろしい人だっつーことだ。信用していいか? いやそんな次元じゃねえ、逆らっちゃいけねえ。俺様は、そう思うぜ」
「そうか、参考になった。タネはどう思う」
断十郎が突然私に振った。でも、私は――。
「どうでもいい。何で? 断十郎、それより残花が――」
「アイツは何も変わっちゃいねえよ」
「え……」
理解できない私に、断十郎が言う。
「奴のことはよく知ってる。いや、俺だけじゃねえ。名のある武士なら、誰でも知ってる。残花が、民のために灰人と戦い続けてきたことを」
「あ……」
「灰人だからどうとかじゃねえ。奴は、民を守る天下一の灰人斬り。それが全てだ。ま、正直、まーた俺に隠し事しやがって、とムカついてはいるがな」
断十郎は私と鳴岳の顔を交互に見て、続ける。
「対灰人戦力として、右に出る奴はいねえ。そんな残花を投獄する奴は、本当に民を守る気があんのか? 俺はそれが知りたかったのよ」
「待て待て、俺様の頭が悪いのか? 断十郎、何が言いてえ?」
断十郎の言葉に、鳴岳が割って入った。断十郎は「それよ」と言わんばかりに膝を打つ。
「俺が都に来たのは、ここらで目撃情報があったからだ。俺にとって最優先の敵――轟炎のな」
「……!」
灰人となった断十郎の父――轟炎が、都に? それって、何だか――。
「皇太子は、残花が灰人だといつ、どうして知った? 残花から桜花の剣を取り上げて得するのは誰だ? 俺は無関係じゃねえと思う」
「おいおい、アンタまさか――」
狼狽える鳴岳に、断十郎はダンと畳を打ち、私をぎろりと見据える。
「自分の目で、耳で、心で、見極めんだよ。明日、御殿に行くぞ。皇太子と残花――まとめて見定めてやろうじゃねえか」
断十郎の言葉が、私の胸をどんと打った。そうだ、そうだよ。まだ残花に何も聞いてない……!
「うん。私、残花に会いたい! 行こう、御殿に!」





